14:噂
「おい、聞いたか」
「なにをだよ?」
「とある北部の村が腐敗病が蔓延してるっていう理由で焼き滅ぼされたらしいぜ」
「焼き滅ぼされたって、村と一緒に村人も焼き殺されたってことか?」
「ああ、全員1人残らず殺されたらしいぜ」
「酷いな。いったい、誰がそんなことをしたんだ? 盗賊の仕業か?」
「いや、盗賊じゃない。やったのは政府の兵隊らしい」
「本当かよ? 国と国民を守るはずの兵が国民を虐殺したのかよ?」
「そうらしい」
「でも、なんでそんなことをしたんだ?」
「その村の腐敗病が、他の村や街に伝染しないようにするためだったらしい」
「被害を最小限に抑えるためってことかよ……いくらなんでも酷い話だぜ」
「仕方ねぇよ。それよりも、明日は我が身だぜ」
「そうだな……」
「変な嫌疑を持たれないようにしないとな」
「まったく、腐敗病が流行したり、盗賊が現れたり、最近は物騒だな」
「そういえば、王子の噂のことは知っているか?」
「王子って、王様の一人息子のウィリアム様のことか? なにかあったのか?」
「最近、王子が、とある庶民の女に夢中らしいぜ」
「夢中って、どういう意味だよ?」
「かなり惚れ込んでて、心を奪われているらしい」
「つまり、身分違いの恋ってやつだな」
「そういうことだ」
「でもよ、たしか、王子には婚約者がいたんじゃねえのか? たしか、2年ぐらい前に婚約が発表されたじゃねぇか」
「ああ、いるぜ。だけど、その婚約者ってのが、性格に難があるらしい」
「どういう意味だよ? 詳しく話してくれよ?」
「さっき話していたことの続きなんだけどよ。王国最大の大貴族であり、政府の武官である男が、兵隊に、腐敗病の蔓延した村を焼き滅ぼすように命令したらしい。で、その男の一人娘が、王子の婚約者らしいぜ」
「由緒正しき家柄の血筋を引く女ってことか。まぁ、王子は、王位継承権を持ってて、次期国王になるような人物だからな。その婚約者だったら当然か」
「ただ、その婚約者は性格がかなりきつくて、王子とあまり仲が良くないらしい」
「それで、王子は、婚約者の居ぬ間にその庶民の女と逢引しているってことかよ」
「そうらしいぜ」
「いくら仲が悪くても、婚約者を蔑ろにするのはまずいんじゃねぇか?」
「王子も人間だからな。自分が本当に好きになった女と一緒にいたいのかもな」
「かもしれないな。で、その庶民の女は、どこの誰なんだ?」
「なんでも、裕福な商人の養子の子らしい。もともとは孤児院にいたらしいぜ」
「そんな身元や素性のはっきりしないやつが王子と一緒にいて大丈夫かよ」
「でも、王子の気持ちも、俺は、わかるような気がする。王子も婚約者みたいな気位が高くて、高慢ちきな女より、自分とは違う世界で生きてきた女の方が、一緒にいて、心が安らぐのかもしれないな」
・・・・・
あれから、さらに2年後。
今、俺はマリアとマリアの母親が営む大衆料理店で働いている。
「ジョン! 食器を下げてきたから、あとはお願い!」
「わかった! こっちも、今、料理が上がったから、持って行って!」
「わかったわ!」
「ジョンくん。パンが焼けたわぁ。あと、スープも作り足したから、それぞれ、お皿に盛って、マリアに渡してあげてぇ」
「はい! わかりました!」
厨房の中を所狭しと動き回る。厨房で料理を作るマリアの母親の手伝いが、俺の主な仕事だ。俺は自身の容姿を考慮して、客の目に触れないよう、いつも厨房に籠っている。
「お待たせしました!」
「はいよ。ありがとう」
マリアが店内を慌ただしく動き回る。店内の給仕は全てマリアが担当している。
相変わらず、店内は多くの人で混雑しており、非常に騒がしい。
沢山の人が訪れるため、様々な話が行き交っているようだった。
・・・・・
「ようやく、客も少なくなってきて、落ち着いてきたわね」
「そろそろ、お昼は終わりかな?」
「そうねぇ、今、お店にいる人たちがいなくなったら、一旦、店を閉めましょう」
「はーい。あ、客が呼んでいるから、いってくるわ」
「はいよ」
2年も店で住み込みで働けば、ここでの生活にも、すっかりと慣れてくる。
今ではマリアやマリアの母親とも、気後れすることなく会話することができる。
「さて、もう、仕舞い込みの準備だけでもして--」
ふと、店内を見回して、目を疑った。
店内の隅のテーブル席に、思いがけない人物が座っていた。
心臓の心拍数が高まり、動悸が激しくなる。
同時に、身体中が恐怖で震えて、汗が噴き出してきた。
あ、あいつは……。
そこには、最早、俺にとっては因縁の相手、盗賊の男がいた。
「毎度ありがとうございます。お会計してもよろしいでしょうか?」
「ああ、それなんだが、実は--ん?」
俺が戸惑い、驚愕したまま、男を凝視していると、男が俺の視線に気が付く。
やばい! 目が合っちまった!
しかし、気が付いたときには、すでに後の祭りであった。
「おめえ、あのときのガキじゃねぇか!」
「あ、あんたは……」
「お前、まだ、死んでなかったのかぁ。ずいぶんとしぶといなぁ」
相変わらず不愉快な口調で、男は俺との再会を喜んでくる。
「おい、席を移動させてもらうぜ。カウンター席だ」
「あ、あの、ちょっと!」
マリアの返事もろくに聞かず、カウンター席に座り込んできた。
なんで、お前がここにいるんだよ。もう、二度と会いたくなかったのに。
俺は心の中で、そう怨ずる。もちろん、口に出す勇気はなかった。
「おめぇ、まだ生きていたのか。俺は、川に突き落としたとき、あのまま、死んだと思っていたぜ」
「…………」
「お前の村を襲ったときの俺の仲間は、皆、死んじまったよ。まぁ、報酬の分け方で口論になったり、怪我して使いものにならなくなったり、政府の兵に捕まりそうだったから、俺が、口封じで殺した奴もいるけどなぁ」
「あなたは……」
「あん?」
「あ、あなたは、どうしてここに?」
「どうしてって、仕事だよ。し・ご・と」
「仕事?」
一瞬、俺にとって、最悪な考えが頭に浮かんだ。
しかし、男は俺の様子を見て、察した様子で笑った。
「安心しろよ。おめぇと会ったのは本当にただの偶然だ。おめぇのことは、もう、どうだっていい。こっちも仕事で働いてるからな。なんの意味もないことや余計なことはしたくねぇ」
面白そうだから。そんな理由で、人を溺死させようとしたのは、誰だよ。
「それに、考えてみろよ。ここは貧民街とはいえ、王都の中だぜ。政府の兵隊どもの警備は厳重だし、人の行き交いも多くて、人目に付く。こんなところで仕事なんかしたら、確実に足が付いちまう」
「…………」
非常に不本意だが、この男の言っていることは正しい。そう思った。
男は1人で思い出話に話を咲かせていると、突然、思い出したように言った。
「そういえば、おめぇ、妹のこと探していなかったか?」
「アリスのこと、なにか知っているんですか!」
俺は思わず、大きな声を出してしまう。そのまま、男に詰め寄る。
「なんでもいいから、教えてください! 」
「じゃあ、教えてやるよ。おめぇの妹を買っていった奴隷商人、死んだぞ」
男は淡々した口調で言った。
「……え?」
それは予想だにしない言葉だった。俺は呆気に取られてしまい、言葉を失う。
「殺されたそうだぜ。誰に殺されたかはわかんねぇけど」
「な、なんで……いったい誰が……?」
「だから、俺も知らねえぇよ。まぁ、奴隷商人なんてのは因果な商売だ。誰かに恨まれて、殺されたんじゃねぇか?」
「ほ、本当に、殺されたんですか……?」
「ああ。事実だ。元々、今回、俺は、その奴隷商人との仕事で王都まで来たんだよ。それなのに、殺されちまってるなんてよ。これで、金払いのいい顧客がひとりいなくなっちまったぜ」
「そんな……」
俺は絶望のあまり、項垂れてしまう。
王都に来てから、近隣の奴隷市場には何度も足を運んだ。アリスの行方を捜すために。アリスが生きていると信じて。しかし、これでアリスの行方は完璧に途絶えてしまった。
俺が気を落していると、男は唐突に懐から何かを取り出した。
「代金の代わりだ。これをやるよ」
「え、あ、あの……」
「いいから、受け取れ」
「は、はい……」
男が、歪な形をした小瓶を俺に手渡す。
小瓶の中には、鈍い白銀の光沢を放つ不気味な液体が詰まっている。
「あの……これは?」
「薬だ」
「薬?」
「王立大学の高名な先生が、腐敗病の研究をしていた際に、つくられた特別な薬だそうだ。これを飲めば、どんな病でも必ず、治るらしい。しかも、この薬を飲み続ければ、永遠の命が手に入るらしいぜ。だから、この薬は不老不死の秘薬といわれるんだと」
永遠の命。不老不死。そのふたつの言葉が深く心に残った。
「とある村で強奪したんだが、俺はいらねぇからな」
「で、でも……」
「ていうか貰え。俺は今、それしか、金目の物がねぇんだ。王都に来るまでに金を全部使い込んじまってなぁ。本当は、奴隷商人に、その薬を担保にして、金を借りようと思っていたんだが、あいにく、死んじまったしな」
「で、でも……」
どうすればいいのかわからず、狼狽えてしまう。
すると、突然、マリアが横から会話に入り込み、薬を手に取った。
「いいわ。代金の代わりってことで、貰っておくわ」
「物分かりがいいな。嬢ちゃん。俺は、おめぇみたいな女は好きだぜ」
「どうも。でも、私はあんたみたいな屑は好きじゃないから、すぐに出て行ってちょうだい」
「言われなくてもそうするつもりだから安心しな」
男は笑いながら、席から立ち上がる。
「あの……」
「あん? なんだ?」
「あなたはこの薬を飲まないんですか……これは不老不死の薬なんですよね?」
あんたは永遠の命が欲しくないのか。俺は男にそう問いかけた。
すると、男はまた笑いながら、まっすぐに俺を見て、言った。
「いらねぇよ。それに俺が殺してきた奴らが絶対に許さねぇしな。俺は誰かに恨まれたまま、殺されるのがお似合いだよ。まあ、誰かに殺されるつもりなんて、微塵もないがな」
男はそう言って、一度、口を閉じる。そして、また口を開いた。
「自分のことだけ考えて、自分のしたいように生きる。それが俺の生き方だよ」
男は不愉快極まりない下卑た笑い声をあげた。
「じゃあな、意気地なし」
そう言い残して、男は店を出て行った。
そして、俺と男が再開することは、その後、二度となかった。
意気地なし。男の言葉が深く心に残る。
家族の仇を討つ機会はいくらでもあった。しかし、復讐しようなんて、考えすら、思い付かなかった。それは相手の反撃が恐いから。俺に勇気がないから。
男から受け取った不老不死の薬を見つめる。今の俺には、どうでもいいことだが、その薬には不老不死の効果などなく、あらゆる病気を治す効果もない。
俺は知らない。前世の世界では、その薬のことを、こう呼んでいた。
水銀。