プロローグ 雨の平野
平野の一本道を、一人と一匹が歩いていた。
今日の平野は、雲ひとつ無い、蒼い空に見守られていた。
一人の名前はクラウン。
一匹の名前はナルヴィ。
クラウンは銀髪を腰の辺りまで伸ばしていて、瞳はラヴェンダーの色をしている。顔立ちは整っている。白く袖の長いチュニックの上に革の上着をはおり、膝下まである革のブーツを履いている。
ナルヴィは金髪碧眼で、髪はショートに切ってある。まだ子供なのか、童顔だ。服はクラウンと同様のチュニックに腰の辺りでベルトをしている・チュニック下に灰色のタイツに白のブーツ。背中からは白い小さな翼が二対生えている。
ナルヴィの飛ぶ速さにあわせて、クラウンは歩いている。
ただ歩くといっても、早歩きより速い。
クラウンははぐれエルフで、自分の種族を明かそうとはしない。
ナルヴィは、色々な事情で妖精の姿にされてしまった、神様だった。
太陽が南中高度を過ぎたあたり。クラウンが急に立ち止まった。
「どうしたの、クラウン?」
ナルヴィは急停止して、クラウンのほうへ向く。
「いや、森が恋しいと思ってさ。しばらく休息を取ろう」
「いいよ。僕はそこらへんを散策してくる」
ナルヴィは胡坐をかくクラウンをおいて、更に先へと進んだ。
「気をつけろよ、ナルヴィ。墜落しないように」
「クラウンこそ、アビスに連れ込まれないよう、注意したほうがいいよ」
お互い憎まれ口を叩くが、それはいつもの挨拶として成り立っている。この二人、付き合いは随分と長い。
ナルヴィが行ってしまうと、クラウンは腰に下げているポーチの中からティーセットを出して、お茶を沸かした。
淹れ終わったお茶を、簡易カップを取り出してすする。
先ほどまで雲ひとつ無かった西空に、小さな黒雲が現れた。
「これは、降るかな」
クラウンは黒雲を面白そうに眺め、呟いた。
陽が傾き、さっきまで蒼かった空がオレンジや朱色に染められている頃。やっとクラウンの元にナルヴィが戻った。その頃には、小さな黒雲は大きな黒雲へと変わり、空の半分を覆いつくしていた。
「クラウン。これじゃあ雨が降るからさ、さっさと先へと進もうよ」
ナルヴィがクラウンにそう提案したが、クラウンは首を振り、
「久しぶりの雨でも、堪能しようじゃないか」
と、口元に微笑を湛えて言った。
「クラウン、僕濡れるのだけはごめんだよ」
と、ナルヴィはクラウンの上着の中に隠れた。
「まったく。雨に濡れるのはどんなに気持ちのいいことか……」
「でも、服を乾かすのが大変だからね。解ってる?」
「ああ。解ってる」
クラウンは仕方なく、というかんじで、この平野には少ない、葉の生い茂った木の幹に寄りかかった。
「これでいいだろ」
「土砂降りになっても安心だね」
そう言って、ナルヴィはクラウンの上着から出てきた。
「森の中に居たら、雨なんて問題ではないのにな」
「ホント。早く森に入りたいね」
二人は雨を待ちながら、夕食として携帯食料を食べた。
陽が完全に落ちた頃。平野の野草に、一つの雫が天から落ちてきて、当たった。
もう空は完全に黒雲に覆われていた。
一粒が合図だったのか、次から次へと雨粒が落ちてきて、やがて激しい雨となった。
「うわ、クラウン。もうこんなに土砂降りだよ」
「すぐに止む雨だ。明日には晴れているよ」
「そんなこと、聞いてないよ」
ナルヴィは木の枝にちょこんと座り、降る雨を見つめた。
「オーディンの気まぐれか、ロキの悪戯か」
そんなことを呟いたナルヴィを見上げて、クラウンは笑った。
ある平野にある、ある村。
午後になって、急に雲が出てきた。初めは小さな黒雲だったのに、嘘のように成長して、夜には雨を降らせている。
半年振りの、雨だ。
村人は喜び、はしゃぎ、農作物も水を吸って喜び、豚や鶏も、人間と一緒になって駆け回った。
「お母さん、雨だよ、雨だよ!」
「まあ、本当にねぇ」
ある親子は互いに抱きしめあい。
「神よ、我村を救っていただき、有難うございます」
この村の村長は、神にお礼を何度も繰り返していた。
翌朝。すっかり晴れた平野の草むらに、冷めたお茶の入った簡易コップが、転がっていた。
「にしてもさ、クラウン」
「ん、なんだ」
朝露に濡れた草を踏みしめ、クラウンは普通の速度で歩いていた。
「クラウンが天候操作の呪を使うなんて、珍しいことでもあるんだね」
クラウンは先日、乾ききっていた平野に雨を降らせた張本人である。
「あの日はたまたま、空に黒雲が存在したんだ。それに水分を吸わせれば、雨を降らせる巨大な黒雲にもなるさ」
ナルヴィは納得したようなしないような複雑な表情で、クラウンの肩に座った。
「そんなもん?」
「ああ」
クラウンは朝日が眩しい空を見る。
「そんなもんさ」