暗闇の中のコーネリア
連れて行かれたのは、暗いじめじめとした場所だった。目隠しを取ってよいといわれて取るが、そこは暗闇が広がっている。屋内であるが窓らしきものはなく光は差さず、男の姿もよく見えない。
「ここで、迎えを待つ。大人しくしていろ」
「……そろそろ理由を聞かせてほしいのですが。このような乱暴な方法で呼ぶ理由を」
「国王陛下の命令だ。侯爵の目の前で浚うよう言われたのだ」
わざわざサディアス様の前で。イアン王はよほど、サディアス様が憎いらしい。
「それでは、しばらく時間を置いたら戻ってもよろしいですか? 監視をしなければなりませんので」
「いや。その命令は破棄するとのことだ。これからお前には、人質として役に立ってもらう。何でもお前は、侯爵にうまく取り入ったそうだな」
眉根を寄せた。
私を人質にしたところで、サディアス様には痛くもかゆくもない。
しかし……。
「お前という人質を盾に、侯爵を操るのが目的なのだろう」
私を人質にしても、サディアス様を操ることなどできはしない。けれど万が一、サディアス様が動揺して、イアン王の思うがままとなってしまったら……。
たとえ私自身は安全であろうとも、そんなことは私の望むことではない。そのような安穏、耐えられるわけがない。私はサディアス様の危険を取り除くために、お側にいたいのだ。
ならば、どうするか。
それはためらうことのない、一瞬のできごと。男の声のする方へ走り寄り、瞬時に呼び出した剣で急所を一突きした。
「なっ……ぐぅ……!」
うめき声を上げて、男の身体が倒れていく。
「な、ぜ……」
それが私のできる唯一の方法だからだ。この場にいる者が死んでしまえば、いくらでも誤魔化して、逃げることができる。
ただ私は、サディアス様の側を離れたくないだけだ。
内乱のとき、たとえ離れていても彼を助けることができる、と思った。けれどそれは甘い考えだった。私の力ではサディアス様に勝利をもたらすことはできなかった。どれほど悔しく、どれほど自分の無力さを思い知っただろう。
今度こそ、私はサディアス様の側にいたい。そしてサディアス様のために、力を振るいたい。それが、それだけが、私がサディアス様のためにできることだ。
倒れた男の死を確認すると、暗闇の中で出口を探る。
警戒は解けない。侯爵家に現れた男は、この男以外にもう一人いる。仲間はそれだけとは限らないだろう。
かすかに風を感じた方向へ進むと、扉があった。しかし、その扉を開いても、また暗闇が続いている。
大きな箱がいくつも置かれているようだ。廃材なども転がっている。壁伝いに進むが、壁自体は木でできているようだ。
「だ、誰か、誰か、助けてくれ!」
暗闇の向こうから、悲鳴のような声が聞こえる。
シリルの声だ。
そういえば、彼は侯爵家で男に拘束されていた。解放されることなく、ここまで連れてこられたのか。
「なんで、何でだよ……僕が何をしたっていうんだ……助けてくれ……助けてくれよぉ……」
泣き声混じりの訴えが聞こえてくるが、私は気配を殺して近づかず、壁づたいに歩いていく。
「薄情な女だなぁ」
突如として別方向から気配が現れ、私は剣を構えた。
聞き覚えのある声だ。
「こんなに助けを求めているのに、気にも留めやしない。これだと、わざわざこいつをここに転がしたオレが馬鹿みたいじゃないか。隙を作ろうとしてたってのに」
暗闇の中で、従兄弟が笑いながらそう言った。
「まったく、嫌な仕事だ。いつもだって嫌な仕事しかないがな。最初からヤな予感はしてたんだぞ? お前が素直に人質となるのか、敵対することになるんじゃないか、ってな。案の定、こういうことになった」
私は背筋に汗が流れるのを感じた。
まずい事態だった。従兄弟とは同じ一族として、共に育った。
つまり、私の剣技もクセも、何もかも知っている。逆もまたしかりではあるが、この場を作った従兄弟の方が有利だ。
暗闇は彼の剣にとって、有利となる。
「かつては結婚するはずの相手だったのに、こんな運命がやってくるとは……ああ、運命の女神の残酷なことよ」
奥から芝居がかったように従兄弟が言った瞬間、私のすぐ側から、剣が振り下ろされる。
間一髪でそれを受け止め、はじき返す。
奥にいたはずの従兄弟が、目の前にいる。
最初から、剣の力を使っているわけか……!
従兄弟の剣の能力は、音の能力だ。剣は音を吸収し、はじき、離れたところで音を鳴らす。でたらめな音の出し方が可能だ。
つまり、音をさせた場所とはまったく別のところから仕掛けることができるわけだ。
このような暗闇は、彼にとって絶好の狩り場だ。
音を判断材料にできない。目の前に剣を向けられるまで、気付かない。
従兄弟は再び暗闇にとけ込んだが、また剣が私に向かってきた。
今度は違う剣。
侯爵家にやってきた、殺した男とは別のもう一人の男だ。
二対一。状況はあきらかに私に不利だ。
もはや無事に帰ることなど期待できない。それでも私は剣を握り直し、敵の剣をかわしながら、気配を読む。
従兄弟はどこからともなく語り始める。声は場所を変え、響いてくる。
「オレたちの育ってきた環境は劣悪だったと、今でもオレは思ってる。一族の連中は、オレたちの命を虫けら同然に思ってただろうってのはよくわかったさ。暗殺の技術を教え込まれ、罵倒され、能力がないとされた奴は消されていった。反抗した連中は、残ったオレたちの手で殺させられた。憎むなって方が無理だろうさ。逃げたいって思う方が当たり前だろうさ。あんな環境にいたら、誰だったそう思うはずだって、オレは思ってた。……お前の言葉を聞くまではな」
従兄弟の言葉はいたるところから聞こえてくる。混乱させるのが目的だろう。私は彼の言葉に気に留めず、音としてのみ耳に入れる。
「ある日、オレたちと同じ仲間が、逃げ出そうって言い出したよな? オレたち全員でかかれば逃げられる、逃げ出そうって。そして、暗殺とは無縁の平穏な暮らしを送ろうって。それに対して、お前は何を言ったか覚えてるか? ……『人を殺さずに生きて、それに何の意味があるのですか』……お前はそう言ったよ」
従兄弟の声がいたる方向から反響する間に、別の男から剣が何度も向けられる。
「耳を疑ったね。確かにオレたちは暗殺を教え込まれた。だからって、暗殺から離れたっていいじゃないか。平穏な生活と暗殺ばかりの人生だったら、オレは間違いなく、前者を取る。けど、お前はそうじゃないんだよな。人を殺してしか生きていけないんだろう。お前の骨の髄まで、一族はたたき込んだ。人を殺すことこそ、お前の使命、お前の人生なんだと。……オレは思ったよ。お前のようにだけは、なりたくないと」
従兄弟の『音』はまだ続いている。
「でもな、お前があの侯爵の従者になると聞いたときは、驚いたぞ。一族の了承も得ず、勝手に従者になって、あのときは一族からかなりひどい仕打ちを受けただろう? それでもお前は前言を撤回せず、従者でいると言った。結局、従者でいて情報を手に入れる方が利となると一族は考えて、何も言わなくなったが。オレは思ったんだぜ。ああ、お前も一族よりも暗殺よりも大切なものができた、人らしくなったのかって。……でもこうして、殺すことしか考えていないお前を見ると、やっぱり幼い頃からたたき込まれた呪縛からは逃れられないんだなって、感傷的になるな」
従兄弟の『音』は小さくなる。
「……もう、いいか。何を言ったところで、お前は動揺一つしない、これからも変わらないだろう。オレは死にたくない。だから、お前を殺すしかない」
瞬間、男と同時に従兄弟が私に剣を突き刺す。剣は左腕に突き刺さった。
剣が突き刺さったその時、私も従兄弟に剣を振り下ろす。手応えはある。が、浅い。
どこにいるかわからない以上、私に攻撃を向けた瞬間が、一番狙いやすい瞬間だ。剣を受けたそのときこそ、攻撃のチャンス。
もう一人の男は更に、私に剣で連撃をくらわせようとする。
私は後ろへ飛び下がり、剣を男へ投げる。そのまま三連続で、剣を投げ、男は一度目の剣はかわしたものの、二度目は腕へ刺さり、三度目は足に突き刺された。
「ばか、な……剣は、一つのはず……」
確かに、剣は一本しかない。単純な話だ、剣が突き刺さると同時に剣を消し、再び剣を手の中で呼び出す、ということを繰り返しただけのこと。ただしそれは非常に高速で行われ、三本ほぼ同時に投げられたように感じたことだろう。
足を負傷した男に、私はそのまま体当たりを食らわせる。もろい、壁に向かって。
壁にぶつかった男の衝撃で、木の壁が一部、壊れた。
態勢を立て直すため、男は私から離れようと、飛び去ろうとした。
「馬鹿野郎! そっちは!」
従兄弟の焦った声は、もうすでに遅いものだった。
私は己の剣を地面へと突き刺す。
その瞬間から、逃げようとした男の身体は動かなくなる。
「な、なん……!? うご、かない!?」
私が突き刺した地面は、先程壊れた壁から光が差し込み、男の影ができていた。私は男の影を地面へと縫い止めていたのだ。
これこそが、私の剣の能力、『風巻の影の剣』の力――人の影をこの剣で突き刺せば、その人は身動き一つ取れなくなる力だ。
身動きの取れない男を、私は素手で、殺した。
暗闇にしたのは、従兄弟の剣のためだけでなく、私の剣を封じるためだろう。私の剣は暗闇の中との相性は悪い。自ら光を発する炎の剣などは一見、相性が良いように思えるが、実際は炎のゆらめきにより影が動いてしまうので、相性はあまりよろしくない。
弱点は多い剣であるが、汎用性は高く、暗殺には適する。
残ったのは私と従兄弟。
小さな穴しか開いていないため、逃げることは不可能。倒すしか、ない。
一人倒し、なおかつ光を手に入れた私に少々有利になったが、無傷はやはり難しいだろう。
私は地面から剣を抜き、構える。
サディアス様への謝罪を心の中で唱えながら、私は走っていった。
* *
あれから一刻ほど経っただろうか。
むせかえる、血のにおい。
お互いに致命傷は避けて戦いは進んだものの、とうとう動けなくなり、戦いは終わりを迎えた。
「くっ……う、くそっ……」
従兄弟は血まみれで倒れている。死までもう時間はない。
一方私は何とか膝を折りつつも、倒れずに済んでいる。荒い息で従兄弟を見て、死ぬのを待っている。もう剣の一振りもできそうにないほど、消耗している。体中のいたるところに傷を負い、どくどくと血が流れていっている。
「ああ……う……オレ、死ぬ、のか……」
「…………」
「なあ……香……ない、か……?」
それまでの会話は無視していたが、もう死ぬ未来しかない従兄弟に、私は言葉を返した。
「……いいえ、ありま、せん」
「嘘をつけ……! アレがある、はず、だろ、う……! アレが……アレさえ、あれ、ば……」
一族の者である従兄弟もまた、香に支配されて生きてきた。暗殺が嫌だ嫌だと言いながら、香を手に入れるために殺してきた。彼が最後に求めるのも、それだったのだろう。
「いいえ。私は、全部、土の下に埋めたから……」
「土、の、した……」
従兄弟は寝返りを打つようにうつぶせとなり、――それすらも深い傷を負った彼にとってひどくつらかっただろうが――そして手で土を掘ろうと何度も掻く。
爪に土が入ろうとも、はがれようとも、ただ一心に土を見つめ、掘っていく。
「香……香……オレの香……」
つらい暗殺業のなぐさめとなる幸福感を与えてくれたのは、彼にとって、香だけだったのだろう。それこそが一族の狙いであり、それを求めて殺しをさせられてきただろうに、求めずにいられなかったのだろう。
こんなところにありはしないのに、従兄弟は何度も何度も土を掻き、……死ぬまで掘り続け、事切れた。
死ぬのを見届けて、私は自分の身体を支えきれず、倒れる。
死んだ後になって、従兄弟の言葉を思い出す。
『人を殺さずに生きて、それに何の意味があるのですか』……そんなこと、言ったことすら忘れている。しかし、言ってもおかしくないことはわかる。それは、私にとって今でも真実だからだ。
ああそうか、あのときか。その言葉を言った直後、私は従兄弟以外の裏切り者を全員殺した。裏切り者は見つけ次第即座に殺すよう厳命されていたから、逃げ出す算段を取ろうとしていた彼らを殺したのは当然のことだった。
私は人を殺すためだけに生まれた。虐げ、利用してきた一族への憎悪の気持ちは理解できる。しかし、人を殺さずに生きる私は、果たして『私』なのだろうか。
安穏と、人の死とは無縁に微笑む私など、演技以外ではありえない。
毎日毎日、人の死ばかり考えてきた。サディアス様の従者となり、彼を守るために、人を殺してきた。それが私の唯一知る、サディアス様を守る方法だったからだ。
男爵令嬢であったが、一族にはよく言い含められた。私の替わりはいくらでもいる、あくまで人を殺すことに長けていなくては存在する意味がないのだと。
……一族に育てられた者は、一族を憎悪するか、頭がおかしくなる。私は後者だったのだろうか。土を掻きながら死んだ従兄弟を見ながら、まぶたが落ちていく。
それでも。
それでも、サディアス様。
こんな私でも、サディアス様のことを心から守り、仕えたいと思ったのは真実なのです。
あの、従者としての忠誠を誓った、あの日から――