ACT:10 砂漠の涙
前後左右砂だらけの世界に、長い銀髪を風に遊ばせている背の高い青年――クラウンと、クラウンの影の中に入り込み強い日光を避けている小さな妖精――ナルヴィが居た。
二人は次の町もしくは都市に向けて歩いていたが、その際砂漠越えをしなくてはならないらしく、黙々と砂漠を突き進んでいたのだ。
「あー、砂漠ってあつい……。もう溶けちゃうよ」
「日陰で涼んでいる奴の台詞じゃないな。……まあとにかく、あそこの岩のそばでしばらく休もう」
クラウンが指差したのは、クラウンの目でやっと見えるくらい遠くにある岩だった。
なのでもちろんナルヴィには見えない。ナルヴィが首を傾げるのも無理は無かった。
「岩って……。ねえ、どこにあるのさ?」
「ん? ――あ、見えないか。しばらく歩いたら見えるだろ」
そう言って、クラウンは大またで歩き始める。
これが、本来クラウンの普通のスピードだ。
今まではあまり体力を使わないよう普通の人間が歩くスピードで歩いていた。が、休憩するための場所に向かうためなら、さほど気兼ねもしないということなのだろう。
岩との距離はどんどん縮まり、あっという間に岩の前まで来た。
「ふう、休憩するか」
待っていましたといわんばかりに、クラウンは岩の陰に腰を下ろした。
ナルヴィはもちろんクラウンの膝の上――丁度影になっている部分――にちょこんと座った。
まず、クラウンは水筒を取り出して唇をぬらす程度に飲み、ナルヴィにも勧める。
水筒をしまうと、今度は携帯食料を取り出して、パサパサした固形食糧を一袋食べた。そして、日が暮れて砂漠の寒い夜がやってくるまで、二人揃って眠り込んだ。
砂漠の昼は灼熱地獄だが、夜は極寒地獄だ。一番なのは明け方の日陰……のはずだが、クラウンは日陰が涼しいのをいいことに眠っている。
4時間後、完全に日が落ち、砂漠の砂に残っていた僅かな熱も完璧に逃げ去った頃、クラウンは目を覚ました。
自分の膝の上を見ると、まだナルヴィは眠りこけている。
「まったく……凍死するぞ」
クラウンはナルヴィの頬を指の先で軽くつつく。するとナルヴィが飛び起きた。突然起こされたのだから眉根は少しつりあがっている。
「もう! もっと他の起こし方はないの!?」
「ない。第一、ナルヴィはちいさいからな」
「んなぁっ!? ぼ、僕だって好きで小さくなったわけじゃあないんだからね!」
ナルヴィが神界から落ちてきてもう一ヶ月が経とうとしている。ナルヴィはようやく地上での生活に慣れてきたみたいだが、上級魔法を使おうとして使えなえないという事を思い出したり等、まだ感覚的には慣れていないようだ。
特に、身長については完璧に慣れていない。普段から、自分の前の目線と同じ高さで飛んでいるせいで、例えば丸太に腰かけようとすると、その場で座ったような格好で飛んでいるということが多いのだ。
クラウンはとりあえずナルヴィと永遠に言い争っているつもりは無かったので、ぐるりと周りを見渡した後、そっと立ち上がった。
「ほら、行くぞ」
「わかってるよ!」
いちいち声を荒げるナルヴィにあきれつつも、クラウンはどんどん先へ進んでいった。
しばらくして、初めに風景の異変に気がついたのはやはりクラウンだった。
「段々、なにか建物の残骸のようなものが増えてきたな……」
クラウンたちが一休みした岩をさかいに、砂漠の砂の中に石柱や石壁がばらばらの状態で突き刺さっているという光景が段々増えてきていた。それらは、先へと進むにつれて数が増えていくものの、なんらかのストーリー性のある配置でもない。
「遺跡が風化して崩れたのかな?」
クラウンはすかさず地図を取り出し、自分たちが横断している砂漠に遺跡群があるか細かく確かめた。 ……が、結局それらしいものはどこにも書いていなかった。
しかし、かわりにオアシスと書かれている点があった。
「砂漠のオアシス・サンティエの町、か」
オアシスといわれても、水の気配すらない廃墟の群れを信じられない気持ちで眺めた後、ここがサンティエの町だったと証明できるものがないか探し始めた。
小一時間後、クラウンは町の中央部と思われる場所で、町が栄えていた頃はシンボルとして活躍していたであろう石像を見つけた。
「ナルヴィ、これを見てみろ」
クラウンは石像の裏を指差した。暗い中、月明かりだけでナルヴィが目を凝らすと、そこにはうっすらと「オアシスの町、サンティエの栄華を願って」と書かれているのが読み取れた。
「あ……これ。 クラウン、この町はなぜ滅びなければならなかったのだろうね」
クラウンは静かに首を振ると、石像をもとあった場所に戻し、近くにあった石柱に腰を下ろした。
「水の気配がしないから、きっと水が涸れてしまったのだろう。町の人々は、仕方なく他の町に移り住んだ――。そんなところじゃないか?」
そして満天の星空を仰ぎ見る。ナルヴィもつられて夜空を見上げた。
――ぽつり。 ひんやりとしたなにかが、いきなりクラウンの頬に落ちてきて、伝った。
「えっ!?」
またぽつり、ぽつりと冷たいものが落ちてくる。それが伝った跡を指で拭ってみると、それは水滴だということがわかった。
「あ、雨? 砂漠に?」
砂漠には雨は滅多に降らない。降っても一年に十回あればいいほうだ。その雨が、今、まさに降っているのである。クラウンとナルヴィはただ驚き、砂漠では神の恵みに等しいその水を、全身で受け止めた。
「ねえクラウン。僕、ちょっと気になったんだけど……」
「ああ、俺もだ。確かめてみるか?」
しばらくして、雨が本格的にザアザアと降り出した頃、クラウンとナルヴィは互いに気になったことを確かめるべく目配せをし、先程発見した石像を、クラウンが持ち上げた。そして、ナルヴィが石像に話しかける。
「石像に閉じ込められているのはどなたでしょうか? よければ姿を現してください」
ナルヴィが話しかけると、石像は薄ぼんやりと輝き始め、そして中から水の衣を纏った妖精が姿を現した。その目からは、涙が溢れ零れ、頬を伝って水の衣に滴っている。
「私を呼んだのは、あなた方ですね」
その妖精は涙をそのままにしながら、クラウンとナルヴィを見つめた。
「ええ、そうです。少しお尋ねしたい事がありましたので」
妖精は全てはわかっているという顔をして、頷いた。
「じゃあ話は簡単だ。あんた、この町をオアシスにしていた張本人だろう?」
妖精は僅かに頷くと、さらに涙を零した。 雨はいっそう強くなる。
「私は、ほんの少し前――。人間の時間間隔で言うと、つい五百年前といったところでしょうか……私が仕えていた神の元に、人間の男が現れたのです。彼は自分の故郷が砂漠と化し、町民が水不足で困っているのを見かねて、神に水の湧く湖がほしいと頼みにやって来たのでした。神は、その男が神に仕えることと引き換えに、私にその砂漠の町に行って湖を作るよう命じました。そして小さな小さな湖をひとつ、こしらえたのです。それから町民は生活には困らなくなりましたが、欲望は段々と強くなっていったのです。私を石像に閉じ込めると、雨を沢山降らせようとしたり湖を大きくしようとしたり、やりたい放題でした。私はそんな人間に嫌気がさして、雨を降らすのを辞めたのです。そうしたら、一年も経たずに湖は涸れ、人々は水不足にあえぎ、死ぬか町から出て行くか、どちらか選択肢はなくなりました。そして、この町が完全に廃れたその時、私は自分が大変なことを犯してしまったと気付いたのです。しかし、そう思った頃にはもう遅く、町はすでに廃墟でした」
妖精はいっきにそこまで語ると、弱弱しく微笑んだ。
「私は神の元に戻れません。そして、大事な町を一つ、滅ぼしてしまったのです。ですから、またこの町に湖を作るために、こうして定期的に雨を降らせているのです」
妖精が壮大な話を語り終えると、ナルヴィが遠慮がちに訊ねた。
「湖は、完成したのですか?」
すると妖精は首を横に振った。
「まだ、ほんの少ししか。けれど、私は何年かかってでも、湖を甦らせるつもりです」
クラウンがそっと視線を遠くに移すと、そこには水溜りとしか言えない湖が存在していた。
クラウンとナルヴィは、砂漠を抜けて平原に辿り着いた。そしてあの妖精は、未だに砂漠に涙の雨を降らせているのだろう。