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絵画

 あれから、あの香の悪影響が出たり、出なかったりを繰り返した。やはり一度でも香を吸うということは、身体に重いことなのだ。飢餓感を何とかやり過ごし、耐えた。一度耐えきったことがあるのだから、二度目もできる、と自分を鼓舞して。


 そして国王への報告を何度か行った。


 そのたびに報酬として、ポリーを介して香を渡される。一度ポリーから、


「一体それは何なんですか? 香でしょうか?」


 と訊かれたが、曖昧に笑っておいた。


 彼女はこの香のことを何も知らないらしい。知らない世界で生きていくのが、誰にとっても幸せなのだ。


 保存しておいて、万が一、悪魔のささやきに惑わされたときに使いたくはないので、手に入れたと同時に私は人気のない庭の端に埋めている。燃やして、その煙を誰かが浴びても問題となるだろう、と思った結果の処分方法だった。


 ……ただ、本当にそれを欲したなら、土を掘り返すくらいするだろうというのが、懸念ではあったけれど。



 貴族の館には、多くの客人が訪れる。その相手をするのは女主人の仕事だ。

 その日、私は客人――同級生だったシリルに、館内に飾ってある絵を見せるため、案内していた。侍女としてポリーを連れて。シリルは侯爵家の貴重な絵を一度見てみたいのだという。


 壁にかかっている絵画を、応接間に近いものから順に説明する。中央階段をのぼり、踊り場まで来て、シリルと私は足をとめた。


 踊り場には一際(ひときわ)大きな絵画が飾ってある。それまで一つ一つ丁寧に説明していた私だが、その絵画の説明は言葉少なになった。


 なぜなら、それはサディアス様のお母上である、セラフィナ様が王妃時代に開いたサロンの絵だからだ。


 華やかなサロンに、画家や詩人、音楽家、思想家などが集まっている。セラフィナ様がパトロンとなり、援助していた人物たちだ。


 セラフィナ様はその絵の中央で王妃らしく笑んでいる。――後に、婚姻の無効を宣言され、王妃という地位を剥奪され、王妃として産んだ子すらも私生児だと言われるとは、このときの彼女は思ってもみなかっただろう。


 セラフィナ様というのは現在、あまりに政治的な存在となりすぎていて、説明が難しい。侯爵夫人として言質を取られるようなことは言えず、この絵を描いた画家の名前を言って、私は黙った。


 シリルもそのあたりのことは十分にわかっているのだろう。説明を求めることなく、絵画を眺めている。


 しかし、私が何の説明もしないことに、不満の声が階段の上からあがった。


「コーネリア。黙ってどうした。客人に失礼だろう」


 面白そうな顔をしたサディアス様だ。執事のハドリーを連れ、踊り場まで下りてきた。


 シリルは慌てて居住まいを正し、緊張した様子で挨拶をする。高位の貴族というだけでなく、王太子としてあった方だ。いかに同級生だったとはいえ、気軽に話すことはできないのだろう。


「妻の代わりに私が説明しよう。この絵は我が母の、王宮にいた頃を描いたものだ。実はこの絵を、母は見ていないのだ」


 そのいきさつを、サディアス様は説明する。


「母が王宮にいた頃、画家はサロンを描いた絵を母から依頼されたらしい。しかし絵ができあがる前に内乱が始まり、母が死んだ。内乱終結後には絵はできあがったが、王宮で飾られることはなかった。母は王妃ではないということで、王宮では買い取らなかったそうだ」


 よく、その画家はこの絵を王宮へと運んだものだ。第二王妃であったイヴェット様が、憎んだセラフィナ様の絵を欲しいわけがないだろうに。挙げ句にイヴェット様は美術品などはお嫌いな方だ。たとえその絵が草花の絵だとしても、買い取ったかどうか。


「弱ったその画家が、母の実家であるドランスフィールド侯爵家へとこの絵を運んできた。俺はこれまでのいきさつを聞いて、この絵を買い取り、今ここに飾っている。だから母は、この絵は一度も見ていないわけだ」


「そうなのですね……。その画家も、お見せする前に、まさか亡くなるなど思ってなかったでしょうね」


 そうシリルが感傷的に相づちを打つ。セラフィナ様の運命に同情的な気持ちで聞いていたのかもしれない。


 一方、その息子であるサディアス様は口の端に笑みを浮かべ、笑えない冗談を口にした。


「もしかしたらこの絵にいる誰かが、俺の父親かもしれんな」


 その発言に、シリルが凍り付く。私も思わず目を見開き、息を呑む。


 しかし、簡単に否定することも、笑い飛ばすこともできない言葉だった。


 内乱の和睦の条件の一つは、サディアス様をセラフィナ様の私生児だと認めること。


 感情的には、サディアス様は王族であり、国の頂点に立つに相応しい方はいない、と叫び出したい。


 しかし、シリルを目の前にして、感情のままに言い、噂が駆けめぐってそれが国王側へ知られれば窮地に立つ可能性もある。国王派が率先して、セラフィナ様の自堕落ぶりを広めているのだ。

 唇を噛みしめ、私はサディアス様の言葉を否定しなかった。


 シリルも困惑しながらも、口を閉ざす。


 しかし、思いもかけない人物が、怒りをまとっていた。


「何を馬鹿なことをおっしゃっているのです」


 いつもは陰鬱そうな執事のハドリーが、サディアス様に怒りをぶつける。


「セラフィナ様が先王陛下を裏切ったとおっしゃるのですか。誰よりも王妃として立ち回り、己よりも国や民を考え続けていた方が、裏切るはずなどないではありませんか」


 ハドリーが絵を仰ぎ見る。


「確かにセラフィナ様の周囲には多くの若い芸術家が集っていました。しかし、それが若い男にちやほやされるためと言うのは誤りです。セラフィナ様は自国の文化を育てようとしていたのです。おかげで彼らは今、セラフィナ様の援助により、芽を出し、この国独自の優れた作品を発表しました。それによって他国からも賞賛され、絵画や音楽は、外交の上でも有利な材料となっているではありませんか」


 彼がこれほど熱く語るのを、私は初めて見た。執事としての彼ではなく、その奥のハドリー個人としての感情なのだろう。ハドリーはセラフィナ様に仕えていたのだから。気持ちとしてはわかる。同じ立場でサディアス様を侮辱されれば、私も怒りをあらわにしただろう。


 しかし、この場にはシリルもポリーもいる。私はサディアス様と顔を見合わせる。このまま語らせるのはよろしくない。

 私の意図をくみ取り、サディアス様はハドリーを止めた。


「控えろ、ハドリー。客人の前だぞ」


 言われて、ハドリーは動揺しながら、失礼しました、と一歩下がった。


「執事が失礼をして、すまなかった。下がらせよう」

「い、いえ。気にしていません」


 シリルはハドリーが語っている間、呆然としていたが、サディアス様に謝罪されて、ようやく我に返ったようだった。


「それでは、他の絵画も紹介しましょう。なかなか目を見張るような絵画もあるのですよ――」


 私はそう言って、階段を上り始めた。さすがに、空気を変える必要がある。ハドリーはこの場から離れてもらった。


 ――それにしても驚いた。


 サディアス様とハドリーのことである。


 セラフィナ様に対して、彼らは対称的だった。ハドリーはあまりに感情的であり、サディアス様は逆に何の感情もないようにすら見える。


 サディアス様は、セラフィナ様のことをどう思っているのだろうか。本当に、自身に王族の血は引いていないと思っているのか。それとも、王族であることを信じながらも、演技をしているだけなのか。


 内乱の際の敵であったイアン王や先王に対しても、どのような感情を持っているのだろう。恨みか、憎しみか、それとも落胆か、悲しみか。


 お側で見てきた私にすら、サディアス様はあまりに平然としすぎていて、読み取れない。まるで、そんなことはどうでも良いと思っているかのように。

 セラフィナ様やイアン様、先王に対して、何一つ感情を抱いていないのではないか。彼らと血の繋がりがあろうとなかろうと、裏切られようと、赤の他人と同じくらいの価値しか認めていないのではないか。そんなことを考えたりもする。


 階段を上りきり、絵画が飾られている部屋へシリルを案内する。シリルは自由に見るから、と私たちから離れた。あまり私たちと関わりたくない、と思ったのかもしれない。


 しかし、それは彼にとって、悪手であった。


「ぎゃっ!」


 シリルが悲鳴をあげる。突如として二階の窓から男が現れ、窓近くにいたシリルの首筋に剣を当てたのだった。


 狙いはサディアス様か!? サディアス様の前に出て、剣を呼び出す。ポリーは侍女らしく「きゃあ」などと悲鳴をあげて震え、何もするつもりはないようだ。


 シリルを人質に取った男以外に、窓から二人目の男が現れる。


 男はすぐさま走り寄り、私めがけて長い剣を振り下ろす。サディアス様を後ろに庇いながら、一撃、二撃と防いでいく。剣は一撃一撃が重い。まずい、これは、玄人の剣技だ。


「サディアス様、行ってください!」

「しかし」

「ここは私にお任せを! 行ってください!」


 サディアス様は逡巡ののちに、私から離れ、部屋を出る。サディアス様を追わせるわけにはいかず、私は窓際まで男を追い詰める。


 ぎりぎりと剣の競り合いをしている相手が、私にささやく。


「国王陛下の命を伝える。俺と共に来るように、とのことだ」


 国王。命。

 私を監視者と知ってのセリフにしか思えない。


「サディアス様も連れて行くつもりですか」


 低い声で言うと、男は端的に答えた。


「いや、侯爵を連れてくる必要はないと言われている」


 ならば、最悪の事態ではない。これが何のための策なのかはともかく、国王から監視を命じられた私に、選択肢はない。従わなければ、サディアス様の命に関わるのだから。


 了承の意味を含めて動きを止めた私を、男は担ぎ上げ、そして窓から下りる。すぐ近くに用意された馬車に、私は押し込まれる。その瞬間、侯爵家の別の窓から、サディアス様が乗り出しているのが見えた。私が心配しないで欲しいとの合図を送る前に、馬車はカーテンが閉められ、そして私も目隠しをされた。

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