第58章:キスで繋げる想い《前編》
【SIDE:宝仙蒼空】
まさに修羅場を迎えていた我が家のリビング。
ビシッと夢月は星歌に指をさして言う。
「この勝負、当然するのは音楽よ。お姉ちゃん、お兄ちゃんを賭けて私とフルートの演奏で勝負しよう?3月初旬にフルートのコンクールがあるの。そこで私と正々堂々と勝負して、勝った方がお兄ちゃんを手に入れる。どう?」
音楽対決なんて想像もしていなかった。
確かにフルートならば星歌も練習さえすればそれなりのはず。
しかし、本格的にやめて時間も経っているし、何より夢月は練習せずとも持ち前の音感で子供の頃から何でも演奏できてしまうのだ。
フルートも僕の母に何度かアドバイスを受けただけで軽く吹いていたのを思い出す。
「――その程度の覚悟もないなら別れてよ。負け犬さん」
堂々と姉に「宣戦布告」をする妹。
顔を青ざめさせる星歌は消え入るような小さな声で、
「む、無理よ。私は貴方には勝てない」
「それじゃ、私の不戦勝ってことでOK?」
「それは嫌っ。でも、こんなのって……私に勝ち目なんてないわ」
「だから、ハンデとしてお姉ちゃんの専門で勝負させてあげているんじゃない。フルート対決なら私も勝てるとは言い切れないもん」
そう言いつつも負けるつもりなんて微塵もないのだろう。
星歌に対して自信満々に言い放つ夢月。
「最初から諦めてるならそれでもいいけどね。またステージから逃げる?音楽を捨てたお姉ちゃんじゃ私には勝てない。実力の差もあるし、勝率で言うなら9割は私が勝つ自信があるよ。だけどね、残りの1割、本気を出したお姉ちゃんなら私に勝てるかもしれない。それも、お姉ちゃん次第だけど」
くすっと余裕の微笑を浮かべる夢月に星歌は何も言えずにいる。
この勝負、勝負であって勝負ではない。
僕はようやく夢月の企みが見えてきた気がする。
「……もう少しだけ考えさせて」
「勝負するか不戦勝するか、どちらでも私はいいもん。私にお兄ちゃんを譲る気になったらいつでもどーぞっ。ふふっ、ねー、お兄ちゃん」
僕に甘えてくる夢月を星歌は見るに耐えないと逃げてしまう。
ふたりっきりになってしまったリビングで僕は尋ねる。
「何となく夢月の企みが読めたよ。星歌にもう一度音楽に向き合わせるつもりなのか?そのために勝負なんて持ち出してきたんだろ?」
「まぁね。基本的にお姉ちゃんは考えが甘いのよ。甘えたがりな私と違ってそれを表に出さないだけでめっちゃくちゃお兄ちゃんに依存しまくりだし。音楽の事だって逃げ続けても意味はないから立ち向かせてみようかなって」
知らない間に夢月も成長していたようだ。
それにしてもフルートのコンクールにいきなり出るとは無理すぎないだろうか?
「星歌が出ても大丈夫なのか……?」
「あははっ、どうだろ?言っておくけど、私がいきなり出て上位入賞なんて言う甘い世界じゃないのは確かだよ。皆、将来のフルート奏者を目指して真剣に練習してきた人間ばかり。ちょっとばかり練習して優勝候補になんてなれない」
「それでも、舞台に立たせることによって音楽と向き合わせることが大事だと言うのか?今の星歌にそれだけの覚悟があるのかな」
「覚悟なんてあってもなくても同じだよ。変に構えるからどんづまるの。壁にぶち当たったらブルドーザーでぶち壊すくらいの勢いでいかないとダメなの。今のままじゃお姉ちゃんはずっと大切な事から逃げてばかりの人生を送ることになる」
さすがは双子の妹ということか。
僕が思っているよりはるかに姉の事を理解している。
「……逃げ癖がついてるんだよね。結局、大事なことから逃げてばかりじゃ人生において肝心な時に前に進めなくなる。私だってこー見えて、苦労しているんだよ?」
「知ってるよ。夢月が頑張り屋さんなのはずっと前から知ってる」
そっと頭を撫でながら僕は夢月を褒める。
音楽だって努力している、努力なしで頂点に立てる天才なんて存在しない。
「お姉ちゃんも同じ舞台に立てるだけの力はあるの。けどさぁ、打たれ弱いって言うか、周囲とかの重圧とかで簡単に潰れちゃったんだよね。その辺のメンタルが強くないと上に行くのは難しい。お姉ちゃんには自信が足りていないの」
「それは、その……今の星歌でも力はあると思うか?」
「十分、あるよ。初めはもう二度と音楽なんてしないと思ってた。お姉ちゃんは音楽を捨て切ったはずだってね。だけど、このフルートを見て考えが変わったの。ちゃんと手入れもされているし、今、練習している曲だって悪くない。後は本格的にするか、趣味で終えるか、その辺の力加減の調整みたいなものなんだ」
星歌が練習していたと思われる曲は高校生レベルの曲らしい。
音楽をやめてもなお、フルートを捨ててはいなかった。
星歌の音楽は誰に聞かせるでもない、趣味の音楽。
本格的に学べばきっとまた素晴らしい力をつけるに違いない。
そのための才能が彼女には秘められているのだから。
「まぁ、問題はここからだよ。負けず嫌いのお姉ちゃんに煽るだけ煽ったけど、人って弱いから一度痛い目にあったものに向き合うのは怖いの。これは賭け。お兄ちゃんとお姉ちゃんの関係を改善できる唯一の作戦でもある」
「追い込むだけ追い込んで……あとは星歌の心次第か」
「ういっ。残り数か月でどのレベルまでいけるのか、正直、期待できるよ。本気になった場合だけどねぇ。今のままじゃ、不戦勝もありかな?」
その場合は僕と星歌の関係は強制的に解消されてしまう。
きっと星歌も自ら身を引くかもしれない。
そうなる事は僕の望みではないんだ。
「……私もお兄ちゃんが好きだから本気で勝ちを狙いに行くよ。OK?」
「その時はその時だ。でもな、僕は星歌を信じているんだよ。あの子は自分で勝利を勝ち取ることができる強い子なんだって。甘えさせ過ぎてきた、と美羽さんに言われたんだ。羽ばたく事を恐れている小鳥、自分から飛ばないとダメなんだって」
小鳥が羽を広げて飛び立つためには勇気が必要だ。
僕はその最初の一歩を邪魔していた。
飛べなくてもいいなんて思わせてしまった。
それじゃダメだと僕は気付かされた。
今回の件、僕は干渉しない方がいいんだろう。
「うー、お兄ちゃんが私に対して“ひいき”している気がするの、ちゃんと私にチャンスを与えてくれなきゃ嫌だよ。お姉ちゃんに勝ったら私がお兄ちゃんの恋人だよ?分かってる?今の確率は90%の勝率なの」
「分かっているって」
夢月も僕にとっては大切な女の子には違いない。
僕もある程度の覚悟は決めておかないといけないな。
身体を抱きよせてくる妹。
「ふふっ。お姉ちゃんがこれからどうするのか、見ものだね。もしも、私に立ち向かうなら遠慮容赦なく叩きつぶしてあげる。それでも……」
夢月はホントに小さく耳元で囁くんだ。
「それでも、私は心のどこかで残り10%の私が負ける可能性に期待しているんだ。複雑な乙女心なの」
双子の妹として嬉しそうな複雑な期待感。
姉を応援する気持ちもあるのだ。
「ん?そーいえば、美羽ちゃんはどうしたの?」
「まだ部屋で寝ているんじゃないか?」
「……つまりはまだ布団の中でお休み中。私とお兄ちゃんはふたりっきり」
「こら、夢月っ。怪しげな笑みを見せるな。何を企んでいるんだ?」
いつもの調子でじゃれてくる夢月に僕は苦笑させられる。
ホントにこの妹は……可愛いじゃないか。