第39章:女神の姉と天使の妹
【SIDE:宝仙蒼空】
8月30日、夏休みも残りわずかとなったその日、僕達は朝から空港にいた。
今日は夢月が留学のために旅立つ日、両親も一緒に再び海外に行ってしまう。
そのために、僕達は見送りに来たんだ。
「お兄ちゃん、夢月の事を忘れないでね。可愛い妹の私を忘れちゃ嫌だよぉ」
「忘れるわけないだろ。いつでも帰ってくるのを待ってるよ」
「大丈夫よ、夢月。貴方はずっと私達の心の中で生き続けるから」
「ちょっと、待ってよ!私、死んでないし。何てひどい事を言う姉なんだ」
星歌も相変わらずの調子で夢月をからかう。
これでも、内心は寂しがっているんだ……多分。
「ふぇーん、お兄ちゃんと離れたくない。私と一緒にお兄ちゃんも海外へ来て欲しいな。うん、それいいんじゃない?」
「いや、普通に無理だから。夢月は自分の夢を最短距離で追いかけるんだろ?」
「……そう、夢のために私は恋を犠牲にするの。ごめんね、お兄ちゃん」
隣の星歌が小声で「貴方はフラれたくせに」と言っていたのは聞かなかった事にしよう。
「それよりも、これから2人暮らし?ラブ甘生活が待ってるんでしょう。いいなぁ」
「羨ましい?羨ましいわよねぇ?」
「くっ、姉を調子づかせてしまった。ふんっ、そんな嬉しそうな顔をしてるけど、私が本気を出せばどうなるか覚えておいてね?簡単にはラブラブなんてさせない。サプライズをお楽しみにね、ふふふっ」
喜びに頬の緩む星歌、宣言する夢月は何やら怪しい笑みすら見せていた。
また妙な事でも企んでいそうだな。
「……で、真面目な話。お姉ちゃん、私の友達にはちゃんと手紙を渡しておいて?」
「分かってるわよ。でも、一応、メールや電話で連絡はしているんでしょう?」
「それとこれとは別問題。高校卒業には間にあわないと思うから、ちゃんとお別れしないとね。あと、新聞部の方にも連絡をしておいたから、すぐに私の事は学園中に知れ渡ると思うから心配しないで」
「そんな心配は微塵もしてないわ。でも、前も思ったけど、新聞部とどんな繋がりが?」
学園の情報網を握ってる夢月。
何度も僕を窮地に陥れた疑問に彼女はニヤリと怪しげな笑みを見せる。
「そ・れ・は、企業秘密だよっ♪」
まぁ、聞いた所で答えるわけもない。
軽くはぐらかすと両親がこちらに来る。
「お待たせ、夢月。飛行機の搭乗手続きは終わったわ」
「はーい。それじゃ、私はもう行かなくちゃ……名残惜しいけどここでお別れだよ」
本当にここでお別れか、寂しくなるじゃないか。
夢月はこちらを見上げるとぎゅっと抱擁してくる。
「バイバイ、蒼空お兄ちゃん」
「元気で、頑張ってくれよ。何かあったら連絡してくれ」
「うんっ。お兄ちゃんも自分の夢が見つかるといいね」
身体を離すと夢月は星歌の方を見る。
姉妹同士、何か通じ合うものがあるのかと思いきや、
「……お姉ちゃん、私は負けたつもりないから。いつかリベンジしてみせる」
「私は勝ったつもりでいるけど?むしろ、勝利宣言していい?」
「ふっ、お好きにどうぞ。その余裕面、すぐに歪ませてやる」
言葉はけんか腰だがふたりとも笑顔だ。
なんとも姉妹というのは不思議な絆で結ばれているらしい。
「ホント、最後までこんなのばかり。お姉ちゃんっ、バイバイ」
夢月が手を振ってゲートへと向かう。
だが、星歌はその前に本当の想いを彼女に告げたんだ。
「――夢月、応援しているわ。私も負けないように頑張る」
「ありがとう。こちらこそ、次に会う時が楽しみだね」
その一言で姉妹にとっては言いたい事を伝え合ったようだ。
満足げな笑顔で夢月は僕達の前から去っていく。
彼女を見送り届けた後、星歌は肩を震わせる。
「……夢月、行っちゃいましたね」
「そうだな。でも、またいつでも連絡ぐらい取れるさ」
「分かっています。私達は姉妹ですから、いつだってまた会えます」
これが最後の別れじゃない。
また帰ってくる日を待つ、その時はお互いに成長しているはずだ。
僕は夢月がたくさんのいい思い出を積み重ねてくれる事を望んでいる。
「さて、帰りますか。家に来訪者が来るから対応してくれって、父さんから言われた」
「そうなんですか?どなたが来るんでしょうね」
僕達は明日を手にするために歩き出す。
別れと出会いは対になるもの、別れがあればまた出会いもあるんだ。
妹と両親の乗った飛行機が空へと飛び立つのを僕らは見つめながら、
「バイバイ、夢月」
胸に込み上げるのは寂しさではなく、喜びに近いものがある。
自分の夢をしっかり掴んで来いよ、夢月……。
そして、僕達の愛する天使は海外へと羽ばたいて行った。
夢月を見送り届けた僕らは自宅に帰ってきた。
だが、そこで僕らは予想していない状況を迎えることになる。
自宅前で僕らを待っていたのは一人の綺麗な女の人だった。
容姿的に年齢は二十歳前後という所か?
「こんにちは。貴方たちが宝仙蒼空クンと星歌ちゃんでしょう?」
「あ、はい。父さんから聞いてる来客って……?」
「それはきっと、私よ。私は宝仙先生、あ、桜さんにお世話になっている滝本美羽(たきもと みわ)って言うの」
桜(さくら)っていうのは僕の母さんの名前だ。
という事は、彼女は母の教え子という事だろうか?
父さんのように、若手のフルート奏者に指導しているって話を聞いた事がある。
で、その美羽さんは僕らに何の用なんだろう?
母さんに用事というわけではないようだし。
「それで、僕らに何の用事があるんでしょう?」
「あれ?もしかして、ふたりとも私の事を聞いていない?」
「いえ、全く聞いていないんですけど?なぁ、星歌?」
「あ、はい。私も何も聞いてません」
とりあえず、美羽さんには家の中にあがってもらうことにした。
お茶を用意して、ソファーに座る美羽さん。
それにしても美人だ、それに何よりもスタイルの良さが……。
「蒼空お兄様?」
こほんっ、星歌に余計な詮索をされる前に話をする事にする。
「それで、美羽さんが我が家に来た理由っていうのを聞かせてもらえませんか?」
「私が今日からこの家でお世話になる、って話なんだけど、本当に聞いていないの?」
「……え、えぇー!?」
僕より先に驚いた声をあげたのは星歌だった。
確かにいきなりな話で驚くのも無理はない。
その様子に美羽さんはくすっと微笑む。
「本当に聞いてないみたいね。どうしましょう。そうだ、これ、夢月ちゃんから預かってきた手紙。何かあれば渡せば良いって言われているわ。どうぞ」
美羽さんから手渡された手紙を読む事にする。
そこには夢月の字でこう書かれていた。
『本日から我が家に下宿することになった美羽ちゃん(21歳)です。こう見えてもすっごく有名なフルート奏者なんだよ。私の親友なのでーす♪美人さんでしょ、でも、意外に可愛い性格なんだよ』
美羽ちゃんって年上相手に“ちゃん”付けとはよほど親しいのだろう。
というか、下宿っていつの間にそんな話が……。
『やっぱり、お兄ちゃん達ふたりっきりだと何かとマズイので、監視する人間を置くことにしました。美羽ちゃんは今回のオーケストラで留学の過程を終えて、日本の大学に復帰することになってるの。それで、新しい家を探していたので、下宿先として我が家を紹介しました!ふたりとも仲良くしてね?』
美羽さんからも話を聞くと、我が家に下宿という話は両親が紹介したという事らしい。
彼女の通う大学は僕達の通う学園の大学で、うちからだと通学にも困らない。
留学から帰国後、家を探している=我が家を紹介と言う流れも理解しよう。
さらに手紙は続いているようだ。
『ふふふっ、ふたりとも私がいなくなってようやく、ラブ甘新婚生活が送れると思ってたでしょ!?私はそれを許しませんっ。仲良く同棲なんてさせないもん~!子作りなんて5年は早いわっ!』
これが夢月の言っていたサプライズというわけか。
なるほど、確かにこれは想像していなかった。
『詳しい話は向こうについてからママが電話でするって。ふははっ、お姉ちゃんの悔しがる顔が目に浮かぶ。夢月の逆襲。どうでしたか、私の尊敬するお姉ちゃん?以上でーす♪』
……恐る恐る星歌に目線を向けると唇を噛み締めて静かに怒っていた。
「あの子らしい、やり方ですね。本当に、えぇ……許さない」
目が怖い、完全に夢月に対して怒ってます。
この状態はしばらく放置するに限る。
「桜先生には海外に留学中にお世話になっていたの。それで、今回の留学で夢月ちゃんもいなくなって、二人暮らしになるのを心配していたわ。私にとっても、彼らにとっても利害が一致したわけなんだけど……?」
「まぁ、内容は理解しました。そう言う話でしたら、こちらこそよろしくお願いします」
「あら?意外に素直な反応、お隣の星歌ちゃんは納得いかないって顔をしてるわよ?」
ビクッと反応する星歌は僕達に振り向くと、「そうですか?」と女神の微笑みを浮かべた。
その笑顔、誰が見てもめっちゃ作り笑いです、怖いよぅ。
「いえ、そんなことはないです。美羽さん、よろしくお願いします。あっ、部屋はどうしましょう?今、使える部屋といえばどこがありました?すぐに使えるのは夢月の部屋くらいですよね?」
「美羽さん、夢月の使っていた部屋でもいいですか?」
「えぇ。夢月ちゃんからもそう言われているから」
荷物を置きに彼女に部屋と我が家の中を案内する事にする。
突然のことに驚きはしたが、監視者という意味では両親の心配も理解できる。
いい人そうだし、同居することも特別に問題点も見当たらない。
ただ、ひとつだけ言えるのは想像していた甘い生活はダメになりそうなだけ。
それは少し残念かな、でも、僕らはまだ学生だし、それもいいと思うんだ。
「……へぇ、ここが夢月ちゃんの使ってた部屋なんだ?防音加工もしているみたい、すごわいね」
「音楽の練習するくらいなら十分できますよ。また荷物が届いたら、その時はお手伝いします」
「ありがとう、蒼空クン。突然の事なのに、すぐに対応してくれるなんて優しいわ」
「驚きはしてますけど、反対する理由はありませんから」
そう、こんな美人な女性と同居できるのならば、夢のラブ甘生活を捨てても惜しくはない……。
いや、これは星歌にバレたらひどいことになりそうだけど。
それにしても、両親もこんな大事な話はしっかり通しておいて欲しいモノだ。
僕らを驚かせるのが目的だとは思うけどさ。
鞄をベッドの横に置くと彼女はこっそりと僕に言うんだ。
「あのね、星歌ちゃん、怒ってなかった?私も一応の事情は聞いてるから。ふたりが義兄妹で恋人だって事も。その、何か、そういう意味で気まずくて。迷惑してない?」
「気にしなくても、そちらは僕が説得しますから。とりあえず、美羽さんは部屋の整理でもしておいてください。お昼ごはんになったら呼びにきます」
「……蒼空クンって良い男ねぇ。ありがとう」
美女に褒められて気をよくする僕だが、この後の展開には溜息だ。
美羽さんの部屋を出てリビングに向かう足取りも重い。
リビングには少し俯き加減な星歌の姿が。
「うぅ、せっかくふたりだけの生活ができると思ってました。それなのに……」
「残念ではあるけど、仕方ないよ。両親が心配するのも分かるし、美羽さんの事情も分かる。夢月の策略は実際には関係ないと思うぞ?」
「両親にまでこの件を黙らせておいたのは彼女のせいだと思いますけどね」
よほどご立腹のご様子、恋人が不機嫌な時、どうすればいい?
さぁて、どうしますか……正攻法で攻めて見るかな。
「星歌、僕は正直、ホッとしているんだよ」
正面から僕は星歌を抱きしめると、彼女は戸惑う。
「どういう意味ですか?蒼空お兄様は楽しみにしてくれていなかったんですか?」
「違うよ。夢月もそうだけど、誰かいないと僕は自分を抑え切れそうになくて……星歌が大好きだから」
耳元で囁くと、その意味を理解した星歌は可愛く頬を紅潮させる。
マジ話、理性との戦いの日々も覚悟しておりました。
「あ、あの、私も……そうかもしれません。期待してるところもありましたから」
「だろ?僕らにはまだ早かったんだ。それにホントにふたりっきりで暮らすのはこれから先でも機会はある。ううん、そういう未来を望んでるんだ。それじゃ、ダメかい?」
「はぅ、蒼空お兄様にそう思っていただけるだけで嬉しいです。大好きですよ」
照れながらも喜びに満ちた声で答えてくれる。
よしっ、ご機嫌は治ったようだ、星歌が純粋な子で助かったよ。
それはともかく、美羽さんという新たな美女が我が家にやってきた。
でも、僕と星歌の関係が変わったわけじゃない。
ゆっくりと僕らのペースで関係を積み重ねていこうと思うんだ。
僕らの物語はここで終わらない、まだまだ続いていく。
夏の終わり、僕らは新しいステージに足を踏み出そうとしていたんだ。






