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女神の姉と天使の妹  作者: 南条仁
乙女の背中には羽がある
54/65

第53章:女神の羽根は傷ついて《後編》

【SIDE:宝仙星歌】


 信頼の破綻、幸せの崩壊は突然に始まった。

 私の部屋でお兄様は衝撃的な言葉を口にする。

 

「僕はもう一度、音楽を始めているんだ――」

 

 大切な人から、告げて欲しくなかったその一言。

 私にとっては“裏切られた”気持ちになる。

 信じていたのに、それなのに……どうして、貴方は私を裏切るの?

 

「ウソ、ですよね……?音大にいたのも、偶然で、音楽を始めたなんて悪い冗談です。そうですよ、お兄様は音楽をやめているんです」

 

「そうだ。やめていた、けれども僕は再び始めたいと思ったんだ」

 

 血の気がさっと引いていく、本当に身体が冷たくなるんだ。

 怖い、大好きなお兄様の言葉や想いが怖くなる。

 私は手の震えが止まらない。

 

「……理由は?理由はあるんですか?」

 

「理由。しいて言うなら、この間来ていた梓美さんが大きな影響を与えてくれたんだ。彼女の音楽に触れた時、僕は自分の中にまだ音楽に関しての情熱が眠っている事に気づけた。音楽をやりたいんだっていう強い意志のようなものが目覚めた」

 

「強い意志……?何ですか、それ。私には分かりません」

 

 お兄様の口から出るはずのない台詞だもの。

 そうよ、6年前、私にお兄様は言ってくれた。

 

『僕が音楽に直接関わるつもりはないよ』

 

 音楽嫌いの私にそう言ってくれたじゃない。

 その一言で私は救われていた、ううん、救われ続けていた。

 どんなに周りの人間が宝仙の名前を持つのに音楽に関わらない事を責めても、気にせずに受け止められていたのはお兄様がいたからだ。

 同じように音楽をやめた、その現実は私にとっての支えになっていた。

 

「楽しいよ、音楽は……本当に楽しいものだ。その楽しさを僕は思い出した。聴く側だけじゃ満足できない。僕も直接的に関わりたい。そう思えたんだ」

 

「……それで、ここ最近は音大の方にいたんですか?」

 

「音大にはお世話になっている教授がいてね、彼に今、いろんなことを教えてもらっている。父さんにも指揮者としての指導を受けている最中なんだ」

 

 信じられない、信じたくない現実がそこにはあった。

 私がお兄様を信頼しているのは、彼に絶対的な安心感があったから。

 初めて彼を信じたのは傷ついた小鳥を一緒にお世話した時。

 優しく対応してくれたお兄様は男嫌いの私の考えを変えてくれた。

 両親や妹よりも、他の誰よりも信頼しているお兄様が私を裏切るはずなんてない。

 

「……裏切るんですか?私をひとりにするんですか?」

 

「星歌、落ち着いてくれ。キミはもう音楽に縛られる必要ないだろう。嫌いだって言う事は理解している。だから……」

 

「そんな事は聞きたくないですっ。どうして、です。私を守ってくれるんじゃないんですか?音楽を始めた、それを両親も知っているんですよね。ずいぶん喜んでいたでしょう。お兄様の事、期待しているんですよ」

 

 私は……ひとりになってしまう。

 家族の中で私だけが音楽を捨て、関わっていないという現実。

 その孤独は恐怖だった、何事にも代えがたい恐ろしさ。

 私は家族からも見放されてしまうの?

 双子なのに出来の悪い姉、出来のいい妹。

 そのレッテルを貼られたまま、私はずっと苦しみ続けてきた。

 あの痛みを思い出せっていうの?

 解放してくれたお兄様が、もう一度私をその恐怖に突き落とす。

 

「私が恐れているのは、お兄様が音楽を始めるというその先の未来です。別にお兄様の音楽の才能に嫉妬しているとかそういうものじゃありません」

 

 美羽さんとお兄様、ふたりの視線が私に向けられている。

 

「私は音楽の才能なんてなくて、音楽で誰かに期待されたこともなくて……ずっと、ずっとダメな子なんです。お兄様がいなくなったら、私はどうすればいいんですか?ひとりになってしまうじゃないですか」

 

「音楽を始めただけでキミをひとりにするつもりはない」

 

「嘘です。だって、私の家族は平気で音楽のためなら家族を捨てられるんですよ?」

 

 誰も気づいてくれない。

 私の寂しさを、気づいてなんてくれないもの。

 お兄様は驚いた顔をしながら尋ね返してくる。

 

「……何を言うんだ、星歌?そんなわけないだろう」

 

「現実にそうでしょう?父も母も妹も、今、どこにいると思っているんですか?海外ですよ、自分のしたいことをするために私の気持ちなんてどうでもいいんです。家族で過ごした時間なんて、世間一般の家族よりも明らかに少ないです。お兄様も分かっているはずですよ。家族の絆、そんなものは我が家にはないことを」

 

 家族の絆、血の繋がり、その言葉は私には綺麗事にしか思えない。

 年間を通して数か月程度しか一緒にいない両親。

 仕事のため、音楽のためにと家族を犠牲にしている。

 家にいても常に音楽の事ばかり考えている人たちだ。

 音楽をやめた私には見向きさえしてくれない。

 

「愛されていたのはいつも夢月です。音楽の才能に満ち溢れて、親からも愛されて……。私は、勉強とかスポーツとか他でどれだけ頑張っても、私の両親には認めてもらえない。音楽がすべて、そんな人たちにとって私はいらない子供ですから」

 

 ようやく私も自分の音楽嫌いの原点が分かった気がする。

 どれだけ努力しても満足に伸びない自分の音楽の才能。

 それだけじゃなかった、音楽は私のすべてを奪いとる。

 ありきたりな家族の絆も、姉妹の関係も、大好きな人も私から奪うんだ。

 

「……いらない子なわけがないじゃないか。誰も星歌をそんな風に思っていない」

 

「それなら私は必要にされていますか?ないですよね。両親は私には一度も一緒にいて欲しいと言ってくれたことはありません。音楽に関わらない人間が一緒にいても無意味だからです。お兄様、私は……もう嫌なんですよ」

 

 辛い気持ちが溢れて行くのを抑えられない。

 私は自分の胸を手で押さえながら、彼に言う。

 

「これ以上、誰も私から離れていかないで。ひとりにしないでください。音楽を始めたらお兄様もいつかは留学したりします。一緒にはついていけません、邪魔をするだけですもの。私は離れていくしかないでしょう」

 

「それは……将来の話だ。分からないじゃないか」

 

「違うと言えますか?私、言ってることが間違ってませんよね」

 

 お兄様まで離れられてしまうと私はきっと壊れてしまう。

 孤独の不安と寂しさに押しつぶされてしまうから。

 

「……音楽なんてやめてください。お兄様まで失いたくはないんです」

 

「星歌。僕は離れるつもりはないよ」

 

「お兄様は何のために音楽を始めるつもりなんですか?」

 

「それは……指揮者になりたいという夢を抱いているからだ。僕の実父も指揮者だったらしくて、僕も同じ道を歩みたいと思う。しかし、それは星歌との別れを意味しない。どうして、そんな心配をするんだ?僕を信じて欲しい」

 

 お兄様は私を説得しようとするが、その言葉は私には届かない。

  

「どうして?当然です、私はずっと寂しかったんですよ。お兄様がいてくれたからその寂しさも紛らわせることができていました。だけど、お兄様がいなくなってしまったら、私はきっとその寂しさに耐えられない」

 

 なぜ、そんなことすらお兄様は分かってくれないの?

 私の恋人なのに、私を見捨てようとするの?

 

「……お兄様、私はお兄様が大好きです。けれど、音楽だけは絶対に認めません」

 

 こんなに強くお兄様に対して反発したのは初めてかもしれない。

 だけど、どんな人間にだって絶対に譲れないものはある。

 これだけは認められない、そういうものがあって当然だ。

 

「私達、恋人ですよ。お兄様なら私の嫌がる事をしません」

 

 いつだって私を支えてくれた彼が私を裏切るなんて、そんなはずないもの。

 私の想いを知ってくれたら、音楽をやめてくれるはず。

 

「……お兄様は両親や夢月とは違うはずです。彼らみたいに私を見捨てたりしない。音楽よりも私を優先してくれる。そうですよね、お兄様?」

 

 子供の頃、泣いてすがった私の傍にいてくれたのは彼だけだ。

 そんなお兄様との関係が崩れるなんて想像もしていなくて。

 

「――星歌、悪いけど、僕は音楽をやめるつもりはないよ」

 

 なのに、私の期待は砕け散る。

 お兄様の意思は変えられなかったんだ。

 

「私より音楽を選ぶっていうんですか?お兄様の裏切り者っ!!」

 

 私を支配するのは彼への失望と怒りだった。

 今になって私を放り出すなんてひどいっ。

 声を荒げる私は想いをお兄様にぶつけることしかできない。

 

「ひどいわっ、お兄様!私の事を、愛してくれているのなら……ぁっ……!?」

 

 パチンッと、私の頬に衝撃が走る。

 私の頬をぶったのはそれまで黙っていた美羽さんだった。

 

「――優しいお兄ちゃんに甘え続けるのも大概にしておきなさいよ、星歌さん」

 

「美羽さん……。貴方には関係ないでしょう、これは私とお兄様の……」

 

「関係ないわね。叩いたのも悪かったわ。でも、ひとつだけ言えることはある。どうして、星歌さんは自分の恋人が目指す夢をつぶそうとするの?数年前、彼から音楽を奪ったのは貴方でしょう?星歌さんが我がままを言わずにいれば、今も蒼空クンは音楽を続けていた。優しさに甘えてばかりで、そんなことも分からないの?」

 

 いつもと違う彼女の強い表情に私は何も言い返せない。

 お兄様は音楽が好きで……私のためにやめてくれた……だから、それは、私は――。

 

「星歌さんはもう子供じゃない。未来の事を自分で考えて行動できる年齢でしょう。蒼空クンを信じようともせず、ただエゴを押し付け、その夢を壊そうとする。そんな星歌さんを私は黙って見ていられない」

 

「……ずっと美羽さんが苦手だったんですよ。最初からずっと貴方はお兄様の音楽の復帰を促す発言をして、期待をしていたからです。貴方や梓美さんさえ現れなければ、お兄様は……お兄様は私を裏切ることもなかったのにっ!!」

 

 大嫌いだ、お兄様も美羽さんも私の事を分かってくれないすべての人が嫌い。

 ――この夜、私とお兄様の十数年来の信頼と絆が破綻しようとしていた。

 

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