第44章:不協和音の響く夜
【SIDE:宝仙星歌】
……夢月の留学、私の前から彼女は再びいなくなった。
彼女の留学は私の心に大きな穴をあけたようだった。
いつもいがみ合う相手ではあるけれど、いないと不安になるそんな存在。
愛すべき双子の妹、夢月はもういない。
家の中は彼女の変わりとして家に住むことになった美羽さんがいるので賑やかではあるけれど、それはそれで私には不愉快なことも少なくない。
私、いつからこんな嫌な女になってるんだろう。
蒼空お兄様には他の女性に関わりあいになって欲しくない。
“独占欲”が私の心を乱していく日々も2ヶ月が過ぎ去り、11月になった。
秋は深まり、冬の寒さを帯びた風が吹き始める頃。
私には新たな問題の火種がくすぶり始めていた――。
その日は学園が創立記念日でお休み、平日ながらも1日何も予定のない日だった。
「蒼空お兄様とデートなんて久しぶりです♪」
「最近は星歌も忙しかったから、息抜きぐらいしないとね」
生徒会の仕事は思っていたよりも大変で、目の前の文化祭の準備に明け暮れる毎日。
お兄様と恋人関係を楽しむ時間もないに等しい。
それでも、彼にはいつも些細な事で支えてもらう。
「……でも、いいのか?デートなんだ、もう少し別の場所でもいいぞ?」
「いいえ。お兄様と一緒に過ごせる時間が私には幸せなんです」
私が連れてきてもらったのは繁華街。
そろそろ、冬物の服が欲しくなり、彼に付き合ってもらう事にした。
「荷物は重くありませんか?少し買いすぎたかもしれません」
「これくらい平気だ。次はどこに行く?今日は星歌の行きたいところに付き合うよ」
お兄様には先ほど購入した私の服の入った袋を持ってもらっている。
両手いっぱいというワケでもないけれど、それなりにかさばるものだ。
「どこでもというと……女性下着売り場でも?」
「ははっ、それじゃ、夢月だよ。お兄ちゃんの好みの下着を着てあげるからって感じでからかわれるんだ」
そんな言葉は星歌に似合わないと軽く笑われてしまう。
私にはあの子のようなキャラクターはない。
難しい……自分は自分でしかないのは分かってるけど、変えてみたいとも思う。
夢月の行動には呆れてしまう事も多々ありつつ、それでも楽しいと感じられた。
私には彼女のように振る舞うことはできないな。
「星歌?ホントに下着売り場に行きたいのか?」
「いえ、冗談ですっ。さすがに男の人を連れていけるほど私に度胸もありません」
「……これが夢月なら遠慮容赦なく連れて、下着を選ばせられるよ」
「でしょうね、あの子は悪戯好きですもの。お兄様が恥ずかしがるのを承知の上で遊び半分でするに違いありません」
私は口元に手を当てて、微苦笑を浮かべる。
妹はここにいないのにまるですぐそこにいるように感じてしまう。
それだけ存在感のある女の子だった。
「あっ、この通りにある紅茶専門ショップによってもらってもいいですか?」
「紅茶?星歌って紅茶に興味があるんだ?」
「まだ初めたばかりの趣味なんですけど、紅茶って結構面白いんですよ。味わいや風味、入れ方ひとつでお茶の良し悪しが変わるんです。種類もたくさんありますしね」
友人に勧められて紅茶を入れ始めたんだけど、これが中々に奥深い。
「それじゃ、帰ったら星歌にお茶でも入れてもらおうかな?」
「は、はい。精一杯に頑張りますっ!」
「そんなに気負わなくていいよ。それじゃ、紅茶専門店に行こうか」
私達が入ったお店にはたくさんの茶葉やティーカップが並ぶ。
目に入ったお茶の葉を見ているとお兄様が思い出したように、
「そういや、星歌の大事にしているティーポッドで誕生日プレゼントだっけ」
「そうですよ。どこかの妹はゲームのソフトでしたけどね」
お気に入りのティーポッドは今年の私の誕生日に両親がプレゼントしてくれたんだ。
本格的に始めようとしたのもつい最近の事。
「……この葉とか好きです。お兄様は好きな紅茶ってありますか?」
「僕はそうだなぁ。これなんてどう?」
「定番のダージリンですか。アッサムとかも結構好きそうですね」
ふたりで色んなお茶の葉を眺め、店員さんにお茶の試飲もさせてもらう。
「うぉっ、この紅茶、色が変わったぞ」
「ブルーマローです。レモン汁を入れると青いからピンク色に色が変わる紅茶なんですよ。本当に見た目に綺麗な紅茶です。すごく鮮やかなピンク色。でも、味の方に少々クセがあるんです……」
「確かに、これは独特な味がするな」
見た目に華やかな事で有名なお茶だけど、私はあまり味が好きではない。
私は適当に気に入ったお茶の葉を買おうとすると、
「これは僕からのプレゼント。たまには恋人らしさを見させてくれよ」
「ありがとうございます。大好きです、蒼空お兄様」
甘えられる相手がすぐそばにいる事は本当にいい。
あまり甘えるのが下手な私に合わせてくれる。
お兄様が恋人になってくれてよかった。
「……美羽さんって、女子大生ですけれど恋人とかいないんでしょうか?」
お店を出た後、特に目的地もなくぶらりと繁華街を歩いてまわる。
美羽さんの話題を口にするとお兄様も気になったのか、
「そう言えば、あの人の恋の話って聞いた事ないな。今、付き合ってる相手はいない様子だけど、過去の話とかあまりしてくれないし。うーむ、実際どうなのだろう?」
「外国で留学中に恋人がいたのかもしれません。また今度、そう言う話も聞いてみたいです。そうすれば、少しはお兄様へのちょっかいもなくなると思います」
未だに彼女には謎が多い、あまり自分の事は話してくれない。
本人は「美女には謎が会った方がカッコいいでしょ」とはぐらかされる事もしばしば。
「過去を話したがらない、何か嫌な思い出でもあるのでしょうか?」
「……それなりに彼女も山あり谷ありの人生を歩んできているのさ」
蒼空お兄様は何か事情を知ってる様子。
むぅっ、他人の事だから深く追求しないけどいい気はなしない。
私はお兄様の腕に自分の腕を絡めるようにして抱きついた。
「蒼空お兄様。美羽さんに惹かれちゃ嫌ですよ?」
「好意と言う意味では星歌に勝るものはない。心配しなくても大丈夫だ」
「心配します。お兄様の流されやすい性格は以前からとても気になってます」
「ごめんなさい、うぅ……」
彼は優しいけれど、その時々の感情に流されることが多い。
そこはお兄様のマイナス点、しっかりとしてくれないと困ります。
「ほら、残り時間もないんですからデートを楽しみましょう?」
私の中には常に危機感のようなものがある。
それは今の“幸せ”がずっと続かない、そんな予感さえするから。
私は幸せを望んでいるけれど、この世界、早々簡単にその二文字を手にはできない。
私の前に何が立ちはだかるのか、それはまだ姿を見せていない。
けれども、私とお兄様の関係にその影は確実に忍び寄っていた。
その日の夜、デートから帰り夕食を終えてのんびりとしていた。
リビングでお兄様と一緒にソファーに座りながらテレビを見ていると、
「蒼空クンっ。お姉さんの無理なお願いを聞いてくれない?」
「ダメです、無理なお願いは聞かせません」
「星歌ちゃん、今回はちょっと真面目な話なんで聞いてよ。ふざけた私が悪かったわ」
美羽さんの持ちかけてくるお話って基本的に事件ばかりなんですけれど。
彼女は私達の隣に座ると、無理なお願いというのを話し出す。
「明日からの1週間、この家に女の子をひとり置いてあげられないかな?」
「女の子ですか?美羽さん、それは一体どういう事情なんです?」
「蒼空クン。前にも話したことがある、村雲梓美(むらくも あずみ)という子を覚えてる?」
「村雲梓美。関西では有名な高校生ヴァイオリニストで、夢月のライバルである彼女でしょう。もうひとりの天才。話は聞いていますけど、彼女がどうしたんですか?」
夢月の知り合い……村雲さんって誰だろう、音楽関係の人かな?
初めて聞く名に私は疑問を抱きながら続きの言葉を待つ。
「その梓美が今度、こっちで大きなコンクールに出るの。でも、ホテル関係でトラブルがあって、土壇場になって泊まれなくなったらしいのよ。中々、条件にあう代わりのホテルが見つからないって電話で聞いて、ここに泊めてあげられないかしら?」
「1週間、というのは期間として長くありませんか?」
「色々と今回はコンクール以外にも予定を組んでるの。練習とかもあるし。蒼空クンたちには迷惑かけないようにするからダメかな?私の友人で力になってあげたいの」
美羽さんの話を聞いたお兄様は悩む素振りも見せずに頷いた。
「いいですよ、僕も1度、村雲さんには会ってみたいですから」
「ありがとう、蒼空クン。頼りになるなぁ。それじゃ、すぐにでも連絡するわ」
あっさりと承諾されて、話が流れていく。
私の事なんてまるで無視されているようで、嫌な気持ちになった。
「星歌もいいだろう?空いている部屋は客間だな。準備を手伝ってくれるか?」
「ちょっと待ってください。私はまだ承諾したわけではありません。天才とかヴァイオリニストとかって、誰なんです?勝手に話を進めないでください」
「えっと、ごめん。そうよね、話はちゃんとしなくちゃ。彼女は……」
「美羽さん。星歌は僕が説得します。心配してるでしょうし、村雲さんに早く連絡してあげてください」
美羽さんは連絡で部屋を出て行き、お兄様は詳しい説明を私にしてくれた。
村雲梓美という子は関西出身で私と同い年、夢月のライバルでもあるらしい。
事情は理解して泊めることには反対しない、でも、納得はいかない……。
「お兄様が興味を抱く相手、というのが気になります」
「変な意味じゃなくて、僕は彼女の音楽に興味を持っている。星歌も聞いてみないか?」
「――音楽なんて、私には関係ないです」
美少女で、しかも音楽関係者、私にとっては嫌な組み合わせそのものだ。
「星歌。キミが音楽を拒む理由は分かる。だけど、いつまでも目を背けるのは……」
「目を背けて何ていません。私はもう音楽なんて2度と触れたくない、それだけです。大嫌いなんですよ」
夢月の留学がもたらした私の中での大きな変化がひとつだけある。
それはこれまで以上に音楽と言うものに対して、拒絶と嫌悪感が溢れている。
理由なんて自分でも分からない、以前から劣等感ではあったけどここまでじゃなかった。
蒼空お兄様はとても寂しそうな表情で私を見つめていた。
――この時から既に私とお兄様の間には“不協和音”が響き始めていたのかもしれない。