初夜2
国王に強いられた結婚の屈辱に甘んじるなど、サディアス様にふさわしくない。
紙切れ一枚で結ばれた私とではなく、本当に彼の望んだ方と結ばれるべきなのだ。
それには私は邪魔だ。しかし、国王に強いられた結婚で、離婚など言い出せない。だとしたら、私が形ばかりの妻となり、サディアス様は本当に愛する方を本当の妻として扱う……これが現実的だ。
ただ、サディアス様は私を妻として扱い、そのようなことを考えもしないだろう。サディアス様は一度口に出したことは必ず守る。強いられてでも私を妻とした時点で、心がなくとも、私を妻として扱うつもりだ。
それはまずい。本当に愛される方が現れたとき、二人の障壁となってしまう。だとしたら最初から、形ばかりの妻……いや、妻としてふさわしくない悪妻とならなければならない。
サディアス様が私をとても妻と思えぬ、妻として失格だ、と思えば思うほど、真に愛する方を本当の妻として愛し結ばれる一助となるはずだ。
サディアス様に呆れられ、失望され、嫌われる……その未来を思うと気が重く、つらいが……それこそが私への罰だ。罰は受けなければならない。
ひとまず、今夜、初夜のことだ。ここが肝心であった。私は意を決して、口を開く。
「サディアス様。実は私は、子が産めません」
「なに?」
嘘であった。そのようなことは調べていない。
こんな嘘はあまりに悪質で、嘘だとわかっても、失望して怒るだろう。どのような折檻を受けても仕方がない。
「昔から受けた訓練の影響でしょうか……子を作ることができないとのことです。ですから、妻としてあなたのそばに侍ることは、ご容赦を……」
たとえ真実だとしても、本来、このようなことは結婚してから言うものではないだろう。ましてや、初夜の直前になど。
「ふうん……」
この時点でサディアス様が怒り、呆れても仕方がない。しかし冷静なサディアス様は私を見て考え込んでいる。
何を考えているのだろうか、私には斟酌することもおこがましく、黙って待つ。
燭台の火が揺らめく。肌寒さからか、サディアス様は自身の腕をさすった。
「……どうぞ、そちらの寝台でお休みください。私はこちらのソファにおりますから」
「それでそなたはどうする?」
「ご安心ください。朝まで寝ずの番をして、身の安全をお守りいたします」
「ばかなことを」
サディアス様は私の腕をひき、寝台へ引き倒した。下ろしていた黒髪がシーツに広がる。
何を考えてこんなことをしているのか、と様子をうかがう。もしかして怒って、私を傷めつけようというのだろうか。
「俺が、だからどうした、と言ったらどうする?」
「何を」
「お前に子が産めようと産めまいと気にしない、と言ったらどうする?」
呆気にとられながら、私はサディアス様の狼のような金色の瞳を見つめる。気高く、相手を捕食せんとする狼。
「まあこのような問答、本当だとしたら、の話だがな」
サディアス様は寝台の、私の隣へもぐりこむ。身体をこわばらせた私に、にやりと笑む。
「何もしないから安心してここで眠れ。たとえ嘘だとしても、嘘までついて拒絶する女に手出しはしない。まあ……あのような嘘で男があきらめると思っている認識は、正した方がいいと思うが」
「サディアス様」
「眠れ。離れることは許さん。俺の身を守るなら、俺の一番近くで守れ。離れていないとできないとは言わせん。返事は?」
私は、ご命令のとおりに、と小さく答えた。
聞こえないかもしれないと思ったが、寝台の中に互いがいる状況では、よく聞こえたようだった。
確かに、守られる方にしてみれば、遠くから――寝台から離れたソファにいる者に守られるよりも、同じ寝台の中にいる者に守られる方が、安心だろう。
サディアス様にとってそれだけのことだというのに、同じ寝台の中にいるというだけで、落ち着きを取り戻せない。体温を感じるたび、胸が早鐘を打つ。
このままでは身が持たない、早く朝となってくれ、と日の女神の訪れを祈った。しかし夜の女神の力は強大で、カーテンの向こうで日の昇る気配はない。
このまま隣を意識しすぎていると、サディアス様の健やかな眠りの妨げとなる。現に、サディアス様は目をつむっていても眠れていないようだ。
無理やりに、別のことを考えることにした。
そうして私は記憶を巡らせる。
子は産めないのだと、そう嘘をついたのは二度目だ。
一度目は、結婚前。
サディアス様との結婚を命じられたとき、私はそう言った。
国王陛下を目の前にしてのことだ。
私は王宮に呼ばれ、赤い絨毯の敷かれた玉座の間で、結婚を命じられた。その場には国王陛下や宰相がいた。
おそれながら、と私はその嘘をついた。
貴族において家を、血を、次代に繋ぐのは大切なことだ。
あまりに身分違いすぎて、サディアス様と私との結婚を取り止めてもらうために、そう国王陛下へ嘘をついた。
国王陛下は、名をイアンという。御年十二歳。私が学院に入学した年齢と同じだった。サディアス様の内乱後に即位したばかりの、年若い少年王だ。
その少年王へ私は、自分は病がちで子ができないだろう、と言った。
幼さの残るイアン様は、柔らかな母親譲りの金髪を揺らしながら近づき、私に形ばかりの憐憫の言葉を賜った。しかし――
「子ができないなら、都合がよいことだ。僕はあの男の血など、一滴たりとも残すつもりなどないからね」
毒が、言葉の端々から感じる。青い目は憎々しげにどこかを見ている。
「コーネリア。君には、サディアスの監視をしてもらう。妻という立場なら、さぞ監視はしやすいものだろう。そして、僕へ報告をすること」
「おそれながら、私にはそのような――」
イアン様は苛立たしそうに私の髪を引っ張り、顔を近づけた。
「茶番はいい。僕を誰だと思っている? お前のことも、お前の一族のことも、知らないと思ったか? 国王の僕が」
思わず周囲に気を配る。宰相以外の他の者を下がらせたとはいえ、誰かの耳に入ってもおかしくない。一族のことが、知られている――
「おや、一族の者から知らされてなかった? 僕はお前たち一族の主となったんだよ。お前みたいな後ろ暗い存在を近づけるのは嫌だが、僕も自分の身を守ることが必要だからね。だから、コーネリア、お前も僕に従わなければならない」
「主……で、ございますか。存じ上げませんで、申し訳ございません」
一族は秘密主義で満ちている。他の者がどのようなことをして、どのような仕事をしているのか、知らされることは滅多にない。
おそらく、イアン様は何らかの方法で一族の存在を知り、一族を雇った。そして妻と監視を兼ねられる、暗殺者であり貴族の娘である者を求めたのだろう。それが私だった。……内乱で男女を問わず、多くの一族が死んだことも一因だ。
「言うことは聞けよ? これがわかるな?」
私の髪を引っ張るもう片方の手で、紫がかったピンクの小瓶を見せてきた。思わず、身体が震えた。
それは、一族の者なら誰もが求めるもの。
中には香が入っている。
無論、ただの香ではない。香りを嗅いでいる間は、何とも言えない心地よさで天国にも昇る気持ちになるが、その香がないとき、激しい飢餓感に悩まされる。
常習性が高いそれを、私たち一族の者は子供の頃、常に嗅がされてきた。そして暗殺ができるようになると、ただでは与えられなくなり、代わりに暗殺の報酬として与えられるようになる。
あの香は一族特製で、他では手に入らない。だからこそ、一族の者は内心で憎悪しながらも、従っている。
イアン様が手にしているということは、一族から手に入れたのだろう。
……なるほど、たとえ一族から他の者に売られたとしても、この業からは逃がさないために、というわけか。
「お前は内乱前、サディアスの従者だったらしいね? ちょうどいい、あの男も油断しやすいだろう」
サディアス様の従者であることが、サディアス様を危機に陥らせることになるとは。
「ずいぶん人を殺してきたとか? 本当は薄汚いお前ら一族郎党、処刑しても良かったが、まあ、内乱の時に僕に従ったということだから許してやろう。これからも利用価値がありそうだからね。僕の役に立ってもらう。まずは監視だ」
「何のために、でございましょう」
普段であれば、私はこのようなことに理由を求めない。けれど相手がサディアス様のことであれば、聞かずにおれなかった。
やはり、イアン様は不機嫌そうに怒鳴り散らす。
「バカか!? いつ次の反乱を仕掛けるかわからない奴に、何もしないでいろと!? あんな男、父上が生かしておくから、息子の僕がこんなに苦労をする。あまりに甘すぎる! バカな父上! こんなこと、当たり前だろう!」
「申し訳ございません」
「そうだ、監視の報告を聞かなければ、僕は安心できない。監視できないのなら、あいつを殺すしかない。何をしでかすかわかったものではないのだから。あいつは僕を殺すかもしれない……そう、これは国のためなんだ……」
怒鳴ったかと思えばおびえるような不安定な少年王を、表情を変えずに見つめた。
……監視をしなければ、サディアス様を殺すというのなら……。私に選択肢はない。
そして、私は結婚することを承諾した。
結婚前のことをうつらうつらと思い返している内に、日の女神はやってきた。
隣に眠るサディアス様は規則的な息づかいを繰り返す。健康的な肌の色は、その下の血潮を感じさせた。
どれほど裏切ろうと、嫌われようと、私はサディアス様に生きていてほしいのです。
そう内心で思いながら、窓の外から甲高い鳥の鳴き声を聞いた。