第25章:揺れる天秤
【SIDE:宝仙蒼空】
我が家に久しぶりに両親が帰ってきた。
世界的に有名な音楽家のふたりは中学に入った頃から海外で活動をし始めた。
大体、年に3ヶ月程度の間隔でしか日本に帰ってこない。
既にその生活にも慣れて、今回も仕事が日本であるから帰ってきたに過ぎない。
そして、家に荷物を置いてすぐに彼らを僕らは見送る。
「父さん達も大変だね。せっかく日本に帰ってきてもゆっくりできないなんて」
「それが仕事だ、仕方ないさ。蒼空や星歌がしっかりしているから助かるよ。これからコンサートホールに行くつもりだ。夢月、お前もついてきなさい」
「はーい。えへへっ。ホントにパパ達のオーケストラに参加させてもらえるの?」
「あぁ。お前の実力は他の人も認めているからね。僕の娘として誇りだよ」
両親が夢月を褒めるのを星歌は表情を曇らせながら眺めていた。
この問題だけはどんなに気持ちを整理してもどうにもならないか。
「行って来るぞ、蒼空。夕食ぐらいは一緒にとろう。こちらで店は押えておこう」
「分かったよ、またその時に連絡して。いってらっしゃい」
慌しく出かけていく3人を見送った僕は星歌に尋ねる。
「そういや、星歌、今日の予定はあるか?」
「いえ。何もないですけれど……あの、一緒にお出かけしてもいいですか?」
「うん。僕も誘おうと思っていたんだ。繁華街の方に買い物でもいこう」
「分かりました。すぐに準備してきますね」
星歌がそういって自室へと戻っていく。
両親と星歌、双方には目に見えない壁が存在している。
親の期待か……応えられないと自分を責めた星歌を思い出していた。
大事なのはそんな事じゃない、自分が何をしたいかだろう。
「僕が守りたいのはどちらか……」
そして、夢月も海外留学という選択を悩んでいる。
僕が傍にいてあげないといけないのはどちらなのか。
星歌と夢月、双子の姉妹……“天秤の傾き”、僕にも決断が必要らしい。
「どうすれば理想なんだ。いや、これも同じか。僕がどうしたいのか、だな」
悩んでいると、すぐに外行きの私服に着替えた星歌が玄関に来る。
「お兄様、お待たせしました」
ミニスカートから見える白い肌、妹のふとももに目を向けながら僕は言う。
「……さて、それじゃ行こうか」
最近、妹の発育具合にドギマギさせられるのは……はぁ(幸せの溜息)。
彼女を連れて出かけたのは繁華街、買い物をしたくてきた。
人に溢れる街並みを歩くと、隣の星歌は周囲を気にするように辺りを見渡す。
恋人同士、仲のいい姿を見つめて、僕に問う。
「こうして一緒に歩いていると私達はどう見えるでしょうね」
「どう見えて欲しいんだい?」
「あら、お兄様って意地悪な質問をしますね。もちろん、恋人として見られたいです」
くすっと穏やかな微笑みを浮かべる星歌。
それだけに僕も否定はせずにおく。
「それじゃ、そういう雰囲気で楽しんでみる?」
「え?あっ……」
僕は星歌の手を取って歩き出す。
小さな女の子の手、触れると砕けてしまうガラスのように優しく握り締める。
「……蒼空お兄様って時々、積極的ですよ。いつもそのくらいならいいのに」
「まぁ、たまにするから効果的なんだろ?」
「そうですね、軟派なお兄様は見たくありませんから。お兄様って男の子って感じがします。触れるだけで緊張してしまいますよ」
頬を赤く染めてる星歌、手を繋ぐだけでも緊張するのは可愛い。
僕は星歌に歩調を合わせて、繁華街のお店を適当に回る事にした。
「まずは僕の目的地から行ってもいいかな?」
「はい。どこに行くつもりなんですか……?」
「星歌の誕生日プレゼント。何が欲しい?好きなものを買ってあげる」
そう、僕の目的は星歌と夢月のプレゼント選び。
既に夢月のプレゼントは目星をつけている。
星歌は趣味も違うので、僕は直接、本人に尋ねる事にした。
「お兄様、私のプレゼントって毎年、いいんでしょうか?」
「妹がそう言う事は気にしない。僕だって自分の誕生日はふたりに祝ってもらってるんだ。このくらいのお返しはさせてくれよ」
ふたりの誕生日はちょうど1週間後だ。
毎年、ふたりを祝うのは習慣になっている。
「それじゃ好意に甘えて……お兄様。ついてきてもらえますか?」
目的の物を決めたのだろう、星歌が僕を店へと案内する。
メイン通りを外れた裏道、繁華街の端にその店はあった。
「……アンティーク専門店?」
「前から欲しかった物があるんです。アンティークって言っても、高い物ばかりじゃないんですよ」
お店の中に入ると、いかにもという洋風な雰囲気の店内だった。
店の中心には洋風の人形が飾られている。
僕はそれを見ながら、ぽつりと言う。
「……人形か、これってあれだろ。髪が伸びる人形とか」
「違います。そういう呪いの人形なわけじゃないですか。そんなお店じゃないですよ」
「すまん、言ってみただけだ。それにしても、アンティークって色々とあるんだな」
人形や雑貨、食器や家具など様々な種類のものが置いてある。
うわっ、このティーカップセットって高いな……なんでこんなものが数万円もするんだろう。
相場を知らないが、どれもこんな値段がするのか……すごいね。
僕には縁のない世界だけに、見てまわるだけでも面白い。
「アンティークというと、昔の古い品々だろ?いわゆる骨董品だよな」
「そうですね、フランス語で骨董品の事をアンティークって言うんです。主に西洋骨董品をアンティークと呼ぶみたいです。とても綺麗なものが多いんですよ」
「星歌はどういうのが欲しいんだ?こういうぬいぐるみとかアクセサリーか?」
髪留めや人形を選ぶ素振りを見せていた星歌は首を振る。
「いいえ。私が欲しいのはこれなんです」
星歌が手に取ったのはアンティークのオルゴールだった。
箱型のオルゴールで小物入れになっているらしい。
蓋を開けてみると静かに流れるオルゴールのメロディー。
「以前、この店に友達と来ていいなって思ったんです。この曲が好きなんです」
「へぇ……こういうのに興味があるのか?」
「はい。可愛いモノが好きなんです。それに、この絵柄も好きですし」
装飾のついた箱、なるほどね……男にはこの良さは理解できそうにない。
確かに星歌には似合いそうなモノだよな、何より物を大切にしてくれる。
夢月なんかこの前、ずいぶん前にあげた指輪が掃除してて見つかったって言われた。
お兄ちゃん、ショックでしたよ。
……夢月には彼女の望むものをあげようと切に思った。
「ただ、値段の方が少し……」
控えめに言われて僕はそのオルゴールの値段を見る。
ついでに周りの他のと比べてみるが、うん……この中では安い方だ。
確かにそれなりの値段がが、僕も手が出せないという値段ではないし、何より、妹の誕生日だから細かい事は気にしないでおく。
「なるほどね……いいよ。これなら手持ちの金でも買えるから。せっかくの誕生日なんだから気にするな。これでいいんだな?」
「ありがとうございます」
嬉しそうに星歌が言う、兄としても喜んだ妹の顔に満足さ。
「絶対に大事にします……蒼空お兄様のプレゼント、本当に嬉しいです」
「それだけ喜んでもらえるなら、僕も嬉しいよ」
その笑顔を見られただけでも、多少の出費は気にしない。
オルゴールをお店で買った後、僕らはお店を回り続ける。
途中で星歌の下着選びに付き合わされたのはアレでしたが。
妹のブラのサイズがまたひとつ大きくなった事にドキドキしつつ、いかにポーカーフェイスを装うかで頭がいっぱいだったのは内緒だ。
それ以外は問題なく、楽しく時間は過ぎていく。
「あむっ……美味しいです」
駅前の公園でソフトクリームを食べながら僕らはベンチに座る。
妹がソフトクリームを舐めるのを見つめながら、
「たまにはこういうのもいいな」
「お兄様、今日は付き合ってくれてありがとうございます。とても楽しく過ごせました」
「……うん。僕も楽しかった。それに、星歌の可愛いらしい所も見られたし」
「あぅ……アレは忘れてください」
それはゲームセンターでの出来事、ああいう場所に初めて行ったのか子供のようにはしゃぐ姿は可愛く思えた。
星歌はあまり喜怒哀楽を表に出す子じゃない。
どちらかといえば、内に隠してしまうタイプだから。
「星歌はもっと気楽にしても言いと思うんだよ。笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣く……。我慢なんてしなくてもいいんだ。両親と会った時も表情が堅かった、気にするなとは言わないけれど、家族なんだから自然体で接してみないか?」
「お兄様だけですよ、そんな事を言ってくれるのは。私は両親にとってダメな娘でしかないんです。親の期待に応えられない、その過去は消える事はないんです」
昔からこういう気難しい子ではあった、僕と初めて出会った時も男の子嫌いでギスギスしていたし、音楽をやめることになった時も……。
僕もそうだが、音楽ができないという事を僕の両親は責めたワケじゃない。
ただ、全ての期待を夢月に向けた……それは僕らにとって突き放された感はある。
音楽ができないという劣等感、星歌の夢月を羨む気持ちが嫉妬を生んだのも事実だ。
僕も他人の事は言えない、あの時感じた気持ちは星歌と同じだから。
「お兄様は私にいつも、前向きにとか、自分らしさとか助言をくれます。それに救われているんです。宝仙星歌という女の子を上辺だけでなく、ちゃんと見てくれるから……だから、私はお兄様が好きなんですよ」
そう言って、彼女は溶けそうになるソフトクリームを口にする。
気持ちの整理がいくらできても、今朝のように親に認められる光景は僕にとっても星歌にとっても……あまり認めたくないものだ。
「それでも、人は前を向いていかなくちゃいけないんだ。僕らの人生は誰かのためにあるわけじゃない。今の自分がすべき事、したい事は自分で決める。そして、自分の選んだ道には悔いはない。過去に捕らわれ続ける必要はないのさ」
「……えぇ、分かってます。ホント、お兄様ってずるいくらいにいい男ですね。また惚れ直しちゃいますよ。蒼空お兄様、大好きです」
妹にそう言われると僕は照れてしまう。
我ながらいつも説教のような青臭い台詞を吐いてしまう。
それは夢月には見せない僕の姿でもある……そうか、僕は星歌を守りたいんだ。
僕にとって星歌は守ってあげたい存在。
それなら……僕にとっての夢月はどういう存在なんだろう?
「……あ、親からメールだ。夕方に駅前で待ち合わせないか、だって」
「それじゃ、もう少し、繁華街を見てまわりましょうか」
「あぁ、そうだな……。適当に時間を潰して戻ってくる事にしよう」
僕らはベンチから立ち上がろうとすると、
「はい、お兄様。また一緒に繋ぎましょう」
「ん?……握手か?」
「違いますよ。もうっ、意地悪しないでください。恋人みたいなデート、の続きです」
「冗談だよ。……さて、それじゃ、荷物持ちを再開しますか」
そっと差し出してくる星歌の手、僕は微笑してその手を握り締める。
『蒼空お兄様の手は大きいです。お父さんの手とは違う、温かくて包み込んでくれる……そんな気がするんです』
子供の頃、僕と初めて手を繋いだ時の星歌の会話を思い出す。
『お兄様だけが私の事を理解してくれるんです。私、お兄様の妹でホントによかった』
少女の小さな手の温もりを僕はまだ覚えている。
それは胸の奥まで温かくなる、とても愛しい気持ちだった事も。
「ぼーっとされてましたけど、何を考えてるんですか?」
「星歌の事だよ。どうして、僕の妹はこんなに可愛いのかってね」
「それはお兄様が可愛くさせてるんですよ。誰だって、好きな相手の前では可愛くいたいじゃないですか……って、私は何を言ってるんでしょう」
自分の台詞に照れる星歌の横顔に僕もつられて笑う。
あの頃から、星歌は何も変わらない。
感情豊かなのにそれを隠す素振りも、甘える時の笑顔の可愛さも変わらない。
それが星歌なんだよな……僕の可愛い女神様だ。
揺れる天秤、傾くのはどちらなのか。
星歌には星歌のよさがあり、夢月には夢月のよさがある。
決めきれない……それでも、時は止まらない。
いつかは決めなくてはいけない時が来てしまう。
その時が来たら僕はちゃんと決断する事ができるのだろうか。
後悔のしないように、自分の気持ちを決めることが……。