第60章:もう一度この温もりを
【SIDE:宝仙星歌】
お兄様との破局は未来への希望。
明日を笑顔で迎えるための覚悟。
だから、これは別れなんかじゃないんだ。
もう一度、この手に温もりを掴みたい。
そのために私達は関係を白紙に戻したの。
「ダメだ。やっぱり、こんなんじゃダメだ」
フルートは練習してもすぐにはうまくならない。
しかも、ほぼ独学で来ているので、限界が見えている。
これから先は誰かに教えてもらいながらじゃなければステップアップできそうにない。
思い浮かんだのはお母さんだけど、海外にいる上に今さら教えてもらうことはできないと思うから……。
「……ただ楽譜通りに吹けるだけじゃ意味はない」
フルートを演奏する事の大変さはこれからだ。
自分らしい音をどうすれば演奏する事が出来るのか。
「また誰かに教えてもらうのは難しいわよね」
習いに行くのもありだけど、3ヶ月だけのために再び通うのは出来ない。
部屋で閉じこもって私は自分なりに頑張ってる。
どうすればいいの。
「……はおっ。頑張ってる、お姉ちゃん?」
私は聞こえた声にすぐに扉を閉めた。
ノックもせずに入ろうとする妹は私の敵だ。
「――無視っ!?」
「黙りなさい、私は夢月を敵だと思ってるから」
「ひどいよぉ。仲良くしようよ、勝負以外は普通の姉妹でいようじゃない」
「私にその気はないから来ないで。早く外国に帰りなさい」
そもそも夢月があんな提案をしなければ私もこれほど苦労せずに済んだ。
お兄様の関係すらも……。
「……うぅ、そんなに冷たくしないでもいいじゃん」
「誰のせいでこんなことになってると思うの?」
扉越しに私は会話を続けている。
顔を直接見て話す気にはとてもなれないもの。
「ほ、ほら、今日は大みそかだし、テレビでも一緒に見ない?」
「自分の部屋にもあるからそれでも見る」
「うぐっ……。そ、それじゃ、年越しソバでも食べようよ?」
「まだ食べる時間じゃないもの。夢月、私ははっきり言って今は会いたくないの」
夢月は去る気配を見せない。
どうして、私と会話をできるのかが知りたいわ。
「お姉ちゃん、調子はどう?頑張れている?」
「夢月こそ余裕なのね。貴方の音楽の感性なら、練習しなくても私に勝てるもの」
「……あぅあぅ、そう言う意味じゃなかったのに」
自分が行き詰ってるので余計に苛立ちをぶつけてしまう。
これが分かっているから夢月とは話したくなかったの。
私はすぐに妹に八つ当たりしてしまうから。
弱い自分、こう言う弱さをなくさないといけない。
「そうだ、美羽ちゃんに教えてもらったらどう?」
「……美羽さんに?」
「そうだよ。同じフルートだもん、教えてもらえば……」
「やめてよ、そういうの。夢月から言われる事じゃない」
彼女はきっと私の勝ち目なんてないと思っているに違いない。
だからこそ、助言もするし、話しかけても来る。
普通でいられること自体、私には不思議でならないのに。
「私は……お姉ちゃんがまた音楽を始めて欲しいって思うよ」
「ふざけているの?私が?ありえないわ。これはね、夢月に負けたくない意地よ。音楽によって私は人生を壊され続けてきたの。多くの挫折と屈辱を味わされて、親から見放されて、お兄様も私から離れていく。大嫌い、だから私は夢月に勝つわ。貴方に勝って私は今度こそ、完全に音楽から決別するの」
私には才能がない、努力しても行ける所は限られている。
続けていくつもりはないからこそ、完全なる決別をしたい。
今のままじゃ中途半端すぎるから。
「……私はね、貴方みたいな余裕はないのよ」
「余裕?私にも言うほど余裕なんてないんだけどなぁ」
「フルートを今でも私以上に奏でられるでしょう?」
練習なんてしなくても彼女は十分すぎる力を持っている。
それが夢月だ、音楽の世界でたった一握りの天才と呼ばれる人間の中にいる。
「ちょっとずつでも長い間、練習してきたお姉ちゃんみたいに出来ない。こういうのは経験だってお姉ちゃんも分かってるはず。例え、音楽のセンスで私に分があっても、お姉ちゃんには経験があるじゃない……」
「それが余裕だと言ってるの。もういいでしょう、これ以上は話したくない」
私はドアから距離をとり再び練習を再開する。
才能がいきなり目覚める夢は見ない。
夢月のようになれたらと、何度も願い続けてきた。
どんなに悔しくても、私に出来るのはひたすら練習だけだ。
「美羽さんか……あの人も一流の人間よね?」
お母さんの弟子だとも言っていたし、海外留学もしていた。
しかし、私にはある疑問を抱いていた。
「……美羽さんってどうしてあそこまで上りつめられたんだろう」
子供の頃は病弱で病院に入院していたと言っていた。
そこで出会ったフルート奏者に教えてもらったのが初めてだ、と。
「それはね、私は自分の可能性を信じているからよ」
「ふわぁ!?い、いきなり、ドアを開けて入ってくるのやめてもらえませんか?」
噂をすればなんとやら、私の部屋に美羽さん来ていてものすごくびっくりする。
「だって、ノックしても開けてくれないから。考えごとでもしていたのかしら?」
「……そうですけど」
「私でよければ相談に乗るわよ?今年は実家に帰らないから、ずっとこっちにいる事にもなったし。練習について教えてあげようか?」
「余計なお世話です、私はひとりでやれますから」
嘘だけど、つまらないプライドがいまだに邪魔する。
「ひとりでねぇ。独学じゃ限界が見えてくる、違う?」
「ひとつだけ質問してもいいですか。美羽さんはどうしてフルート奏者になりたいと思えたんですか。自分に才能があったから?それとも……」
美羽さんはその言葉に悲しそうに視線を伏せる。
「才能なんて私にはないわ。この世界にいれば、天才と言われる人間に何度も出会い、自分との違いに驚かされたわ。何度も、挫折ってのを身にしみさせられた。だけど、私はその現実を憎んだり、羨ましいと思ったり、ましてや逃げたりしなかった」
「美羽さんは強いからでしょう?」
「強いって何なの?心の強さがあればフルートがうまくなる?違うわ、何も変わらない。練習量と自分を信じる事。必要なのはその二つ。持って生まれた才能なんてね、二の次なのよ。大切なのは自分の可能性を信じること」
美羽さんは自分の可能性と言ったけれど、それが何なのか私には分からない。
可能性と言われても、それは才能とどう違うの?
彼女は私に優しくも強い言葉を放つ。
「私と彼女達はどこが違うの?私には追いつけることが絶対にできないの?違う、私にもできるはず。やってできないことはない。音楽に限ったことじゃない。才能は絶対じゃないの、才能だけの人間はむしろ怖くない。ホントに怖いのは……」
彼女は静かに私を指さして言うんだ。
「才能もあって、努力もできる夢月ちゃんみたいなタイプよ。貴方の血の繋がりのある双子の妹さん。彼女には並大抵の事では勝てない」
「……勝つ見込みなんて私にはない」
「それは初めから分かっていたんじゃないの?星歌さん、キミはそれでも彼女との勝負を受けた。ずっと音楽の世界で生きていた相手と、数年前にその世界から逃げた貴方。勝負なんてする前から決まっているわ」
私は顔をあげて彼女と向き合う。
美羽さんが当然だと言う言葉にどこかショックを受けたのは、わずかに勝てるかもと甘い考えがあったからかもしれない。
「夢月ちゃんに勝つ、勝ちたいと思うのなら手段なんて選べない。どれだけ練習したところで、本気になった彼女に勝てる見込みはほぼない。わずかに可能性があるとしたら、それは星歌さん自身にある力を信じるだけよ」
「私の中にある力……?」
「私は自分を信じたの。努力だけじゃ埋まらないもの、人の才能を超えるもの。人間って自分を信じてあげることが大切なのよ。心の力。いい、星歌さん?貴方は自分を好きになりなさい。それが出来て、初めて貴方にも道が開ける」
自分を好きに……?
その言葉が私にはすんなりと受けいれられた気がする。
「蒼空クンは星歌さんを好きになった。そんな自分を好きになれない?」
「……お兄様が好きになった私、ですか?」
「人って自分を好きになるのって他人に認められて初めてなれるものじゃない。そう考えれば、星歌さんは自分を好きになれるんじゃないのかな?私も似たような経験あるもの」
大嫌いだった自分、どうしようもなく、嫌いだった。
自分には夢月を超える要素はひとつもない。
それでも勝てるというわずかな可能性があるとしたら。
「――それは、私が宝仙星歌であるということ」
「そうよ、貴方だから夢月ちゃんを越えられる。教えてあげるわ、私が貴方のお母さんに教えてもらったように。この3ヶ月、星歌さんの先生になってあげる」
「……お願いします、美羽さん」
私は勝負を挑んだ、負ける事はお兄様を失うということ。
勝てないのは当然で、勝てる可能性の方がはるかに少なくて。
だけど、私には夢月を超えたいという強い気持ちがあって。
音楽は今でも嫌い、自分の事は……少しだけ好きになれた。
だから、やるしかないんだ。
本当の“私”を始めるために、一歩ずつ前へ進む――。




