第19章:キスで繋げる想い《後編》
【SIDE:宝仙星歌】
いつだってそうだ、私は大事な場面で逃げてしまう。
傷つくのが怖いから、結果を恐れて逃げてばかり。
今回もそうだ、勝てるはずのない夢月の対決に逃げている。
音楽では夢月は私の遥か上を行く才能と自信を持っているから。
高みへと昇りつめる妹を憧れと嫉妬で私は見続けてきた。
誰よりもライバルで、誰よりも愛していて、誰よりも憎い。
それはお互いにそう言う気持ちを抱き続けてきていた。
以前にあの子は私に言ったんだ。
『――私はお姉ちゃんになりたかった』
あの子の憧れは私で、私の憧れはあの子で……。
双子って不思議だよね、運命というか宿命を背負い続けている。
お兄様は優しい、私が辛い思いをしているとすぐに助けてくれる。
だから、甘えてばかりい過ぎたんだと思った。
彼への依存度が今回の喧嘩の原因でもあるから。
「フルート対決。夢月に私が勝てるはずがない」
フルートの腕前は私の方がいい、なんてわけがない。
あの子は音楽の天才だもの、私がいくら努力して一つの曲を弾けるようになっていたら、すでにもう別の曲を弾き始めていたなんていうのはよくあった。
違いを見せつけられた、ずっとあの子が羨ましく思えた。
才能のない私はあの子に勝てるはずがない。
「音楽なんて嫌いよ、大嫌いっ」
自室に閉じこもり私は思いっきり夢月二号(抱き枕)を叩いた。
何度も叩いて、怒りをはらすうちに私は自分に対しての怒りが込み上げてくる。
なんて情けない姿をしているのかしら。
妹の才能に嫉妬して、大事な人を奪われそうになっている。
夢月は大事な時に嘘をつかない。
今度の勝負は本気だ、私にわざと負けたりせずに全力で私に向って勝負してくる。
勝てるはずがないと諦めて、終わりを待つしか私にはないの?
「お兄様……私は、どうすれば……」
自分の実力は自分が一番よく知っている。
今のままじゃ、きっと夢月の足元にも及ばない。
勝ち目はほぼゼロ、私の希望は……どこにもないの。
何気なく私はお兄様から誕生日にもらったアンティークのオルゴールを手にする。
このオルゴールをプレゼントしてもらった時、私は今の不安を抱えていなかった。
時の流れは残酷だと私は思う。
どうして幸せは長続きしないの?
変わらなければいけないこと、変わらなくてもいいこと。
私はこの世界が変わらない事を望んでいた。
それなのに、お兄様は自らの意志で歩み始めた。
ここが私にとっての選択の時。
お兄様の未来を応援すること。
それができるか、できないのか。
私にはその答えすらまだ出ていない。
それに加えての今回の騒動、私はうなだれてしまう。
「……相変わらず綺麗な音」
オルゴールのメロディはいつ聴いても澄んだ綺麗な音色をしている。
落ち着いてゆっくりとしたメロディ。
そのオルゴールは小物入れにもなっていて私の宝物を入れていた。
その中にお兄様から頂いた大事な指輪が入っている。
幼い頃に夢月に破壊されたガラスの指輪。
その代わりとしてプレゼントされたもの。
指のサイズもあり、今は中指ではなく小指にしか入らない。
だけど、私にとっては大きな意味のある宝物だ。
「お兄様は常に私の事だけを考えてくれていた」
音楽をやめた時、両親から見放されしたまった恐怖に怯えた私を救ってくれた。
支え続けてくれた、誰よりも頼りにしている男の人。
これから先も変わらないと信じていた。
「お兄様を私から解放する必要があるのかもしれないわ」
そっと指輪をオルゴールの中に戻して私は蓋を閉める。
鳴りやむ音色に寂しさを感じつつ、そのオルゴールを元の位置へと戻す。
「時は取り戻せない。そして、これからも変化を止めることはできない」
以前から分かっていたことなんだ。
お兄様にとって私は足かせでしかない。
「……私の我が侭でお兄様を苦しめたくない」
私がお兄様の隣にいることが邪魔になるなら私がすべきことはひとつ。
夢月ならきっと蒼空お兄様にとっても……。
「――本当にそれでいいの?」
私の口から出た自問自答の言葉にデジャブを感じた。
違う、それはデジャブなんてものじゃない。
『――お兄ちゃんの恋人になるのは私だよ』
初めて夢月と私がお兄様をめぐって争った。
あの時の気持ちを思い出す、本当にそれでいいの?
『私は今ならお姉ちゃんに勝てる。何もしないで逃げたお姉ちゃんとは違うもんっ。……不戦勝でも、お兄ちゃんを恋人にできるならそれでいい』
まるで同じ状況だった、私は同じことを繰り返している。
『私もお兄様が好きです。……ずっと貴方を慕って、憧れてきたんです』
私は衝撃的な現実に身体が震えてしまう。
何をしているの、私は……。
夢月にだけは負けられない、いつだって私はその気持ちを抱いてる。
「そうよ、あの子にだけは負けたくない」
あの子が私を羨んだように、私も夢月を憧れていた。
例え、それが私にとって圧倒的な不利なものでも負けられない。
お兄様を諦めたりすることなんてできないもの。
彼が音楽の道に進むことを認めたわけじゃない。
だけど、お兄様を賭けての勝負は負けられない。
未来は変動するもの、変えられるもの。
私はお兄様とどんな関係を築き上げられるかは分からない。
壊れてしまうかもしれない絆。
だけど、不安で自ら壊してしまう愚かさは捨てるべきよ。
「――夢月にだけは負けたくないの」
私は自室を出て、ふたりがいるリビングへと戻る。
そこで夢月は私のお兄様の膝上に乗って甘えていたの。
「……ん?お姉ちゃんじゃない、何かご用ですか?」
「フルートで勝負と言ったわよね。いいわ、その勝負を受ける」
「へぇ、ホントにいいの?私にはお姉ちゃんは勝てるはずが……」
「勝ち目はない、確かに夢月には音楽の才能で遥かに劣っている。だけどね、お兄様を想う気持ちだけは負けていない」
勝ち目がないから諦めて、不戦勝なんて真似はしたくない。
数か月前、私と夢月はお兄様を争った時もそうだったもの。
「その目、本気なんだ。お兄ちゃんが好きって気持ちだけで勝てるとでも?音楽を捨て、やめた人間が中途半端に私に勝負を挑んで勝てるなんて甘くないよ?」
「それはどうかしら?」
「……勝つつもりなんだ。すごーい。さすが私のお姉ちゃんっ。勝負しようよ。音楽は私のすべて、これだけは誰にも負けるつもりなんてないもん」
夢月は自信満々に言い放つ。
勝てる可能性はわずかでも、引かないと決めた以上は戦うのみ。
音楽を嫌い、捨てたはずの私が再びその音楽に触れようとしている。
そして、夢月は美羽さんを起こしに行くと部屋を出て行く。
私とお兄様、ふたりっきりになったので、まずは謝罪をすることにした。
「ごめんなさい。お兄様を傷つけただけではなく、余計な事にも巻き込んでしまいました。何と言っていいのか、私はお兄様が好きなんです。どうしても別れたくなんてない、それだけは分かっておいてください」
「僕も星歌と離れたくない。だけど、本当にいいのか?夢月と音楽で勝負なんて……」
「私なりの意地です。正直言って音楽は嫌いで、ムカつきます。けれど、私は逃げると言う事が一番嫌いなんですよ。弱いからすぐ逃げてしまう、そんな自分が大嫌いなんです。この勝負は私にとって自分との勝負でもあるんです」
お兄様は私を許してくれた。
そっと私を優しく抱きしめてくれる。
「ごめんね、星歌。僕はキミの寂しさに気づいてあげられなかった」
「その話はもうやめましょう。お兄様、私もそうです。どちらも引け目を感じていたら恋愛なんてできない。同情じゃなく愛情が欲しいんです」
「……僕は今でも星歌が好きだよ」
「その言葉だけで十分です。お兄様、最後にお願いがあるんです。私にキスをしてください。自分の想いが確かだという証が欲しいんですよ」
私は蒼空お兄様が大好きです。
誰よりも優しく甘えさせてくれる貴方が本当に、大好きでした――。
「……んぅっ」
何度もお兄様と私はキスをしてきた。
だけど、今日でそれはしばらくお預け。
名残り惜しいながら、唇をそっと離すと私達は見つめあう。
「ありがとうございます、お兄様。私達の恋人関係、白紙に戻してもらえますか」
「どうしても、なのかな……?」
色々と悩んでみたけど、今は答えが出ない。
だからこそ、すべてを白紙にしてから考えたいんだ。
「嫌いになったわけじゃないんです。だからこそ、今はひとりの義妹としてお兄様と接すると決めました。必ず、夢月にコンクールで勝って、再びお兄様の恋人になりたいんですよ。私の我が侭を聞いてもらえますか?」
「……それが星歌の決めた事なら、僕は何も言わないよ」
ホントに私の我が侭に振り回してしまっている。
心の中で何度もお兄様に謝り続ける私、彼は穏やかな表情で私を見守ってくれる。
これでいいんだ、覚悟は完了した。
お兄様と私の関係、恋人関係の解消……悲しいけど、これは別れじゃないもの。
音楽なんかに自分の人生を狂わされてたまるか。
失う事を恐れず、覚悟するために、自分の逃げ場所を作りたくないの。
「お兄様がいてくれたから、弱い私はここまでこれたんです。今はその弱さを強さに変えたい。負けませんよ、あの子に勝ちます。これ以上、音楽からも、夢月からも逃げるつもりはありませんから」
それにしてもとんだクリスマスになってしまった。
奇跡を起こす夜、来年こそお兄様と過ごすために私は努力する。
双子の妹にして最高のライバル、夢月とのラストバトルが始まる――。