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シンデレラの義妹の兄  作者: 弱者
第三章 今、そこにいる俺
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19:問いかけ

 数週間後。学生たちが授業を受けている時間帯。



 厨房の中で働いていると、マリアが話し掛けてきた。


「ジョン、傷の具合はどう?」

「まだ、痛むけど、それでも、ずいぶん良くなってきたかな」

「今度の学校の創立記念日までに怪我は治りそう?」

「その頃には、もう完治していると思う」


 そう言って、俺は、包帯の巻かれた自身の右手をマリアに見せる。すると、なにを思ったのか、マリアは俺が差し出した右手を掴み上げて、握手をして、そのまま、強く握り込む。


 突然、加えられた圧力に俺は悲鳴を上げる。治りかけていた右手の傷口が、再び、広がるのではないかと危惧してしまうような痛みであった。


「痛みを感じなくなるぐらい、完治するには、まだまだ、時間が掛かりそうね」

「もう少し手加減して、握ってよ……」

「あはは、ごめんなさい」


 マリアは唇から舌を小さく出して、笑う。その笑顔はまるで純真無垢な子供のように朗らかだった。そんなマリアの無邪気な笑みに俺は見惚れてしまう。


 自身の首を横に振り、邪な想いを振り切る。

 そして、自身の右腕を見つめた。



 食堂での朝食時の出来事、以来、俺は、この傷のせいで、満足に右手を動かすごとができないでいる。右手を動かそうとするたびに、傷が痛むため、碌に働くことができないどころか、普段の日常生活にも支障を来たしているという有様だ。そのため、今、俺は、片手だけで出来るような簡易的な作業や雑用に従事している。


 俺自身は、一応、働いているつもりではあるが、それでも、肩身が狭い。


 しかし、幸いというべきか、俺は、まだこの学校の従業員として雇われている。雇用者である学校の管理者や、同じ職場の同僚や上司たちも、特に俺の処遇について、なにも言ってこない。それは、俺に、シンディという強力な後ろ盾が存在するからだろうか。俺が今尚、ここで働けている理由は不明だ。しかし、なんとか、俺は、日々の仕事に加えて、生きるための衣食住を確保したまま、生活をすることができている。




 俺とマリアが隣同士で仕事をしていると、マリアが思い出したように話し出す。


「そういえば、さっき、レイラたちと遭遇したわ」

「…………」 


 俺は無言のまま、命じられた作業に従事したまま、マリアの話を聞いた。


「廊下で、偶然、すれ違っただけなんだけど、私が通り過ぎた後、レイラの取り巻きたちが、私のことを見下しながら笑ってたわ……しかも、なんか、陰口まで言ってくるし」

「……なんて、言われたの?」

「貧乏人は学校に行けないから誰でも出来るような仕事にしか就けなくて、可哀想だって」

「……それは、また、随分と上から目線な同情だね」

「何様のつもりなのかしらね。あの子たち、自分たちが学校に通ったり、豊かな生活を送れるのは、自分たちが、生まれながらの特権階級、選ばれた人だからって、本気で信じているみたいよ」

「まぁ、たしかに、俺たち庶民と比べれば、この学校に通う学生たちのほとんどは、皆、選ばれた人だけどね」

「でもさ、あいつらを見ていると、私には、あいつらの方が可哀想とさえ、思っちゃうわ」


 そう言って、マリアは、一度、口を閉じる。


 俺は、また無言のまま、マリアの話を聞いた。

 気が付けば、作業をする手が止まっていた。


 やがて、再び、マリアが口を開く。


「たしかに、私は生まれた頃から、家が貧しかったし、ここの学生みたいに、学校に通ったこともない。碌に勉強していないから、頭だって、悪いわ。でも、別に、それがおかしいことじゃないでしょう?」

「…………」

「少なくとも、私が生まれ育った貧民街では、私みたいな境遇の人はいくらでもいたわ」

「…………」

「私、自分が不幸だとか、自分の家が貧しいだなんて、思ったことなかったわ。それが、当たり前だとさえ、思っていたわ。あいつらって、皆……」

「マリア」

 マリアの話を聞いている最中、俺は、口を挟む。


 聞いてみたいことがあったからだ。


「ひとつ、聞いてもいい?」

「いいわよ」


 俺とマリアは互いに向き合い、まっすぐに見つめ合う。

 お互いに、作業をする手は止まっていた。


 これから、マリアに聞く質問は、かつて、俺が、アリスとシンディに聞いた質問だ。アリスもシンディも、それぞれに違うことを答えていた。この質問に対して、マリアはどう答えるのだろうか。


「……マリアは、あの家で生まれ育って、幸せだったか? 貧民街に位置する料理店の娘ではなく、お金持ちの家に生まれたかったと思うか?」

「思うにきまっているでしょう」


 マリアは即答した。

 躊躇している様子は微塵も感じられなかった。


「あんたはどうなのよ?」

「え?」

「質問に質問で返すのは典型的な馬鹿がすることらしいけど、そのことを理解した上で、あえて、聞くわよ。ジョン、あんたは、どう思っているの?」

「お、俺は……」


 わからなかった。俺はどう思っているのだろうか?


 前世では周囲に流されるまま、人生を適当に生きて、自業自得のまま、死んだ。今世は、前世の記憶を思い出したときに思い描いていた理想の人生とは、あまりにも違う。今世を生きる中で、苦しいことや辛いことは、いくらでもあった。前世に戻りたいと、何度も思った。


 だけど……。



 俺には物語の主人公のような勇気も行動力もない。

 自分の人生を変えることができないまま、今日まで、生きてきた。



 俯いたまま、黙り込む俺を見て、マリアは溜息を吐いた。


「これは、その質問に対する私の答えだけど」


 俺は顔を上げて、マリアを見る。


「幸せなわけ、ないじゃない」


 マリアは無表情だった。


「もっと、裕福な家に生まれたかったなんて、誰だって、思うわよ」

「…………」

「別に、裕福な家に生まれることが、必ずしも幸せだなんて思わないわよ」


 そう言い終えた後、マリアは、「実際、レイラは幸せそうには見えないし」と付け加えた。


 俺は無言のまま、マリアの説法を聞く。


「でも、貧乏な家に生まれることは、不幸なわけじゃないかもしれないけど、絶対に幸せじゃないわよ」


 そう言い切るマリアは、世の中を俯瞰した胡乱な目をしていた。


「ていうか、ジョン」

「な、なに?」

「あんた、どうでもいいことを考えるのね?」

「そ、そうかな……?」

「そうよ。だって、考えても仕方がないことじゃない。自分が生きる人生なんて、運命みたいなものよ」

「運命……?」

「そう、運命。人は生まれる前から全てが運命で決まっているの。あんたが農家の子供として生まれたのも運命、家族と別れたのも運命、自分の人生に苦悩しているのも運命、努力できないのも、運命……」

「…………」

「どう? そう考えれば、世の中の理不尽なことにも諦めがつくし、自分への言い訳にもなるでしょう?」


 そう言って、マリアは笑った。


 まるで、人生を深く達観したかのような、人生を悟ったかのような、そんな表情だった。




 運命。


 その言葉が、自身の胸に深く響き渡った。



・・・・・



 その日の夕方。


 俺は学校の敷地内に存在する薔薇園に来ていた。勿論、俺が個人的に薔薇を観賞するために来ているのではない。仕事のためだ。食堂内に飾るための薔薇を用意するため、薔薇を採取してくるように命じられて、来ただけだ。本来なら、庭師が薔薇を採取して、食堂に持ってくるのだが、あいにく、庭師は、近々、催される学校の創立記念日に向けた、学校中の庭園の手入れが忙しく、仕事がなく、手持ち無沙汰だった俺が、採取してくるように命じられたのである。


 専用の道具と籠を持ち、俺は薔薇園に訪れる。


 そこには、先客が1人いた。


 そこには、レイラがいた。


「…………」

「……ここは従業員は立ち入り禁止だと言ったわよね」

「はい……しかし、今回は仕事のため、入らせていただきました。ちゃんと、許可を頂いております」

「そう。ならいいわ」


 対して興味もない様子でレイラはそう言い、美しく咲き誇る薔薇を眺めた。


「……今は授業中のはずでは?」

「あなたには関係のないことでしょう」


 レイラが俺のことを睨みつける。

 相変わらず、冷たく、空虚な目をしていた。


 俺はレイラのあまりの剣幕に押されて、思わず、後ずさる。


 しかし、俺は引かなかった。


「……先ほど、レイラ様の御友人の皆様をお見掛けしました」

「そう。私の陰口でも言っていたかしら?」

「知っていらっしゃったのですか……?」

「当たり前よ」


 レイラはつまらなそうに笑い、また、薔薇を眺めた。


「彼女たちも、なにか打算的な考えがあるからこそ、私に付きまとっているのでしょう。私も、彼女たちも、心の奥底では、お互いのことを友人だなんて思っていないわ」

「…………」

「それにしても、まったく……陰口を言うなら、その陰口は本人に知られないように最大限の努力をするのが筋でしょうに」

「……………」

「それが、陰口を言う者の、陰口を言われる者に対する最低限の礼儀だと、私は思うけど」

「…………」


 俺は、かける言葉が見つからなかった。


 おそらく、教室には自分の居場所がないのだろう。

 だから、この薔薇園にいるのだろう。

 そう思った。



 薔薇園の中で俺とレイラは互いに無言のまま、佇む。


 レイラは俺の顔を見ようともしない。


 そんなレイラに対して、俺は、あることを聞いてみたいと思った。


 いや、聞かなくてはいけないとすら思った。


 俺はレイラに問いかける。


「レイラ様は、今、幸せですか……?」

「…………」

「…………」

 長い沈黙の後、レイラは静かに答えた。


「あなた、ずいぶん、くだらないことを考えるのね」


 予期せぬ答えに俺は困惑してしまう。レイラは、そのまま、続けた。


「あなた、よっぽど、無意味な時間を過ごしてきたのね」

「そ、そうでしょうか……?」

「私は毎日を必死に生きてきた。いくら時間があっても足りないぐらい、濃密な時間を過ごしてきた。今まで、私が生きてきた時間の中で、そんな、考えても仕方がないようなことを考えるような余裕は、なかったわ」


 相変わらず、レイラは俺を見ようとしない。


 俺はなにも言えないまま、レイラを見続けた。


「教えておいてあげるわ。そんなことを考えるのは、日々を適当に生きているような、怠け者だけよ。普通、そんなことを考えるような暇はないもの」

「…………」

「ねぇ、あなた、農村生まれの貧乏育ちなんでしょう? 今まで、苦労して生きてきたんでしょう?」

「…………」

「でも、あなた、今まで、ずいぶんと余裕のある暇な時間を生きてきたのね」

「!」



 レイラの言葉が、自身の胸に深く響き渡った。


 今まで、色々なことがあった。


 辛いことや苦しいことはたくさんあった。


 だけど、俺はなにもしていない。


 一度だって、自分から行動していない。



 俺は、言葉を失ったまま、ただ、立ち尽くすのみであった。


「まぁ、あなたにできることなんて、なにもないわ。このまま、一生、なにもしない人生を生きるといいわ」

「…………」

「ご機嫌用」


 そう言い残して、レイラは立ち去ろうとする。






「さようなら、お兄ちゃん」






 レイラは……いや、アリスは、たしかにそう言った

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