02. 昏い月、微酔を帯びて(part3)
そういえば死期が近いと黒い影が見えるらしい。
とはいっても、今見たのは月光に晒された所為であんなに黒かったに違いないが……。
死に怯えるほど、生に縋る執念はもはや無い気はするのだが、さっきのは俺の見間違いであったと信じ込もうとするもう一人の自分がそこにはいた。生きる意味などは既に消失してしまったものの、社会人生活四年目にして早くも死の予兆と向き合うなんてなんて流石に御免だ。
とにかく、目の前に待ち受ける喫茶店のように、その〝雰囲気〟からある程度あの影の存在が読み取れてしまった。これが真実や事実とは限らない。だが、人生で初めてだった。こんな予言めいた感覚は。だから、いや、だからという接続の仕方はおかしいかも知れないが、どうせなら予言は的中していて欲しいと願っている。
まもなくして例の喫茶店の入り口までやってきた。通りに面したすぐ横の窓からは、店内を照らす暖かな光が漏れていた。扉にはOPENと書かれた小さな看板が掛けられている。その扉の前でしばらく俺は立ち止まっていた。この瞬間の俺は何も考えるものが無かった。単に呆然と立ち尽くしていた。
数十秒の空白を経て、見知らぬ力に引き寄せられるがごとく、導かれるままに扉へ手を差し向けた。さっきまで立ち尽くしていた時間が一体何処へ行ってしまったのだろう。今、数十秒の空白は虚無と化したのだった。
そしてカウベルが鳴る。扉の向こう側では、すぐさまこの店のマスターと思われるやや老いた男性と目が合った。五十代後半だろうか。際立って特徴的ではないのだが、白が混じった髭が目に付いた。彼は愛想よく、
「いらっしゃいませ」
とカウンターの奥から声を掛けてきた。彼はすぐ傍のカウンター席に座っていたこの店の常連と思しき男性と目を見合わせて、その後俺を見て微笑んだ。
すると今度は、その客の男性が振り返って、俺を見て微笑み、
「よかったらどうぞ」
と言って、隣のカウンター席に招いてくれた。初めて来た喫茶店だというのにこんなこともあるんだな、とマスターとその男性による誘いを素直に嬉しく思った。当然、男性の隣に座ることにした。
周囲を見渡すと、他の客は三、四人程度。それぞれテーブル席で過ごしている。一人自分と同年代と思われる若い女性が居て、場違いな印象を受けた。彼女はノートパソコンを見つめていた。僅かに見えた顔が結構可愛らしく、ちょっと気になった。