番外編 従者マルセルの悩み
マルセルは「ヒロインの去った後で」に登場する、野猿なリーリアがセリウスの浮気相手と勘違いした美女に扮していたセリウス殿下の従者です。
マルセル・コールが、このランダート王国の第2王子セリウスの従者となったのは、学院に入学したばかりのセリウスが15歳で、マルセル自身が18歳の時であった。
マルセルは一応、コール男爵家出身であるが、次男のため跡継ぎでもないので、王族の従者となった。
そして、セリウスが学院を卒業し、あたらしく情報省を立ち上げたため、引き続き従者をやっているマルセルは、正式な所属は王宮勤務であるが、セリウスの情報省の仕事も秘密諜報部員扱いで、よく手伝っている。
そのうちの一つが、美女レベルの女装をした任務であった。
マルセルの女装はすごかった。
そんじょそこらの女性が太刀打ちできない程の美女に化けてしまう。
それは、マルセルの顔立ちはもともと整ってはいるが、全体的にパーツが地味であり、いつも一緒にいるのが輝くばかりの美形のセリウスであることからも、より一層、普段は地味顔の従者と思われがちであった。しかし、目や唇などを女性らしく強調するだけで見事な美女ができあがった。ついでに女性並みに肌もきれいで、体つきも危険に対処できるだけの筋肉もついているが細身で、しかも、なで肩の着やせするタイプのため、コルセットをしてドレスを着れば、やや背の高い女性にしか見えなかった。
そのため、女性に頼めないような危険が伴う潜入捜査や交渉には、マルセルが行かされるようになった。
ある時、ランダード王国から離れたとある小国の姫君、シェーラ姫が命からがらランダード王国まで亡命してきたことがあった。その姫君の身代わりとして、マルセルがしばらく、姫のふりをするように指示された。
美女に扮して、シェーラ姫の身代わりになったマルセルの護衛として、姫と一緒に亡命してきた数人いる騎士のうち、1人がつくことになった。
名前をエルベシュ・トードといい、彼は不幸なことに、美女になってからのマルセルしかみたことがなかったため、悲劇的喜劇が起こった。
「……シェーラ殿下。いえ、あなたの本当のお名前をお教えください」
「……真面目に任務についてくださいな。エルベシュ殿」と冷たく突き放すマルセル。
「姫、どうか、私と結婚してください。私にはもう祖国に家族もおりませんので、この国に骨を埋める覚悟です。なので、結婚を前提にお付き合いください」
「お断りします。勤務中に何をおっしゃるのですか……。そもそも姫に忠誠を誓われたのでは?命をかけて姫をここまで連れてきたのに、本当に何をおっしゃっているのやら」
「もちろん、本物のシェーラ姫には忠誠を誓っておりましたが、あなたのことは運命としか思えません。姫にそのことを伝えたところ、私のみ、このランダード王国に残る許可をくださいました。セリウス殿下もランダート王国へ残るのを認めてくださるそうです。今まですっと笑顔が消えていた姫が、その話の間中、輝くばかりの笑顔になり、全力で私の恋を応援してくださるそうです。だから、どうか、私を受け入れてください」
(それって、姫君は私が地味顔の従者(男)と知っているから、面白がって笑われただけだろう。セリウス殿下も普通に男だからと断ってくださればいいのに、面白いから放置したな。しかも、なんだか、あの姫君はセリウス殿下と同じ腹黒い愉快犯な臭いがするな……)と嫌な予感でいっぱいのマルセル。
美女の役をやっている時は、マルセルはマリーと同僚に呼ばれている。
それを聞いたエルベシュは、早速、マルセルにお願いする。
「どうか、二人っきりの時はあなたのことをマリーと呼ばせてください」
「……いや、二人っきりでも任務中なのでシェーラ姫と呼ばないといけませんよ?そうしないと身代わりの意味がなくなりますので、お止めください。ちなみに、その名前も任務用の仮名ですから」
「……そうなのですね。では、この任務が無事に終わりましたら、是非、本当のお名前をお教えください」
「いえ、任務が終わったらもうお会いしませんし」
「お願いです。そうおっしゃらずに……」
「お断りします」
きっぱり、さっぱりマルセルが断っても、あきらめないエルベシュ。
エルベシュへ男であることをばらせば、すぐに終わる話の気もするが、もし万が一、男でもいいと言われたらとても怖いので、なかなか言い出せないマルセルであった。おまけに……。
「この度、シェーラ姫から許可をいただき、正式にセリウス殿下所属の部下になりました。あなたと同じ情報省に所属です。マリー殿には同僚としても今後もおつきあいさせていただきます」と嬉しそうにエルベシュが言ってきた。
ええー、同僚になるの?嫌だな~。
いつ男だってばらせばいいのかな。もうばらしても大丈夫か?
と悩むマルセル。
そんなマルセルは王宮侍従部所属で、女装のマリーは情報省の秘密諜報部所属になっている。ということは、またマリーとして任務があると、このエルベシュと一緒に仕事をする可能性が高い。地味な男とばらして一旦、引いても、仕事を一緒にするマリーの時の姿を見て、やはり、それでもいいからと言われたら、心底嫌だなと思い、ますます悩むマルセルであった。
シェーラ姫の件が解決し、無事にエルベシュとの仕事から解放されたマルセルが実家に戻ると、普段はマルセルと同様に王宮で働くマルセルの妹、エリーがいた。
「あれ?エリーも王宮の仕事、お休み?」
「はい、お母様に呼ばれまして。お兄様もこちらにお帰りだったのね」
「うん。長い任務が終わったんで、まとまったお休みをもらったから」
そんな話をしながら、マルセルはじっと、自分とよく似た地味顔の妹エリーを見つめた。
この妹はマルセルとよく似ていて地味顔であり、一応、男爵令嬢であったが、もう適齢期も過ぎようとしているのに、婚約者もまだいない。
そこで、マルセルは、あのエルベシュを妹エリーに押し付けることを思いついた。
「エリー。君は、好きな人とかいる?
もしいなければ、本来の性格は真面目で、恋に一途な元騎士なんか男性として好みかな?他国出身だけど、もちろん結婚歴もなく、見かけもまあまあいい」
「え?お兄様、紹介してくださるの?そんな方なら理想的でとっても好みです!
お母様ったら、ひどいの。私を呼び出しておいて、狸みたいな年配の方の後妻の縁談とか持ってきたのよ。だから、もっとましな人がいいと思って、実はお兄様にお友達を紹介してもらおうと思っていたのよ」
「そっか、それならちょうどよかった。ならエリー、紹介するにあたってちょっとお願いがあるのだけど……」
「まあ、マルセルお兄様がお願いなんて珍しいこと。何ですの?」
「うん。ちょっと面倒なんだが……」
そういって、マルセルはエリーを私室に連れていき、エルベシュとの事情を話し、もう特殊メイクではと思えるくらいに変化が激しい化粧をエリーに施してみた。
おー!女装した自分、マリーにそっくり!!
マルセル自身でも驚くほど、化粧をしたエリーと女装のマリーはよく似ていた。おまけに、性格も兄妹でよく似ているので言動ややることも似ていて、これならいける!と確信するマルセル。ちなみに、マルセルはマリーになるための簡易メイクセットをセリウスの命令でいつも持ち歩いている。
「お、お兄様?どこでこの技術を?まるで、私でないみたいなメイクです」
「とっても綺麗だよ、エリー。これでエルベシュを落としてくれると助かるよ」
「はい!こんな変身した自分なら、自信がつきそうです。お任せください」
「……変身だね。確かに」
「これなら、お兄様の女装に夢中な方こそ、落とせますね!
私も狸親父と結婚しないですみそうで嬉しいです!!」
兄妹、ともに利害が一致した瞬間であった。
セリウスから、エルベシュにマルセルが男と明かす時は、フォローするからセリウスの前でカミングアウトするように言われているため、数日後、メイクしたエリーも連れて、セリウスの執務室でエルベシュへカミングアウトすることになった。
セリウスの執務室に呼び出されたエルベシュ。隣室にはマリー風メイクのエリーが待機中である。
呼び出されたのはどうしたことかと、やや不安げな様子であり、マルセルが側にいてもマリーと気付いていないようであった。
もちろん、セリウスはその様子をニヤニヤ笑って見ている。
「えっと、エルベシュ殿。私のことはわかりますか?」
「は、いえ、初対面だと思われますが、セリウス殿下のおつきの方ですよね?」
「はい。普段はセリウス殿下の従者をしておりますが、先日までエルベシュ殿と一緒に仕事をしていました。同僚になるということで、明かしますが、シェーラ姫の身代わりをしていましたマリーことマルセルです」
「は?」
「その、あの時は暗殺の危険があったので、普通の女性にさせられないため、私が女装をして任務についておりました」
「……ご冗談を」
「いえ、本当です。セリウス殿下の命令でやむなく……」
ばっとエルベシュはセリウスの方をみて、嘘だと言って欲しがった。しかし……。
「うん、あのシェーラ姫の身代わりの女性はこのマルセルなんだ。あの仕事をする時はマリーと呼ばれているけどね。マルセル、よくいうセリフをマリーの声で言ってみて!」と愉快そうなセリウス。
マルセルはマリーの時はややハスキーではあるが、女性らしい声で話せるように訓練されている。
「わかりました。『真面目に任務についてくださいな。エルベシュ殿』、あるいは『お断りします。』……おわかりいただけたでしょうか、エルベシュ殿」
「な、なんと!!間違いなく、マリー殿の声ですね。でも、そんなことが……」と言って、目が飛び出さんばかりに見開き驚くエルベシュであるが、まだ信じられないようである。
「よく、変身していると言われます。男だったので、おつきあいをお断りしておりましたが、実はですね、私にそっくりな妹がおりまして、まだ婚約者もおりません。それでもし、エルベシュ殿が、妹にご興味があれば是非、紹介させていただきたいのですがよろしいでしょうか?」
「え、妹さんですか?……お会いしてみたいです」とちょっと戸惑い気味のエルベシュ。
「はい。エリー、入ってきて」とマルセルが隣室に声をかけると、エリーがおずおず入ってきた。
「マ.マリー殿!?あなたが本物のマリー殿なのでは!?」とマリー風メイクのエリーに驚くエルベシュに、いっそ、エリーがマリーと言おうかと悩んだが、同僚になるなら、正直に言うことにするマルセル。
「いえ、あの任務をしていたマリーは私で、こちらが妹のエリーです。普段はこの王宮で侍女をしております。マリーとは別人ですよ」
「エリー・コールです。初めまして。兄がお世話になっております」
「あ、初めましてエルベシュ・トードです。こんなにお美しいのに婚約者がいないのは本当ですか?」
「はい。婚約者はおりません……」と言いつつ、特殊メイクをしていることを言うべきかとちらっと兄をみるが、兄に目で(黙ってて!)と言われ、もともとこの顔ですというフリをすることにした。
エリーに会ったエルベシュの行動は早かった。
エルベシュはエリーの前に片膝をつくとすぐにエリーにプロポーズをしだした。
「エリー殿。
あなたに初めてお会いしたが、あなたに一目ぼれをしました。
正直にいえばマリー殿にも同様に恋をしましたが、あなたの兄と言われた時点で、その気持ちがあなたを求める幻であったと自覚しました。そして、あなたにこうしてお会いするための過程だったとも。私は他国出身ですが、この国に残り、運命で出会えたあなたと一生、共にいることを願います。
どうか、結婚を前提におつきあいください」
「はい!喜んで!!」とエリーも頬を赤く染めながら、喜びいっぱいで了承した。
エルベシュの容姿、職業、年齢、全てにおいてエリーの好み、ど真ん中であることも幸いした。
ここに、国を渡っての素敵カップルが誕生した。
二人の去った執務室で、セリウスとマルセルが今回の件で話をしていた。
「マルセル、よかったね~。無事に収まって」
「はい。妹も狸親父の後妻にせずに済んでよかったです」
「え?そうだったの?あんなに美人なのにねー」
「普段はこの地味顔にそっくりな顔ですから」
「そっか。あのメイクのおかげか。マルセルとマリーは本当に別人だもんね~。リーリアが誤解して、僕との浮気を疑うくらいだしね」
「そうですね」
「シェーラにもこの顛末を教えなきゃ。
マルセルにあんなそっくりな妹がいて、あそこまでうまくいくとはね~。
ふふふ。よくやったマルセル!ご褒美をあげようかな。
だって僕はシェーラに勝ったよ!!」
「……勝ったとおっしゃいますと、賭けでもなさっていましたか?」
「うん!シェーラは『マルセルがエルベシュに落ちる』に賭けて、僕が『エルベシュはマルセル以外の女性に落ちる』に賭けていたの」
「……そこは主人として、賭けなどせずに、さっさとエルベシュ殿の誤解を解いてくださいよ」
「いや、シェーラに止められちゃって」
(やっぱり、愉快犯か、あの姫君は!!)とマルセルはエルベシュの元主人のシェーラ姫へ苛立った。
「でも、本当にマルセルが危なくなったら、助けるつもりで、エルベシュに紹介する女性も何人か考えていたんだよ。マルセルが妹を連れてきてくれて必要なかったけどね」
「あ、そうだったのですね」とちょっとセリウスを見直すマルセル。
「いやー、あのシェーラは手強かった。
さりげなくエルベシュを洗脳していてね、男同士でも大丈夫的な思想本とかこっそり読ませようとしたり、色々と策を練っていたりするから、阻止するのが大変だった。
だから、実は、マルセルの貞操はかなり危なかったんだよ。あははは」と笑うセリウス。
それを聞いたマルセルは、自分の予感が当たっていたことにぞっとした。そして、ちょっとだけセリウスに感謝した。
本当にちょっとだけ。
もしセリウスが『マルセルがエルベシュに落ちる』に賭けていたら、自分は今頃、確実にエルベシュの嫁だったかと遠い目をしてしまうマルセルであった。
後日、マルセルは女装したマリーの姿でエルベシュと組んで仕事をすることがあった。
前のように口説かれるようなことはなくなったが、時々、熱い目で自分を見たり、やたらボディタッチをしたり、身の危険をわずかに感じてしまった。
ただ、それを抑える言葉も手に入れたマルセルは、今日も大いにそれを使って身の安全をはかる。それはとても効果的だった。
「妹に言いつけるぞ!!」