ひどい結婚式
かつて、サディアス様から従者となるよう求められたとき、私は何も言えなかった。
高貴なる白い薔薇を持っていた彼は、その棘で指先に傷を負っていたけれど、傷の痛みなどはないかのように、私を見て艶然と微笑んでいた。
――その数年後、まさか私の結婚相手が、お仕えしていたサディアス様となることなど、思いもよらなかった。
ドランスフィールド侯爵家の館の中にある神殿内で、私とサディアス様は隣り合って立ち、 剣の女神像の前にいる司祭の話を聞いている。周囲には私とサディアス様の親類が集い、この式が無事に終わるのを待っている。
――いや、この結婚を望んでいる者など、誰もいなかった。
男爵令嬢である私と、ドランスフィールド侯爵であるサディアス様では、同じ貴族とはいえ、あまりに身分も血筋もかけ離れすぎていた。
「なんとひどい結婚だこと」
小さな声でそう吐き捨てるようにつぶやくのは、サディアス様の従姉妹の公爵夫人だ。
サディアス様側の親類は皆そろって、この身分違いの結婚式を嫌悪感に満ちた顔で見ている。
かといって、私の親類が喜んでいることもない。粛々と行われていくこの儀式を義務的に見守るだけである。
この結婚式は、この場にいる誰一人として望んでいないものだった。
私の父や兄は内乱で亡くなり、男爵家を継ぐ男子がいなくなった。このままではまずいということで、一族は私に親類の中から婿を取らせ、男爵家をつなげようとした。
しかし、そうなることはなかった。
貴族の結婚には国王の許可がいる。その許可が下りず、そして男子を養子に迎えることもできず、男爵位は遠縁の男へと渡った。
先日国王に即位した陛下は、それまで滅多なことでもなければ許されていた貴族間の結婚を、許可しないことが多い。これも、その中の一部の例だ。
さらには、国王陛下は私に命じた。
ドランスフィールド侯爵の妻になるように――と。
この結婚式が、準備を急がせて挙行されたのは、ひとえに国王陛下の命令によるものだった。
私の実家の一族だって、望んでなどいない。身分違いの結婚は貴族社会で白眼視される。そんなことは一族の誰もが望んでいない。
ひどい、式だった。
ちらりと横目で見ると、サディアス様は白銀のさらりとした髪を揺らして、署名をしているところだ。
サディアス様は、どう思っているのだろう。
……決まっている。誇りを傷つけられたと、憤っているに違いない。国王からの命令だからだと、苦渋の決断をしたのだろう。
なにせ私は、学生時代、サディアス様の従者だった。従者であった女と結婚するなど、考えもしなかっただろうに。
かつての主の内心を慮り、胸が痛みながらも、止められようもない。
彼は署名を終え、私に羽根ペンを渡す。
そして私も、震えながらも自分の名を記した。
コーネリア=シェリンガム、と。
夫婦のサインが終わると、証人の署名が必要となる。通常、こういった場合は夫婦の両親のどちらかが署名するものだが、残念ながら、私たちは二人とも両親がいない。
代わりに、それぞれ親類から一人、署名をもらう――はずだったのだが。
私の遠縁であり、先日男爵となった方からの署名はすぐに終わった。
しかし、サディアス様の母方の祖母の弟……かなりのご高齢の侯爵は、むっつりと黙ったまま、署名をしようとしない。
「大叔父上、サインを」
サディアス様がそう呼びかけても、首を横に振る。
高位の貴族としての、最後の抵抗だったのだろう。
「儂は、そなたの結婚の証人となることを厭うているのではない。これが、貴方様にふさわしい花嫁であったなら、喜んで署名したことだろう」
しかし、と私を忌々しそうに身ながら、言葉が続く。
「かつて貴方様に仕えていた女がどうしてここに平然と立っているのか、儂は理解できん! このような結婚、ドランスフィールド侯爵家のみならず、貴方様自身を侮辱し、貶めるだけではないか!」
張り詰めた空気の中、他の誰もが声を発せられずにいた。老侯爵の物言いは、この結婚を決めた国王に対して不敬の域にまであった。
私が、真に心根のまっすぐな娘であったなら、己の身分の低さに胸を痛め、はらはらと涙を流していたのかもしれない。
けれど私は、無言で表情を変えなかった。
全ては今更の話に、この期に及んで何を言っているのだろう。
私にも、サディアス様にも、拒否権はないことだ。
申し訳なさそうにでもすればいいというのだろうか。サディアス様に対しては申し訳ない気持ちもあるが、他の人間には何も思わない。
サディアス様は、老侯爵の言葉にあきれたように息をつき、笑った。
「こんな紙切れ一枚のサイン、何を惜しんでいるのです。
わかりました、ではこうしましょう。私が大叔父上の名を代わりに書きます」
……紙切れ。
私はなぜか、気持ちが沈んだ。結婚の誓約書を、こんな紙切れと。サディアス様はそう思っているのか。そうか。私との結婚を、そう思っているのか。
正しく、間違っていないことのはずなのに、私はうまく消化できない。
感情を表に出したのは私ではなく、老侯爵だった。
「な――! 代わりに署名するなど、何を――」
「そうすれば、こんな紙切れも、こんな形ばかりの式も、終わりということでよろしいですね、司祭様」
「いえ、さすがに、それは――」
司祭はあわてたように首を横に振るが、サディアス様は笑んだまま。
「何か問題でも?」
「証人ご本人のサインでなければ……」
「大叔父上は御年七十を数えます。サインをするのも大変だろうと手助けするまでのこと。サインをする意思はあります。ねえ、大叔父上?」
「それは……」
「こたびの結婚は、国王陛下の命令。従わない者などおりましょうか。ならば署名しないという結論などあり得ない。でしょう?」
彼の口から、国王陛下、という言葉が飛び出したとき、この場の空気は極限まで張り詰めた。そんな空気を意にも介さず、サディアス様は、ねえ、と老侯爵をうながす。
老侯爵はうめきながら、あきらめたように大きな溜息をつき、そして自分の手で署名をした。
「それでは皆さま、祝福の剣を」
参列者が全員、手を己の胸の前に置く。そしてほぼ同時に、何もなかった手の内に、全員剣を手にしていた。
この国は、世界を治める八女神のうち、剣の女神の祝福を受けている。この国の者なら誰であろうと念じれば、何もないところから手の中に剣を生じさせ、消すことができる。
訓練は必要だが、少なくとも大人になる頃には誰もが自分の剣を手にする。そのため、式典の際には剣を呼び出すことがよくある。
それぞれの手に持つ剣は、大きさも性質も人によって違う。ある人は大剣であり、ある人は細いレイピアだ。
この場では見ることは出来ないが、剣には雷や光などの属性があり、その属性も人それぞれだ。
参列者は祝福の意を示すため、それぞれの剣をかかげ、そして氷が割れるような音と共に消し去った。
このときをもって、私とサディアス様は、夫婦となったのだった。
「ひどい式だったな」
式が終わり、退出していく者達の中、従兄弟の一人が私にそうささやいた。
白髪であるために年上に見られやすいが、私と数歳しか変わらない。凄惨な過去の経験から、十歳のときには全て白髪になった者だった。元は私と同じ黒髪だった。
その若さで全て白髪など、染めているのではないか、と何も知らない人が言っているのを何度も目にしている。
けれど同じ経験をした私からしたら、生きているだけで幸運であり、白髪になるくらいで済めば良い方だったろう。
この白髪の従兄弟は、国王陛下の許しがなかったため、私の伴侶とならなかった男でもある。
そんな過去はまるでなかったかのように、従兄弟は快活に笑いながら、私に言う。
「どうだ、式を迎えての感想は。嬉しいか? 寂しいか?」
「さあ」
強いられたサディアス様のお心を思うと、素直に喜べるはずもない。かといって、国王陛下の命令なのだから、老侯爵のように人前で不満を口にできるはずもない。
おざなりな私の返事に、従兄弟はしげしげと私を見やる。
「お前ほど一族に染まりきった奴はいないだろうな。その無表情の下で何を考えているのか、オレにはわからん。オレがお前の立場だったら、泣いて喜んだだろうに」
うらやましい、と従兄弟は笑ったが、それは冗談でもなく真実だっただろう。
たとえ一族の業から離れられなくとも、一族自身からは逃れられるだろうからだ。
お幸せに、などと去り際にうそぶいたのは、従兄弟なりの皮肉だ。
一族から逃れても、私はサディアス様と幸福な家庭が築けるとは、欠片も思っていなかった。