第40章:天使はここにいなくとも
【SIDE:宝仙蒼空】
夏休みが終了して季節は秋へと移り変わる。
新学期、その言葉に気分を新しく何かを始めたくなる。
いや、大抵は夏休み中にサボっていた勉強のツケを払うために何かを始めている余裕はないかもしれないが。
それでも、僕は何か目指すべき目標を見つけたいと思っていた。
人生と言う限りある時間、怠惰に無駄に過ごすのはもったいない。
夢を叶えるために留学してしてまった夢月のように何かを目標にしたい。
「んー、あれ?蒼空クン、学校から帰ってきたんだ?」
「えぇ。大体、僕が帰ってくるのはこの時間帯ですよ」
時計は5時を過ぎた辺り、リビングでテレビを見ている美羽さん。
大学生である彼女は既に授業が終わっているんだろう。
我が家に彼女が下宿しだして1週間が過ぎていた。
初対面同士という事もあって、戸惑いもあったが、次第にその生活にも馴染んで、お互いにいい感じに慣れてきた。
美羽さんに対して、はっきり言える事はふたつある。
ひとつはこの人の性格、夢月にそっくりだという事だ。
細かい事は気にしないアバウトな所や、年上の魅力で僕をからかう所なんて、大人版の夢月がそこにいるようだ。
彼女たちが親友と呼べるほど仲良く慣れたのはきっと同じ波長があったんだろう、うん。
「これから夕食作り?何かお手伝いでもしようか?」
「それじゃ、サラダの方を任せてもいいですか?今日はポテトサラダを作るつもりなんですけど。美羽さんは料理は一通りできるんでしょう」
「まぁね。でも、正直、蒼空クンがこんなにも料理が上手なんて予想外だった。お姉さん的に好感度UPしたわ」
「ありがとうございます。料理は趣味みたいなものなんです」
実際、料理部なんてものもしているしな。
今日はハヤシライスとポテトサラダの予定だ。
ソファーに座っていた美羽さんが手伝うためにキッチンに立つ。
「エプロンは夢月の奴を使ってください」
「このピンクのフリフリかぁ。……ねぇ、蒼空クン。男の子はやっぱり、裸にエプロンって憧れるものなの?」
豊満な胸を強調して彼女は意地悪く僕に詰め寄ってくる。
くっ、これがふたつめ、僕にとっての弱点でもある事なのだが。
僕にとってその誘惑は精神的に耐え切れるのか自信はない。
「……僕は別に憧れたりはしてません」
「ふーん。私のエプロン姿を見たくないの?想像もしない?」
美羽さんの裸エプ……いや、僕には星歌と言う可愛い恋人がいます。
いけない、こんな事では……だが、しかし……。
「――お姉さんの裸エプロン、み・た・い?」
目の前で揺れる魅惑の膨らみに僕は理性との戦いに頭を抱える。
自分が男であるがゆえに無視できない悩みがある。
なので、無難な答えを返すしかできない。
「そういうのって“好み”の問題でもあるでしょう?」
「そうなんだ。それじゃ、どういうのがお好みなの?おねーさんに教えて?」
「ど、どんなのが好みとか言われても、困るんですけど」
美人相手に成すすべなくタジタジしてしまう。
しょうがないでしょう、これは……。
「ふふっ、蒼空クンって女の子に押されてしまうタイプでしょ?ダメだよ、男の子なんだからしっかりしないと」
「分かってるなら、からかわないでくださいよ」
「……だって、蒼空クンの困る顔が可愛いんだもん」
お姉さんにからかわれた僕は軽く溜息をついた。
ドギマギさせられる事に夢月相手に慣れてはいるが、お姉さん系だと僕は弱い。
ひとしきり僕をからかって満足したのか、それから美羽さんは普通に料理の手伝いをしてくれる、手際よくジャガイモを包丁で皮をむいてた。
「星歌ちゃんはいつも遅いけど、何か部活でもしているの?」
「いえ、彼女は生徒会の選挙が近いから準備に時間がかかってるんです。普段はもう少し早い時間に帰ってきてます」
「生徒会?そういえば、今朝もそんな話をしていたけど、星歌ちゃんって生徒会長に立候補してるんだ?確か、前生徒会長の推薦が必要なんでしょう?すごいわね」
「それだけの信頼もありますから。うちの妹はふたりとも学園では人気者です」
そう、学園では星歌は“女神”、夢月は“天使”と呼ばれている。
夢月が学園から去った事はそれなりに衝撃的なニュースではあったが、逆にそれは星歌支持を増やす要因にもなった。
唯一のアイドルとなった星歌が生徒会長として任命されるのは確実だろう。
「……星歌ちゃんって清楚系に見えて、意外に気が強かったりしない?」
「僕相手にはそう感じませんけど、よく夢月とは喧嘩としてました」
「あ、それは聞いた事がある。前に夢月ちゃんが話してくれたの。お姉ちゃんと仲良くしたいのにうまくできないんだって言っていたわ。双子って仲良しさんばかりだと思ったの」
今さらなのだが、夢月と美羽さんの接点って何だろう。
オーケストラでの共演以前から親交があったみたいだし、その辺の事情が気になる。
ハヤシライスの準備を終えて、後はじっくりと煮込むだけだ。
「美羽さんと夢月ってどこで知り合ったんですか?」
「私達?初めて会ったのはヴァイオリンコンクールよ。私が高校生の頃だから、夢月ちゃんはまだ中学生に入った辺りじゃないかな。あの頃から夢月ちゃんって容姿の可愛さが変わってないわよね」
中学という事は時期的に留学から帰ってきた辺りだろうか。
「美羽さんはフルート奏者ですよね。どうしてヴァイオリンコンクールに?」
「私の友達がそこに出ていたの。村雲梓美。関西で有名な高校生ヴァイオリニスト、蒼空クンは名前ぐらい聞いたことあるでしょう」
「村雲さん、何度か夢月と一緒のコンクールに出ていたので知っています。聴いてる人間を魅了する空間そのモノを生み出す力がある音楽を奏でる子ですよ」
奏者としても将来有望でありながら、可愛い子でもあったのでよく覚えている。
夢月も認める村雲さんの奏でる音楽は楽しさを教えてくれる。
「あははっ。蒼空クンにそこまで褒められるなら梓美ちゃんも嬉しいわよ。その梓美ちゃんと夢月ちゃんは友達なの。お互いにいいライバルなんだ。その縁で私も知り合ったわけ。初めて会った時から意気投合しちゃって……」
夢月と美羽さんって性格がよく似ているので分かる気がする。
「村雲さんってどういう子なんですか?」
「どういう子って聞かれると天然系かな?普段は“ぽわぁ”って感じの子なんだけど、音楽を心の底から楽しんでいるから、奏でる音楽も人を魅惑するの」
機会があれば僕も一度は会ってみたい。
夢月も村雲さんに影響を受け、彼女は自分の本当の音楽に向き会う事が出来たと言っていた。
「夢月ちゃんからはお兄ちゃんラブの話も聞いてたの。双子の義妹に好かれるなんてどこのラブコメディって思ってたけど、本当に仲がいいみたい。星歌ちゃんと夢月ちゃん、2人の中から選ばなくちゃいけないって大変だったでしょ?」
美羽さんは大人の女性だと思う。
こちらを優しく見つめる彼女に安心感すら覚える。
僕の周りってあまりこういう年上の女性はいなかったからな。
「でも、決めなくてはいけなかった。だから、僕は星歌を選んだんです」
「夢月ちゃんは残念だったわね。でも、蒼空クンは優しいわ。よく言われない?」
「どうでしょう?」
そうなのかな、自分ではよく分からない。
「あーあ、もう少し早く出会えてたら絶対、私のものにしてたのに」
さらりとそんなの発言をされるとこちらも照れます。
「ん、今からでも遅くない?お姉さんの恋人になる気ない?」
「いや、それはさすがにダメでしょう」
冗談だとは思うが、ここで星歌を裏切る真似はできないし。
うちの女神は怒ると怖いんですよ……。
「まぁ、それは半分冗談だけど。蒼空クンのこと、ふたりが好きになる理由が分かった気がする。桜さんも褒めていたわよ。『私たちが安心して海外で仕事が出きるのは蒼空がいてくれるから』だって。信頼されてるだけあるわ」
美羽さんはそう言うと出来上がったポテトサラダを皿に盛り付けていく。
ハヤシライスも後は刻んだパセリを入れるだけ。
星歌もそろそろ帰ってくるだろう。
「……完成!私達の初めての共同作業、うまくいってよかった」
「綺麗な盛り付けです。普段からこういう事を?」
「まぁね。私も1人暮らししてたから、料理くらいはできるのよ」
エプロンをはずす美羽さんは何を思ったのか、こちらに近づいてくる。
「どうかしました?」
「蒼空クンって、整った顔をしてるわ。私好みの顔、触ってもいい?」
そう言うやいなや、僕の頬を冷たい手で触れてくる。
体温が低い方なんだろうけど、ドキッとさせられてしまう。
「……お姉さんのこと、好きになっちゃダメだよ?」
「今の話の展開にどこからそんな話題が?」
「あははっ。言って見ただけ。でも、私的には蒼空クンは年下だけど十分、ストライクゾーンだからね」
そこは嬉しく思う所なんだろうか、喜んでもいいんでしょうか?
美羽さんはお姉さん的な笑みを浮かべている。
「ふたりとも、何をしているんですか――」
僕が美羽さんに言葉を返す前に冷たい声がリビングに響く。
振り向けばにっこりと笑顔の妹、星歌がそこにいた。
「あ、おかえりなさ――」
「ただいま、帰りました。で、何をなされているんでしょう?教えてください、蒼空お兄様?」
僕と美羽さんをさっと離す星歌は完璧な作り笑顔を崩さない。
「お兄様と美羽さん。私のいない間にずいぶんと仲良くなったみたいですね?」
怒ってるのか、何やら妙な方向で勘違いしている。
マズイ、ここは何とかい言い訳を考えないと。
だが、僕より先に美羽さんがフォローしてくれる。
「あのね、星歌ちゃん……私は蒼空クンの顔が好きなの」
全然フォローになってません、お姉さん。
だが、あまりにも率直に言われたので星歌も毒気を抜かれたようだ。
「は、はぁ……確かにお兄様はカッコいいですから」
「でしょう?私もイケメン好きだからついその顔に触っちゃって。ごめんねぇ、星歌ちゃんに変な勘違いさせちゃって。大丈夫、私は人の物には手を出さない主義だから安心していいの。……ほら、蒼空クンも」
「というわけで、やましい事はしてません」
それでも、星歌はまだ納得してないようで、僕を隣の部屋へと引きずり込む。
星歌は唇を尖らせながら、不機嫌な理由を言う。
「お兄様は大人の女性が好みなんでしょうか?」
「は?いや、特にそう言う事はないけど」
「でも、最近、美羽さんに見惚れてますよ。私、負けてます」
「綺麗だから、つい見ちゃうけど、そう言う意味じゃない。僕が好きなのはずっと星歌だよ。それは信じて欲しい」
星歌を僅かにでも不安にさせてしまったのなら謝ろう。
それは僕の本意ではないから。
「お兄様の事は信じてますけど、嫌なんです。私以外の人に、見とれたり、鼻の下伸ばしたり、主に胸の方に視線を向けたりされるのは……私だって大人になればきっと……それまで待ってください、ぐすっ」
「すみません、次回からは全力で注意します」
そこは反省すべき点だと言えます、素直な男の子でごめんなさい。
自分でも気づかない間に美羽さんのボディに見惚れていたようだ。
「星歌。不安にさせてしまって、ごめんな」
僕はぎゅっと星歌の華奢な身体を抱きしめると、落ち着きを取り戻したようだ。
「……私にキスしてくれたら許します」
「それで星歌が許してくれるなら何度でも」
誰も見ていないので、そのままの勢いで星歌の薄い唇にキスを落とした。
「んぅっ――」
星歌の方からもキスをねだるように甘える仕草を見せる。
僕がもう1度、彼女にキスをしようとした瞬間。
「あのー、ラブシーンもいいんだけど、ご飯が冷めちゃうよ?」
「ふぇ!?み、美羽さん、いつからそこにいたんですか。もうっ」
いつの間にか僕らの背後でニヤニヤとキスを見つめていた美羽さん、絶対にこの人はわざとだ。
「2人の仲の良さは理解したから早くご飯にしましょう。ねー、星歌さん?」
上手いこと邪魔されて僕らはお互いの顔を見合わせる。
「うぅ、何でしょう。この慣れ親しんだ胸のモヤモヤは……はぁ」
多分、星歌が感じているのは僕と同じ気持ちだろう。
絶対に夢月と美羽さんって似ているよ、あらゆる意味でさ。