1-2
次の目覚めは、前回よりも唐突に、そして、どこか懐かしい、慟哭と共にやってきた___。
「このたびは、誠に御愁傷様です」
「このたびのご不幸、まことに残念でなりません」
「心よりお悔やみ申し上げます」
皆、様々な言い回しではあったが、要約するとこの三言で十分だろう。
使われるのは一般的なお悔やみの言葉ではあるし、振舞われる態度も一般的なものだろう。
だが、そこには確かに哀愁の雰囲気が流れている。
それを鑑みるに故人は、本当に心から悔やまれるほどには、周りから信のある人物だったのだろう。
言ってしまうならば、ごくごく一般的な、よくある葬祭のひと場面。
悲しみに耐える人々の中、まるで全くの無関係な第三者のような目線で、そう客観的な評価を故人に向ける、故人の一人息子がいること以外は___。
「まさか、この幼さで孤児になるとはなぁ」
皆が故人を惜しみ、その悲しみに浸かる中。幼さと縁者を喪った者への配慮から、別室で休むように親戚であろう人間に言い渡された故人の一人息子は、この状況への心からの感想を口にした。
「おかげで、せっかく育ち始めていた種が死んでしまったし、その代換えに僕は引っ張りだされるし、なんか今回、不幸の度合高くないか?」
五歳でこの状況は初めてだ。
と、およそ五歳児には似つかわしくない思考と冷静さで、言葉の割には少しも悲観した様子のないその一人息子。
「せめてあと三年後だったら、種も育って、僕の一部という自覚も芽生え始めてただろうに。そうであれば種も死なず、僕も出てこなくてよかったのに……」
ぶつぶつと、吐き出される言葉は鬱々としたものであるのに、吐き出している当の本人は、さして気にしてもいないような無表情。
その顔には、本当に、なんの表情も浮かんでいない。
___そう、悲しみすらも
「確かに種の記憶は僕にも共有されているものだけどさ、言うならば何処か遠くから他人の人生を静観してる、そう、映画を見ているようなものなんだから、この僕の感情までは共感されないっていうのに……」
このどう仕様もない(周りと本人ではどう仕様もない部分の認識が違う)状況に、しかし、恨み言くらいは言いたいと。
用意された布団に身を投げ出しながら、誰も聞いていない、誰にも聞かせるつもりもない独白が続く。
「とりあえずは、親に先立たれた哀れな子供を演じつつ、僕の動きやすい環境作りのための準備も並行しますかねぇ」
どうせ引っ張りだされたのならば、今回は少しばかり派手に動くとしますか。
そう締めくくりつつ、今後の予定を脳内に書き出していると、次第に眠気が忍び寄ってくる。
精神はともかく、肉体はただの五歳児でしかないのだから、22時もすぎたこの時間に、起きているのが不思議なくらいだ。
「まぁ、今日はもう寝ようかね。この前目覚めた時もそうだったけど、この身体は、まだ幼いのだし」
___これから、この身体と共に時を刻まなくてはならないのだから