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舞踏会

 燕尾服をまとったサディアス様の腕に手を掛け、私はシャンデリアの光る舞踏会の会場へ足を踏み入れた。


 今日は、王宮の舞踏会だった。


 ことは、招待状が侯爵家に届いたことから始まる。


 ドレスが出来上がっていないから、病弱だというのを理由に私は多くの舞踏会に出ていなかったが、さすがに国王主催の舞踏会に出ないわけにはいかない。


 男爵家から持ってきた舞踏会用のイブニングドレスを、エイダによって少々手直しをして着ることにした。まだ侯爵家で頼んだドレスはできあがっていない。


 そもそも、国王主催の舞踏会は特殊な事情があって、華美なものは着ていけない。男爵家のドレスでも、侯爵夫人に相応しくないとは言われないだろう。


 紺色のドレスはスカートのふくらみも袖も抑えめだ。ただ、裾に向かうにつれて色が明るくなっていくところは、まるで夜明けのように見えて気に入っている。


 サディアス様が、国王主催の舞踏会に参加するのは、内乱後、初めてのことだ。

 何があるかわからない。できるだけ、そばについていたい。


 私の舞踏会の印象は、緊張をはらんだ、暗殺のための場所だった。暗殺対象を知るため、暗殺対象が一人になった隙を見計らうため、暗殺の依頼を受けるため……とにかく暗殺の印象しかない。それ以外を目的とした舞踏会は初めてだ。


 舞踏会の会場に目を向けると、すでに多くの貴族がいる。近づかないが、私とサディアスを見つめる人が多い。


 社交界デビューしたばかりの令嬢もたくさんいるが、地味な装いが多い。あれでは他に埋もれてしまうし、将来の夫を見つけるためのドレスとは思えないが、この舞踏会では仕方ないのだろう。


 王太后がいる舞踏会では――


 そんなことを思っていると、遠くに王太后陛下と国王陛下の姿が見えた。そして、先王陛下の姿も。


 イアン王は、集まった貴族達に声をかけている。

 ふと、私の報告をどう聞いたのだろうと思う。あれから、直接ではないが、私はサディアス様の監視の報告をしている。無論、サディアス様の不利とならないための報告だ。

 それは国王にとって、安心ではあろうが面白くない報告のはずだ。サディアス様が国王に従順だと安心して、この監視を解いてくれると助かるのだけれど……。


 一方王太后イヴェット様は、社交会デビューしたばかりの令嬢に厳しい視線を注いでいる。イアン様の母上でいらっしゃるイヴェット様は、イアン様によく似た金髪をきつく結び上げているが、その立場とは思えない質素なドレスと簡素な髪飾りを纏っている。


「そこのあなた」


 イヴェット様がそう呼びかけると、デビューしたばかりの令嬢は緊張しながらも、ドレスの端を持ち上げ、おじぎをする。そして名乗った。それは礼儀に叶っているが、問題はドレスだ。


 シルク地に華やかな刺繍で彩られ、パールを縫いつけられ、何枚も布を重ねたドレスは、一見しただけで高価で豪奢だ。未来の夫に選ばれるためのドレスとしては相応しいかもしれないが、王太后の前に出るためのドレスには相応しくないのだ。


「あなた、そんなに派手に着飾って、いくらお金をかけたのかしら? きらきら光って、あまりに下品です、見苦しい」


 王太后陛下にそう言われた令嬢は真っ青な顔をして、がくがくと震えた。


 ああ、かわいそうに。王太后が華美な装いをことさらに憎悪するという情報を知らなかったか、それとも、甘く見ていたか。


 現在、宮廷の女性の中心にいるイヴェット様にこう言われては、あの令嬢の居場所はないだろう。


 イヴェット様の華美な装い、華やかな式典嫌いは昔からだ。

 かつて第二王妃であったときから、変わらない。


 しかし、イヴェット様が第二王妃であったときは、こんな誰もが地味な装いの舞踏会ではなかった。サディアス様のお母上であるセラフィナ第一王妃がいらっしゃったからだ。


 セラフィナ様は貧しい芸術家などに多額の援助をし、華麗なるサロンを形成して華やかな生活を送っていた。彼女が宮廷の主導権を握っていたので、舞踏会も装いが派手な方ばかりであった。


 倹約を旨とし、芸術や儀礼的式典に金を使うことを無駄遣いだと断じ、質素な生活を送っていたイヴェット様とは、まさに水と油。


 その対立が決定的となったのは、イヴェット様がイアン様をお産みになってから。


 それまではお互い、無視し合うだとか嫌味の応酬で済んでいたところが、王位継承問題も絡んだことで、他の貴族を巻き込み、派閥同士の争いへと発展した。


 その結果、サディアス様は学生時代、数限りなく暗殺者に狙われることになった。


 そして争いは頂点に達し、あの内乱へと繋がる。


 私は国王一家の動きを注視しながらも、サディアス様へと目を向けた。他の貴族と談笑するサディアス様。


 サディアス様は、かつて敵となった異母弟を、先王を、どう思っているのだろう。それはうかがい知れない。


 ただ、先王の考えはわかる。先王はサディアス様の姿を見つけた途端、気まずそうに視線をそらし、別方向へ足を向けた。


 先王は内乱時にサディアス様側へとつかず、イアン様側へついた。本来、王位は第一王妃の息子であり長男であるサディアス様が継ぐのが当然のところ、イアン様に王位を譲り渡したいと漏らしたのが、内乱のきっかけだ。


 その結果、サディアス様は王位を手に入れられず、貴族として侯爵となっている。先王にとって、サディアス様と会うのはそれは気まずかろうと思う。が、イアン様はそうではない。


 イアン様はサディアス様を見つけると、一直線に向かってきた。


「やあ、ドランスフィールド侯爵。息災か?」


 周囲の貴族のざわめきが消え、静まりかえる。かつて内乱で敵同士となった者達を、周囲は固唾を呑んで見守っていた。


 サディアス様はこれ以上ないくらいの笑みをイアン様へ向けた。


「ええ、おかげさまで、落ち着いた暮らしをしております」

「それは良かった。私生児を産んだそなたの母も、喜んでいることだろう」


 イアン王の発言に、一瞬、貴族の方々の空気に不穏なものが混じった。


 内乱の終結のきっかけは、セラフィナ様の死であった。

 これがただの戦死や、病死であったなら、惜しむ声はありつつも何とも思わなかっただろう。

 

 セラフィナ様の死因は、自殺だった。


 あの内乱、戦局はサディアス様側に有利に進んでいた。ところが、先王が宣言したのだ。セラフィナ第一王妃との婚姻の無効を。


 婚姻の無効とは、離婚とは違う。そもそもセラフィナ様と性的関係がないと主張したのだ。すなわち、サディアス様が王の子ではない、セラフィナ様の私生児だと。


 それは追い詰められた末の宣言であったのかもしれない。貴族たちのほとんどは、顔をしかめてその宣言を聞いた。国王の結婚ともなれば、初夜に証人までいるのだ。それをぬけぬけと関係がないなどと、と見苦しさを感じていたはずだ。


 しかし、その宣言は効いた。セラフィナ様はその宣言を聞いた翌朝、自殺したのだから。夫に絶望したとも、誇りを傷つけられたことに抗議してだとも、言われている。


 セラフィナ様の父である、先代のドランスフィールド侯爵は、弔い合戦とばかりに反対を押し切り自ら戦場へと出たが、感情的になりすぎたためか大敗を喫し、侯爵自らも戦死した。


 これが決定打となり、和睦となったのだ。


 セラフィナ様の件は、非常に繊細な問題だ。あえてのイアン王のセラフィナ様を貶める発言は、サディアス様の激高を狙ったものだったろう。そしてそれを理由にして、サディアス様の陣営を崩すための。


 しかしサディアス様は笑みを崩さなかった。

 

「ええ、母も喜んでいることでしょう」


 こともなげにそう言った。

 イアン様にとって予想外の反応だったのか、面白くなさそうに顔を歪ませる。


「ふん。――そうだ、侯爵。そなた、僕に忠誠を誓っているはずだな? そこに膝を折って忠誠の儀を見せてみせろ」


 なんですって?

 忠誠の儀とは、主君へと絶対の忠誠を誓うため、膝を折るというものだ。


 無論、儀礼的なものであるが、この儀式は人生で一度のみしかしてはならないとされる、神聖な儀式だ。一生の忠誠を剣の女神へ誓う。


 王族は忠誠を受ける立場であるが、父王に対してであっても、他者に忠誠を捧げることはない。この王国の歴史上、王族に生まれて忠誠の儀式で忠誠を捧げた者はいないとされる。それが王族に生まれた者の誇りだった。


 それを、サディアス様がイアン様にしろと……?


「どうした、和睦の条件では、僕に忠誠を誓うというのも含まれていたはずだけど?」


 内乱の和睦の条件はいくつもあった。


 サディアス様が王子ではなく、セラフィナ様の私生児だと認めること。

 イアン様の即位に賛同すること。そして忠誠を誓うこと。

 その身はすみやかに王都へ向かい、そして今後王都を出ないこと。

 ドランスフィールド侯爵領のいくつかの領地の割譲。


 これらの条件を、臣下の誰一人も罪に問わないことを条件に、サディアス様は呑んだ。


 そしてサディアス様は王太子ではなくなり、祖父が戦死して母も亡くなっていることで、ドランスフィールド侯爵の地位を受け継いたのだ。


 和睦の際は忠誠を条件にはしたが、忠誠の儀式は行わなかった。さすがにそれを求めれば和睦はなされないと、先王側も判断したのだろう。


 しかし今、サディアス様を王族ではないから忠誠を誓えと、イアン様は言っている。


 イアン様の発言は、サディアス様の従者である私にとって限界を越えていた。これ以上、サディアス様を貶めるなど、許せるものではない。

 私は自分の身を倒れさせようと、ちらりと周囲を見る。私が病気で倒れたとされれば、妻の介抱のために、サディアス様がこの場から逃れられると思ったのだ。


 しかし、私の動きを察知したのか、サディアス様は自らの腕にかけた私の手を握る。何もするな、という意思だった。


 サディアス様は表情を変えることなく、イアン王の数歩手前で絨毯に膝をついた。


 そして『天頂の冠の剣』を呼び出し、その強さを示すために剣を三度斜めに振るう。そして主君へ敵意はないことを示すため、膝の前にその剣を横に置く。

 そして頭を下げて、両手をイアン王へと伸ばした。


 文句のつけようもない、忠誠の儀式が進んでいる。


 イアン王は困惑しているようだった。何か理由をつけて逃げると思っていたのだろうか。


 サディアス様が手を伸ばしたまま、儀式が進まない。


 うながすように、サディアス様が口を開く。


「どうされました? この後どうするか、ご存知でしょう?」


 イアン王は顔を強張らせた。


 この後は――主君が忠誠を受ける流れだ。すなわち、ごく近くまで近づき、伸ばした臣の手へ、主君の手を置く。そして忠誠を誓う者は、その手へ忠誠の口づけを落とすのだ。

 そして主君は祝福を授ける。『祝福』は人によって違うが、祈りの言葉であったり、武具であったりする。


 イアン王の戸惑いは、近くまで行かなければならない、ということだろう。


 サディアス様のすぐ足元には『天頂の冠の剣』がある。もしその剣を向けられたら、と考えているのだろう。そもそも忠誠の儀式は、お互いの信頼の元に成り立つ。そのような危惧を持っている者同士がするものではない。


 そもそも言い出さなければ良いだけの話だが、誇りゆえに受けるとは思わなかったのだろう。王族であれば、忠誠を誓わされるなど憤死してもおかしくないほどの苦痛だろうから、と。


 しかしサディアス様がそれをなした今、イアン王の危機であった。汗を流しながら、それでも一歩もサディアス様には近づかない。


 助け船を出そうと、イアン様の側近が、


「陛下、急ぎお耳にしたいことが」


 と言い出した。イアン様は明らかにほっとした顔をして、サディアス様を無視して、その側近と舞踏会の会場から出て行ってしまった。


 国王陛下がいなくなってから、サディアス様は膝を払いながら立ち上がる。パキン、という音が鳴りながら、彼の剣が消える。


 心配そうな顔をした高位の貴族がサディアス様に近づく。


「……大丈夫でございますか? まさかあのようなことを求めるとは……」


 かつては王族であったサディアス様が、臣下として忠誠を誓わされる、ということに対し、貴族の何人かは同情的に見ているようだ。

 誇りを何よりも重視する世界で、多くのことを呑み込み、従順に振る舞うというのは、どれだけ心中で苦痛を強いられたのだろう、と。


 同情的な貴族としばらく会話をした後、私とサディアス様はダンスをした。


 ゆったりとした音楽に合わせ、回りながら、やはり先程のことを考えてしまう。


 身体を近づけ、耳元で小声で話す。


「サディアス様、ご立派でした。さすがサディアス様です」

「和睦したときに、これくらいのことは覚悟はしていた。相手にその覚悟がなかったようだが」

「まさか、あの罠に素直に応じると思わなかったのでしょう」


 サディアス様は苦笑する。


「罠、な。あのようなものは罠とは言わん。浅はかな子どもの嫌がらせだ。しかし、あれの器の底がよく見えた」


 イアン王のことをサディアス様は冷たく評価した。

 子どもだから仕方ない、とは、私も言わなかった。


 燕尾服と地味なドレスばかりがくるくると回り踊る。


 王太后肝いりの奢侈(しゃし)禁止令が近々、発布される予定だ。すると、王太后の出る舞踏会だけでなく、国内の舞踏会は大人しいものとなるだろう。


 結果、王太后は満足するだろうが、服飾産業に従事する者たちに冬の時代が訪れる。この国で儲けることができないとなると、技術者は他国へ流出するだろう。


 舞踏会に、サディアス様の大叔父である老侯爵は来ていない。国王から、隠居して領地へ帰り、王都への立ち入らないよう命じられたからだ。奔放な発言が、国王は許せなかったのだろう。


 倹約を旨とする王太后は平民に人気がある。


 しかし貴族にとって、つらい時代がやってこようとしている。国王の機嫌、王太后の機嫌によって生活は変わろうとしていた。質素な服装を強制させられることは、彼らの誇りを傷つけるだろう。娘の婚約者捜しにも差し障りが出るだろう。学院への補助金が打ち切られ、子弟を通わせるのが難しくなったり、貴族に対しての税が上がったりしている。

 それらは国の財政にとっては良いことかもしれないが、貴族には不満となることばかりだ。


 それら全てを、国王が幼いから仕方ない、などとは思えないのが多くの貴族の考えだ。


 くるくると華やかに貴族達は踊り、回る。

 サディアス様は慣れた様子で、私をリードする。おかげで、踊りやすく、楽しいと感じるほどだ。


「……サディアス様とこんな風に踊れるとは、思っていませんでした」

「俺もだ。お前は身体を動かすのが得意だからか、俺に簡単についてくる。俺は今まで、お前と踊るほど自然に踊れたことはない」

「ありがとうございます」


 褒められて、思わず顔に熱が集まる。


 脳裏に浮かんだのは、赤いドレス。結婚した翌日、仕立屋に頼んだドレスのことだった。

 まだあのドレスは出来上がっていない。でも、もし、出来上がったら――


「サディアス様、あの、お願いがあります」

「なんだ? お前がお願いなど、珍しい」

「赤いドレスを作らせているのです。もし出来上がったら、また、踊っていただけませんか?」


 そのときは、奢侈(しゃし)禁止令によって、舞踏会に着ていくことができないかもしれない。

 けれど、私はあの赤いドレスで、サディアス様と踊ってみたかった。


「なんだ。当たり前の話ではないか。俺以外の男と踊りたい、など言い出していたら、怒っていたぞ」

「まさか、あり得ません」


 サディアス様は笑う。


 無事に終わったとは言い難い舞踏会だが、サディアス様と踊れたというだけで、色鮮やかに記憶に残る。


 舞踏会といえば、暗殺対象に近づくためだけのものだったのが、私の中で塗り替えられていく。サディアス様の妻になって良かった、と思った。たとえ、従者としてしか見られていなくても――

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