第6章:女神よ、微笑んで
【SIDE:宝仙星歌】
素直になれるという事。
自分の望むように生きられる、甘えたい人に甘えられる。
……そういう生き方が私は羨ましい。
私は自分の生き方が好きではないから。
素直になんてなれなくて。
言いたい事も、ためらってしまい言えなくて。
私の心に芽生えている想いと向き合うのが怖い。
たったひとり、私が好きになってしまったのは義理の兄。
蒼空お兄様の事は最初、怖かったのを覚えている。
私が幼稚園のとき、男の子に苛められた事があった。
理由なんて忘れてしまったけれど、些細な事だったと思う。
怪我をしたわけでもないし、すぐに周囲の人間に助けられた。
でも、それ以来……私は男の子が苦手になってしまった。
だから、両親の再婚で兄が出来ると知った時に私は思った。
『男の子なんて誰も同じ……近づきたくない』
兄妹になっても、私は蒼空お兄様と距離をとり続けた。
私の妹、夢月は私と違い、兄妹らしく甘えたり、遊んだりしていた。
今にして思えば……私は羨ましくもあったのかもしれない。
実際のお兄様はとても優しい人で、私みたいな子でも妹として可愛がってくれた。
お兄様と仲良くなるきっかけ、傷ついた小鳥を世話するまでの空白の2年間。
私とお兄様の間にある空白の2年は、夢月と彼の間に絶対的な信頼関係を育んでいた。
今でも私より夢月の方がお兄様は妹として接している気がする。
私の目から見ても、“素直”“純粋”そんな言葉の似合う夢月は可愛い。
正反対に甘えるのも下手、気持ちでさえも私は夢月に負けている。
さらに先日、お兄様が好きだけど、夢月も彼を好きでいることに気づいてしまった。
彼に告白をした夢月、私は影でそれを見ていることしかできなかった。
正直、私は夢月を双子の妹として羨むことの方が多い。
私と彼よりも、あの子の方がお兄様はきっと幸せになれる。
そう思い、一歩引こうとするけれどできなかった。
叶わない恋かもしれなくても、自分の気持ちぐらいは残しておきたくて。
未練と執着……想いを捨て切れないのは私の弱さ。
私はいつも素直になれなくて、そんな自分が苦手なんだ。
蒼空お兄様と一緒にいられる時間が愛しいなら、少しくらい素直になりなさいよ。
その日は日曜日、朝から雨が降っているのを私はリビングで眺めていた。
私は雨が好きだった。
湿気は苦手だけど、窓の外を打つ雨の雫が綺麗で、見つめているだけで飽きない。
それに雨がやめば綺麗な七色の虹がでる。
子供の頃に見上げたとても大きな虹が私の頭から離れることはない。
だって、それはお兄様との思い出でもあるから……。
「……星歌?」
「お兄様。おはようございます」
「おはよう。珍しいね、星歌が自分で起きるなんて……」
いつも朝の弱い私はお兄様や夢月に起こされている。
寝起きが悪いのは自覚している、それが私の弱点であることも。
「たまにはひとりで起きますよ。なんて、嘘です。実は……昨日、眠れなかったんです」
「おいおい、徹夜か?女の子なんだからちゃんと寝ないと身体を壊すぞ。それとも、何か悩みでもあるのか?」
「いえ、そういうのではなくて。えっと……昨夜は新しく買ったばかりの本を読んでいて、気づいたら朝だったんです」
私が照れくさそうに言うと彼はそっと私の頬に触れる。
「星歌は夢中になると周りが見えないからな。ひとつのものに集中できるその集中力はすごいけれど、夜更かしはいけないぞ」
「すみません、お兄様」
「まぁ、夢月と違って星歌は自分の事をしっかりと見ているから安心はしてるさ。どういう本を読んでいたんだ?」
お兄様は私に軽く注意するだけで、話を変えてくれる。
そういうさり気ない優しさ、気配りのできるところが私は好きだ。
「言うのも恥ずかしいですけれど……恋愛小説です」
「恋愛小説?」
「夢月に薦められて読み始めたら私もハマってしまって……。なんていうか、読んでいると落ち着くんです。私にはそういうの似合いませんか?」
「そんなことないさ。星歌だってちゃんとした女の子なんだから。恋に興味を持って当然だと思うよ。……それにしても、星歌が好きになるのはどういう人なんだろうね」
私は思わず『お兄様です』と言ってしまいたい衝動にかられる。
でも、結局、その言葉は口から出ることもなくて。
「理想的なのは優しい人です……。いつかそんな人と出会えるといいですね」
好きな人を前にしても、誤魔化してしまう。
夢月ならはっきりと言えるはず……あの子の大胆な性格が少しだけ欲しい。
「星歌は朝飯はまだだろう?今から作ってやるから、待っておいて」
「私もお手伝いしますよ」
「いいから。……雨を見ていたいんだろう?星歌は雨を見るのが好きだもんな」
「……お兄様。ありがとうございます」
お兄様の心遣いに感謝して、私の視線は再び、窓の外へと向けられた。
今日は一日中雨というわけではなく、昼からは晴れてくると天気予報では言っていた。
深々と降り続く雨に心を委ねるように、私は静かに瞳を閉じた。
雨の音を聞くと心が和む、とても穏やかな気持ちになれるのは私だけ?
「悪い、ちょっといいか?」
「はい。お兄様、何ですか?」
「目玉焼きは半熟と完熟、どちらがいい……?」
「……半熟でお願いします。お兄様はお料理が得意で羨ましいです。手先も器用だから、盛り付けもとても綺麗に出来ますし」
料理においては私や夢月ではお兄様の足元にも及ばない。
お兄様は自分を平凡だと言うけれど、立派委に才能に満ち溢れていると私は感じている。
人は自分の才能や力に案外、気づかないのかもしれない。
それは……私自身にも言える事かもしれないけれど。
「ずっとしてきたことだから慣れだと思うけどな。そうだ、星歌。さっき、雨の音を聞いていただろう。瞳を瞑ってる姿、めっちゃ可愛かったぞ」
「も、もうっ。お兄様は私をからかうのが好きですね」
恥ずかしくて、顔を私は赤らめてしまう。
「お兄様は突然、そう言う事を言うから困ります」
「星歌はもっと表情を豊かにした方がいいぞ。可愛いんだから、笑顔だって似合う」
お兄様に言われると不思議と気持ちが高ぶる。
それまで、意識してこないことでも、お兄様に言われると意識してしまうから。
「……私は夢月と違いますよ」
「別に夢月と星歌を比べたつもりなんかない。ふたりとも双子だからと言って、似ているわけじゃないだろ?個性もあるんだろうが、僕は前から星歌にはもう少し、明るく前を向いて欲しいと思うんだよね。少し、触るよ」
くいっと私の頬を彼は触れる。
「うぅ、恥ずかしいです、お兄様」
「口角をあげて、スマイル……。意識して笑うようにしてみたらどうだ?」
「……こ、こうですか?」
お兄様の指示通りに私はにこっと微笑んでみせる。
唇と唇が触れそうになるほどにお互いの顔が接近している。
彼の顔がこんなにも近くにあるのが、私を緊張させた。
「まだ表情が硬いかな……笑顔の訓練。ほら、もう1度笑って」
私は口元に笑みを浮かべる意識を持ち、柔らかな表情を浮かべる。
笑顔が苦手なわけではないけど、お兄様が気にする程度に私はあまり人前で見せない。
夢月のように常に笑顔が似合う性格でもない。
「今度はいい感じだ。星歌は控えめな所があるからな。それが悪いんじゃないけれど、積極的に行くのもいいと思うぞ。自分の気持ちに自信を持って」
私は自分に自信がないのかもしれない。
ふと、家に音楽が流れ出す……ヴァイオリンの軽快なメロディ。
「……っ……」
私はつい唇を噛み締めてしまう、お兄様には気づかれてないようだ。
「夢月がヴァイオリンの練習をしてるんだ。ホントに綺麗な音を出すよなぁ」
「……そうですね」
初めて、私が自分に自信をなくしたのは、夢月のこのメロディのせいだ。
幼い頃に両親は私と夢月を音楽の才能を引き伸ばすために様々な音楽に挑戦させた。
ピアノ、ヴァイオリン、フルート……夢月はそのどれもを自由に演奏できる。
生まれ持った才能、天才と呼ぶにふさわしい抜群の音楽センスを彼女は持っていた。
私は違った、どれもどんなに練習しても上手く扱えない。
私に音楽的センスは微塵もない、両親の期待を裏切ってしまうのが怖くて震えていた。
ある日、お父さんから告げられたのは音楽の道から離れるという事だった。
『星歌は自分の好きな事をしていい。この道を強制しない』
事実上の最終宣告、私はお父さんに見限られてしまったんだ。
お父さんは私が音楽に苦しんでいたのを知っていて、言ってくれたんだろう。
でも、私はそれが悔しくて、辛くて……私は音楽の道から逃げ出すように距離を作った。
今でも、夢月が音楽活動で活躍すると羨望することがある。
私は絶対的に自信になるものが何一つない。
「はい、笑顔。スマイル、スマイル。笑って、星歌」
「え?お、お兄様……?」
「人には得意、不得意があって当たり前だ。他人の事を羨むよりも、今の自分に何があるのを知る方が大事だよ。星歌には夢月に出来ない事ができる、そうだろ?」
不安になる私を安心させてくれるように私は抱きしめられていた。
この人は私の悩みを知って、受け止めてくれるんだ。
「……ありがとうございます、お兄様。私……少しだけ自信が持てました」
「うん。ホント、星歌の笑顔は可愛いよ」
心に溢れる愛しさ、私は彼に向けて自然の微笑みを見せた。
笑顔を見せよう、この笑顔を見せたい人がいるから……。
雨の光景と夢月のメロディが調和する、私は穏やかに流れる時間を過ごしたんだ。