第12章:双子~女神の場合~
【SIDE:宝仙星歌】
私は音楽が好きでその才能を持っている双子の妹、夢月を妬んでいた時期があった。
双子の姉妹なのに私にはないモノを持っている。
それがどんなに羨ましく感じていたか。
私だって、彼女のように自由に音楽を奏でてみたい。
どんなに練習をしても、どんなに楽譜を覚えても、私の音楽は夢月には到底叶わない事を見せ付けられたから、私はそれから背を向けて逃げていくしかなかった。
両親が音楽で有名なので、私達は時折、コンサートに呼ばれることもある。
その時には必ず、父や母の娘として何か音楽をしていると関係者に尋ねられる。
『星歌さんはどういう音楽をしているんだい?両親は素晴らしい方だからね、きっととてもすごい音楽の才能を受け継いでいるんだろう?』
周囲は当たり前のように私たちに期待する、その重圧が私は苦しい。
私には夢月のように“天才”と呼ばれて認められるものがないの。
いつしかその挫折は私を鎖のように縛り付けて、コンプレックスになっていた“音楽”というモノから解放してくれたのはお兄様だった。
『人には得意、不得意があって当たり前だ。他人の事を羨むよりも、今の自分に何があるのを知る方が大事だよ。星歌には夢月に出来ない事ができる、そうだろ?』
蒼空お兄様の言葉が私を救ってくれた気がした。
私と夢月、ふたりは同じ人間のように感じていた。
私は双子だから同じなんだって思いこんでいた。
それは違う、私と夢月は別の人間なんだって気づかされた。
ようやく肩の荷が下りたというか、心が解放された気持ちになれた。
そして……お兄様を思う気持ちもはっきりと自分の意思を理解する。
私はお兄様が好きなんだって。
だから……同じく彼を思う夢月には負けたくない。
蒼空お兄様の傍で微笑むのは私なんだと信じて。
誰にも譲れない想いを胸に秘めたまま、私は……。
私は寝起きがかなり悪い方だったりする。
だけど、その日は朝から気だるい気分に悩まされていた。
「……ふぅ」
目を覚ました私はベッドから降りようとして、立ちくらみする。
倒れそうになるのを堪えて、私はベッドに座り込む。
「どうしたのかしら?」
私は自分の体調がおかしい事に気づく。
寝起きの悪さと違う、これはもしかして……。
貧血みたいな症状に私は自分の額に手を添えてみる。
「熱い……風邪かな」
部屋に設置されているクーラーは通常の温度だけど、私は人に言えない悪いクセがある。
それは寝相が悪くて、布団を押しのけてしまったりすること。
だから、風邪だと思ったら納得してしまう。
寝冷えしてしまったのかもしれない。
「とりあえず、水でも飲もう」
私は頭が揺らされるような平衡感覚のないまま廊下に出て歩く。
うぅ、歩けば歩くほど気持ち悪い。
「風邪ってこんなにきつかったんだ。久しぶりで忘れていた」
壁に手をついてゆっくりと歩いていると、
「……星歌お姉ちゃん、何をしてるの?」
のん気な声で私に声をかける夢月。
私は痛む頭を押さえながら彼女に言う。
「どうやら、風邪ひいたみたいなの」
「へぇ、夏風邪?またお腹出して寝てたんでしょ。お姉ちゃん、寝相が悪いもんね」
「事実だけど、その言い方は腹が立つわよ」
私の妹は少々、生意気なのでよく口げんかする。
今日は何かを言い返す気力もなくて、私は彼女に「お兄様を呼んで来て」と頼む。
「お兄ちゃんにお世話を頼むんだ?言ってくれれば、私がしてあげるのに?」
「夢月に任せたくないの。お兄様を連れてきて」
「何よ、その言い方。むぅ、どうせ私じゃ役にたちませんよーっ。私、これから出かけるから自分で何とかしてよね。ふんっ、お姉ちゃんなんて知らないっ!」
機嫌を損ねたのか、彼女はそのまま私の横を通り過ぎてしまう。
あっ……と思ったときは遅くて、夢月はいなくなってしまった。
妹を信頼してないわけじゃないけれど、あの子の世話にはあまりなりたくない。
私と夢月は仲のいい双子の姉妹だと思われているけれど、実際は言うほどベッタリというわけでもないし、互いに距離を取り合ってる所もある。
互いに嫌いとかじゃなくて、何ていうんだろう。
思春期特有の反抗期みたいな感じで、相手の気持ちが分かりにくい。
ふたりともお兄様の前だと普通にいられるのに、ふたりっきりだと上手くいかないの。
「……どうしよう」
私は思わず脱力して、床に座り込んでしまう。
身体が熱くて、頭がボーっとしてくる。
廊下で倒れるのは避けたいので、私は何とかリビングに向かう。
「星歌……?お、おい、大丈夫か?」
立ち上がろうとしたときに、お兄様が私に気づいてくれた。
「無理するな、そのままにしておけ。すぐに部屋に連れて行ってやる」
そのまま、私は彼に背負われて、自室のベッドに運ばれる。
お兄様が用意してくれた薬を飲んで、私はゆっくりとベッドに寝ていた。
「すみません、お兄様。迷惑をかけてしまいました」
「いいって、夏風邪なら仕方がないさ。それにしても、夢月から廊下に出てみろってメールがあって出てみたら、こんな事になってるなんてびっくりしたよ。アイツも直接、僕に言って出かければいいのに。薄情な奴だな」
「……そういうお年頃なんですよ、私達って」
夢月がお兄様に連絡してくれただけでもいい。
「前から感じてたけど、最近ってふたりとも仲が悪くないか?」
冷たい氷を額に乗せてもらい、私は瞳を瞑る。
お兄様に世話をしてもらえると心の底から安心できるの。
「どうなんでしょう。私もあの子もそういうつもりはないって思います」
「それなら、どうして?昔はもっと仲良かっただろうに」
「そうでもないですよ。私、本当は妹があまり好きじゃありませんでした」
弱ってるせいでつい口にしてしまった一言。
お兄様が私の事を悪く思うかもしれないと怖れて、今まで言えなかった言葉。
目を瞑る事で彼の表情が見えないために話せることもある。
「星歌……。それはホントなのか?」
「えぇ。双子だって言っても、同じ気持ち、同じ心を持ってるわけじゃない。これが一卵性なら双子としての依存度はあったかもしれません。でも、私達は個々の人格、姿を持ってる二卵性の双子です。お互いに気に入らない事くらいはありますよ」
私は夢月の才能に嫉妬して、妬んでいた過去がある。
「……私は今でもあの子が羨ましく思えるときがあるんです。それはきっと、これからも消えることのない痛みのようなもの」
それがあるから今でも、心のどこかで彼女を拒む気持ちがあるのかもしれない。
そして、夢月も私に似た気持ちを抱いてるように思う。
表面上は仲良く見えても、実際に仲がいいとは限らない。
「星歌はそれだけ夢月の事を認めているってことじゃないのか?」
熱のせいでぼんやりとする私に彼はそんな言葉をかけてくれた。
「……私があの子を認めている?」
私が目を開くと優しい顔で見つめてくれているお兄様。
「人を羨む気持ちなんて誰にもある。それが姉妹ならなお更だろう。僕にとってはふたりは可愛い妹だ。ふたりにとってお互いはライバルのようなものなんじゃないのか?それはきっと気づいてないだけで憎しみとかじゃなく、純粋な関係だと思うよ」
ライバル、そう言われてみればしっくりとくるかもしれない。
双子の姉妹として、私と夢月は常に何かを争っている。
「ゆっくりとふたりで話し合ってみたらどうだ?自分で言っていただろう。相手の事をが分からないって……。お互いを理解するにはやはり話しあいが1番だって思うぞ」
「そうかもしれませんね」
「まぁ、今の星歌は風邪を治すために寝るのが大事だ。あとで薬と昼食を用意してあげるから。ゆっくりと疲れを癒して、体調回復させてくれ。おやすみ、星歌」
お兄様が立ち上がって部屋から出て行こうとすると私は急に不安が込み上げてくる。
「……あ、あの、待って……ください」
つい彼の服に手を伸ばして掴んでしまう。
手を伸ばして自分は恥ずかしい事をしていると実感する。
それでも、私はその手を離すことができなかった。
「お、お兄様。我がままかもしれないんですけど、眠るまで傍にいてもらえませんか?」
普段の私なら彼を困らせるような事は言わない。
「……お願いします、お兄様。行かないでください」
今日は思考もうまくいかないせいか、そんな事を言ってしまっていた。
「分かった。いてあげるから、心配しなくてもいいよ」
熱に浮かれた私の妄言をお兄様は嫌な顔をせずに私の横に座ってくれる。
私は彼の事を誰よりも慕っているから、傍にいるだけでとても心が休まるの。
「昔、夢月が熱を出した時の事を覚えているか?あの時、星歌はゼリーが食べたい、水が飲みたいって言う夢月の世話をずっとしてあげてただろ。とても仲のよい姉妹だと今でも思ってる。成長して、心のすれ違いがあっても、あの頃のように戻れるさ」
それからお兄様は私が寝付くまで傍にいてくれた。
お兄様のおかげで私は安堵感に包まれながら眠る事ができたんだ。
私は夢を見ていた、それはとても懐かしい出来事の夢。
12歳の私は蒼空お兄様と一緒に熱を出した夢月の世話をしていた。
その時の私はちょうど音楽を諦めてしまっていて、翌週にヴァイオリンのコンクールを控える夢月が嫌いで仕方なかった。
それがいきなり高熱を出して倒れてしまったので、私は仕方なく彼女の面倒を見ていた。
「お兄ちゃん。私、ゼリーが食べたいよ。あーん、して?」
「しょうがないなぁ。ほら、口を開けてくれ」
お兄様が甲斐甲斐しく妹のお世話をするのも気に入らない。
何もかも気に入らない、妹相手に不安と羨望、嫉妬を抱えていた。
こんな妹なんていらない、そう思う自分が嫌になる。
お兄様が氷を変えるために部屋から出て行くとふたりっきりになってしまう。
「おねーちゃん。私、コンクールに出られるかなぁ。せっかく練習したのに」
「……知らないわよ。出たいなら、さっさと風邪を治しなさい。お兄様も夢月がコンクールで活躍するのを楽しみにしてくれているんでしょう」
「そうだね、頑張って治さないと……。お姉ちゃんは来てくれないの?」
私は彼女の出ているコンクールを1度も見に行った記憶がない。
ただでさえ、彼女の音色を聴きたくない気持ちが強いので、私はいつも通りに答える。
「お兄様が来てくれるなら、私は必要ないわ。違う?」
「そうだね……。ふわぁ。もう眠いから寝るよ。おやすみなさーい」
夢月は特に気にすることなく答えて眠りについてしまう。
妹はこんな私をどう思ってるのか、気になりつつも知る勇気はなかった。
「……夢月、早く風邪なんて治しなさいよ。貴方は皆に期待されてるんだから」
私は完全に寝てしまった事を確認してから妹に囁いたんだ――。
あの頃から私は妹に劣等感を抱いていたのかもしれない。
夜まで熟睡すると風邪の症状も治っていた。
冷たい氷枕で癒されていると、私の部屋に来たのは妹の夢月だった。
「……お姉ちゃん。これ、あげる」
私の好きなピーチ味のゼリーを枕元において、照れくさそうに言う。
桃味のゼリーは私の好物、わざわざ買って来てくれたのかな?
「ゼリー?夢月……ありがとう」
「別に。弱ってるお姉ちゃんなんて見たくないだけ。じゃあ、お大事に」
そう言って部屋を出て行こうとする夢月、その背中に私は声をかけた。
「……もうすぐ、ヴァイオリンのコンクールが近いそうね」
「そうだよ。今度のコンクールで入賞すればまた留学できるかもしれない」
「そうなんだ。そうしたら、留学した時にお世話になった先生に会えるわね。……夢月、頑張って。応援してるから、ううん、私も応援に行くから」
どんなに望んでも私にはできないことがあって、その能力を持っている妹が羨ましくて、双子の姉なのに応援すらしてあげない。
でも、本当は私は夢月の事を認めていたのかもしれないわ。
今になってようやく私は夢月と向き合う事の大切さに気づく。
「……うん、ありがと。私、頑張るからちゃんと応援してよね、お姉ちゃん」
振り向いて、にこっと笑う妹に私も微笑で返す。
血のつながりのある双子の姉妹、少しずつ、少しずつ関係を修復していく。
それが私にとって前向きに生きていくきっかけになる気がする……。