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彼女2

 ご所望の方。サディアス様の思い人の女性だ。


「そう、ですか。ではなるべく早く、会いに行きましょう……」


 と言いかけたところで、ポリーをどうするかを思案した。彼女は無論、連れて行けない。


「……ハドリー。すみませんが、これはごく内密に済ませたいのです。他の者には知らせずに会いに行こうと思います」

「そうですか。それでは、体調を崩してお休みになっている、ということとして、外出されるのがよろしいかと」

「ではその間、私の不在を知られないようにしていてください。無論、他の使用人にも」

「かしこまりました」


 そうして、私の予定の調整をして、向かうことになった。


 待ち合わせる場所は、南の城門近くにある閉鎖された神殿の前だ。

 王宮のある北側に近い場所の侯爵家から、かなりの距離がある。私は馬で駆けるつもりだが、相手にとっては不便極まりない場所だろう。


 もちろん理由はある。ガラスからポリーが監視しているのなら、できるだけガラスがない場所で会いたかったのだ。

 街中にはガラス窓はよくある。閉鎖されているため、窓も鎧戸で閉鎖されガラスの見えない神殿なら。そう思ったのだ。


 決行のその日、私は再び具合が悪いと言いだし、寝室にこもる。食欲もない、頭が痛いから寝室には誰も入らないでくれ、どうしても何かあるときはハドリーだけが入るように、と言って。


「具合が悪いそうだな?」


 サディアス様が外套をまとい、グレーの帽子を手に持ち、寝台の横に立っている。


「はい。たびたびのこと、申し訳ございません」

「そうか。俺は用事があるから外に出るが、無理はするなよ」

「はい」


 ポリーのことや、サディアス様の思い人のことを、言おうか迷う。この部屋の中なら問題はないだろう。


 けれど、なんだか、言い出せずに、サディアス様の後ろ姿を見送った。サディアス様の思い人に会うことを、後ろめたいような、情けないような、そんな気持ちになっていたのだ。


 全てが終わってから話そう。そう思いながら、本当に言えるだろうかと自分で自分を疑っている。


 とにかく、今はあの少女と会うことだけを考えよう。


 私は気配を殺し、他の誰にも見つからないように注意を払いながら、館を出た。


 神殿までは馬車は使えない。馬車を使えば御者に知られて、どこから情報がポリーに漏れるかわからない。王都の南側の下町を馬で走るには目立ちすぎるから、あえて王都を守る西の城門をフードをかぶって身分を隠して出て、外に出たら用意させていた馬に乗って駆け、南門に向かった。


 王都はぐるりと城壁に囲まれ、四方に城門があり、日が昇ってから日が落ちるまでの間だけ、門は開いている。


 王都の西は平原が広がり、南は森に囲まれている。平原には他の領地や他国へ向かう街道がある。その街道から南に目を向けると、森の中へ進む一筋の小道があり、南門に通じている。

 王都の東側から南に抜ける方法もあるにはあるが、東側も森となっているので、西側から向かうよりも時間がかかるのだ。北側は王宮のすぐ裏手から険しい山が広がっている。王都で平原に面しているのは西側だけのため、基本的に王都の出入りは西側の城門を基本としている。


 再びフードをかぶって身分を隠し、馬を引きながら、南門から王都へ入る。しかし入っても、また森が広がる。王都の中に残る、唯一の森だ。


 南門から森の中の神殿に辿り着いて、見上げる。神殿の煉瓦にびっしりとツタが這っていた。人が手入れしている様子はなく、今にも崩れそうだ。


 馬を下り、気配を探る。そこには小鳥の鳴き声が響き、人の気配はしない。あの少女はいない。

 まだ来ていないのだろう。ずいぶんと遠い場所を指定してしまったのだから、しょうがない。


 馬を縄で木に結びつけると、その隙に、と私は汗をぬぐい、入念に化粧のチェックをする。出てくる前に化粧はしているが、改めて口紅を塗り直し、おしろいをはたく。化粧が濃すぎるだろうか、いや、これくらいでいいはずだ。


 ただの貴族の令嬢であったなら、化粧など侍女に任せていたところだろうが、暗殺者として庶民の化粧をしたり、あえて派手な化粧をしたりと、暗殺の状況に合わせて、時に現場で行ってきたおかげで、自分で化粧をすることは慣れている。


 フードを取り、ドレスの裾が乱れていないかを見て、靴にも汚れがついていないか確認する。


 髪もほつれていないかを確かめながら、一体私は、なぜここまで見栄えに気を配って、緊張しているのだろうかと考える。あの少女の目にどう映るのかを考えて、侯爵夫人として完璧に見せるよう、なぜここまで気を配るのか。


 私がここに来たのは、サディアス様の思い人ということで、彼女を保護するためだけだというのに――


 あの少女の名は、パティという。ハドリーが教えてくれた。下町に暮らす、庶民だという。


 奥様の前に立つほどの礼儀はわきまえていないでしょう――とハドリーは言っていた。


 そのとおり、かの少女、パティはばたばたと走って慌てた様子で私の前に現れた。


「あ、お、奥様! すみません、遅くなってしまって! あの、はじめまして、あたしはパティと申します!」

「ええ、存じています。私はコーネリア。ドランスフィールド侯爵夫人とも呼ばれています」


 あの日のように、少女は栗色の髪を下ろして、庶民のドレスを着て立っている。手には籠を持っていた。


「え、えっと、ハドリーさんという方から、奥様があたしに会いたいと聞いたのですが……あ、あの、何か、いたしましたでしょうか」

「いえ……貴女は私に何もしておりませんよ。……夫がお世話になっているようで、そのことでお話をさせていただこうと思ったのです」

「夫……?」


 もしかしたら、サディアス様は素性や、結婚していることを言っていなかったのだろうか。


 サディアス様と彼女のためを思うと、言わない方がいいのかもしれない。けれど私は言うことにした。いずれはわかる話であるし、憎まれる対象は私であるべきだ。胸の奥でわき起こる、少女への嗜虐的な気持ちに見ないふりをして、冷たい声で告げる。


「ドランスフィールド侯爵。サディアス様。ご存知だと思いますが? 貴女と親しくしているでしょう?」

「侯爵……あ! あの貴族様ですか!? 金髪のような白いような髪の、背の高くて、若いのに威厳がある……!」

「ええ。そうです」


 パティは、ああなるほど、と何度もうなずきながら、けれど最後には首を傾げた。


「……え、知ってはいますが……それで、その、親しく、って……?」

「知らぬふりは結構です。夫が貴女に言い寄っていることは知っています」

「言い寄る? え? あの貴族様が、あたしを?」


 どこまで知らないふりを通す気だ、この女は。


 二人の間を応援するはずが、腹立ちが収まらない。


「……外聞もありますので、館を用意させました。そちらにお住みください。そこで、サディアス様と仲むつまじくお過ごしになればいいでしょう」


 館の手配は、ハドリーに任せた。誰にも知られないようにと。私自身が守ることも考えると、同じ館に住まわせた方がいいのかもしれないが、ポリーがいることから、知られない場所にした方がいいと思ったのだ。


「え!? あの、そんな、急に違うところに住めと言われても……」

「サディアス様の思い人ということで、貴女には危険がつきまといます。殺そうとする者も、誘拐しようという者も、貴女を脅迫して言うことを聞かせようという者も現れるでしょう」


 だから、守りの手厚い場所に住むように――そう言うはずが、私の口は別のことを言っていた。


「そのような危険の中に身を置いて、それでもサディアス様と共にありますか?」


 頭の中の冷静な部分が、こんなことを言って、離れていったらどうする、と焦っている。これでは二人を取り持つどころか、引き離すだけではないか、と。


 しかしもう一方の部分は、これで離れるならここで終わりだとも思っている。私が言っているのは事実だ。これで離れる程度なら、離れた方が良い。


 むしろ、離れなかったとき――それを私は怖れていた。


 そのとき、私は完全に敗北する。二人を認めざるを得なくなる。そんなことに、なってほしくない。


 なってほしくない? 何を考えているんだ、私は? まるで、まるで――


「あ、あの、奥様……何か誤解なさっているような……あたしとその貴族様は、そんな変な関係ではないですよ?」

「サディアス様から花を贈られていたでしょう。それで十分です」


 この少女にとっては何てことのないことかもしれないが、あのサディアス様が花を贈った、それだけで大きなことだ。


「花? 花って……あたしの花を何度か買っていただいてますが、贈られたことはありませんよ?」

「え?」


 パティは困惑しきったように、持っていた籠の上から布を取り払う。するとその籠の中には、いろいろな花が埋め尽くされていた。


「毎日、あのクラブの前で花を売っているんです。あの貴族様はよく花を買ってくださって、お得意さんなんです」


 花を贈ったのではなく……花を買っていた?


 事実に愕然として、言葉をなくす。


「ですから奥様、ご安心ください。貴族様は奥様のことを裏切ってらっしゃらないと思いますよ?」

「私は、そんな……」


 そんなことを確かめに、ここに来たわけじゃない。けれど、どうして安心しているのだろう。


 馬の(ひづめ)の音がして、そちらに意識を向ける。


 馬の足音は一直線にこちらへと向かい、そして止まった。

 馬上にいたのは、ここにいるはずのない人物だった。彼は笑いながら、馬から下りる。


「どうやら、人刃沙汰にはなっていないようだな。なかったことにする手間がはぶけたようで、良いことだ」

「……どうしてここにいるのですか、サディアス様」

「ハドリーに聞いたに決まっているだろう」


 まさしくハドリーは執事の鑑だ。黙っているよう言っても、言うべきことは旦那様へ報告をしている。


「俺がどう言おうと疑うだろうから、好きなようにさせたが、納得したか? コーネリア」

「……本当に、申し訳ございません」

「ああ、良かったです」

「パティさんも、申し訳ありません。お詫びに、そちらにお持ちの花を買い取らせてください。あなたの言い値で構いません」


 にっこり笑んで、パティは全ての花を差し出し、値段を提示した。暗殺者として庶民にまぎれたことがあるからわかるが、大分、ふっかけた値段だ。なかなか商魂たくましいと思うが、迷惑をかけたのはこちらなので、そのとおりの値段と迷惑料を追加して支払った。


 そうして、パティに手を振られながら、私とサディアス様は馬に乗って、西側の城門へ帰っていく。


「先日から、どうも様子がおかしいと思っていたら、こういうことだったんだな」

「ご迷惑を、おかけしまして……」


 小さくなって謝るしかない私である。


「まあよい。なかなか面白い趣向だった。女同士のいさかいというのも、見ている分には興味深い」

「趣味が悪くございますよ、サディアス様」

「といっても、そなたが一方的に敵視して、一方的に攻撃しているだけだったがな」

「……そう、見えましたか」

「ああ。まあ、従者として不審な女を近づけないためだったなら、上々だろう」


 真に愛する方と取り持つために来たのだとは、とても言えない状況だった。そして私がパティに言ったことも、そのためだとは、自分でも思えない。


 もう、認めざるを得なかった。決して認めてはいけないことを。


 私が、サディアス様をお慕いしていて、嫉妬していたのだと。


 サディアス様と他の方との関係を、祝福できないということを。


 従者として失格だった。サディアス様の幸せを考えられない行いだった。無様で、醜く、愚かしい。


 ただ、それでもそんな自分を認めた瞬間、どこかすっきりしていた。私は、サディアス様と他の方との間を、祝福などできない人間なのだ……。


 サディアス様に相応しくない妻となろうとしていた。けれど、それも終わりにしよう。他の方との間を祝福できないのなら、私はサディアス様に不快な思いをさせるべきではない。もう取り返しがつかないかもしれないが、従者としてしか求められていないかもしれないが、私はサディアス様のお側にいたいのだから。


「ところで……それでは、サディアス様の思い人とは、パティでなければ誰なのですか?」

「そなた、わからないのか?」

「は、はい」


 花を贈った相手だと聞いた。しかし、サディアス様が花を贈るところなど、見たことがない。


「……気にするな。俺のことを何とも思っていない女のことだ」


 愛し合っている、わけではないのか。


 かつてであれば、二人を取り持つために動きましょうか、と言っていたかもしれない。


 しかしこの件で私は何も言わず、その背を見つめる。その代わりに、言わなければならないことを告げた。


「あの、サディアス様。お話ししたいことが」

「なんだ?」

「私の、裏切りの話です」


 木々生い茂る森の中、私は語り始めた。国王にサディアス様の監視を命じられたこと、報告したこと、ポリーのこと……。


「サディアス様を裏切った罪。どのような罰も、お受けする所存です」

「……よい。そのような気はしていた」

「気付いてらっしゃったのですか?」

「何かあるとは思っていた。ハドリーも、エイダもな。国王の命令でお前が嫁になると決まったときから、ハドリーもエイダも、お前のことを間者だろうと疑ってかかっていた。だから心を許すな、と言われたな」


 エイダの厳しい視線を思い出す。敵だと思っていたから、あのような態度だったのだろうか。


「それでも俺は信じていたぞ? たとえどのような事情があろうと、お前が従者として、俺のために動くだろうとな。あの二人には渋い顔をされたが」

「サディアス様……」


 私のことを信じてくださっていた。その感激で、涙があふれそうで、思わず顔を上向かせる。


「ポリーのことはしばらく泳がせる。お前はこれまでどおり、報告をしてくれ。波風を立たせたくないのだ、今は」

「はい。承知いたしました。報告の内容につきましては、後で確認をお願いします」

「ああ」


 オレンジ色の光が、森を染め上げようとしている。


「そろそろ夕暮れだ。駆けるぞ、コーネリア」

「はい!」


 サディアス様が馬の腹を蹴るのに合わせて、私も馬を駆けさせる。


 オレンジ色の葉が勢いよく後ろへ去っていく。

 二人で風を切って馬を駆ける時間は、私にとって、かけがえのないものだった。

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