第49章:僕が進む道
【SIDE:宝仙蒼空】
僕の世界が変わっていく。
僕は観客席ではなく、審査席に座っていたのだ。
誰もがこちらを見て驚いている様子を見せた。
当然だ、来るべき人間がそこにはおらず、ただの学生がそこにいるのだから。
「急遽、病で倒れられ来れなくなったヴァイオリニスト、伊藤先生の代わりに審査することになりました。宝仙蒼空さんです。日本が誇る世界で活躍する指揮者、宝仙信彦さんの息子さんで……」
僕の説明、完全に親の七光もいいところで、批判が出ると思っていた。
しかし、皆は「宝仙夢月のお兄さんか」「やっぱり、すごい人なんだ」と勝手に誤解している様子、そういや、これはヴァイオリンのコンクール。
うちの夢月の名前を知る人間は当然多いので、僕が出ても特に名の知らぬ学生というわけでもないらしい。
だからと言って、僕がすごいわけではないので、微妙な心境だ。
「だが、誰も蒼空君がここにいることは否定していない。利用できるものは利用する。それは音楽の世界でも一緒だよ」
隣の席の佐川さんは軽く笑いながら言う。
「……コンクールにおいて大事なのは表現力、演奏の完成度、そしてもうひとつは」
「曲に関する理解度です。その曲をどういう風に解釈して、演奏しているのか。ただ楽譜を見ているだけの演奏ではなく、いかに自分らしく音楽を奏でているか」
「そうだ。ただ上手いだけでは上位には入れない。しっかりとその曲を自分なりに表現していけるか。それが大事なんだ」
審査の基準は大体把握した、問題はいろいろとあるが、やれることはしよう。
「ただの観客とは違う。審査をする人間だという事を意識して聞くんだ。大丈夫、キミなら十分な審査ができるはずだよ」
……人に買いかぶられすぎるのも大変だ、余計な期待ばかりされてもな。
ふと、観客席にいた美羽さんと視線が合う。
「いま、自分にできることをしろ、か」
まぁ、僕は代理だし、自分にできることしかできない。
気負いせずに聞くとしよう。
そして、最初の奏者である男の子がステージにあがる。
「それでは、最初の演奏は……」
まずは1人目、彼が演奏を終えた後、佐川さんは僕に小声で尋ねてくる。
「彼の音楽を聴いて、君はどう感じた?」
「……いい音楽ですね。非常にテンポもよくて、綺麗な音をしている。ただ、彼の音楽には型にはまりすぎている感があります。もう少し自由な感じで曲を弾ければまだまだ伸びると思いますよ」
「なるほど、それは言えているな。彼は形式にこだわりすぎている。……蒼空君、キミを審査員に選んだのは間違いはないようだ」
人を評価する立場、つまりは上から目線で誰かの演奏を指摘できる人間ではない。
そんな偉そうな人間にはなったつもりはないが、人を審査するという行為は興味深い。
皆はそれぞれ自分らしさのある演奏をする。
同じ曲でも自分なりの解釈を変えれば、楽しく聞こえたり、切なく聞こえたりする。
それが音楽なんだ、自分がどのような演奏するのか、表現力が重要なのはそこだ。
間違えることなく正確に弾くのは当然だけども、譜面どおり弾くだけはダメなんだ。
夢月はいつもその辺りで苦労をしていた。
2人目の男の子、音にわずかな自信のなさがのっていた。
演奏はいいのに、自分に自信がないのだろう。
その不安がわずかに音を乱していた。
心の弱さの改善さえすれば、今後に期待できる音楽だった。
3人目の女の子の演奏はかなりのものだった。
音楽に向き合う姿勢、それが伝わってくる。
しかし、彼女の音楽には何かひっかかるものがある。
「……演奏の完成度は抜群。マイナス要素はないはずなんだけれど」
「どこか気になるところでもあったかい?」
「あ、すみません。つい独り言を……」
「いや、構わないさ。それで蒼空君は彼女の演奏のどこが気になった?」
どこがと言われたら、難しいんだ。
何かが足りない、何だろう。
演奏は完璧だった、表現力も十分にある、なのにどこか寂しさが……。
思い出せ、何がひっかかっていたんだ。
「……彼女の音は寂しそうに聞こえました。それは音楽の表現性ではなく、もっと単純な感情の意味で……違和感があった気がします」
「うまく誤魔化しているけれど、彼女は何か辛い思いをしていたんだろう。それがわずかに音を狂わせている」
わずかな違和感、音楽は人の感情に左右されてしまう。
それは練習量でも誤魔化すことができないんだ、音楽というのは本当に難しい。
午前の人たちの審査を終えた僕は梓美さんたちと食事をしていた。
ホールの横のベンチで美羽さんと3人で作ってきた弁当を食べる。
「驚きましたよ、蒼空さんが審査員になっていたのはびっくりです」
「ははっ、僕も驚いているよ」
「蒼空さんの音感は鋭いですからね。どういう評価をされるのか皆、気になっている様子ですよ。さぁて、私はどういう審査をされるんでしょうね」
そこには挑戦的な含みを持たせている。
「それで、どうなの?蒼空クン、久しぶりに音楽に直接的に関ってみた気分はどう?」
「なんて言うか、いつもはただ聴いてるだけで、こんな風に関わる事はありませんでしたから。やはり、難しいですよ」
「……でも、蒼空クンは楽しそうに見えたけどなぁ。実際、楽しいでしょう」
どうなんだろうか、僕は今、音楽を楽しんでいる?
音楽は好きだが、僕にはもう関係ないものだと割り切っていた。
僕は音楽をやめたあの日から直接的に関るのは避けてきた。
ピアノは2度と弾くつもりもないし、他人の音楽を聴くだけにしていた。
僕が音楽に関わるとは思ってもいなかったんだ。
それなのに、再びどんな形であれ、音楽と直接的に接している。
とても、不思議な気分ではあった。
後半も僕は皆の審査をし続けた。
このコンクールに出ている参加者はとても優秀な子たちばかり。
どの子の音楽もかなりのレベルを持っている。
しかし、その中でも突出しているのはやはり梓美さんの音楽なんだろう。
ついに彼女の出番がやってきたんだ。
ステージに上がる梓美さんは緊張もしていない様子だ。
「蒼空君は彼女の応援でこの会場に来たんだったね」
「……審査は公平にするつもりですよ」
「ははっ。その心配はしていないよ。梓美さんは才能もあり努力も怠らない、将来有望な子で、実に成長が楽しみな逸材なんだ。彼女は自分の音楽性を理解している」
彼女が他の子と違うのはヴァイオリンの音色の綺麗さだけではない。
技術力を兼ね備えたその表現力のレベルの高さだ。
音楽を奏でる奏者としての意識、自分がどのような音楽を他人に伝えようと表現するか。
その能力が他を圧倒している、ゆえに天才と呼ばれるのだろう。
「キミもよく聞いておくといい。これが音楽を楽しむという事だ」
佐川さんは僕にそう言って、梓美さんの方へと視線を向ける。
『……星歌さん、彼女が音楽をやめた理由と関係があるんでしょう』
彼女は僕が音楽をやめた理由に気づいている。
自分の才能の限界ではないことを、まだ内にくすぶる気持ちが残り続けていることを。
『蒼空さんはいつまで、自分に嘘をつき続けるんですか?自分の進みたい道を、自分の意思で踏み出してください。そうじゃないと、きっと後悔することになります。私は音楽を止められません。私にとって音楽は自分の一部だからです……蒼空さんも同じなんだと私は思います。貴方も捨てきれない想いがあるはずです』
僕は自分自身に嘘をついていた。
その通りだった、だから何も言い返せなかった。
それに、自分は音楽が捨てられないという事に気づいてた。
音楽が楽しいものだという事を、僕に改めて彼女は証明するつもりだ。
やがて、梓美さんは静かにヴァイオリンを構えてゆっくりと音色を奏ではじめる。
強弱をつけて、ひとつひとつの音を鳴らす。
いいメロディだ、音程も抜群、その旋律には他を圧倒する力強さがある。
『――分かった。いいよ、星歌。僕も音楽をやめよう』
過去の僕がした決断、自分で決めた選択肢、才能がないと言い訳して音楽を捨てた。
泣いてすがる女の子を僕は放っておけなかったんだ。
あの時の選択を後悔する気はない。
だが、今はどうだ……時間が経てば状況も、気持ちも変わっていく。
あれから6年も経つというのに僕はいまだに音楽を捨てていない。
完全に捨てた星歌と僕は違うんだ、心の奥底で求め続けているものがある。
……梓美さんの演奏は曲の終りにさしかかる。
全くと言っていいほどミスもない完璧な演奏。
これが彼女の音楽、僕は……それを目の前にして思わず震える。
以前に聞いてきた梓美さんの音楽とは違う、さらに上へとレベルをあげている。
彼女は誰よりも楽しそうに音楽を奏でていた。
夢月と同じく、僕はそれを聞いて自分を解放するきっかけになる。
その演奏が終わると同時に、惜しみない拍手がステージの上の梓美さんを包む。
『貴方の夢は貴方の心に最初からある。そうでしょう?』
彼女は満足気な笑みでこちらを見つめていた。
「答えは最初から僕の中にあったんだ。自分の夢が何なのか、何をしたいのか」
思わず口から洩れた言葉、音楽は楽しいものだという事を、彼女は僕に教えてくれた。
幼い頃を思い出す、初めて父のオーケストラを聞いた時、僕は同じように感動に震えた。
音楽の素晴らしさ、それに触れたあの何とも言えない衝撃。
どこまでも広がる音の世界、僕もいつかはあんな風に音楽を作りたいと憧れを抱いた。
「――僕は音楽をしたい。もう一度、真正面から音楽に向き合いたいんだ」
僕は逃げない、向き合っていこう、自分のためにもう一度僕は音楽を始めたい。
コンクールの結果はもちろん梓美さんの優勝で終わりを迎えた。
そして、僕は――。