4:腐敗病(上)
この世界には「腐敗病」といわれる病気がある。
世界中で猛威を振るい、多くの人々を死に至らしめてきた病気であり、この病気を患った際の致死率は極めて高い。腐敗病を発症すると、まず、急激に身体が発熱し、激しい頭痛や極度の悪寒が生じる。次に、身体中に発疹が現れて、それが膿疱を形成する。やがて、腐り落ちて、醜い瘢痕が残る。
数年前、俺の村に住む村人が腐敗病を患い、亡くなり、大変な騒ぎとなった。以来、俺の村は、腐敗病が発生したとして、周囲の村や街の人々から嫌悪されるようになった。
腐敗病は俺の前世の世界では「痘瘡」といわれていた病気であり、人類が初めてにして唯一根絶に成功した感染症である。その感染経路は発症した者の咳や唾液などによって伝染する。
しかし、そのことは前世の記憶を保持していても、医学の知識を持たない俺にとっては、知る由もないことだった。
俺にとっては、原因の分からない恐ろしい病気であった。
・・・・・
俺は言葉にならない呻き声をあげる。
苦しい。身体が燃えるように熱く、全身からは汗が噴き出し、骨と骨の間の関節が激しく痛む。意識がある間は常に極度の倦怠感と嘔吐感、激しい頭痛に苛まれる。
いっそのこと、意識を失うことができれば、この苦痛から逃げることもできるのだが、この苦しみを感じるがゆえに意識を失うことができない。身体を動かすだけでも辛く、呼吸をすることすら苦しい。
前世の最期に経験した死の苦痛よりも苦しい。こんな苦しみは、前世でも、今生でも、経験したことがない。
前世の死が生温く思えてくるような苦しみを感じる。それが腐敗病であった。
「こ、殺して、くれっ」
しぼりだすようにして、呟く。
この苦しみから解放されるなら死んでもいい。本気でそう思った。
しかし、この願いを聞いてくる人は誰もいない。俺は、今、家から離れた農具小屋の中で隔離されているのだ。
ここには誰もこない。家族ですら感染を恐れて、近寄ろうとはしない。一人だけ、あいつを除いて。
「お兄ちゃん」
アリスが俺の名前を読んだ。
「食事、持ってきたよ。少しでいいから食べて」
「あ、ああ……」
水を飲もうとしたが飲み込むことができずに吐き出してしまう。
「ゆっくり、ゆっくりでいいから、飲んで」
そう言って、アリスは甲斐甲斐しく俺の看病をしてくれる。
俺は何度も、何度も、嘔吐しながら胃に水分と栄養を入れることができた。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
アリスは俺の手を握りしめながら、そう言った。
「お兄ちゃんは、絶対に助かるっ」
俺の目が腫れているのだろうか。アリスの顔がよく見えない。
「だから、もうちょっとだけ、頑張ってっ」
そう言って、アリスは俺のまぶたに手を触れる。
アリスの手が冷たくて、とても心地良く感じた。
・・・・・
腐敗病を患ってから何日経っただろうか。
腐敗病によって感じていた疲労感がようやく治まった俺は小屋を出た。歩いてみると、まだ苦しいが、我慢できないほどではない。
俺は家族がいるはずの家の中に入った。
「母さん、父さん……アリス--」
家に入り、家族の名前を呼ぶ。
「きゃぁあぁあぁあ!」
母さんが驚き、悲鳴を上げた。
「ジョン! お、お前、その目……」
父さんは驚き、動揺していた。
「お、お兄ちゃんっ」
アリスは驚き、狼狽していた。
「み、みんな、どうしたの……?」
目? 目がどうしたんだろう?
俺は自分の眼を触ろうとした。そして、触ろうとして、初めて、気が付いた。
右目が見えない。慌てて、右目を触ろうとする。そこには、何か異物があった。
「な、なんだよ、これ!」
慌てて、外に出る。自分の顔を確認しようにも、この家には鏡なんて高価な物は置いていないのだ。
俺は川に入り、水面に映る自分の顔を見た。
そして、絶句した。
なあ、俺が何をしたんだよ? 何もしていないだろう? なんで、なんで、俺が、こんな目に遭うんだよ?
俺の右目の眼球は腐り落ち、神経を繋ぐ糸を通じて、目の下に爛れていた。