第33章:蒼空の決断
【SIDE:宝仙蒼空】
夏休みも残り僅か、妹達の誕生日が迫っていたある日。
僕は食料品の買出しをリストに書き出していた。
両親が帰って来ているために食料品の消費が早い。
一応、高校に入ってからはうちの家計簿をつけているのは僕だ。
「卵がない、あとは牛乳も切れかけているな。他に必要な物は……」
夢月は両親と共にオーケストラの練習、彼女の声がないと我が家はずいぶんと静かだ。
「あら、お兄様。どうしたんですか?」
リビングに入ってくる星歌。
今日は長い髪を髪留めでまとめている、意外に雰囲気が変わるな。
「ん、あぁ……。買出しのメモを書いてるんだ。食料品、ずいぶんと減ってるからなぁ」
うちで食事を作るのは僕や星歌が主にしている。
星歌も結構料理は上手なんだ。
「確か、マヨネーズも補充しておいた方がよかったはずです。冷蔵庫を見てみますね」
「またマヨネーズか?ったく、うちにはマヨネーズ好きの妹がいるからな。すぐになくなって困る。あれって値上げされて結構高いのに」
すっかりと主夫的な会話をしてしまう。
そんな僕に星歌は微笑みながら、
「蒼空お兄様って家庭的ですよね」
「それは褒められているか?」
「褒めてますよ。私のお婿さんに欲しいくらいです」
冗談めいて彼女は言う、何気に告白されているな。
星歌は俺に好意を持っている、それは夢月も同じ。
僕はどちらかに決めなくてはいけない、僕が好きな人はどちらなのか。
まだ答えの出ないまま、夏は終わろうとしていた。
「あ、あのぅ。冗談ですよ?そんなに黙り込まれると恥ずかしくなります」
彼女は照れた素振りを見せて言う。
「違うよ。悪い、少し考え事をしていたんだ」
「考え事ですか?」
「そう。とても悩んでいる事がある。……この広告にある卵、ひとり限定1パック88円。ぜひ、ふたつは欲しい所だ。誰か手伝ってくれたらなぁって」
「ふふっ。そういう事なら私もついていきますよ。お買い物をお手伝いします」
星歌をお誘いする事に成功した。
いや、話を誤魔化すためで言ったんだけど。
「いいのか?何か用事でも?」
「お兄様と一緒にいられる時間ほど私に価値のあるものはありませんよ」
そんな言葉言ってもらえるのは男として嬉しい限りだ。
というわけで、ふたりで近所のスーパーへ買出しに行く事になった。
曇天の空、外に出て暗く沈んだ天気を見上げる。
「雨、降ってこなきゃいいんだが」
「天気予報では夜に降るって言ってましたけど?」
「じゃ、傘はいらないな」
まぁ、この曇り加減なら天気は持つだろう。
僕らはスーパーに着くとカゴの中に次々とリスト通りのものを入れていく。
「卵は買った、牛乳もOK。あとは……」
「あ、お兄様。これ買ってもいいですか?」
「あぁ、フルーツ・オレか。いいぞ」
妹とお買い物、とはいえ、星歌と僕が一緒に並んでると兄妹には見えない。
これが夢月と一緒なら間違いなく兄妹なんだけど。
「何だかこうしていると立派なデートだと思いません?」
「僕も同じ事を考えていたよ」
「ホントですか?それは、私の事をただの妹だとは思ってないって事ですよね」
星歌の言葉に僕はふと思う。
ただの妹、星歌の事を僕は1度もそう思ったことがない事に。
彼女は僕の義理の妹だ、そういう関係だけど、存在的に妹を求めた事はない。
妹の定位置には夢月がいて、星歌はいつも僕にとっては年下の女の子だった。
最も身近な異性、か……。
「そうだな。星歌って昔は僕に全然懐いてくれなかったじゃないか」
「あ、あぅ。その節はすみませんでした……」
「いや、あれが逆に僕達の関係を作り出したんだと思う」
夢月が妹として甘えてくれる事は血の繋がり以上に僕に兄妹の意味を教えてくれた。
星歌は僕に女の子としての距離感を保っていた事で、それはそれで意味のある事だ。
「蒼空お兄様は私達にとっては兄という存在です。でも、今は兄としての存在感よりも異性としての想いの方が大きくなってます」
「ひとつだけ聞いていいかな。星歌はどうして僕を好きになったの?」
「……私にとって初めて心を許せる男の人だったからでしょうか。男の子は怖くて意地悪ばかりするというイメージしかなかった。だけど、お兄様は私に優しくて、意地はってばかりの私を文句も言わずに見守ってくれていましたから」
にこっと笑う星歌は野菜をカゴに入れていく。
僕らはその後もリスト通りの買い物を続けていく。
「荷物は重くないですか?」
「これくらいは大丈夫さ」
レジを終えて僕達がスーパーを出ると、曇天はかなりどんよりとしている。
湿った空気を感じる、すぐにも雨が降りそうだ。
「マズイ、これは降って来るかも。走るよ、星歌」
「あ、はい……」
僕らは駆け足で帰路につくが、予定よりも早く雨は降りだした。
冷たい雫が頬を撫でていく。
「通り雨か、どこか雨宿りできればいいんだが」
「そこの公園に入りましょう」
近場の公園のベンチには雨宿りできそうな場所があった。
そこに逃げ込むように入り、雨をやり過ごす事にする。
「夏の天気は変わりやすくても困る」
「あの時、やっぱり傘を持ってくるべきでしたね。ごめんなさい」
「星歌のせいじゃないさ。ほら、ハンカチ。服が濡れただろう」
僕の服はすぐに乾くドライタイプの服なので大丈夫だが、星歌の洋服は濡れると冷たいはずだ。
「ありがとうございます」
「……ほら、髪の毛も濡れている」
濡れた髪をハンカチで拭うと何とも色っぽい感じになる。
「星歌ってホントに美人だよな」
「え?突然、どうしたんですか?」
「その魅力を改めて感じたんだよ」
僕らは静かに降りしきる雨を見つめていた。
ザーッという音、強い雨だが雲には切れ目が見えるため通り雨だろう。
「そういや、昔も似た感じのことがあったな」
「中学生ぐらいの時ですよね、覚えています」
中学生の頃、学校の帰り道、一緒に帰っていたら突然降りだした雨に今日みたいにこの場所で雨宿りしてた。
「あの時はまだ肌寒くて、お兄様が着ていた上着を私に貸してくれたんです」
「そうだっけ?そこまでは覚えてないな」
「昔からお兄様は優しい。今日も私のためにハンカチを貸してくれました」
星歌が僕を屈託のない眼差しで見上げてくる。
女神の瞳に見つめられて、僕は少し照れた。
手を伸ばせば触れ合えるお互いの距離。
星歌は僕の腕を掴んで寄り添ってくる。
「雨、もう少し止んでほしくありません」
「甘えたい年頃か?」
「ですね。好きな人には甘えたい、ずっと……」
触れ合う肌にわずかに緊張する。
星歌の温もりは僕に現実を教えてくれる。
ふわっと溢れていく気持ちがある。
自然に自分の中に生まれていくモノ。
その感情、とても温かくて、触れてしまうと消えそうなそんな想い。
今になって、あの“答え”は出ようとしていた。
「……そっか、そうなんだよな」
今、分かった。
僕は星歌の事を意識しているという事に。
それはずっと前から続いていた、僕の中にあった本当の気持ち。
「蒼空お兄様?」
「星歌は僕にとってずっと女の子だったんだよ。可愛い女の子、だから、夢月とは違う。妹ではなく、ひとりの女の子だったんだ」
異性としての意識は僕に妹と言う存在認識を与えて誤魔化した。
無理にでも妹として見ようとするように。
けれど、心の奥底ではずっと夢月と違って、僕は星歌に特別な感情を抱いていた。
寄り添う星歌を僕は正面から抱きしめる。
「お兄様、あ、あの……?」
「よく聞いて欲しい、星歌。僕は初めてキミに出会った時から心に想いを抱いていた。それに気づくのは遅すぎた、でも、分かったんだ」
「何が分かったんですか?」
しかし、これは僕にとっての選択でもある。
星歌を撰ぶという事は夢月を……。
思い浮かぶ夢月の笑顔。
だが、僕は今の気持ちを信じる事にする。
ずっと一緒にいたいと思えるのは星歌なんだ、この気持ちに偽りはない。
一瞬の躊躇はしたが、そのまま星歌に語りかける。
「僕は星歌の事を好きなんだと思う。きっと、初めから……好きだった」
抱きしめていた星歌が驚いた顔をして僕に尋ね返す。
「――今、お兄様、何を言いました?」
「何度でも言うよ。僕が好きなのは星歌だ。夢月は大事な妹だけど、それ以上の気持ちは持てない。異性として愛しているのは星歌、キミなんだよ」
答えが出た、僕の気持ちの答えが出たんだ。
僕は星歌が好きなんだ、この子を守りたいと思う。
雨の降る音だけが公園内に響く。
星歌は何を言えばいいのか、そんな戸惑いさえ見せた。
「あ、えっと……私は夢を見ているんですか?」
「夢?違うよ、これが現実なんだ」
ぼんやりとしている星歌の頬を手で触れる。
「キミが好きだ」
僕の言葉に星歌は瞳を涙で潤わせていく。
「……あっ、で、でも、私は……お兄様の妹で。違う、そうじゃなくて」
「落ち着いて、星歌」
「こ、こんな展開、想像もしてなかった……お兄様に愛されて、告白されるなんて」
抱擁を強く求めてくる彼女、背に回された手に僕達は密着していく。
心が触れあい、溶けていくような感覚。
「……どうすれば現実だと信じてくれるのかな」
「これが夢なんかじゃなくて、現実なら……キスをして欲しいです」
「それが星歌の希望ならいくらでもするよ」
僕を誘う唇に初めて意思を持って触れ合わせた。
「……んっ」
好きだ、この子を僕は愛している。
感情を込めてしたキスは……これまでのものとは違う。
高まる心臓の鼓動も、高ぶる気持ちも……。
「……ぁっ……お兄様ぁ、蒼空お兄様」
何度も僕の名を呼んで、星歌は唇を求めていた。
あれだけ降っていた雨もやがて止む。
「ねぇ、星歌の気持ちは?」
「もちろん、大好きですよ、お兄様。私も好き……」
僕らが唇を離した時には待っていたように虹が姿を見せる。
虹色の輝きに魅せられながら、僕は星歌に問う。
「僕の大事な女の子、星歌……キミを愛しているんだ」
僕は星歌を選んだ、つまり、夢月を選べなかった。
バランスをとっていた天秤は傾いた、僕はその責任を強く感じて背負っていく。
そのための覚悟はしているつもりだ、僕の気持ちを夢月に告げる。
だが、今は……この腕の中にある大事な幸せを噛み締めていたいんだ。