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戦略

 シリルの部屋を離れ、サディアス様のところへ戻ろうと、足早に歩く。

 護衛の兵がいるとはいえ、心配なのは変わらない。


「あ、奥様! 何をなさってるんですか?」


 緊張をもって、声がした方へ振り向く。ポリーが大きな籠を持って近づいてきていた。


「ポリーは何をしているのですか?」

「あ、洗濯の手伝いです! 奥様の侍女の仕事じゃないと思うんですが、人手が足りないらしいですから」


 戦争の準備のため、いろんなところで人手不足が起きている。そのため王都から来た使用人たちも、王都での仕事とは違うことをすることになっている。


 この人の多さ、忙しさ、周囲の目も届きにくくなっている今、ポリーにとって監視はしやすいものとなっているだろう……。そしておそらく、ポリーだけでなく他にも間者は紛れ込んでいるはずだ。


「ゆっくりお話する時間もなくなって残念です。でも私は奥様の侍女ですから、いつでもお呼びくださいね!」


 ここまで来たからには、彼女を捕らえる選択もあると思うが、サディアス様はまだ泳がせるという。


「ポリー! 何をしているの、早く来なさい!」


 同じように籠を持つエイダにそう怒鳴られ、ポリーは頭を下げながら、走っていった。



 私が領主の部屋に戻ると、サディアス様が貴族と話し込んでいた。

 ガラス製品を置いていないこの部屋で、主にサディアス様は貴族と話すようにしている。


 相手の貴族は、公爵だったはずだ。確か、前に王都の侯爵家に嫌味を言いに来ていた公爵夫人の夫だ。やはり、こちら側についたということか。夫人を伴っていないということは、彼女は公爵領に留まらせたのだろう。高位の貴族の奥方は戦いに参加しないことが多い。


 どんどんと貴族や騎士達が集まってきている。サディアス様こそ王位にふさわしいと思う人達や、それ以外の利益があると見越して近づいてきた人達。それらを全て笑顔で迎え入れ、サディアス様の軍は強大になっていく。


「そろそろ兵がそろってきたようにお見受けしますが、出陣はいつ頃かお決まりですか?」


 公爵の問いかけに、サディアス様は頷きながら、慎重に言葉を選ぶ。


「秋は収穫の時期だということはよくわかっている。領主である貴公らの懸念は理解しているつもりだ」


 貴族が連れてきている兵は農民が多数だ。彼らが収穫しなければ、領地の税収もない。


 今は初夏。となると、もう――


「ご理解いただいているのなら、結構です。……我が兵の準備を進めておきましょう」


 公爵は笑み、部屋を出て行く。


 入れ替わるように、ハドリーが入ってきた。話が終わるのを待っていたようだ。


「シリル様は地下へ移動させました。大人しくなさっているようです」

「そうか。さて、ステリー騎士団もようやく来た。そろそろ、といったところか」

「先王派も騎士や貴族を集めているようですが、先王派の貴族の領地は遠方が多くなっております。打って出るにはまだ時間があるはずでしょう。その隙に、こちらから先に戦いに出る方が有利に進むかと」


 ハドリーがそう言うと、サディアス様は机の上にある地図を見つめた。


「俺たちが王都へつくまでには、向こうも準備を整えて打って出るだろう。ぶつかるのはおそらく、この平原だろう」


 サディアス様が示すのは、王都の西側に広がる平原だった。


 私とハドリーもうなずく。我らの動きが遅ければ、戦地は更に西となるだろうけれど、こちらが先に動くとすれば、その辺りが妥当だ。最初から王都にこもることはするまい、血気盛んな将軍ぞろいの先王軍なのだから。前回の内乱時も、先王派の将軍たちは防戦派の論客を退けていた。


 大軍勢対大軍勢の戦い、か。しかしそこで戦いは終わらないだろう。国王や先王は戦場へは出ず、王都で籠城の構えを取ることだろう。


 平原での戦いを勝ったとしても、大決戦で兵を失った後の籠城戦はどうなるかわからない。元々、籠城戦は守る方が有利と言われている。


「王都を攻めることも考えて動かなければならないでしょう。――ここは、コーネリア様にご活躍願うときではないかと」


 ハドリーの提案に、地図を見ていた私は顔を上げる。


「何か策でもあるのか、ハドリー」

「奥様は国王の間者でありました。そこで、嘘の攻撃の情報を先王派へ掴ませる。そうすれば、守りの手薄な方面からの攻城が楽になるでしょう」

「待ってください。今、私に国王へ連絡を取る手段はありません。以前は手紙のやりとりで情報を伝える場を教えられました。しかしさすがに今は、私に手紙は来ません。連絡を取る手段が断たれているのです」

「ポリーを使えばよろしいでしょう。彼女は知っているかもしれない」

「知らないかもしれないでしょう」

「その時はその時。奥様自ら、王都へ行けばよろしいではありませんか」


 サディアス様の許を離れろというのか。この、非常に危険な状態で?


「お断りします。サディアス様をお守りするのが最優先です」


 怒りをにじませて、私はハドリーを睨み上げた。

 ハドリーは変わらぬ陰鬱な表情を、皮肉げにゆるませた。


「奥様は誤解している。あなたがいなくとも、サディアス様をお守りする者はいる。ここにあなたは必ずしもいなくてはいけない存在ではございません」

「なんですって――?」

「二人とも、やめろ。攻め方に関しては、他の騎士たちとも話し合って決めることだ。二人とも僭越だと心得ろ」


 私とハドリーは二人とも謝罪し、この話を打ち切った。





 夜がやってきて、私とサディアス様は夫婦の寝室の同じベッドで横になる。


 先程のハドリーの話は、私の頭の中でぐるぐると回っている。


 私は国王の間者であったが、果たして今も、イアン王は私を間者だと思っているのだろうか。私が従兄弟たちを殺したことがわかっていたら、きっと裏切ったと思うことだろう。


 しかし……従兄弟たちが死んだことを知るのは、私とサディアス様と、死体の始末をしたハドリーだけだ。彼らは行方不明、というのがイアン王にとって正確な認識だろう。


 私を人質にしようとしたタイミングと、サディアス様が反旗を翻したタイミングは同じだ。もし、従兄弟たちが失敗しただけだと思っているのなら、私の裏切りをまだ、国王は把握していない――


 ポリーの私への変わらぬ対応も、彼女が私を裏切り者と知らないゆえだとしか思えない。


「……何を考えている?」


 隣からの声に、はっとする。


「まだ起きてらっしゃるんですね」


 ここに来てから、朝から晩まで息をつく間もないくらいに動き回り、話し合い、指示を出している。泥のように眠る毎日が続いていた。


「あの……サディアス様……無理はなさらないでくださいね?」

「お前こそな。俺の毒味、護衛と気を張った日々だろう」

「いえ……お気遣いなさらず、私はそのためにいるのです。それより、サディアス様、……私は貴方の妻という立場ですから、私のことは好きにしてもいいのですよ?」


 サディアス様の肩へ、手を伸ばして触れる。


「そういう気遣いはいらないと言っているだろう」


 自分の気持ちを自覚した、あの森の神殿に行った日の夜から、私は夜にサディアス様に遠慮しなくてよいという話をしている。


 しかし毎回、サディアス様は遠慮される。

 遠慮されて、他の女性に目を向けられるのも嫌なのだが……最初に断った身としては自業自得かもしれない。


 こんなふうに断られると、今までは引き下がっていた。

 けれど今夜、もう少し粘ってみようと思う。


「気遣いではありません。私が、サディアス様を求めているだけです」


 ゆっくりとサディアス様が私を見る。

 見つめ合いながら、私はサディアス様の金の瞳の中に映る私が、動揺をこらえて平静そうな表情を作っているのが見える。


 サディアス様は問いかける。


「決めたのか、勝手に」


 ああ、サディアス様は全てわかってらっしゃる。いつもと違う私の態度は、わかりやすすぎただろうか。

 私は居住まいを正して告げる。


「……間者として、王都へ向かいます。ハドリーの策は、サディアス様も考えていたことでしょう。だからポリーも泳がせていた。私のことを間者として働いていたと、先王側へ証言させるために、私の嘘の信憑性を高めさせるために」

「どのような策を取るかは決定していない。それは、俺が決めることだ」


 サディアス様は否定しない。それで十分だった。


「ならば、申し上げます。最善の策と思われるものをお選びください。私は何でもいたしましょう」


 囮となるのでも、最前線に立つのでも、どれであろうと。


「サディアス様が生き残ることこそ、何よりも大事なことなのですから」


 私の望みなどよりも、遙かに。


「俺も思っているぞ。お前が生き残らなければ、意味がないと」

「そうお考えになってくださるなら、勝利のためにお決めください。敗北こそは、決定的な死なのですから」


 二度目の内乱に、今度こそは先王側も許すはずがない。勝利しかないのだ。


「……ただ」


 私は緊張しながらも、サディアス様へ訴えた。


「サディアス様と離れる前に、私は、サディアス様に触れたいのです」


 たとえ一夜のことだとサディアス様に忘れ去られても、私は思い出が欲しい。その思い出があれば、私は欲するものが手に入らず、死んだとしても悔いはない。


 そろりとサディアス様の肩から腕へと手を滑らせる。

 その手を、サディアス様に握られた。


「最後に、俺を喜ばせて去ろうというのか?」

「喜ばす……?」

「俺がお前が欲しくてたまらなかったと、それすらわからなかったか? お前を隣にして寝所を共にしながら、拷問のような気持ちを味わっていたなど、わかっていなかったのか。お前を無理やり組み敷き、蹂躙してやりたいと、何度思ったものか」

「サディアス、様……」

「それでもお前を拒んだのは、お前が望まぬのに手に入れても、無意味だと思ったからだ。妻としての義務で求められても、俺には要らん。俺がほしいのは、お前の全てなのだから」


 熱い瞳を見つめながら、ゆるゆると首を振る。


「私の全ては、最初からサディアス様に捧げております。従者としても、女としても。最初の夜は……サディアス様に相応しい方が他にいると思って、その方とのことを応援するため、拒んでしまい、申し訳ありません。けれどそれは間違いでした。私には、サディアス様と他の方との間を応援することは、できそうにありません。サディアス様の隣にいるのは、いつでも、私でありたいのですから」


 己の間違いの告白をするのは、たまらなく恥ずかしい。顔が熱くなるのを自覚する。

 けれどサディアス様は優しく微笑んだ。


「……俺たちは、妙な遠回りをしていたのかもしれないな」

「はい」

「人に話せば笑われるような話だ。けれど俺は満足だ。お前の気持ちを知れて、そしてこうして胸に抱けるのだから」


 サディアス様は私の首の後ろに手をやり、顔を近づける。

 目を閉じると、口づけが振ってくる。


 幸福感に満たされながら、私はサディアス様に全てをゆだねた。

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