セリウスと野猿の出会い
あれは、10年前のこと。
このランダード王国の第2王子として生まれた僕、セリウス・ランダードは、8歳の時に、自分の婚約者となるメナード公爵家の令嬢リーリア嬢との顔合わせのため、メナード公爵家を訪れた。
公爵家の応接室に通されて、公爵、公爵夫人、リーリアの兄で、もともと面識のあった同い年のアーサーと挨拶を交わした。しかし、肝心なご令嬢がなかなか現れなかった。
セリウスが、何を出し惜しみしているのかと、いいかげん不敬と思われる程、待たされてイラついた時だった。
応接室から見える木々生い茂る庭の奥で、屋敷の使用人ばかりか、先ほどまで応接室で挨拶を交わしたメナード公爵夫人までも、そこで騒いでいる様子であった。
もしや何かリーリア嬢関連のトラブルか?
そう思った僕は、応接室で待たされている間、僕の話相手をしていたアーサーや侍従の制止も振り切り、庭に出てみた。
そこで僕がみたものは、
2m以上の高さがある木々をつたって俊敏に移動する生き物がいた。
野猿だ!
その時、僕は確信した。
以前、読んだ本に載っていた「野猿」という生き物は、南のアレース地域に生息し、見た目は人間に似ているがサイズは小さく、全身をほわほわの茶色の毛でおおわれている。主に木の上で暮らし、木々をつたい、俊敏に移動し、人間には及ばないが、知能は普通の動物よりも高いとされていた。
僕は、その本を読んでから、野猿を見てみたく、できれば飼いたかった。
もし飼うのなら、きちんと躾けて、うんっと可愛がりたい。
父上に何度もおねだりしたが、野猿は捕まえるのが難しく、飼いならすのも困難と言われ、あきらめていた。
それがこのメナード公爵家にいたのか!
僕は感動して、木々をつたい逃げる生き物を夢中になって追いかけた。
やっと追いついたのは、庭の端の一角であった。
そこは、壁に子供が通れるくらいの穴の開いたところがあり、その近くの木からスルスルとスムーズにその野猿は降りてきた。
僕はその穴から逃げるつもりだとわかったので、野猿が逃げ出さないようにその穴の前で立ちふさがった。
そして、木から降りてきた野猿をしみじみ観察した。
その野猿は葉っぱがくっついているが茶色のふわふわの毛を持ち、瞳の色は若葉のように鮮やかで透きとおるように美しい緑色をしていた。
身につけているのも若草色のカジュアルドレスで、おそろいの色のポシェットをしていた。
どおりで木々と一体化していると思った。
嬉しくなった僕は最高の笑顔で野猿に話しかけた。
「はじめまして、リーリア?
僕はこの国の第2王子セリウス・ランダードで、君の婚約者だよ」
そう、野猿と思われた生き物は、僕の婚約者のリーリア嬢であった。
全体的な見た目は、髪と瞳は先ほど挨拶したメナード公爵に似た色彩であったが、大人しくしていれば顔立ちは美少女の部類に入れる。髪の毛には木々の葉っぱをたくさんつけていたが、彼女がつけていると、汚いというよりもむしろ髪飾りのようになぜか可憐であった。
リーリアは、とてもたくましく、それでいて非常に可愛かった。
「なっなっ、あなた、まさか…」
と顔を真っ赤にして、不測の事態に言葉がつまっている感じのリーリアもいい。
ニコニコしている僕を押しのけ、壁の穴から往生際悪く脱出を試みようとするリーリアへ、ちょっと苛立った僕は、リーリアのお腹を後ろから抱えた。
リーリアは僕より2歳下と聞いていたが、体は小さく、僕でもそのまま抱っこできるため、あばれるリーリアをしっかり抱きしめて、彼女を探しているみんなのところへ連れて行った。
「いやー!はーなーしぃーてー!!」とジタバタするリーリアであったが、逃さないようにしっかり抑え込むように抱えた。
「「リーリア!!」」
メナード公爵とアーサーが鬼の形相でやってきた。
ちなみに、メナード公爵夫人はリーリアの危険な逃亡劇に失神してしまったらしい。
「リーリア!お前は一体、何をやっているのだ!!」
「逃げちゃダメってあれだけ言ったでしょう?全くもう。」
メナード公爵とアーサーが交互にリーリアを叱る。
「ご、ごめんなさい……」
すっかり涙目のリーリアにうっとりした僕はつい、抱えているリーリアの目尻に溜まった涙をちゅっとキスですくいとった。
その様子に驚く、メナード公爵とアーサー。
「な、なに?やだ!」
小さな手で僕の顔をぎゅーっと押しやり、キスを嫌がるリーリアにむっとした僕は、さらに嫌がらせのようにリーリアにちゅっちゅっちゅーっとキスをふらせた。
無言のアーサーに、抱っこしていたリーリアをべりっと引き剥がされて、奪われたセリウス。
「何をする、アーサー!」
「あなたこそ、僕の妹に何してくれるんですか。気安く触らないでください」
「は?あれくらい、普通だろう?
兄上も僕によくするぞ。おまけに僕はリーリアの婚約者だ!」
「ああ、(ブラコン馬鹿の)ルシェール殿下ならやるでしょうね、それくらい」
「わかったなら、リーリアを返せ!」
「当家は生憎、婚約者だからと気楽に触れさせる方針ではございません」
「いいから、返せ!リーリアは僕のものだぞ!!」
「いいえ、リーリアはまだ当家のものです。そうですよね、お父様?」
アーサーがメナード公爵に同意をもとめるが、メナード公爵は、手で目を覆い、天を仰いで震えていた。子供3人のやりとりが、あまりに可愛過ぎて感動してしまっていた。「て、天使たちが……」
大丈夫か?
アーサーと僕はメナード公爵を同時に心配した。
とりあえず、僕はリーリアを抱っこし直そうと、アーサーの手から彼女を取り返そうとするが、アーサーはなかなか渡さず、リーリアまでもアーサーにしがみつき、僕の方に来ようとしない。
そんな状況に苛立った僕は、アーサーと取引きすることにした。
アーサーの耳元に、でもリーリアには聞こえないように囁いた。
「君の婚約者、スージー・マスケット伯爵令嬢の弱点を知っているのだが、知りたくないかい?」
「なっ!それはどういう……」
僕はにっこり笑って、両手を差し出した。
アーサーはかなり迷っていた。
リーリアと僕の両手へ交互に視線を行ったり来たりさせて、どうするか決めかねていた。
でも、結局、アーサーはリーリアを離さなかった。
僕は大きいため息をついた。
しょうがない、もうひと押しか。
再び、アーサーの耳元で囁いた。
「最後のチャンスだよ。これはあのスージー嬢を1週間は泣かせられるネタだよ」
そして優雅に微笑む僕に、アーサーはとうとう観念してリーリアを渡してきた。
「でも、妹には気安くキスしたりしないでくださいね」と釘をさしてきたが……。
アーサーから渡されたリーリアは、一瞬、兄に裏切られたことに顔をしかめたが、すぐに逃げようとジタバタと抵抗した。
しかし、僕もさほど抵抗する隙を与えず、リーリアをしっかり抱きしめた。
なんだろう、この優越感と安堵感は!
再び、自分の腕の中に戻ってきた生き物にいとしさがこみあげてきて、強めに抱きしめてしまった。
「ちょっ!くーるしぃーい!!」
僕は、リーリアのわめく声すらも、本当にいとしくて、そのまま抱きしめた状態で、正式な婚約手続きをするべく、メナード公爵家の応接室に向かった。
10年前のあの日、野猿を飼ったら可愛がろうと思った以上に、リーリアのことを大事にしようと決心した。
あれから、10年たった今でも、その気持ちは変わらず、むしろ誰よりもリーリアを独占したいという思いは募る一方であった。
今、建てさせているリーリアとの結婚後の新居には、あのメナード公爵家にあった時と同じような庭木を植えている。
もちろん、今のリーリアには危険なので木登りをさせようとは全く思わないが、将来、リーリアとの間に生まれた子に、あの時の野猿のようなたくましく、やんちゃな子供がいれば良いなと思い、環境を整えている。
ちなみに、リーリアとの新婚旅行先は野猿の生息する南のアレース地域も行く予定である。
まだリーリアとの幸せを邪魔しようとする愚か者たちは絶えず、たとえリーリアの親友だろうと義妹だろうと隣国の王族だろうと邪魔するなら容赦なくそいつらを排除する面倒な毎日である。
けれども、リーリアさえ傍にいてくれれば、そのたくましさと可愛さとちょっとのお馬鹿加減で、僕は癒される日々を過ごせている。