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9/24

彼女1

 翌日、あの悪夢の香の影響が昨日よりはなかった。日が経つにつれ、影響は消えていっているようだと信じたい。


 私はすぐさま、己の失敗を取り返さなければいけなかった。


 すなわち、サディアス様の思い人を守ること、だ。


 香の影響があったなど、言い訳にもならない。ポリーの監視の剣があるというのに、サディアス様の思う方を問いただした。ポリーがそれを報告すれば、あの少女が狙われ、利用されるのは目に見える。

 ひいては、サディアス様を苦境に立たせることだろう。


 だからそうなる前に、あの少女の身を隠させなければならない。……サディアス様と、彼女のために。


 問題は、彼女がどこの誰なのか、知らないという点だ。


 外に出て調べれば、わかることだろう。しかし、いくら言い訳を見繕ったところで、頻繁に外に出て調査していれば、ポリーが疑う可能性がある。


 頼んで探してもらうしかない。


 彼女を知っているのは、私が知る限り、二人。


 当然のことながら、一人目はサディアス様。

 無論、彼には頼めない。サディアス様を監視するポリーの目がある以上、そのようなことを依頼するのは本末転倒だ。


 二人目は、執事のハドリー。彼はあの日、サディアス様と共にクラブへ行っていたはず。彼がサディアス様に付き従っていたのであれば、あの少女とも顔を合わせただろう。

 ハドリーに頼み、素性を訊くか、調べてもらうのが一番だ。


 私はポリーに面倒な訪問者の相手を任せているうちに、素早く書斎の前にいたハドリーを探しだし、この件を依頼した。


「旦那様の、お慕いしている女性、でございますか」

「ええ、そうです。彼女のことを知りませんか?」


 ハドリーは考え込んでいるが、答えは返ってこない。


「先日、サディアス様がクラブの前で花を贈っていた方のことです」

「花を、贈る……? 花……ああ、わかりました。…………。ところで、旦那様が彼女を慕うとは、一体何のことでしょう。私には見当も付きませんが」


 さすが執事である。旦那様の慕う相手のことを、奥方には知らぬ顔をする。それが執事としての正しい在り方だろう。


「そのような茶番はよいのです。彼女のことは、すでにサディアス様より直接聞いているのです。ただ……」


 ここで、ポリーの監視のことを明かすことはできない。私の裏切りのことも話さなければならないし、ポリーの目を盗む方法を見つけたとしても、話すとしたらサディアス様に直接にだ。


「ただ、妻として、彼女に挨拶をしておくのが礼儀かと思います。彼女と私と、直接会うことの出来る場を用意してほしいのです。……できれば、内密に、急いで」


 ポリーにはどう誤魔化すか。それを考えるよりも、何よりもまずスピードが大事だった。あの少女が国王派の手に落ちれば、サディアス様にかせがはめられたのも同じだ。


 ハドリーは陰鬱な読めない表情で私の話を聞き、うやうやしく頭を下げて、すぐに場を作りましょう、と了承の意を示した。


「こんな場所にいていいのか、コーネリア」


 声を掛けてきたのは、サディアス様だ。昨日のこともあって、どこか気まずい思いもあるが、従者であれば、いつ何時であっても心を揺るがせてはならない。心を落ち着かせて、サディアス様に向き直る。


 彼はどこか、寝不足の様子であった。


「具合が悪いのなら、今日も寝ていてよいのだぞ」

「おかげさまで、大分良くなってきましたので、もう大丈夫です」

「無理はするなよ」

「はい」


 普段通りの会話ができたようで、ほっとする。


「ところで奥様、お客様がいらっしゃっているはずですが、奥様をお呼びに行く者はおりませんでしたか?」


 ああ、そろそろ行かなくてはまずい。ポリーが不審に思ってはいけない。


「客……ああ、従姉妹か。俺も行こう」

「いえ、私とお話をされたいとのことですから」


 サディアス様の従姉妹である公爵夫人は、結婚式にも参列していただいた方だ。

 結婚後、何度も侯爵家へいらっしゃっているが……私が妻であることが不満なようだ。


 来る度に、調度品がどうだ、侍女の采配がなっていない、私のドレスがどうだと、文句を言うだけ言って帰っていく。


 私がサディアス様にふさわしい女性でないのは重々わかっているので、神妙な顔をして毎回聞いているのだが、頻度があまりに多いものだから、うんざりした気持ちも芽生えてくる。


「俺が行けば、あの口もつぐまれることだろう。今度から、あれが来るときは俺を呼べ」

「申し訳ございません。お手を煩わせてしまって」

「なに、従姉妹とは一度きちんと話をするべきだったからな」


 そうしてサディアス様は連れだって、私は応接間の扉を開いた。

「遅くなりまして、申し訳ございません」

「まったく、これだから男爵程度の血しか引いてない方は……」

「では妻より遅れて入る俺は、その『男爵程度』の血よりも低い血しか引いていないから、遅れたのだな」


 サディアス様の姿を認めると、公爵夫人は顔を青ざめて慌てたように釈明する。


「いえ、いえ! 言葉が過ぎまして申し訳ございません! 貴方様のお血筋ほど尊いものはございません! ご存知でしょう? わたくし、つい心にもないことを言い過ぎてしまうクセがあって……」

「落ち着かれよ。公爵夫人ともあろう方がそのように慌てて。貴族たるもの常に優雅たれ、とはそなたの口癖ではないか?」

「は、は……。申し訳、ございません……」

「それに、ああ、言葉遣い。そうだ、今では俺が侯爵。そなたが公爵夫人なのだから、俺がへりくだるべきなのだな。これは申し訳ございません。偉そうなことを申してしまいまして」


 元は王太子であった方にそう言われた公爵夫人は、顔を引きつらせて首を横に振った。


「いえ、いえ! わたくしたちは従兄弟でございませんか。これまで通り、これまで通りで、いてくださいませ……」


 そう言う公爵夫人は、頭は悪くない。立場が逆転したからといって、安易に偉ぶることもないのだから、未来のどう転ぶかわからない政治情勢を推測できるのだろう。


「ふむ。そうか。ならばこれまで通りの態度を取らせてもらう。ところで、いろいろと妻を指導してくれたとか? 俺にも聞かせてくれないか? 俺から見て問題ないと思ったから、妻一人に相手を任せたのでな。問題があるとしたら、俺の受けた教育が間違っていたことになる。そなたが知っているのなら、正しいことを教えてもらいたいものだ」


 脂汗をにじませて口元をひきつらせた公爵夫人は、一言も発することもできない。


 さあ、とサディアス様はうながすが、結局、夫人は文句も言わずに帰って行った。



 帰るのを見送ってから、サディアスは出されていた茶を飲み干した。

「ありがとうございました」

「いや、すまなかったな、コーネリア。俺の親族にはああいう(やから)が多い。俺ではなく、お前に会いに来る客ということで任せていたが、同じような手合いが来るときは俺も呼べ。ハドリーに聞いた。かなり厳しいことばかり言われたのだろう」


 私はゆっくりと首を横に振る。


「いいえ。あのような言葉は、厳しいとは言いません。うんざりする気持ちにはなりますが、つらいとは思いません」


 私は男爵家の令嬢としてマナーなどを教え込まれた影で、暗殺者としても育て上げられた。理不尽で、ひどい命令も、悪意も、聞き慣れている。内側から血の出るような罵倒に比べれば、あの夫人の物言いは指先でつつかれる程度のことだ。


「お前は人を悪く言わないな。美徳であるが……正直に言っていいのだぞ」

「正直に言っているつもりですよ」


 罪もない人間も含めて暗殺してきた私に比べれば、多くの人は私よりも善人だ。私に悪口を言う資格など、ないだろう。


「それより、あれで良かったのですか? 家同士の関係にひびが入るのでは……」

「心配はない。あの従姉妹の夫は俺もよく知っている。妻を持て余している部分もあるが、俺との繋がりを断つ口実にはしても、理由とはならない。これで絶縁となるなら、俺から離れようと以前から考えていただけのことだ。……しかしおそらく、何事もなかったかのように関係は続くだけだ」


 サディアス様を嫌う国王の歓心を買うためなら、サディアス様に近づかない方がいい。しかし、それでもなお、サディアス様と関係が続くのなら……夫人の夫である公爵はこの先の未来で大きな波乱が訪れると予期しているのだろう。


 果たしてその波乱は訪れるのか。いまだに私にはわからない。

 サディアス様は語らないまま、書斎へ帰ろうとする。領主としての仕事を続けようというのだろう。常のことながら、私も従者としてそばに侍ろうかと思ったが、その前にポリーと話をしてから行こうと思った。


 応接間の端で、ポリーが疲れた顔をして立つ姿を認める。


「お疲れ様、ポリー。来るのが遅くなってごめんなさい」

「大変だったんですよ。やれ紅茶の銘柄が、やれ飾っている花が、って。すぐさま取り替えるよう言われて、いちいちうるさい注文をつけられて、天手古舞でした」


 この分だと、剣で監視をする暇はなかったようだ。


 ポリーはにやりと笑んだ。


「それよりも、奥様。計画は順調のようですね?」

「計画……?」

「旦那様を骨抜きにする計画ですよ。今日もわざわざ奥様を庇いに来ていただいたようですし、昨日だって昼間から寝室にこもって。やはり肉体的に籠絡するというのは効くんですね」


 私は己の表情があまり変わらない利点を思い知った。

 もし感情のままに表情が変わっていたら、怪訝な顔をしていただろう。


 肉体的? 何を言っているのか。


 監視者であれば、(ねや)というのは気が緩みやすい、情報を得やすい場所であることを心得ているはずだ。

 特にあの剣を使えば、楽に閨の中を監視できる。


 寝室を監視すれば、私とサディアス様との間に肉体関係などないことなど、すぐにわかったことだろう。


 特に昨日は、私の失態が目立ったことだろう。籠絡、などとても言えなかったはずだ。


 私はあえて、鎌をかけてみた。


「ええ、サディアス様はとても情熱的で……。あなたも剣で見て、わかっているでしょう?」

「……はい。仲むつまじさに、茹だってしまいそうでしたよ」


 ポリーは今、嘘をついた。彼女は寝室を監視していなかったのだろう。


 なぜ?


 私は応接間の片付けを彼女に命じ、寝室へと向かった。


 最初に監視者であることを明かした彼女は、簡単にその剣を私に見せた。剣の能力の使用が難しいようには見えなかった。なぜ、寝室を監視していないのか。この部屋に、何か理由があるのだろうか。


 寝室は他の部屋と比べて、飾り物が少ない。高価な皿や花瓶などはなく、パッチワークの壁飾りのみで、後は木の棚、寝台、椅子、ソファ、木でできた燭台などが置かれている。窓の外にはガラス越しに庭が見える。

 簡素だが、ごく普通の部屋だ。


 いくら眺め回しても、これだと確信できる理由がない。


 ……後は、彼女が剣に映して見せた、書斎くらいしか行くべき場所はない。


 私は書斎に向かい、扉を開いた。


 そこには領主としての仕事にいそしむサディアス様がいる。私が現れたことに驚きもせず迎え入れる。

 最近、私はサディアス様に付き従い、よくここにいるからだ。

 従者として出来る限り、サディアス様を守るために。


 書斎はいつもと変わりがない。

 

 四方は本棚で囲まれ、難しげな本が棚に並ぶ。

 奥にある黒檀の机に書類が積まれ、それを見ながらサディアス様はサインをしていっている。ペンを走らせる音、書類を擦る音が聞こえる。


 そういえば、ポリーの剣から音は聞こえなかった。本を読んでいたサディアス様の図だったが、ページをめくる音は聞こえてこなかった。あれは、音までは聞こえない剣なのかもしれない。


 いくら見回しても、古い本の匂いに囲まれた、変哲のない書斎だ。


 私はポリーに見せられた剣に映し出された画を思い出す。


 そうだ、あれは妙に低いところから見た画だった。


 サディアス様の視点でもなく、なぜあの画は見上げるような図であったのだろう。


 どこから見た図だったのか、私は記憶を頼りに、黒檀の机に近づき、絨毯に膝を折ってみる。

 

 あの図は、ごく至近距離からの図であった。黒檀のすぐ近く……いや、黒檀の机からの図?


 角度を調整してサディアス様を見上げる。


 すると私の視線の目の前には、置き時計が置かれていて、時計の表面を覆うガラスが私の姿を映した。


 ガラス。映すもの。


 ……これか!


 あの剣は、ガラスに映ったものを剣に映し出す、そういうものなのか。よく考えてみれば、寝室には窓ガラスはあったが、眠るときはカーテンが閉められる。他にはガラスは何もない。暗殺者が襲ってきた温室も南側はガラスで覆われていて、ポリーが監視できていたのもうなずける。


 だからポリーは寝室を監視できず、ガラスの置き時計の置かれた書斎を監視できたというわけだ。


 からくりがわかり、なるほど、とうなずく。


「俺を見上げて、何の遊びだ?」


 はっと気付くと、黒檀の机の前で座り込む私を、机の向こうから呆れたような目で見下ろされている。


 慌てて立ち上がり、この場で今わかったことを言うわけにもいかず、サディアス様の仕事を手伝い始めたのだった。



 それからしばらくしてのことだった。


 ハドリーは私を呼び出し、


「ご所望の方が見つかりました。お会いするのは、奥様のお時間がよろしいときで、いつでも構わないとのことです」

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