23:婚約破棄(下)
「私ただ奪う側にまわろうと思っただけよ」
アリスはそう言って、自嘲気味に笑う。
悲鳴を上げていた傍観者たちは、やがて言葉を失い、茫然とした様子でアリスの身体を舐めまわすように見つめる。なんとなく、同情よりも、好奇の視線の方が多いように俺には思えた。
俺は絶句したまま、茫然自失のまま、遠巻きにアリスを見つめる。
いったい、アリスの身に何があったのだろうか。
俺の知らない間に、アリスは、どんな人生を歩んできたのだろうか。
アリスの身体中に存在する傷跡を見て、俺はそんなことを考えた。
やがて、アリスは、誰とも目を合わせず、空を見つめながら、静かに言葉を紡いだ。
「私の身体にあるほとんど傷は、私が商品として奴隷商人に売られる前、盗賊たちに犯されたときにできたものよ……目付きが気に食わないという理由でね」
誰もが無言になり、アリスの言葉の続きを待った。
皆、アリスの話が気になり、耳を傾けた。
「身体中に存在する火傷の痕は煙草を押し当てられてできたものよ。抵抗する私に怒りを感じた盗賊たちが笑いながら、何度も押し当ててきたわ」
酷い。
「胸にも煙草を押し当てられたわ。もし、子供が生まれても、自分の母乳をあげられないわね」
アリスは剥き出しとなった自身の胸の乳房を撫でまわす。そこには、火傷によって黒く変色し、痛々しいまでに、歪な形となったアリスの乳首があった。
酷すぎる。
「右目は……」
言葉の途中で、アリスの表情が強張り、言いよどむ。
何か余計なものを思い出したのかもしれない。
「……右目は、盗賊たちに犯されたときに、あいつらが下半身にぶらさげてる汚い棒でっ」
今度こそ、本当に絶句した。
「私、痛くて、苦しくて、怖くて、泣きながら必死に懇願したわ。『ごめんなさい、許してください、なんでもしますからっ』って。でも、誰もやめようとしなくて、笑いながら、私を犯し続けたわ」
あいつらは、悪魔だ。人じゃない、鬼畜だ。
あいつらは、なんで、そんな、残酷なことができるんだ。
「痛くて仕方がなくて、目から血が噴き出して、悲鳴を上げながら、そのまま、失神したわ。そこから先の記憶はないけど、その後も犯されたみたいで、次に私が目を覚ましたとき、あいつら、私のことを『名器』って言ってたわ」
そのときの様子を想像して、俺は殺意にも似た強い怒りと憎しみを盗賊たちに抱いた。
唐突に、アリスがウィリアム王子を見つめる。
「ウィリアム様」
「な、なんだっ?」
「今から2年ぐらい前、私……レイラと王子の婚約が正式に成立した日、私に、初夜を求めてきましたわよね?」
「!」
王子は予期せぬアリスの言葉に驚き、動揺している。
また、その隣に立つシンディは、恋人から知らされていなかった事実を知り、衝撃を受けている。
「王子も殿方ですものね。でも、私は、最後まで、身体を許しませんでしたわよね?」
「あ、ああ……そうだったなっ」
「これが、その理由ですわ」
「…………」
「私、誰かと身体を重ねるなんて、絶対に嫌ですものっ」
そう言って、アリスは軽蔑した様子で王子を見つめてから、また空を見つめる。
それは、王子を軽蔑したからなのだろうか。
それとも……。
「それから、奴隷商人に引き渡されて、商品として飼われている頃も、何度も殴られたわ。殴るだけじゃなくて、ナイフで傷付けられたり、鞭で叩かれたり……調教という名目で、何度も、何度も……」
アリスの吐露は続く。
「何度も蹴られて、自身の股から真っ赤な血を朝まで垂れ流した夜もあったわ」
俺は、心の中で悲鳴をあげた。
「何度も殴られて、地面に頭を擦り付けて、調教が終わった後は、いつも灰色の天井が歪んでいたわ」
もう止めてくれ。
「いつもいる場所は地下の粗悪で不衛生な檻の中。寒くて、空気が淀んでいて、湿っていて、汚い所だったわ」
もう聞きたくない。
「でもね、そんな環境にも、いつしか慣れたわ……血の匂いも、悲鳴も、臓物の温かさも、全部慣れたわ。そしたら、私、笑えるようになったのよっ」
もう許してくれ。
「それで、そのとき、誓ったのよ。私は奪う側にまわろうって。笑われる側ではなく、笑う側に、奪われる側ではなく、奪う側に、なろうって」
そう言って、アリスは笑う。
その笑い方が、どこか猟奇的に感じて、俺は、アリスのことを、心の底から気味が悪いと思ってしまった。
「そんなあるとき、私を買いたいっていう、奇特な男が現れたのよ。そいつは政府の役人で、とある大貴族の家に取り入るために人・形・を欲しがっていたのよ」
「人形……?」
「そう人形よ。とある大貴族の当主の娘、権力者の娘、昔、婚約者と会わせた日の夜に誘拐されて以来、ずっと行方不明の娘……もはや、父親にとっても、どんな顔をしていたのかさえ、わからない娘、そんな娘を演じることができる優秀で、自分に従順な操り人形を探していたのよ」
「……それで、お前は、あの男に従って、私の娘を演じたというのか?」
レイラの父親が聞いた。その声は微かに震えていた。
「ええ、そうですわ。私にとっても、あの男にとっても、お互いの利害は一致していましたもの」
「…………」
「私は長らく行方不明だったあなたの一人娘として、あの男はそんな娘を見つけ出した忠君の執事として、あなたの家に上手く取り入ったわ。もっとも、貴族の娘を演じるのは容易じゃなかったけど。嘘が露見しないように、必死に貴族の娘としての体裁を取り繕う毎日だったわ……それに、私の招待を疑うまともな人も周りに多くいたもの。そんな人たちを隠れて排除するのは本当に大変だったわ」
「私は、ずっと、お前たちに騙されていたのか……?」
「ええ、そうですわ。それでも、私が今日まで演じてこれたのは、曲がりなりにも共犯者だったあの男が有能で、あいつの助力があったから。それに――」
「…………」
「あなたが、盲目で、馬鹿で、単純で、お人好しで助かったわ。あなたがいなかったら、私の正体は、とっくに露見していたわ」
「…………」
レイラの父親は何を言わず、そのまま、顔を下げた。
それは、信じていた娘が偽物だったからだろうか。
それとも信じていた娘に裏切られたからだろうか。
「だけど、こんなところで、まさかあいつが裏切るなんて。あいつと私は一蓮托生、どっちが裏切っても身の破滅だって、お互いがお互いを脅し合っていたのに……まさか、あいつだけ、助かろうとするなんてね」
そういって、レイラはまた自嘲気味に笑う。
今度は王子がアリスに詰め寄る。
「レイラ……いや、アリス」
「なんでしょうか?」
「改めて、お前に問いかける。お前が、シンディの村を、襲わせたのか?」
「……その問いになんの意味が? 私の言葉を、あなたは信じますの?」
「いや、信じることはできない……だが、シンディから聞けば、お前はシンディと親しかったそうじゃないか?」
「…………」
「まさか、お前は、そんな親しかったシンディの暮らしている村を襲うほどの人でなしだったのか?」
「そうですわね……私を捨てた人たちに恨みはあっても、そのこととなんの関係もないシンディには、恨みなんて、ありませんでしたわね」
「じゃあ、やっぱり……!」
シンディが大声をあげる。
そこには、なにか希望を見出そうとしている、そんな願いが含まれているように思えた。
しかし、アリスの言葉が、シンディの言葉を遮る。
「でも、腐敗病の流行している村を襲わせたのは、他の誰でもない私よ。だって、私が……お父様に進言したんですもの。それに、あの男が私の名を借りて私利私欲のために軍隊を指揮していた可能性だってあるわ。大方、奴隷商人なんかと手を組んで、小金でも稼いでいのかもしれないないわ。あいつ、政府の役人だった頃から、なにかと貧乏人を見下していたみたいだし」
「そ、そんな……」
シンディは絶望して、項垂れる。
隣に立つ王子は慌ててシンディを抱き抱えて、介抱する。
アリスはそんな2人を、つまらなそうに見つめていた。
しかし――。
「国王陛下」
突然、アリスが国王を呼び、拝謁する。
「私はこの国に大きな混乱を起こしましたが、その罪状はいかがなものでしょうか?」
「……お主が引き起こした一連の騒動および悪事の数々は凶悪と言わざるを得ない。お主には、極刑に処するのが妥当だろう」
「つまり、罪状は?」
「国民の前での斬首だ。自身の命をもって、お主が殺めてきた国人に詫びろ」
国王の言葉の意味を理解した時、俺は衝撃を受けた。
そ、そんな……。
斬首だなんて……。
それって、つまり……。
死刑。
「そうですか。承知致しました」
しかし、アリスは自身の表情を変えることもなく、まるで他人事のように国王の言葉を受け入れた。
「うむ……誰か、この者を捕らえよ! 牢獄に入れるのだ!」
国王が側近である近衛兵たちに命じて、アリスを捕まえようとする。
命じられた近衛兵たちは慌てた様子で、駆け寄り、アリスを捕縛しようとした。
しかし――。
「触らないで!」
アリスが激昂した。
「!」
近衛兵たちがたじろぐ。
「汚らしい手で私に触れるなっ!」
それは、誰もが圧倒されるような、凄い剣幕だった。
「私は逃げたりなんかしない。自らの足で檻に……処刑台に立つわ」
アリスは静かに、優雅に、孤高に、歩き出す。
その気品あふれる凛々しく、堂々とした立ち振る舞いに、誰もが見惚れた。
近衛兵たちは狼狽えながらも、アリスを先導して、牢獄へと向かい、舞台を去ろうとする。
舞台を去ろうとするアリスを見て、俺は――。
――俺の中で、何かが弾けた。
「待ってください!」
俺は、思わず、叫んでいた。
それは、いつも逃げていた俺が、初めて行動を起こした瞬間であった。
・・・・・
それは、舞台に広く響き渡るような大声だった。
それは、反射的に、俺の口から出た言葉だった。
それは、俺が舞台の登場人物となった瞬間だった。
顔を背けたまま、アリスは立ち止まる。
その表情をうかがい知ることはできない。
しかし、そんなことはお構いなしに俺はアリスの元へと近付く。
舞台は俄かにざわつく。
誰もが、俺に道を空けて、誰もが、俺のことを好奇の視線で見つめる。
怖い。
俺は内心、強い焦りを感じていた。大多数の人から向けられる視線に強い不安と緊張を感じる。自分でも、なぜ、このようなことをしているのか、わからない。今、俺は頭で考えるより先に行動を起こしている。自分で自分のことがわからない。ただ、ひとつ、わかるのは、もはや、後に引くことはできないということだけだ。
突然、アリスに近付こうとしてくる俺に対して、近衛兵たちが立ちふさがり、咎める。
俺は立ち止まり、国王に向かって、相対する。
「……お主は、何者だ?」
「……俺は、いえ、私は……アリスの兄です」
「なに……?」
国王が怪訝な目で俺を見つめる。
傍観者たちの中から、大きなどよめきが広がる。
皆、一様に、この騒動を面白がっているのか、俺の国王への不躾な態度を非難する野次は聞こえてこなかった。
「俺の名前はジョン! アリスの実の兄です!」
「…………」
国王が俺を値踏みするかのような目付きで見つめる。半信半疑、信用しかねる、そんな様子の表情だ。
しかし、俺はそんなことはお構いなしに、一方的に話を続ける。
「国王陛下! 俺は、いや、私は、アリスの助命を乞います! どうか、御再考を! どうか、何卒、寛大な処置をお願い致します!」
言葉遣いも、立ち振る舞いも、でたらめのまま、俺は、ただひたすらに懇願する。
それは、周りから見れば、滑稽なことなのだろう。傍観者たちの中から、微かに苦笑にも似た笑い声が聞こえた。
「…………」
「国王陛下、お願い致します!」
「……この者を捕まえて、そのまま、つまみ出せ」
国王の命令を聞いた近衛兵たちが、俺を捕縛しようとする。
「は、放してくださいっ!」
「大人しくしろ!」
俺は必死に抵抗するものの、呆気なく近衛兵たちに取り押さえられてしまう。
「国王陛下!」
「…………」
どうやら、国王陛下は俺のことをただの狂人だと判断したようだ。
当たり前だ。いきなり出てきて、自分はアリスの実の兄であるなどと叫んだところで、信じてくれるわけがない。国王にとって、俺はただの傍観者でしかない。いや、もしも、例え、俺がアリスの兄だと信じてくれたとしても、俺の頼みなど聞いてくれるわけがない。
一連の騒動を見ていた傍観者たちは俺のことを嘲笑う。
アリスは一度も振り返ることなく、静かに立ち止まっていたが、やがて、また、振り返ることなく、歩き始めた。
「アリス!」
俺はアリスの名前を呼ぶ。
「アリス!」
俺はアリスの名前を叫び続けた。
「アリス!」
何度も、何度も、何度も。
「アリス!」
「うるさいっ!」
「!」
突然、アリスが叫んだ。俺は驚き、言葉が出なかった。
「うるさい! うるさい! うるさいっ!」
「アリス……?」
「なんでよ!」
アリスは叫んでいた。泣きながら叫んでいた。
「なんで、今更、私の前に現れるのよ! なんで、今更、私のことを助けようとするのよ!」
「!」
俺は、何も言うことができなかった。言う資格などなかったからだ。
舞台はアリスの悲痛な泣き声に包まれる。
誰もが、動けずにいた。誰もが、アリスを見つめていた。
アリスは子供のように、ただ、ひたすらに泣き叫びながら、怨嗟の言葉を叫ぶ。
「シンディ、教えてよ!」
「!」
突然、アリスがシンディの名前を呼ぶ。
シンディは驚いた様子でアリスを見つめる。
「どうして! ねぇ、どうして、私とシンディは同じ道を辿どらなかったのよ!」
「アリス……」
「私とシンディ、どこが違ったのよ! なんで、なんで、私だけ……なんで私だけこんな目に合わなきゃいけないのよっ!」
アリスは泣き崩れてしまう。
アリス……。
ああ。わかった。
今、ようやく、分かった。
「アリス!」
俺はアリスの名前を呼ぶ。同時に、俺は、俺を羽交い絞めしていた近衛兵たちの腕から抜け出して、アリスの元へと駆け寄る。近衛兵たちは慌てて、俺を再び捕まえようとするが、それを、王子が抑止してくれた。
アリスは肩を震わせながら、泣き腫らした顔のまま、俺の方へと振り向き、睨みつける。
その顔は憎悪と悲痛に満ち溢れていた。
そんなアリスを見て、俺は今頃になって、ようやく気付くことができた。
あの日、あの時、自分が何をしたかったのか。
俺はアリスを見つめる。アリスも俺を見つめる。
しかし、お互いの表情はあまりに違った。
「ごめん」
いくら考えても、出てくる言葉はそれだけだった。様々な言葉が頭の中で反覆されるが、実際に言うことが出てきたのは、その言葉だけだった。
俺は頭を深く下げて、首を垂れる。そして、すぐに、そのまま、地面に跪き、頭を地面に擦り付ける。俺が犯した罪を考えれば、こうするのが当然だと思ったからだ。俺は無意識に土下座をしていた。
「あの時……お前が奴隷商人に連れて行かれるとき、お前のことを見捨てて……裏切って、ごめんっ」
動悸が激しくなる。俺の矮小な心が悲鳴を上げる。
それでも、俺は、謝り続けた。
「ごめん……本当に、ごめんなさいっ」
「うるさいっ!」
「!」
「あんたなんか知らないっ! あんたなんか私の兄じゃない! 家族じゃない!」
「アリス……」
「私に家族なんかいないっ!」
アリスは泣いていた。ただ、ただ、泣いていた。
だけど、その言葉はどこまでも本気だった。
・・・・・
泣き叫ぶアリスに対して、国王は若干の同情心と庇護欲を掻き立てられているようだったが、それでも、忽然とした態度でアリスに接した。
「レイラ……いや、アリス、お主が凶行に至る過程には、それなりの同情を感じるが、それでも尚、お主の犯した罪は重罪だ。この国を混乱に陥れ、多くの、罪無き、無辜の民の命を奪った。その事実は未来永劫、決して消えはしない」
国王は言い切った。
「国王陛下、お待ちください!」
シンディが国王に懇願する。
「お願い申し上げます! 私も彼女の助命を乞います! どうか、彼女への罪状の御再考、寛大な処置をお願い致します!」
「お主もか……悪いが、お主やそこの男の願いを聞き入れることはできない。アリスはそれだけのことをしている」
国王の言葉を聞いて、俺は思わず口を挟む。
「それは、わかっています……ですが、それは俺にも責任があります!」
「ジョン……!」
「なんだと……?」
「俺が、家族である俺が、アリスを裏切らなければ、アリスはこんなことをしなかった……アリスがこうなったのは、全部、俺の責任です!」
「家族愛というやつか……美しいものだなっ」
少しだけ、国王が感傷に浸る。
「それで、どうするのだ? お主にも責任があるとして、お主が代わりに罰を受けると?」
「そうです!」
俺は言い切った。
俺は、あのときにできなかったことをする。
「俺はどうなっても構いませんっ。死刑になっても構いませんっ。だから、お願いです! アリスの命だけはっ」
「私からもお願いします!」
「シンディ……!」
「私も、どうなっても構いません! 私もアリスの助命を乞います!」
俺とシンディはそのまま地面に頭を擦り付けて、懇願した。
そんな俺たちを見て、国王が問いかける。
「まずは……ジョンといったか?」
「は、はいっ」
「ジョン、お主にとって、アリスはなんだ?」
俺にとって、アリスはなんだ?
俺は、アリスのなんなんだ?
……そんなの決まっている。
ああ、そうだ。
それは最初から決まっていた。
本来なら最初から言えてなければいけない言葉だ。
「家族です。俺にとって、アリスは大切な家族ですっ」
「また、それか……家族だから、自分を犠牲にしても助けると?」
「そうです。たとえ、アリスから恨まれていても、憎まれていても、拒絶されていても、それでも、俺はアリスの兄で、家族です」
「だから、妹を助けると?」
「はい。たとえ、最低な兄でも、金の為に妹を売り、裏切るような兄でも、それでも、俺はアリスの兄ですから!」
「なるほどな……」
国王は、今度はシンディに問いかける。
「次にシンディ……いや、レイラと呼ぶべきだろうか?」
「……いえ、私はシンディです。そう呼ばれて、今まで、生きてきましたから」
シンディは本当の父親を見てから、そう言った。
「そうか、ではシンディよ。お主にも聞きたい。お主にとって、アリスはなんだ?」
「私にとって……アリスは……」
「お主はアリスと面識があり、知人のようだが、所詮は血の繋がらない赤の他人ではないのか? いや、むしろ、お主の本当の素性を知らぬとはいえ、アリスはお主の本当の名前と身分を我が物として偽り、欺き、私利私欲の為に使っていたのだぞ?」
「…………」
「なぜ、そんな、赤の他人であるはずのアリスを助けようとする?」
「赤の他人などではありません」
シンディは言った。確かに、そう言った。
そこに、不安や葛藤は微塵も存在しなかった。
「アリスは私の大切な義妹です」
「義妹だと?」
「はい。確かに私はアリスとは血の繋がりもなく、家族として、同じ屋根の下で共に暮らしてきたという事実もありません。ですが、それが、なんですか」
「…………」
「私がまだ幼い頃、農村の孤児院で暮らしていた頃は、私とアリスは互いに暮らす村は違くても、お互いに仲良く、周りからは本当の姉妹のようだと揶揄されることもありました。私にとって、アリスは、物心が付いた頃から私に懐いてくれる、可愛いくて、大切な義妹です」
そう言って、シンディは、アリスを見て、言葉を続けた。
「たとえ、血の繋がりなどなくても、家族でなくとも……たとえ、傍にいなくても、アリスは私の大切な義妹で……誰がなんと言おうと、私はアリスの姉です」
そう、断言した。
「なるほど……」
国王が俯き、静かに呟く。
また、舞台に静寂が流れる。
「……お主たちにとって、アリスは特別な存在なのかもしれないな。素晴らしいことだ。素晴らしい絆だ。素晴らしい愛だ」
国王は冷たい視線で俺とシンディのことを見つめる。
「しかし、それはお主たちにとっての話だ」
「!」
「お前たちは、アリスとの時間を過ごして、思い出を共有し合うからこそ、アリスを特別に思い、守ろうとする。しかし、それは、この場にいる全ての他人には関係のないことだ。
「そ、そんなっ!」
「今、この場にいる者の中で……無論、お前たち2人、それとウィリアムお前も除外だ。お前たち以外で、誰か、1人でも、アリスの助命を乞う者はいるか?」
俺は慌てて、辺りを見回す。
しかし、それは、周りにいた傍観者たちも同じであった。
皆、周囲の人々の顔色と様子を窺うばかりで、決して、自らがアリスの為に声を上げようとする者は、誰一人としていなかった。
だ、誰か! 誰かいないのかっ!
俺は尚も慌てて、辺りの人々を見回す。
そのとき、ふと、見覚えのある2人の女子学生を見つけた。
アリスの取り巻きとして、いつも傍にいた女の子たちである。
彼女たちは、ほくそ笑みながら、何かを話していた。ここからでは彼女たちの会話の内容を聞くことはできない。しかし、ひとつ言えることがあるとすれば、彼女たちはアリスの為に声を上げようとはしないだろう。それだけは確信をもって、言えることだった。
不意に、アリスの乾いた笑い声が響き渡る。
「当り前よ……私の為に助けようとする人なんて、いない――」
「そんなことないわよ」
「!」
唐突に、凛とした声が、傍観者という群衆の中から響き渡る。
誰もが、予期せぬ反応に驚く。
こ、この声って……。
傍観者たちによる人混みの中から、見知った人物が1人。
傍観者たちの中から、面倒くさそうに人混みを掻き分けて、どこか呆れた表情を浮かべながら、彼女は、唐突に物語の舞台へと上がってきた。
「まあ、たしかに、あんたの為なんかじゃあないけどねぇ」
そう言って、彼女――マリアは小さく笑った。
・・・・・
マリアは平然とした様子でアリスを見つめる。人前、ましてや、この国の権力者である国王や王子の前に出ることの緊張や不安は微塵も感じていないらしく、マリアはあくまで、いつも通りの様子で辺りを見回した。
俺とマリアの目が合う。
狼狽する俺に対して、マリアは口元に小さな笑みを浮かべながら、先程と同じように呆れた様子で俺を見て、笑い、そして、そのまま、国王の眼前へと向かった。
「お主は?」
「お初にお目にかかります、国王陛下。私は、この学校の食堂で雑役女中を勤めさせていただいております――マリアと申します」
「ふむ……」
「国王陛下、私は……いえ、私も彼女の助命を乞います。何卒、寛大な処置のご検討を宜しくお願い申し上げます」
舞台に驚きとどよめきの声が上がる。
それは間違いなく、誰にとっても、完璧に予想外の展開であった。
「なぜだ? お主にとって、アリスと何の関係が?」
「ございません」
「なんだと?」
「私と彼女の間には、なにひとつの関係性もありません」
「ではなぜ、お主はアリスを助けようとするのだ?」
「…………」
マリアは国王の問いかけには答えず、そのまま、アリスの方を向き、見つめる。
「正直、私にとって、あんたは正真正銘、本物の赤の他人。あんたがどうなろうと私の知ったことじゃないわ」
アリスを顔を見上げて、マリアを睨みつける。
「じゃあ、なんで、私を助けようとするのよっ!」
「あんたの為じゃないわ。私の為よ」
「どういうことよ?」
マリアの言葉の真意がわからず、アリスが聞き返した。
「あんた、ジョンの妹なんでしょ?」
突然、俺の名前が話題に上がり、驚いてしまう。
アリスは無言のまま、肯定も否定もできないといった複雑な表情を浮かべる。
「ああ、もっと正確に言えば、私の為じゃなくて、ジョンの為かしら? あんたが死んだら、ジョンが悲しむでしょう? 私は、あんたとは、ほとんど関わりがないけど、ジョンとはそれなりに長い間一緒に暮らしてて、家族みたいなものだから」
「あいつと家族……?」
「そう、家族よ。だから助ける。ただ、それだけのことよ」
そう言ってから、マリアは、また、国王の方へと振り返る。
「国王陛下。私からもお願い申し上げます。どうか、彼女を許してあげてください」
マリアは地面に跪く。
「俺もっ! 俺からもお願いします! どうか、アリスを許してあげてくださいっ!」
マリアに続いて、俺も、国王に跪き、アリスの助命を懇願する。
「私からも、お願いします! アリスを……アリスに、どうか、生きて、罪を償う機会を!」
シンディも、俺たちに続く。
そんな俺たちを見て、アリスが困惑と同様を感じさせる声で言った。
「なんで……なんでよっ」
「…………」
「なんで、あんたたちは、私を助けようとするのよっ!」
「…………」
「いいじゃない、私を殺して、私が死んで、それで終わりでいいじゃない!」
「…………」
「なんで、あんたたちは、私の為に――!」
「アリス」
長い沈黙を貫いていた国王が、静かに口を開いた。
「もう一度、言う。お主が引き起こした一連の騒動および悪事の数々は凶悪と言わざるを得ない。お主には極刑に処するが妥当であり、貴様の犯した罪は極めて重罪だ。国家反逆罪として、貴様を裁かなくてはならない」
「…………」
「その上で、判決を言い渡す」
「はいっ」
俺は無言のまま、国王の言葉を謹聴する。
食堂にいる誰もが、固唾を飲んで、国王の続きの言葉を待った。
食堂内が静寂に包まれ、誰もが幾許かの緊張を感じる刹那――判決が言い渡された。
「お主を禁錮二十年の刑に処する。生きて、牢獄の中で、自分の犯した罪を悔い改めよ」
それは、国家への反逆の罪としては、あまりに寛大な処置であった。
二十年後。
next time
a Brother of the sister-in-law of Cinderella
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