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手紙1

 王都を掌握したサディアス様は国王に即位した。


 私は日々、王宮の防備に隙がないか、というところを確認し、人が足りないところは人を増やすなどしていた。

 いざというときの逃げ道も改めて造り直させている。


 しかし、


「王妃様がそのようなことはなさる必要はございません」

「このようなこと、我らがやっておきますので。王妃様の手をわずらわせるなど」


 と、みなが私を追いやる。


 王妃というものは、そういうことはする必要がないそうだ。


 王宮に入ってから、サディアス様に敵兵が襲いかかってくることもない。ステリー騎士団などの信頼の置ける兵で守らせているからだろう。


 王宮から血は洗い流され、新たな絨毯が敷かれ、戦場となったことを忘れさせるように美しく作り替えられていく。


 敵に回っていた諸侯も、領地を減らされたりしたものの、従順にサディアス様に忠誠を誓い、国内は統一された。


 街には明るい活気が取り戻されようとしている。ようやく平和が訪れたと、人々は喜んでいる。


 私は王妃らしくあるよう求められた。王となったサディアス様に従者のように付き従うべきではないと言われた。その代わりに、王妃としての社交をし、貴族の奥方とお茶会でおしゃべりをする。

 夫の話、貴族の噂話、ドレスの話……内乱の話や血にまみれた話は出ない。高位の貴族の奥方のおしゃべりの話題には不適当らしい。


 ある奥方がこう言った。


「旦那様は、よく戦場での話をするのです。どうやって倒したとか、殺したとか……。あまりに恐ろしくて、想像すらしたくなくて、やめてほしいと言うのに、旦那様はすぐ忘れて、また話し出すのです」

 

 憂い顔で言う奥方に、他の奥方はうなずいている。


「殿方の(いくさ)好きにも困ったものですわね。王妃様もそう思われませんか?」


 そう言われ、他の奥方が私の反応を待つ。彼女たちは国の有力貴族の奥方ばかりであった。

 剣の女神の加護のあるこの国では、貴族の娘が騎士となることは珍しいことではない。しかしそれは低位の貴族の娘までの話だ。高位の貴族の女性たちは、戦場から離れる。それは他国の洗練された宮廷文化ではそうなので、高位の貴族たちはそれを模倣して、戦場に行くような女性は高位の貴族の娘らしくない、と考えられているからだ。


 ……この場にいる私に求められていたのは、高位の貴族の夫人に好まれる、良識的で、儀礼以外に自身の剣を使わないような女の姿だった。


 ダレル団長、あなたは正しい……。


 私はゆっくりと答えた。


「戦場とはいえ人が死ぬ話を聞くなど、つらいでしょうに。同情いたしますよ」


 


 だんだんと、王宮から外をぼんやり見つめることが多くなった。見つめているとき、何も考えていない。ただ夕日の赤を――血のような赤を、見つめるだけだ。




 サディアス様の即位を祝う、舞踏会の日。


 私は赤いドレスをまとっていた。濃い紅の生地は丁寧に同じ赤色の糸で刺繍され、よく見るとその繊細かつ緻密な模様に感嘆の溜息を漏らすだろう。袖はふんわりと大きく軽やかに広がる。ポイントに黒い布が使われてドレス自体の奔放さを引き締め、襟ぐりは大きくあいているけれども上品に仕上がっていた。


 以前、侯爵夫人であったとき、仕立屋に作らせたイブニングドレスが完成したのだ。

 内乱などがあったにもかかわらず、仕立屋は作り続けてくれていたらしく、この日に間に合った。


「美しいな。思わず目が吸い付けられる。そなたの黒い髪によく似合っているぞ」


 サディアス様にそう褒められ、思わず顔を赤らめた。

 ここ最近で、一番嬉しい。


 近頃は、早朝から夜中まで忙しいサディアス様ともお話することすらできず、憂鬱になるような日々が続いていたから……。


「踊っていただけますか、陛下」

「それを言うのは俺だ。ああ、今夜が楽しみだ」


 これから、サディアス様がバルコニーで、王都の民へ向けて演説をする。

 それが終わったら舞踏会だ。



「お前に見られながら偉そうな演説をするのは緊張する」とサディアス様がおっしゃるので、残念ながら演説は見れない。サディアス様でも緊張するのだなあ、とほほえましいような気持ちになった。


 演説が終わった後の舞踏会から私は出席する。


「それでは行ってらっしゃいませ」


 そう送り出そうとしたら、サディアス様は白い封筒を差し出した。蝋でとめられている手紙だ。しかし、差出人も宛先も書いていない。


「お前への手紙だ」

「誰からのものでしょう」

「俺からだ」


 なぜ手紙に? もしや口に出して、間者に知られたくないような内容だというのだろうか。


 思わず顔を引き締めると、サディアス様は笑って否定した。


「そうではない。不穏な内容は何も書いていない。そこに書いたのは……ただの俺の正直な気持ちだ」

「正直な気持ち、ですか」

「ああ。俺も反省した。勝手に伝わっていると思って、言葉が足りなかったりな。すれ違いや思い違いはしたくなくてな、書いてみたというわけだ。戦後の片付けに忙殺されて時間が取れなかったから、遅くなってしまったが」


 私は思わず白い封筒を見つめる。サディアス様のお気持ち……恐いような、読んでみたいような。


「人前で読むなよ? じゃあ、行ってくる」


 そのまま背を向けて去っていくので、いってらっしゃいませ、と慌てて声をかけた。


 お気持ち……どのようなことが書いてあるのか。怖さもあったが、しかし読みたい気持ちの方が勝る。


 私は侍女にお茶の用意をさせると彼女たちを部屋の外に出す。

 一人になったのを確認して、丁寧にペーパーナイフで端を切っていく。


 期待してはいけない。私の至らない点を叱責する内容かもしれない。


 王妃として高位の貴族の夫人に比べると、教養も知識も足りない。戦争の勝利のために身体を張ったという点だけは褒められるが、今の時代、サディアス様には必要とされていない。他の貴族の令嬢を王妃に迎えた方が良いのはわかっている。所詮演技をしたところで、本物に勝るわけがない。


 ……暗殺者としても求められず、演技をしても他者に劣る。では私がここにいる意味は――



 封筒をペーパーナイフで切り終わった状態で、私はぼんやりしていた。


「コーネリア様」


 声がして振り向いた瞬間、腹部に強烈な激痛が走った。目の奥が一瞬白くなる。

 剣が、私の腹部に深く突き刺さっていた。


「……く……!」


 しかし、相手の姿がどこにも見えない。

 逃げたか!?


 しかし、突き刺さる剣に、わずかに力が込められた気がした。私はすぐに剣を呼び出し、横薙ぎに払う。


 空を切るだけのはずが、手応えがあった。


 何もないところから、赤い血が落ちていく。


 姿を消せる剣か!


 その血を頼りに、剣を投げる。急所へ当たったのか、大量の血が壁際に敷かれた絨毯を染め上げた。敵の剣が絨毯に落ちると同時に、姿があらわになる。


 思わず、驚きの声を上げた。


「……ハドリー、なぜですか……」


 血を流して壁に背を預けて座っているのは、ハドリーだった。いつもと変わらぬ陰鬱そうな顔であった。


「わかりませんか」


 一族の者の特徴のある、ハドリーの顔。おそらくそれは、私にも似たところがあるのだろう。

 茶色の暗い双眸が私をとらえる。


「もうサディアス様に必要ないからですよ。あなたも、私も。……あなたも目的は果たした、もう良いでしょう?」


 腹部を押さえながら、彼の話を聞く。


「私はあなたの目的が、結婚の翌日からわかっていました。侯爵家の帳簿を見ようとしなかった。その時点で、この人は、未来の内乱を止める気はないのだと悟った。あなたはサディアス様の監視を命じられたが、厳しく監視をするという道もあった。そうすれば、内乱など考えなかったかもしれない。王位を求めようとしなかったかもしれない。しかしあなたの取った手段は、女主人として侯爵家を管理しないという、監視とは名ばかりのものだった。社交パーティなどサディアス様の交友関係も把握していない、何の監視もしていない、これではイアン王も怒ったのでは?」


 私は笑った。


「まるで私は陰謀家のようですね。理由はあるのですよ。パーティに出なかったのは侯爵夫人にふさわしいドレスを持っていなかったからです。女主人としてそのあたりの管理をしなかったのは、いずれ現れるサディアス様に相応しい女性との仲を取り持つために、悪妻になろうとしたのです」


「たとえそんな理由もあったとしても、あなたが監視をゆるませたのは確かだ。パーティに表だって参加できなくても隠れて監視することもできた、帳簿を見るだけ見ても何の管理もしないという方法もあった」

「…………」

「あなたは、再びの内乱となることを期待していたのでしょう。そして、サディアス様が王位を手に入れることを。その過程で危険が訪れることを期待して」


 ……あの日、私がサディアス様の従者となったとき。サディアス様は血だまりの上に立ち、王者の笑みを浮かべていた。

 頂点に立つにふさわしい方の笑みだと思った。


 結婚式の夜。私たちの結婚に反対していた老侯爵を殺そうか、と私はサディアス様に提案した。国王の決めた結婚に反対するような人間を生かしておけば、巻き添えでサディアス様も国王に睨まれると思ったからだ。

 しかしサディアス様は、そこまでする必要はない、と言った。その時点でわかったのだ。サディアス様は今後、再び内乱を起こす可能性を捨てていないのだと。反旗を翻すとき、老侯爵の兵を貴重な戦力とするために。

 王位の可能性を捨てていないことを知った私の心に、さざなみが起きた。


「サディアス様には二つの道があった。イアン王の下、貴族として窮屈ながら平穏に過ごす、そういう道もあった。けれどあなたは、それは望んでいなかったでしょう? 国王の疑いが解けて暗殺者を送り込まれずに、平穏に過ごすサディアス様を望んでいなかったでしょう?」


 私は笑う。自分でも、あまりに疲れたような、乾いた笑いだと感じた。だが演技ではない、心からの心情があふれた。


「……そこに、私の居場所はありますか」


 臓腑の底から絞り出した問い。

 答えの知っている問いに、当然のような答えが返ってくる。


「ない。あなたの存在価値はない」


 まさに、今のこの状況だった。


 私もわかっていた。サディアス様に必要とされるのは、サディアス様が命を狙われるとき。サディアス様が不穏な血の影の下にいるとき。


 ……だから、サディアス様は怒った。私が『殿下』と言ったとき、怒りを見せた。私がサディアス様へ求めていることを、明確にサディアス様もわかったからだろう。


「内乱は終わりました。先王も王太后も処刑された。イアン王は幽閉されたが、監視は強固だ。これから平和な時代が訪れる。私も、あなたも、不要だ」


 国内にもう、サディアス様の明確な敵はいない。イアン様は幽閉され大人しくしている。敵であった者も忠誠を誓った。サディアス様が私に暗殺を頼むことはないだろう。そしてサディアス様を狙う者もいないのなら、私はサディアス様の従者として不要だった。


 暗殺者としては、いつだってどこかで必要とされる。けれどサディアス様の従者としてなら、求められることはない。

 私は私ではない者にならなければならない。『私』は求められない。


「私は、本来は、セラフィナ様が死ぬまで仕え、そして私も死ぬつもりでした。しかしセラフィナ様は、サディアス様を託された。よりにもよって私に、あの男の子どもを託し、あの人は死んでしまった! いくら叶えたくない願いでも、セラフィナ様の従者たる私は従わなくてはならない。私はサディアスに仕えてきました。そしてついにサディアス様は王となった。……ここまできたら、セラフィナ様への面目は立つことでしょう。後は、サディアス様に不要な存在を、私もろとも処分するだけのことです」


 もうこれ以上、彼の言葉を聞く必要はなかった。

 私の腹部の傷は、あまりにひどい。ハドリーは一族の男だった。容赦なく、深く突き刺している。……残された時間が、ない。


 私はハドリーをそのままに部屋を出た。彼が生き延びようが、死のうが、もうどうでもよかった。

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