侍の子が二人 場所は伏す
十年前のことであった。
××藩 (名は伏す)にて、元服を迎えようかという年齢の少年は、親友に今までの生涯でどうしてもわからなかったことを問い正してしまった。
「ソウさん。何故、武士は正々堂々としなければならないのだろうか」
親友は、ため息をつく。
「甲、お前のわからないことを人に訊く癖は、嫌いじゃないが、今になって何を言っているんだ?」
少年は、優秀とは言えぬ男であった。人よりも学問にも剣にも遅れがあった。けれど武士の子として、父と母の子として恥ずかしくない侍になるために努力し、わからないことをわかる人に訊き、喰らい付く毎日であった。
けれど、一番大事な疑問だけは、誰にも訊けずにいた。それを訊いても、誰も答えてくれないだろう。馬鹿にされるだろうから。
「ソウさん。私は先生や父上から、武士としての在り方を、幾たびも幾たびも教えられてきた。でも実際には、悪い奴が、ずるい奴が偉そうに、弱い奴に卑怯な手段を取っている。武士ならば、どんな手を使っても勝たなければ意味がないということなら、何故ソウさんだけが正しくあろうとするんだ」
きっと、こんな質問をすれば、軽蔑されるだろう。けれど、言わずにはいられなかった。
親友は、黙って聞いて、そして答えてくれた。
「甲。これは、俺の父上の言葉だが、天下太平の世の中において、侍なんていらないんだよ。それでも、俺達が支配者階層であるならば、人の上に立つに相応しい人間でなければならないし、そうでない奴がいるからと言って、振る舞いを変えることはできない。今から何百年か経って、もし武士と言うものがなくなったとしても後の世の人に日の本の武士には詰まらない奴しかいなかったと言われたくないじゃないか」
その答えの正否は、若かりし頃の熊沢甲兵衛にはどうでもよかった。
ただ、自分と同じ年頃の友人が、自分にはない答えを、堂々と応えてくれたことに。
己の不明を恥じ、ただ相手に憧れた。
きっと、彼のような男こそが、人の上に立つに相応しい人間なのだ。
自分に、この腰にさした大小二つに意味があるのならば、彼のような男を守るためにあるのだ。
そう、思い、決意したのだった。
その夜。
××藩 (名は伏す)の藩士が一人、惨殺死体となって発見された。
まるで熊の爪ででも払ったかのように傷口はえぐれ、ほぼ胴体が切断されかかっているような状態であり、何でどのようにすればそのような状態になるのか、皆目見当がつかなかった。
その者は、藩全体を巻き込んだ不正事件に関わった中心人物であり、怨恨の関係でも捜査が勧められ、その事件で切腹した別の藩士、波切壮介の嫡子 波切左右助にも嫌疑がかかる。
しかし、元服前の子どもにあのような破壊ができるとは到底考えられず、すぐに忘れられた。
それから十年。
何も解決せず、その事件はなかったもののように、誰も口にしなくなる。
波切左右助は、その間に立派な武士に成長し、さらに父親が不正には関わっていなかったこともつきとめ、その潔白を証明してみせた。
そして、父の役職を受け継ぎ、江戸藩邸にて務めている。
あの無残な死体が生まれた夜から十年。
合馬四年の江戸にて。
熊沢甲兵衛は、浪人になっていた。