第20章:ガラスの指輪《前編》
【SIDE:宝仙夢月】
その日、私はクーラーの効いた部屋でのんびりと部屋の整理をしていた。
あまり部屋の整理をしたことがない私でも、さすがにお兄ちゃんに怒られたらする。
『少しは女の子の部屋らしくしてみろ。星歌を見習いなさい』
むぅ、お姉ちゃんを引き合いに出されると私も意地になる。
彼女にだけは負けたくないって気持ち。
お兄ちゃんに私の事をガサツな女だとは思って欲しくない。
「それにしても、汚いなぁ」
自分で言うのもなんだけれど私は整理できないタイプの女だと思う。
出したら出しっぱなし、散らかった部屋に自己嫌悪しつつ、ひとつひとつ片付けていく。
本や雑誌をまとめて、服はちゃんとタンスに戻して……あ、探してた勝負下着を発見。
「使う機会があるかもしれないから、洗濯しておこっと」
まるで遺跡発掘のように散らかり放題の部屋からは色んなものが見つかる。
その時、本に埋もれた中から私は黒い小さな箱を見つけた。
「……これってここにあったんだ」
私はそれを見つけたときに本当に嬉しく思えた。
だって、それは私がずっとなくしたと思っていたモノだったから。
私の宝物と言ってもいい、お兄ちゃんからもらった大事なモノ。
箱を開けると、シルバーに輝く指輪が出てくる。
「懐かしいな……。まだ指に入るかな?」
そっと箱から取り出して指に付けてみる。
「あ、ちゃんとつけられた」
……薬指につけてみると不思議な気持ちになれる。
その指輪は値段的にはたいしたことのないモノ。
それでも、私たちにとってはかけがえのないモノ。
「お兄ちゃん……」
私はふと、その指輪をもらった時の事を思い出す。
それは私と星歌お姉ちゃんの関係が壊れそうになった出来事。
まだ私が他人から好かれる天使ではなく、他人から嫌われる堕天使だったときのお話。
私と星歌お姉ちゃんは喧嘩したことはたくさんあるけど、本当に仲が悪くなったのは1度だけしかない、顔を合わすのも本気で嫌だと思った。
姉妹の絆が壊れそうになったのは今から3年前、私たちが中学2年生だった頃。
私は音楽に夢中になっていて、お姉ちゃんとすれ違う日々が続いていた。
小学6年生の留学から帰ってきた私は中学にあがってから、コンクールにもよく参加するようになり、それなりの自信もあった。
海外留学の経験は私を自意識過剰にさせてプライド高い嫌な女にさせていた。
「……何?この程度の曲も満足に弾けないの?」
今の私とは正反対だけど、あの頃の私はそんな感じで他人を見下すことも多く、同じ音楽教室の子達からは疎まれていた。
「私は留学して本場の音楽を知ってるの。ヴァイオリンの弾き方、教えてあげようか?」
私は自分よりもレベルの低い彼女たちを上から目線で見ているのが楽しくて。
相手を傷つけることばかりを口にしていた。
「ホントに下手だね。その程度でコンクールなんて目指してるの?」
他人を見下す事で私は優越に浸り、他を圧倒する実力という自信に溢れていた。
成長した私のヴァイオリンの音色は同年代では他を寄せ付けない程のモノ。
「私は貴方たちとは才能も実力も違うの。一緒にしないでくれる?」
……同年代では誰も私には勝てない、自分より上手く弾ける相手を知らない。
大小様々なコンクールに出て優勝を続けていた。
挫折も知らない私が駆け上がる頂点への階段。
音楽では私は負けを知らず……私は天才ゆえに孤立していく。
それは家族との間でも同じ事だった。
音楽をやめたお姉ちゃんとは留学から帰って以来、不仲だったし、お兄ちゃんとは離れていた1年という時間が溝を作り、うまく甘えられずにいた。
将来的には音楽系の大学か、再び留学しようと決めていた。
私には音楽さえあればそれでいい。
この道は両親も望んでいた事、姉も兄も音楽からは縁遠くなってしまった事を口に出さずとも、音楽家の両親は残念がり、私だけに期待を抱いていた。
私はふたりとは違う、別の道を歩む存在。
プライドが邪魔をして、ふたりとは兄妹でありながらも甘えなくなっていた。
私は通っていた音楽教室をやめて、専属の先生に教えてもらうようになっていた。
プロの先生の指導で私はさらに実力を高めていく。
しかし、順調に思えた私にもついに壁が立ちはだかる。
「……天才ヴァイオリニスト?」
「そうよ。夢月と同い年で関西の方ではかなり有名な子らしいわ。次の全国の大会では貴方と競うことになりそうよ。関東でも名を馳せる夢月と、どちらが腕がいいのか。……次のコンクールでは見物になるでしょうね」
先生から聞かされた私以外の天才の話。
私はそれまで周りのちやほやされていて、自分以上の実力者を知らない。
会ってみたい、そして、その子に勝てば私はまた頂点に近づけるはず。
「村雲梓美(むらくも あずみ)。……聞いた事ない?」
「あずみ……。知ってる、その人の名前は聞いた事がある」
私が留学していた時に教えてもらっていたジャン先生の口から、別の先生に教えてもらっているアズミという日本人の女の子がすごいという話を聞いていた。
いつか日本に戻ったら、会うこともあるだろうって……。
「夢月の腕前でも、彼女を相手にすれば分からないわね」
「私がその子に負けるとでも?私は負けないよ。必ずその子に勝って上げる。私は……誰にも負けるわけがない。思い知らせてあげないとね」
私とって音楽は唯一、人に誇れるモノ。
他人との勝負という意味で、私は音楽を楽しむことはなかった。
コンクールの練習が忙しくなり、私は家の部屋で練習を続ける日々が続いていた。
中学2年の夏休み、朝から晩まで時間を惜しみながら曲を完成させていく。
お兄ちゃんはどんな時でも私の味方で、家で私の面倒を見てくれた。
「頑張れよ、夢月。僕は応援してる」
それが嬉しくあっても、言葉に出せずにいた。
人に甘えるのってどうするんだっけ?
大事な人の甘え方すら私は忘れてしまったみたい。
「お兄様?あ、こちらにいたんですか。今日の夜、花火大会があるそうなんですけど、一緒に行きませんか?」
「花火大会か。もちろん、行こうよ。夢月も行かないか?息抜きになるだろう」
「……今の私にはそんな余裕なんてないの。練習が忙しいから、出て行って」
「そうか。悪かったよ。それじゃ、何かお土産でも買って来るから」
せっかくの花火大会でも今の私じゃ楽しめない。
お兄ちゃんは苦笑して、外へと出て行く。
ふっと心に寂しさがよぎる……どうして、私は……。
「お兄様に対してああいう言い方はどうなの?お兄様は貴方の心配をしてるのに」
お姉ちゃんが私の態度に文句をつける。
「……別に心配なんてされなくてもいい。私は自分ひとりで頑張れる」
「夢月、貴方……変わったわ。留学する前とは大違いよ」
「そう?お姉ちゃんは何も変わらないね?……あ、そうか。何も変化することがないから変われないんだよ。私は違う、皆とは違うの。自分を変えられた。変えるだけの経験をしてきたし、変わる必要な状況にある。貴方とは違うんだよ、お姉ちゃん」
私と貴方は双子でも違う存在。
姉は悲しそうに目を伏せるだけで何もいわずに部屋から出て行った。
音楽の才能がない可哀想な人だ、今でもそれが心の傷になってるのを私は理解していた。
もしも、お姉ちゃんにも才能があったなら、私一人、この重圧を背負うこともなかった……辛いんだよ、こうやって孤独になるのは。
それでも、私は自分で選んだの……。
「誰にも負けない、私は勝たないといけないの。私にはこれしかないから」
そうやって自分を追い込みながら、私は数日後のコンクールの日を迎えた。
コンクール当日、私は初めて村雲梓美と出会う。
線の細い身体、男受けしそうな綺麗な顔立ちをしている。
私は初対面でありながら、彼女に声をかけてみた。
「……こんにちは。初めまして、私は宝仙夢月。貴方が村雲梓美さん?」
「はい、そうですよ。こちらこそ、初めまして……。夢月さん」
くすっと微笑みを浮かべる梓美、それが私は星歌お姉ちゃんにダブる。
嫌な感じ、私は彼女に敵対意識をあらわにする。
「噂の美少女ヴァイオリニスト。今日は負けないよ」
「……負けるとか、そういう勝ち負けはあまり好きじゃないんです。楽しみましょうよ、音楽は他人も自分も楽しむものだと思います」
嫌なやつ、そのものだ……と私は彼女にライバル視していた。
「そう言う考え方をできるのは負けない自信と実力を持つモノだけに許される言葉。梓美、貴方の言葉が偽りか、真実かどうか私に見せて」
私は彼女を一瞥してコンクールに挑んだ。
全国の実力のある子達の音楽を前に私は緊張する。
いくら実力があると言っても、私よりはレベルは下だ。
不安なんてない……私は自分の番が来て、ヴァイオリンを構える。
「楽しむもの?そんな余裕なんてない」
自信を持ってヴァイオリンを奏でていく。
完璧な演奏、完璧な音色……私は誰にも負けない。
弾き終えた後の拍手の大きさが私の全て。
私は他を圧倒して、その時点での優勝に最も近いはずだった。
……最後は梓美、貴方の音色を聞かせてよ。
梓美は舞台の上で私と視線が合うとそっと優しく微笑むんだ。
彼女の奏でるメロディは……全てを包み込む優しさがあった。
音楽は楽しむものと言った、その意味が理解させられる。
私の全てを否定する、楽しそうに、それでいて、実力も兼ね備えた音色。
……他人を見下して、上へ、上へと向かうだけの私には到底、辿り着けない。
私は愕然として立ち尽くして、曲が終わり、彼女に向けて拍手をする人々の顔を見た。
皆が楽しそうに笑っていたの……私の時と違って、それがショックだった。
コンクールの結果は私が優勝、準優勝は梓美だった。
でも、私には敗北感があった……私は負けたんだ、彼女の本物の音色に。
私は梓美に会うのを拒み、表彰式に出てすぐに帰ってしまった。
応援に来ていたお兄ちゃんは優勝を喜んでくれていた。
しかし、私の心には大きな穴があいてた、それすらも意味がない事に気づいた。
私は楽しくない、優勝しても嬉しくない……いつからこんな気持ちになってたの?
勝ち負けにこだわり、音楽というものを侮辱し続けいた。
自分の自信、実力にこだわりすぎて、私の音楽に価値なんてない事に気づかされた。
そのまま、逃げるように自分の家に帰ったの。
悔しい……悔しいよ、ホントに悔しい。
苛立ちを感じていた私はリビングにいたお姉ちゃんと会う。
「コンクールに優勝したそうね。よかったじゃない、貴方なら余裕だったでしょ」
淡々と語る彼女は手元に小さなガラスのリングを持っていた。
大事そうにかかげながら、光にすかせて楽しんでいるよう見える。
「……優勝なんて意味がないの。そんなのはもうどうでもいい」
自分の音楽を否定されて、私は自暴自棄になっていた。
「何?自分よりもすごい人でも見つけたの?……負けたって顔をしてるわ」
双子の姉、星歌お姉ちゃんの何気ない言葉が私をさらに苛立たせる。
イライラする、彼女の存在が梓美を思い出させるから。
「お姉ちゃんには分かるはずないよ。私よりも先に音楽を諦めた人にはっ!」
八つ当たりするように彼女に苛立ちをぶつける。
「……何よ、それ?そんな子供の玩具、大事そうにしてるの?」
私がバッと彼女の手からガラスの指輪を奪う。
「なっ、ちょっとやめてよ!返して、それはお兄様からもらったモノよ」
お姉ちゃんが必死に奪い返そうとする……お兄ちゃんからのプレゼント?
そこまでして、大事にしてるものを壊してやりたくなった。
私と同じだよ、双子だからこの辛い痛みも共有してよ、お姉ちゃん。
「お姉ちゃんも双子なんだから同じ痛みを味わえばいいんだ。大事なものを壊される痛み。私の音楽が否定されたの。私と同じように……痛みを分かち合って」
理不尽な私の言葉に姉は顔を青白くさせる。
「やめてっ、お願いだからっ!その指輪だけはやめて!」
お姉ちゃんの叫ぶ声、私の手の平から床へと零れ落ちるガラスの指輪。
そして、音を立てて崩れ去るガラスの指輪と姉妹の絆――。
「――夢月っ!!」
お姉ちゃんが私の頬をパチンッと平手を打つ。
私は痛む頬を押さえながら割れて粉々に砕け散る指輪を見つめた。
こちらを睨みつける星歌お姉ちゃんの瞳を私は今でも忘れられない――。