第42章:希望を奏でるメロディー《前編》
【SIDE:宝仙蒼空】
「おはようございます、蒼空お兄様♪」
夢月がいなくなってから星歌はちゃんと1人で起きられるようになりました。
いや、これは普通にすごいことなのだ。
星歌と兄妹になって十数年、彼女がひとりで朝の7時台に起きられる事になるとは思いもしなかった、マジで。
何でも夢月2号(抱き枕)のおかげで寝起きもばっちりらしい。
ある意味、本当に夢月の存在は彼女にとって必要だったのかもしれない。
ちなみに夢月2号がどんな状態なのかは確認できておりません……だって、怖いし。
「おはよう、星歌。今日も快眠か?」
「はい。それに今日は生徒会長選出の選挙の日ですから」
10月にはいって生徒会も2年に引き継がれる事になった。
星歌は生徒会長としての投票が行われる。
とはいえ、ほぼ決まったも同然だが。
彼女の信頼は学校全てに通用するものだ。
女神と呼ばれる程の人気は半端ではないし、彼女に憧れる後輩も多いと聞く。
「星歌なら大丈夫さ。余裕を持ってくれよ」
「だといいんですけど。すみません、今日は少し早めに出たいんです」
「それじゃ、リビングに行こうか」
時計の時刻はまだ7時半、登校までは十分時間はある。
僕達がリビングに来ると美羽さんが朝ごはんの準備をしてくれていた。
「はぁい。おふたりさん、すぐにご飯できるからね」
朝は美羽さんが作ってくれる事が多くなった。
和食に関しては彼女の方が上手という事もあり、今はすっかり任せている。
「いつもすみません。私は全然、料理してませんから」
「いいのよ。星歌ちゃんには他の家事をしてもらってる。それに今日から生徒会長さんで忙しくなるんでしょ?」
「えぇ。あ、今日の帰りは遅くなるので夕食は先に食べてください」
「分かったわ。今日は蒼空クンとふたりっきりだねぇ。ふふっ」
美羽さんの誘惑めいた言葉に星歌は微笑で牽制する。
「……お兄様、あまり調子に乗らないように」
「分かってるよ。あぁ、ホントに何もしません」
星歌って、笑顔で人を黙らせるから怖いんだ……。
美羽さんが作ってくれた朝食を食べ終わるとすぐに僕達は出かける。
自転車の二人乗り、背中に星歌が掴まるのを確認するとこぎ始めた。
スムーズに街中を進む自転車。
こういう事も生徒会長になってからは控えなければいけないのかも。
学校までは歩いていける距離で、星歌も帰りは歩きの事が多い。
自転車は星歌の寝坊対策でもあったのでそろそろ廃止してもいいのだが。
「蒼空お兄様、聞きたい事があるんですけど?」
「ん、どうかしたのかい?」
「美羽さんのことです。彼女ってお母さんを師事していたんでしょう?」
「あぁ、そう聞いているな。僕も1度、彼女のフルートの音色を聴いてみたい」
うちの母とも連絡を取り、美羽さんの事を聞いてみたが性格はともかく、フルート奏者としては海外の数々のコンクールを優勝するほどの実力があるそうだ。
「あの人が家に来て、夢月がいなくても家の中が明るくて楽しいよ」
「……私的には少し不満はあります。絶対に美羽さんはお兄様の事、狙っていますよ」
「星歌の勘違いだと思うけどな。僕はそこまで彼女に好かれてなんて……」
「いえ、私には分かります。美羽さんはお兄様の事、気に入ってます」
彼女は背中を掴んでいた手を、前へと回して抱きつくような格好をする。
「せっかく手に入れたお兄様なんですから、誰にも渡したくないです」
甘い声に僕も思わず顔を緩める。
星歌って本当に可愛い子だな、理想的な恋人だ。
「そういや、夢月の話だけど、さっそくコンクールにチャレンジするんだって」
「そうなんですか?」
「あぁ。昨日、パソコンにメールが来ていたよ。メールって言うのは便利でいいな」
そのメールには知名度のあるコンクールに出場すると書いていた。
自分の実力を知るために、らしいが、彼女なら入賞はできそうだ。
世界のレベルは高い、日本では有名な夢月と言えど、まだまだこれからだろう。
「あの子は自分の夢をちゃんと叶えているんですね」
「星歌も今日から生徒会長だろう」
「ですね。私も頑張らないといけません」
星歌にはかつてのような気負いは見られない。
夢月がいなくなって、彼女なりに自分を信じる事にしたようだ。
自信、それが彼女にとって1番必要なものだった。
星歌は昔からあまり自分を信じてあげない所があったからさ。
すべてはいい方向、いい流れで進んでいる。
風を切るように自転車は学校へと向かっていく。
今日は雲ひとつない晴天、いい1日になりそうだ。
本日の予定では午後の授業はなしで生徒会の投票が行われる。
順調に選挙も始まり、無事に星歌が学校の生徒会長へと選ばれた。
他の生徒会メンバーとも、いい感じに生徒会をまとめられるはずだ。
「やっぱり、女神が生徒会長になったか。信頼できるって意味では最高だよな」
「兄としては嬉しくもあり、何だか寂しくもある」
「はっ、それは贅沢なお悩みだ。あれだけ美人の妹がいてよく言うよ」
友人たちにからかわれるのも慣れたものだ。
星歌の魅力を知る人間はこの学校には多い。
実際、何も心配なんてしないんだよ。
放課後になると僕は大学の校舎前で待っている。
ここで今日は美羽さんと合流して、帰りにスーパーに食品の買い物をする予定なんだ。
約束の時間になると美羽さんが友人たちと一緒にやってくる。
「へぇ、この子が噂の同棲相手なんだ?可愛いじゃん、まだ高校生でしょ?」
「そうよ。蒼空クンは高校3年生、来年はこの大学に来るから後輩になるんだよ」
「美羽って年下趣味なんだ?でも、いい子そうだし、いいんじゃないの」
と、何やらお姉さま方に囲まれて僕は戸惑う。
一体、どういう状況なんだろう?
「ねぇ、キミ、美羽とはどういう関係なの?」
「え?ぼ、僕ですか?一応、美羽さんとは……」
「僕!?きゃー、何かホントに年下の子って可愛くていいなぁ。うちの周りってダサい男ばっかりだし。美羽が羨ましい。ハグしたい~っ。ていうか、男の子なのにお肌、めっちゃ綺麗だよ、この子?」
お顔が間近に……お姉さん、顔が近いです!?
あ、そんな所は触らないで……って、何ですの、この展開?
美人な女性たちに囲まれて、僕はどうすればいいんだーっ。
「料理もすっごく上手なんでしょう?こんな可愛い弟が欲しいわ」
「私も欲しいっ。美羽が羨ましいわねぇ。私も抱きしめていい?」
いきなり美女達に抱きつかれて、どう対応すればいいのか分からない。
ほんのりと香る香水の匂い、女性らしくてドギマギさせられております。
「やぁんっ。照れてるの?可愛いっ。よく見ると蒼空君って女の子みたいな顔してるわね」
「ホントだー。ねぇ、蒼空。どういう女の子がタイプなの?教えてよ」
……まぁ、昔はよく女の子に間違えられた事はありますが。
そんな過去のトラウマは身長が伸びて多少緩和されたんですけどね。
お姉さま方にぬいぐるみ扱いされて僕は身動きが取れない。
「あ、あの、美羽さん?これは一体なんです?」
「お姉さんは見ないフリをしています。頑張ってね?」
この状況で放置したよ、このお姉さん。
僕はお姉さま達に抱きしめられたり、キスされかけたりと遊ばれるだけ遊ばれて、帰ってしまい美羽さんだけになった。
僕の反応を楽しんでいたようだが、もの凄く精神的に疲れた。
恋愛経験豊富な年上のお姉さんは怖い……まぁ、役得は多少ありましたけどね。
「あははっ。ごめんね、私の友達がぜひ蒼空クンに会いたいっていうから」
「……年上の綺麗なお姉さんは苦手デス」
ああいうのが年上の女性というものなのでしょうか、ぐすっ。
「そう言わないでよ。皆、蒼空クンを気に入っただけじゃない。見た目、可愛いから大人の女性受けはいいんだよ」
危うく僕の純情を弄ばれる所でありました、はぁ……。
「基本的に蒼空クンは女の子のお尻に敷かれちゃうタイプだよね」
「そうなりたくないです」
「蒼空クン、本当に優しいもん。女の子相手だといつもそんな調子なの?蒼空クンにはずっとそのままでいて欲しいなぁ。お姉さん、そういう蒼空クンが好きっ」
何だろう、男としてダメな気がするのは気のせいじゃない。
気を取り直して僕らはスーパーに行く事にする。
自転車には美羽さんが後ろだという事でいつもと違い気を使う。
「……星歌ちゃんとこんな風に登校してるんだ?青春だねぇ」
「星歌は夢月が留学するまで遅刻ギリギリに目覚める事が多かったんで仕方ないんです。そうじゃなければ、彼女は遅刻の達人になってました」
「完璧な美少女の唯一の弱点ってわけね。朝が弱いなんて可愛いじゃない」
可愛いで済むレベルならよかったんですけどねぇ……。
今、ようやくその問題が治りかけているので一安心している。
自転車のペダルを漕いでいると、流れる景色に夕焼けが目に入る。
「……蒼空クンは夕焼けって好き?」
「綺麗ですし、嫌いな人ってあまりいないでしょう」
「私は好きじゃないな。だって、今日が終わるって改めて感じさせられるもの」
「それが何か……?」
美羽さんの言葉に疑問を感じる。
彼女は背中越しに意味深めいてこう言った。
「人の命は限られているもの。明日が常に来るとは誰にも断言できないの」
「……美羽さん?」
どうしてそんな事を言うのだろう。
明日がない、まるで終わりの時が来るのを常に感じていたような発言だ。
彼女は「変な話するけどいいかな?」と前置きをする。
「……私、生まれつき身体が弱くて病院の入院生活とか結構長かったのよ。今でこそ、元気満々、健康そのものだけどね。幼い頃は発作もひどくて、いつ死んでしまうか分からない危機的な状況も何度か迎えたの」
「そんなにひどい病気だったんですか?」
「まぁね。今は無事に完治してくれたけど。入院ってベッドに寝てるだけでしょ。私には窓の外から見える景色だけが時間を感じるすべてだった。朝が来れば明るくなって、夜になれば暗くなる。そんな当たり前のことが私には大切に思えてた」
夕焼けは夜になる前の合図、夜は彼女にとって恐怖だったんだろう。
だから、美羽さんが夕焼けが好きではなかった。
「大変な人生を送ってきたんですね」
「理不尽に思える人生なんて、はっきり言って珍しくないわ。世の中には辛い想いをして生きている人は山ほどいる。何不自由なく生きれる事を感謝すべきなの。まぁ、それに悪い事だけでもなかった。私は音楽に出会えたもの」
僕は赤い太陽が沈んでいくのを静かに見つめる。
美羽さんがどのような表情で語ってるのかは分からない。
だが、その言葉はとても重く感じるんだ。
「その時、同じように入院していた女の人がいたの。同室だった彼女はプロのフルート奏者だったのよ。時々、フルートの音色を聞かせてくれた。それは心に残る優しい音色だったの。すっかりと私はフルートというものに魅了されたわ」
「それが初めての音楽との出会いだった、と?」
「そう。彼女には音楽の譜面の読み方とか色々と教えてもらった。生きるための希望だったと言ってもいい。それだけ私にとっては大切なものだったの」
僕にとっての音楽はいつも身近に存在して大切になど思っていなかったかもしれない。
適当に楽器を演奏できても、特別うまいわけじゃなかった。
だから、結局、僕は音楽を勝手にやめてしまったんだ。
それでも、音楽自体は聴くのは大好きで、今でもよくオーケストラ公演を聴いたりする。
「……手術が成功して私はようやく自由に動けるようになれた。真っ先にはじめたのはもちろんフルートよ。小学校4年生ぐらいだったかな。初めて先生の指導を受けて、初めて出たコンクールで私は入賞する事ができた」
「へぇ、最初のコンクールで入賞なんてすごいですね」
「ふふっ。自分で言うのも何だけれど私は才能があったのよ。その入賞は自信になったわ。人に認めてもらう事の楽しさを覚えたの。それから先は、音楽は自分から切り離せない大切な存在になった」
音楽への向き合い方。
それは後の僕にとっても大きな意味を持つ事になる。
「はい、お姉さんのお話はお終いっ。何かちょっとシリアスモードに入っちゃった?」
ぎゅっと後ろから僕を抱擁する美羽さん。
今は何も言わずにその行為を受け入れる。
……変な意味じゃないですよ?
「家に帰ったら、美羽さんのフルートを聴かせてもらえませんか?」
「私の?えぇ、いいわよ。桜さんに指導してもらった自慢の音楽、聞かせてあげるわ」
「それは楽しみですね」
朱色に空を染める夕闇は今日は優しさのようなものを感じ取る事ができる。
それは美羽さんが「でも、誰かと一緒に見る夕陽は嫌いじゃない」と微笑みながら言ったからかもしれない。