第22章:愛しき人に《前編》
【SIDE:宝仙星歌】
私がお兄様に告白してから1週間が過ぎた。
人に想いを伝える事の大変さ。
けれど、私は自分に素直になる事で手に入れたことがある。
「お兄様、今日の夜は私が食事を作りますね」
いつも食事の世話は蒼空お兄様がしてくれる。
彼の作る料理はとても美味しい。
それにお兄様は私たちの好みを熟知してくれている。
まるでお母さんみたい、本人に言えばきっと微苦笑するだろうけれど。
「いつもお兄様にはお世話になっていますから」
「……そう言うなら星歌に頼もうか。だけど、今日は材料は揃えてるんだ」
「何を作るつもりだったんですか?」
「ハヤシライスにしようかなって」
うーん、その材料だとメニューを変えてもあまりこったものは作れない。
「それじゃ、お手伝いします。今日は夢月は友達と外で食べてくるそうですから、ふたりっきりです」
お兄様と一緒、ふたりっきりっていうのがいい。
「こうしてふたりで料理をするのも久しぶりだな」
「昔はよく私もお手伝いしてました。最近はお兄様に甘えて、まかせっきりです」
私は包丁を握って野菜を切り始める。
こうしてお兄様の傍にいられるだけで私の心は満たされる。
「……僕に出来る事をしてるだけさ。ふたりとも、それぞれすることがあって忙しい。ふたりの妹の面倒を見るのは僕の役目だから気にしないで」
「お兄様だってご自分の好きな事をすればいいじゃないですか?」
「趣味と言うのもないからな。二人の世話をしてる方が楽しいよ」
お兄様はそう言って笑うけれど、私達の面倒を見てくれるのは負担になってると思う。
……いつまでも、頼っていちゃいけないの。
「そんな顔をしないでくれ、星歌。夢月は音楽、星歌はこれから生徒会の活動、やる事があるだろう。僕はふたりの兄として面倒を見たいんだ」
優しい蒼空お兄様、私の憧れてやまない男の人。
その微笑みだけで私はどれだけ救われているか。
……大好きですよ、私はもう貴方しか見えていない。
ふふっ、お兄様が甘えてばかりの私って我が侭な妹ですね。
「……あっ」
考え事をしていたせいで、私は不注意で指を少しだけ切ってしまう。
「大丈夫か?血が出てる……」
「大した傷じゃないから大丈夫です」
指に滲む血、傷は深くないので手当てをしようとすると、お兄様が私の手に触れる。
そのまま彼が私の指の治療をしてくれた。
適切な治療だけど、私としては少しだけ不満。
「傷が浅くてよかったな。これならすぐに治るよ」
「……こういう時、指を舐めて治療してくれるのがお約束じゃないですか?」
「でも、実際はアレはあまりしない方がいいと思わない?常に口の中が綺麗とも言えないし。ロマンスはロマンス、現実は現実だろ?」
「お兄様。それは言っちゃいけません。夢ぐらい見させてください」
実際されたら恥ずかしくなるだけかも。
私がそう言うと彼はふっと私の指を自分の唇につけて、
「それじゃ気持ちだけ。これでいいかい?」
「……うぅ、反則ですよ。お兄様」
私の指がお兄様の唇に触れた瞬間に私は顔を赤くしてしまう。
ホント、無意識で妹をときめかせるなんて罪な人だ。
こういうさり気ない優しさも私が彼に惚れる理由のひとつだ。
絆創膏を貼って治療してもらうと再び、料理を続ける。
私はサラダを担当して、お兄様との久しぶりの料理作りを楽しんだ。
一緒に料理したハヤシライスはとても美味しかった。
やはり、私はお兄様の料理が好き……。
私にとっての彼の料理はいわゆる母の味、なのかもしれない。
「母といえば、そうでした。お兄様に伝えておきたい事があるんです」
私はふと思い出して、食事の後にリビングでくつろくお兄様に話しかける。
「8月の終わり頃にお父さんとお母さんが帰ってくるそうです。今日のお昼に電話がありました。大体、1週間前後の滞在予定だそうです」
「両親が?えっと、今、あのふたりってどこにいるんだっけ?」
「おふたりとも今はフランスの楽団で公演してるみたいです。8月末に日本でも交響楽団のコンサートがあるらしくて、それにおふたりとも誘われているという話でした。それが終わったらまた海外へ……本当に忙しい方達ですね」
お父さんは指揮者、お母さんはフルート奏者。
ふたりとも世界的にも認められている方達。
音楽のできない私には縁のない世界でも尊敬はしている。
「夢月もそのコンサートに誘われているそうですよ」
「参加するのかな?だとしたら、すごいよな。ぜひ、見てみたいよ」
「あの子は既に日本でも若手としては立派なヴァイオリン奏者です。将来的な意味を含めて、いい機会になるとは思います」
私も両親に久しぶりに会うのは楽しみだけど、きっと夢月の方が楽しみに違いない。
きっと彼らも私よりあの子の方に会いたいだろうし。
私はシュンッとうな垂れてしまう。
「……おいで、星歌」
ソファーに座るお兄様が私を誘うので、私はその横に座る。
すると、いつもみたいに優しく頭を撫でてくれる。
「ちゃんと星歌なりに自分の気持ちは整理できつつあるみたいだな」
「……自分の気持ち?」
「昔から星歌は夢月に対してコンプレックスを感じていただろう。その劣等感はずっとキミを苦しめてきた。自分自身、それに飲み込まれてしまった。……今の星歌はその自分を受け止めてる。しっかりと前を向いてるよ」
「音楽で私はあの子に完全敗北してます。羨ましい、妬ましさっていうのはずっと抱えていました。自分はどうしてあの子のように音楽が出来ないのか。それは確かに私のコンプレックスで悩んでいました」
今もそう、音楽の事と言われたら私には辛い過去が引っかかる。
けれど、気持ち的には解放されているし、何かに縛られるわけではない。
「もう大丈夫です。私はお兄様のおかげで救われています。音楽だけが私のすべてではないんですよ。私には私にしか出来ない事があるんだって分かりましたから」
蒼空お兄様が教えてくれた私らしさ。
今の私があるのはお兄様のおかげだもの。
「……そっか。星歌も成長したな」
「当たり前ですよ。私も子供じゃないんです」
「そうだよな。外見なんてすっかりと大人になった。星歌は美人になったよ」
耳元に甘く囁かれる言葉。
嬉しさがこみ上げて私はついそのまま彼に抱きついてしまう。
「そんな事を言われると恥ずかしいです。お兄様……」
「僕はホントにそう思ってるんだ。星歌もちゃんと自覚して。キミがとても魅力的な女の子だっていう事に。僕はいつだって、星歌を見守ってるんだから」
お兄様の言葉が私を幸せに導く。
彼が私を想ってくれていた事が何よりも嬉しい。
ふたりっきりのリビング、この瞬間、この世界には私たちだけしかいない。
「……お兄様って私をどう思ってるんですか?」
深く突っ込むと彼は「え?あ、それは……」と言葉を濁して誤魔化そうとする。
お兄様はそういう所があるんだ、彼の唯一と言ってもいい悪い癖。
「今日はちゃんと聞かせてくださいね?逃がしませんよ?」
彼に顔を近づけて煽ってみる。
蒼空お兄様にはもう少し積極性が足りてない。
「えっと……星歌は僕にとってかけがえのない妹だよ?」
「妹なのは分かってます。義理です、義理の兄妹。つまり……親さえ認めてしまえば結婚さえできちゃう関係なんです」
「結婚は話が飛躍しすぎでは?あのさ、星歌……僕は言ったはずだ。すぐには恋人とかにはなれないって。そこは踏み越えちゃいけないラインっていうか」
妹、それが私達の関係を表す言葉であり、壁でもある。
私は告白した時にその壁を乗り越える覚悟を決めていた。
「けれど、お兄様が私に魅力を感じてくれているなら、好きになってくれるという可能性もあるんですよね?妹と恋愛はできませんか?」
「……星歌の気持ちは前にも言った通りに嬉しいよ。だけど、これはそういう問題とは違うと思うんだ。恋愛の前に、僕たちは……」
「恋人って何だと思います?お兄様は誰かを好きになったことがありますか?」
私は蒼空お兄様の本当の気持ちが知りたい。
誰が好きで、誰をその瞳で見つめているのか。
「お兄様の隣で微笑むのは私ではいけないんですか?」
私の中で好きと言う気持ちが溢れていく。
抑えられない想いは静かに氾濫する。
「……私はお兄様の恋人になりたいんです。自分の気持ちに嘘はつけない。つきたくない。お兄様は私の気持ちを告白して、知ってるのに」
私を抱きしめていたお兄様はゆっくりと私の身体を引き離した。
「星歌の気持ちも、夢月の気持ちもちゃんと受け止めている。あとは……自分の中でどうするか。それがまだ決まっていないんだ。こんな曖昧な気持ちじゃ、星歌の想いを受け止める資格なんてない」
「きっかけがあればいいんですか?……お兄様が私を好きになってもらえるような、そんなきっかけがあれば……」
私はお兄様の手をとると、自分の胸へと押し当てる。
「私を好きになってください」
ドクンッと高まる心臓の鼓動を感じていく。
もう止められない、止める事なんてできない。
「愛してるんです、お兄様。私の気持ちを受け止めてください。私、お兄様になら……」
そして、私はそっとお兄様の唇に口付けをかわした。
私の覚悟を込めた想い、お兄様の気持ちは……?