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報告1

 結婚して半月が経つ頃、私はグレーと白のギンガムチェックのアフタヌーンドレスを纏い、溜息をついていた。


 今日は、イアン王へ監視の報告をする日であった。


 あの少年王は、今日は学院に視察に向かうのだという。そこで偶然学院を訪れていた私と会う、というシナリオだ。別人の名で届いた手紙にはそのシナリオが書かれ、暗号化されながら、本当は誰からの手紙かを示されていた。


 国王自ら会わずとも良いと思うのだけど、とりあえず最初はどうしても直接聞きたいようだ。


 サディアス様のことを報告する……そのことをどうしても消化できない。私は妻として嫌われたいとは思っているが、従者として裏切り者になるのは……。


 確かにサディアス様の命を守るためには、命令を聞くしかなかった。けれど、それは本当にサディアス様のためになるのか。


 あまりに大きな裏切りに思えて、ここ数日、そのことばかりを考えていた。


 ぐるぐると部屋を周りながら熟考し、決心する。


 やはり、サディアス様に正直に言おう。


 そしてイアン様には適当なことを言って、誤魔化そう。サディアス様に謀反をする気配がないとの報告を受ければ、イアン王のあの憎悪も薄らぐかもしれない。すぐでなくても、いつかは。


 そのためにはサディアス様と口裏を合わせておくことが必要だ。二人でつじつまを合わせれば、どうにでもなる。


 そう決めた私は、サディアス様のいる書斎へと向かおうと、中央階段を下る。


 その踊り場に、執事のハドリーが立ち、壁に飾られている絵画を見ていた。


「何を見ているのですか?」


 ハドリーは私へ頭を下げ、普段は陰気な表情をほんの少しだけやわらげて答える。


「セラフィナ様の絵でございます」


 セラフィナというのは、サディアス様のお母上の名だ。ハドリーは確か、彼女に従者として仕えていたはずだ。


 その絵は、彼女のサロンの絵らしい。多くの芸術家や思想家に囲まれて、絵の中のセラフィナ様は座っている。


 セラフィナ様はサディアス様によく似た、整った顔立ちで満足そうに周囲を見ている。確かこの方は、多くの若き芸術家のパトロンとなり、華やかな生活を送ってらした。その様を描いたのだろう。


 彼女が内乱中に非業の死を遂げたことを思うと、少しばかり複雑な気持ちとなる。


「奥様は学生時代の友人にお会いなさるのでしたね。もう出発されますか?」

「その前に、旦那様へ挨拶してから行こうかと。書斎にいらっしゃいますよね?」

「はい。奥様が出られるのと同じ頃、クラブに行かれるとのことです」


 クラブは紳士の社交場だ。たとえ私の用事を中止したとしても、私が入ることはできなくて、側で守ることはできない。


「……私がいない間、サディアス様のことを頼みます」


 サディアス様は先日、襲われたばかりだ。念を押すと、ハドリーは陰鬱であるが真剣な表情で、手を胸の上に置いて、了解の意を示した。


 柱時計が規則的な音を鳴らす。気付いたら、あまり時間がないようだ。急いで階段を下りて書斎へ向かう途中の廊下で、私を見てポリーがぽかんと口を開けていた。


「どうされたんですか、奥様! そんなに急いで、何かありました?」

「いえ、何もありません。サディアス様へ出かける前に挨拶をしに行くだけです」

「そうでしたか、良かったです。……あ! 奥様、髪飾りが曲がっています!」


 慌てたようにポリーが私の後ろに回り込み、黒髪を押さえている蝶の形の髪飾りを調整する。


「……陛下への報告は今日ですか」


 耳元で低い声がした。思わず剣を呼び出し、後ろ手のまま背後の存在にそのまま刃を突き刺す。


 ……と思ったが、それはすんでの所でかわしたようで、私の前へとやってきた。


「怖い、怖いですよ、奥様。振り返りもせず急所を狙って殺そうとするなんて、久しぶりにぞっとしました」

「ポリー、あなたは……」

「同じ陛下に仕える仲間なんですから、仲良くしましょうよ、ね」


 小声でささやく声に、じっとりと汗が背中を伝う。


「仲間……?」

「はい。聞いてますよ、同じ監視仲間だと。最初は誤解していました。帳簿を見ようとしなかったり、パーティとかの社交の場に出ようとしないから、この人できない人なんだなあって。だって、お金の動きとか交友関係とか、そういう情報が大事じゃないですか。挙げ句に旦那様を狙う暗殺者を勝手に倒しちゃうし。だから言わなかったんですけど……でも、最近ようやくわかりました。なるほど、油断させるためなんだなって。奥様っていう立場を最大限利用するとしたら、骨抜きにして自分自身をターゲットの弱点にするっていうのも有効な手ですもんね。そのための土台作りをしてるんですよね。すみません、気付くのが遅くなっちゃって」


 長く一方的に話しているが、ごく小さな声で、周囲には聞こえないように意図されたものだった。


 誤解だとか弱点だとか、そういうことよりも、私の肝が冷えたのは違うことだ。


 気付かれずに処理したはずの、襲ってきた暗殺者のことを知っていた。


 私は温室で敵が襲ってきたとき、他に敵がいないかと周囲に気を配っていた。しかしあそこには、入り口にメイドと従僕がいるだけで、庭にも、もちろん温室にも誰の気配もなかった。


 そもそもあのとき彼女は、広げていたドレスの生地などの片付けをしていたはずだ。あの場にいなかったはずなのに。


「あれ? やだなあ、怖い顔をして。疑ってすみませんって。まあ私も監視者で、奥様を見張るのも仕事の内なんですよ。裏切って旦那様側についたりしないかって。もしくは味方のままでいるフリをして、本当は旦那様のために嘘の報告をしないかって。ほら、この剣で」


 そう言って彼女が出した剣は、(やいば)が不思議な材質でできている。光がきらめいたかと思うと、その刃にはサディアス様が書斎で本を読んでいる姿が下から覗き込む構図で映った。


「この場にいない人でも、この剣の刃に映して、何をしているかわかるんです。こういう監視に便利でしょう?」


 確かに、監視をするのにこれ以上のものはない。

 いくら近くに目を配っても、どこで誰が何をしているかがわかる、これがあれば用心も意味がない。


 この剣は監視に向いても、このおしゃべりは、とても監視に向かないが。


「ああ言っておきます、国王陛下って心配性なんですよ。だから私の報告との齟齬がないかって確認すると思いますから、めんどくさがらずにちゃんと正しく報告した方がいいですよ。いやあ、仲間がいて良かったですよ。国王陛下のお役に立てる絶好の機会とはいえ、不安でしたから。二人もいれば、漏れはないでしょう」


 きっと彼女は、生粋の暗殺者でも闇の者でもない。おそらく彼女の剣の利用価値を見いだした者が、この役目を命じた。元は国王側の騎士、というのが妥当だろうか。


 私の剣を避けたことを思えば、剣の腕もそれなりにある。簡単に倒せる相手ではない。


 ちかちかと彼女の剣が光る。目の前が暗くなってきた。

 ああ、そうか。私は逃げることができないのか。


「学院へ行かれるんですよね? 侍女として付き従います。ええ、奥様付きの侍女になって良かったですよ。以前よりもはるかに、旦那様の様子をうかがう機会が増えましたから」


 私はおしゃべりを打ち切り、書斎へ向かう。



 書斎の中にいたのは、先程剣に映ったとおりに本を読んでいるサディアス様だった。


「そろそろ出かけるのか?」

「……はい」


 背後にはポリーがいた。もはや私にサディアス様に正直に告げるという選択肢はなかった。これからも騙し続けるしかない。


「俺もそろそろクラブに向かう。馬車まで一緒に向かうか」

「……はい」

 

 サディアス様の乗る馬車には執事のハドリーが付き従い、私の乗る馬車にはポリーが侍女として付き従う。馬車の中で彼女と二人きりであることに憂鬱な気持ちとなりながら、私は馬車に乗り込んだ。


 馬車は一路、学院に向かう……はずだったが、窓から見る景色は別の方向へ向かっていた。


「おかしいですね……道を間違えているようです」


 そう言いながら、ポリーは御者へ声を上げ、正しい方向を説明する。


 すると、慌てたように馬車は方向を変え、大きく道を曲がっていく。単純に道を間違えたらしい。約束の時間に間に合うだろうか。


 そう心配に思いながら、窓の外を見つめ続けた。


 すると、馬車の進む先に、サディアス様が行ったクラブの館が見える。本来は学院とクラブは侯爵家から別方向だが、大回りをしたせいで、通ることになったようだ。


 サディアス様はついただろうか、と思いながら眺めていると、その当の本人が見えた。馬車から降りている。ちょうどクラブの館に入るところだろうか……と思っていたら、サディアス様は立ち止まっていた。


 そして、サディアス様は小さな花束を手に、見知らぬ女性と親しげに話をしている。


 栗色の豊かな髪の女性は、上品ないでたちではなかった。平民のドレスだ。しかしそのようなことはまったく気にしていないかのような、明るくはつらつとした、そばかすの浮かぶ笑顔でサディアス様を見上げていた。


 サディアス様が女性に花を贈っているという衝撃は、ひどく大きかった。


 サディアス様は昔から、女性に好かれることはあっても、女性に花を贈るだとか、そういう好かれるために行うことはしない方だと思っていた。


 けれど、違ったのだ。本当に、真に愛する方に出会っていないだけだったのだ。


 その間、馬車が通り過ぎるのは一瞬のことだった。

 じっくり相手の女性の顔を見たくても、容赦なく馬車は行ってしまう。


「どうされました、奥様。顔がこわばっていますよ? 何か外に見えました?」


 ポリーが私が覗き込んでいる窓から、外を見ようとする。サディアス様の真に愛する方、という弱点を知られてはならない。私はカーテンを閉め、眉根を寄せて不機嫌そうに言った。


「酔いました。到着するまで静かにしていてください」


 不機嫌そうなのは演技だったはずが、演技よりも自然とそれは言葉と態度からにじみ出てしまっていた。

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