13:俺はなにもしていない
目を覚ますと、俺は見知らぬ部屋にいた。
「ここは……」
それなりに清潔な寝具が備え付けられたベッドから起き上がり、部屋を見回す。
俺が家族と暮らしていた家と比べれば、この家の造りは遥かにしっかりしている。俺の家は掘立小屋のような造りで粗末な荒ら屋のようだったが、この家は木材や煉瓦といった複数の素材が使われており、隙間風の入らぬ堅牢な造りで非常に居心地が良く感じた。
ふと、窓の外を見る。この家と同じような造りの家が軒を連ねており、窓の外には住宅街のような光景が広がっていた。
ここはどこかの街だろうか。
「俺、なんで、こんなところに?」
自身のあやふやな記憶の中から、過去を思い出そうとする。
まず、最初に思い出したのは盗賊たちのこと。俺の村はあいつらに滅ぼされた。村人や父さんと母さんはあいつらに殺された。その後、俺は身売りの商品として捕まり、奴隷商人に売られる前にあいつらの気まぐれで川に突き落とされて、溺死しないように必死に泳いでいた。
そこから先のことはほとんど覚えていない。
しかし、俺は川から出た後、誰かと話したような気がする。
それは、たしか女だったはずだ。
「もしかして、ここは、あの娘の家?」
あの娘が助けくれたのだろうか?
盗賊たちから離れることができたという事実は、俺の心に、ある種のゆとりを生み、俺は落ち着いて、物事を考えることができた。そして、床の下から多くの人々の騒がしい声が聞こえてくるという事実に、俺はこのとき、初めて気が付いた。
下の部屋に人がいる。そう思い、俺はベッドから降りて、歩き出す。
まだ、身体は気怠く、痛むが我慢できないほどではない。
また、そんな風に自身の体調を意識したとき、自身の身体に包帯が巻かれており、怪我の治療がされていることに、初めて気が付いた。これも、あの娘がしてくれたのだろうか。
なにはともあれ、ここにいては、なにもわからない。
俺が誰かに助けてもらったということだけは事実である。俺は、助けてもらったことへの感謝の言葉を本人に伝えるため、そして、自身の今の状況を理解するため、下の部屋へと向かった。
部屋を出て、階段を下りる。そのまま、声が聞こえる方へと向かう。
「!」
そこには大勢の人々がいた。皆、テーブル席やカウンター席に座り、食事をしていたり、酒を飲んでいたり、している。陽気に誰かと話している人もいれば、ひとりで静かに佇んでいる人もいる。とにかく、そこは多くの人数で賑わっており、非常に騒がしく、活気に満ち溢れていた。
そして、そんな空間を慌ただしく動き回る女が1人いた。
「はい、お待たせしました!」
「ありがとう。あ、マリアちゃん。追加の注文いいかい?」
「いいですよ。ちょっと、待ってください。すぐに聞きに来ますから」
「はいよ。待ってるよ」
それは俺が川辺で目を覚ました時、目の前にいた女だった。
給仕でも務めているのだろうか。女は忙しなく動き回っている。
「ん?」
「!」
女が俺の存在に気付き、互いの目と目が合う。
「あー! あんた!」
一際大きな声が響いた。その場にいた全ての人が、女の方を向く。
「あんた、もう歩いて大丈夫なの?」
「あ、は、はいっ。おかげさまで大丈夫ですっ」
「それはよかったわ」
そう言って、女は屈託のない笑みを浮かべた。
「マリア、どうかしたの?」
部屋の奥から女とは違う別の女性の声が聞こえた。その声は、声こそ大きいが、非常におっとりとしていて、落ち着いている。そんな声色だった。
「お母ちゃん、あいつ、目ぇ覚ましたよ。」
「あらあら、まぁまぁ。それは、よかったわねぇ」
間延びした口調でそう言いながら、その女性も微笑む。
明るく元気で笑顔の良く似合う人たちだ。2人に対して、そんなことを思った
マリアと呼ばれていた女が俺のことを見る。
「ねぇ、あんた」
「は、はいっ」
「わるいけど、今忙しくて、手離せないのよ。とりあえず、店が落ち着いたら、水とご飯は持っていくから、それまで、上で待っててよ」
「あ、ああ、はい……わかりました……」
俺はそう答えて、すぐに部屋に戻ろうとする。
俺の後ろでマリアが他の人たちと会話しているのが聞こえた。
「マリアちゃん、あいつ、誰なんだい?」
「詳しくは私もまだ知らないんです。この間の嵐の後、川辺で倒れていたのを私が見つけて、ここまで連れてきたんです」
「ええ、なにそれ。あいつ、片目ないじゃん。大丈夫なの?」
「そんなこと、私が知るわけないじゃないですか。それより、注文はどれですか?」
その会話を聞いて、俺は初めて気が付く。俺は今ほぼ裸体だった。下半身は衣服を着ているが、上半身は包帯が巻かれているのみで、ほぼ裸だ。これは確かに目立つ。そして、俺のような得体の知れない、しかも、片目がない男を見れば、怪しく思うのも無理からぬことだろう。
俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、部屋に戻っていった。
・・・・・
ベッドで横になっていると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。
「入るわよ」
「あ、はい、どうぞ」
先ほどのマリアと呼ばれていた女が入ってくる。
「はい、約束通り、ご飯を持ってきたわよ。まぁ、店の残り物だけど」
「あ、ありがとうございます」
俺は御礼を言ってから、女から盆を受け取る。
盆には食器に盛られた水とパンとスープが乗っていた。水は少し濁っている。パンは古くて固そうだ。スープには具材が一切入っていない。それでも、今の俺にはありがたかった。
目の前に食料がある。もう何日も飲まず食わずだったような気がする。そのため、一度、空腹を意識してしまうと食欲の我慢ができなくなってしまった。俺は夢中で貪り、食った。
「待ってあげるから、もう少し、ゆっくり食べなさいよ」
女は少し呆れた様子で苦笑しながら、そう言った。
しかし、俺は女の言葉に耳を傾けることができなかった。
「お待たせぇ。あらあら、まぁまぁ、ずいぶんとお腹が減っていたのねぇ」
「あ、お母ちゃん。店はもう大丈夫なの?」
「ええ。最後のお客さんも帰ったし、お昼はもう終わりにしたわ」
「わかった。じゃあ、あとで、食器は洗っておくから」
「ええ、お願いするわ」
やがて、食べ終わり、人心地が付く。
「あ、ありがとうございました。助けていただいた上に、食事までいただいて」
「別にいいわよ。さっき言った通り、店の残り物だし」
「食欲もあるし、げんきになったわねぇ。あなた、もう、2日間も、ずっと寝ていたのよ」
「そんなに気を失っていたんですか……本当に、助けていただいてありがとうございます」
「うふふ。どういたしまして」
そう言って、女の母親と思われる女性は微笑んだ。どことなく、シンディに似ている。そう思った。
それから、俺たちは互いに自己紹介をした。
女の名前はマリア。もう1人の女はマリアの母親らしい。2人は親子のようだ。
「あの、ところで、ここはどこですか?」
「あんたを最初に見つけたときも言ったけど、ここは王都よ」
「王都……」
マリアの返事を聞いて、思わず、俺はそのまま反復してしまう。
王都。それはアリスを買った奴隷商人がいた場所だ。もしかしたら、アリスは、まだ、王都のどこかにいるかもしれない。アリスに会えるかもしれない。
「王都って、いっても広いから。ここは王都の外れに位置する貧民街よ。私とお母ちゃんは、ここで労働者向けの大衆料理店を営んでいるのよ」
「あ、この家の2階が住居で、1階がそのまま店内だったんですね。それで、下が賑やかだったんですね」
「さっきまでは昼食時で一番混んでる時間帯だったからねぇ」
「今まで、ずっと寝てて起きなかったあんたが、いきなり下に降りてくるんだもん。驚いたわ」
「あ、すみません。周りに誰もいないし、他に人もいなかったから……」
そう言いながら、俺は先ほどの会話を思い出した。
「あの、本当にすみませんでした」
「え? なにが?」
「勝手に店の中をうろついてしまって、俺みたいな奴が店の関係者だと思われたら、客になにを言われるか……」
俺には右目がない。これは俺が腐敗病に罹っていた頃の傷跡のようなものだ。こんな俺が、店にいたら、店に対して、不安と恐怖を感じる客もいるだろう。
「ええ、もう、言われたわ」
マリアは即答した。そして、そのまま、言い続けた。
「でも、別にしょうがないわよ。王都は広いから、本当に沢山の人がいて、色んな人がいるわ。もちろん、腐敗病に罹っていた人も多くいる。だから、ほとんどの人は、そこまで気にしてはいないはずよ。それに、腐敗病に罹っている人からは伝染するかもしれないけど、腐敗病が治った人からは伝染しないわ。これは、王都の王立大学の高名な先生が出した見解だから信頼できるわ。第一、そうじゃなかったら、うちみたいな人が集まる場所は危なすぎて、絶対に集まれないわ」
そう言って、マリアは俺の顔をまっすぐに見てきた。
「ねぇ、ジョン。あんたは、どうしてあんなところにいたのよ?」
「そ、それは……」
「あんた、なんかあったんでしょ? 話してみなさいよ」
今度は俺がマリアとマリアの母さんの顔を見る。
この2人は見ず知らずの俺を助けてくれた。その行為の真意は不明だが、2人のことは信用することができる。なんとなく、そう思った。
「……実は」
俺は2人に、これまでのことを全て打ち明けた。
盗賊の襲撃に合い、村が滅んだこと。父さんと母さんが、家族が殺されたこと。
川に突き落とされて、九死に一生を得たこと。
そして、マリアに助けられて、今、この場にいること。
話している最中、俺は、泣き出してしまった。
「母さんっ。父さんっ」
それは家族への涙だった。
俺は泣いた。ようやく、落ち着いた場所で、母さんと父さんの死を、悔やむことができた。
泣いて、泣いて、ようやく、心の整理がついた。
そんな俺の様子を見て、2人は困惑していたが、俺の気持ちを察してくれたのか無言のままでいてくれた。そんな2人の優しさが嬉しかった。
「これから、あんたはどうするつもりなの?」
「…………」
「どこか行く当てはあるの?」
「……ありません」
「そっか」
そう言って、マリアは自身の母親の顔を見た。
「お母ちゃん」
「あら、私は反対する気なんて、ないわよ」
「ありがとう」
つうと言えばかあの仲とでもいうのだろうか。
以心伝心とでもいうべき2人の親子の絆が少し羨ましく思えた。
「まぁ、マリアがいきなりジョンくんを連れてきたときは驚いたけど」
「あたしもよ。本当は、金目の物だけ奪って、そのまま、捨てて行こうと思ったんだけど、こいつの顔を見て、驚いちゃったわ。そしたら、なんだか、放っておくことができなくなっちゃって……」
2人は笑い合いながら、そう言った。俺には理解できない会話だった。
「あ、あの……なんの話ですか?」
「うふふ、なんでもないわ。それよりも、大切なのはジョンくんの今後についてよ」
「ジョン、あんた、行く当てもないんでしょ。なら、うちにいなさいよ」
「え?」
俺は驚き、言葉を失った。言っている意味が理解できなかった。
「もちろん、店で働いてはもらうわよ。うちには穀潰しを養う余裕なんてないし」
「え、あの、でも」
「あら、ジョンくんはいや?」
「そんなことないです!」
思わず、大声で叫んでしまった。
「で、でも、本当にいいんですか……?」
「いいのよ、きみは……ううん。なんでもない。とにかく、ジョンくんさえよければ、うちにいてほしいの」
「あ、ありがとうございます!」
「まったく。本当、あたしに感謝しなさいよね」
「はい、マリアさん、本当にありがとうございます!」
「そ、そんなに素直にお礼を言わると、なんかこっちが気恥ずかしいわね……」
マリアは自身の頬を染めながら、ばつが悪そうに俯いた。
俺は何度も感謝の言葉を口にした。
生きていくというのは簡単なことではない。
色々なことがあった。
俺はただ翻弄されるばかりで、なにもしていない。
なにもできていない。弱くても、無能でも、自分では、なにもしていなくても。
ただ、そこにいるだけの俺。
なんで、俺は生きているんだろう。そう考えることも、たくさんあった。
だけど。
それでも俺は生きている。