第10章:旋律を奏でる天使
【SIDE:宝仙蒼空】
今日は夢月についての話をしよう。
双子の美人姉妹の妹で、僕にとっては義理の妹になる。
歳は来月で17歳を迎えるが、顔つきはまだ幼く中学生にも見える。
性格は一見、無邪気さ爆発で子供らしく見えるが、計算高かったりするので侮れない。
まぁ、最後の詰めが甘いので毎回、失敗してるけどな。
彼女は学校で“天使”と呼ばれている。
天使と言うイメージは無垢で純真、少し悪戯好きというのが夢月にぴったりだから。
本人もそう呼ばれるのを気に入ってるみたいだ。
学校の成績は学年の真ん中ぐらいで、特別、頭がいいわけでも、スポーツができるわけでもないが、彼女には他の誰にも真似できないものがひとつだけある。
それは音楽の才能で、海外留学も経験している。
特にヴァイオリンを得意としている夢月は、コンクールでも優勝を重ねている。
彼女を天才と呼ぶ人間もいるが、それは夢月にはどうでもいいことらしい。
子供の頃に夢月は僕に言っていた。
『私は音楽の才能を与えてくれた神様に感謝しているの。だって、こんなにも素晴らしい世界を私に与えてくれたんだから』
自分の望むままに、自分の世界を音楽により構築していく。
彼女はそれを他人も共感してくれればそれでいいのだろう。
自分の好きな事を素直にできる女の子、それが夢月だった。
僕の可愛い義妹、今日は天使とのひと時をお見せしよう。
夏休みに入り、僕はゆったりとした日々を送っていた。
エスカレーター式の高校だから、大学入試のために夏期講習で焦ることもない。
朝から家の掃除をしていると、夢月の部屋からメロディが聞こえてくる。
この時間は夢月の練習の時間だ。
僕は邪魔しないようにその音色を聴きながら廊下の掃き掃除をしていた。
しばらくすると音色がやんで、夢月が部屋から出てくる
「……あ、お兄ちゃん。お掃除していたんだね」
「まぁな。夢月こそ、練習は終わったのか?」
「少し休憩したいなって。お兄ちゃん、紅茶でも入れてくれない?」
「いいよ。僕も一区切りできたし、ティータイムにするか」
僕らはリビングで紅茶を飲む事にした。
お茶菓子はお歳暮でもらった高級ゼリーにしておく。
「夢月はピーチ味が好きだったっけ?」
「違うよ、桃が好きなのは星歌お姉ちゃん。私はオレンジが好きなんだ」
「そうだったな。ほら、オレンジのゼリー」
「ありがとう。うーん、美味しそう」
ゼリーに頬ずりして、彼女は蓋を開ける。
妹達の好みの違いは双子でも大きく違う。
初めて出会った頃は双子って好みとか何でも一緒だって思いこんでいたな。
紅茶をカップに注ぐといい香りが漂う。
「夢月。紅茶ができたぞ」
「……お兄ちゃんって入れ方が上手いよねぇ。いつもすごいなって感心するの」
「褒めてもらえると頑張って覚えたかいがあるよ」
夢月とふたりでティータイムを楽しむ。
温かい紅茶を飲みながら、冷たいゼリーを食べる。
僕はメロン風味のゼリーをスプーンですくう。
「……ヴァイオリンの方はどうなんだ?コンクールが近いんだろ?」
「うん。今回の曲は少し難しめだからまだ練習が足りないかな。先生にもまだ曲を自分のモノに出来ていないって言われるの」
「そうだ、僕にも1度聞かせてくれよ。たまにはちゃんと聞きたいぞ」
夢月はダイヤモンドの原石、磨けば磨くほどのその輝きを増していく。
才能だけではなく、努力も怠らない向上心もある。
僕の言葉に夢月は軽く照れた表情を浮かべて、
「や、やだぁ。お兄ちゃんに聞かせるにはまだ早いって」
「そんな事はない。僕は夢月の音楽が好きなんだ。他の人にはない、独特の世界観を持つ音楽。僕は音楽の才能はないけど、夢月の奏でるヴァイオリンは尊敬してる」
「そんなに褒めたって、何もでないよ……えへへっ。でも、お兄ちゃんに言われると嬉しい。これを食べ終わったら、私のヴァイオリンを聞いてくれる?」
「あぁ、ぜひ聞かせて欲しいな」
夢月は僕に今のチャレンジしている曲について話をする。
音楽をしている時の夢月は普段に比べて、活き活きとした表情を見せている。
本当に心の底から楽しんでいる。
人間っていうのは自分が楽しい事をしている瞬間ほど心が満たされることはない。
僕にとって料理のように、何かに夢中に慣れるという事は幸せな事なのかもしれない。
夢月の部屋は防音加工されている特別な部屋だ。
……部屋の中はぬいぐるみや服などがごちゃっとしている、汚いとまではいかなくても、片付いていない部屋と呼べる。
「女の子の部屋をあんまり見ちゃダメだよ、お兄ちゃん」
「……そういうのはもっと片付けてから言ってくれ。女の子の部屋に見えない」
「ひどいなぁ。これでも片付けてる方なのにーっ」
僕は仕方なく、それを拾いながら片付け始めていく。
その間に夢月がヴァイオリンの準備をしていた。
それにしても、本当に色んなものをまとめて部屋の隅に置いている。
これはぬいぐるみ、こちらは……なんだ、このピンクの布は?
「あっ、それは私のパンツだよ?」
「なっ……!?何で、ここに置いてるんだよ?」
「未使用の新品だから大丈夫。持って帰っちゃダメだからね、お兄ちゃん?」
「そんな変態な事はしない。お前もちゃんと下着くらいは片付けておけ」
意地悪く笑う夢月にからかわれながら僕は下着をタンスへと片付ける。
そうか……夢月のはピンクの下着なんだな、可愛いじゃん。
――ハッ、僕は今、何をおかしな事を考えているんだ!?
相手は妹なのに、なんという愚かしい事を……これではただの変態だ。
自分の行動に自己嫌悪する僕に、夢月は止めをさしにくる。
「義妹のパンツを握って唸るお兄ちゃん。これって、シャッターチャンス?」
「待って、それはマジで勘弁してくれ!」
デジタルカメラを構える妹に僕は焦って下着をタンスに押し込んだ。
危うく、いらない誤解を生むところだった。
「ふーん……お兄ちゃんもお年頃なんだね」
「……その納得のされ方は本気で不本意だけどな」
この妹、意外に手強いよ……いや、マジで。
と、紆余曲折を経て、僕は本来の目的である夢月の音楽を聴く事にした。
「それじゃ、今から弾くね」
鎖骨の上にヴァイオリンを乗せてから、顎ではさむようにして固定する。
ヴァイオリンを構えて彼女はゆっくりと弦に弓を触れさせる。
弓と呼ばれる木製のスティックで弦を引く事により振動させて音を出す。
力の入れ加減が難しく、素人が操ると不快なあの金属が擦れるような音が出てしまう。
夢月は巧に指を動かして綺麗で重厚な音色を奏でていく。
心に響いてくる圧倒的な旋律、それが夢月の音楽だ。
「……すごいよ、夢月」
スローペースから徐々にハイペースに弦を引いて、音のバランスを取りながら、その音色を生み出す能力は以前に聴いたものよりもレベルが格段に進歩している。
世界観を見せ付ける旋律を奏でる天使の姿がそこにはる。
音感が素晴らしいのは知っていたけれど、こんなにも実力を持っていたなんて。
正直、普段のあの夢月の様子からは想像できない。
1曲を弾き終えると、夢月は「ふぅ」と一息ついてヴァイオリンを離した。
「……どうかな、お兄ちゃん?」
「すごいな。なんていうか、これだけすごいとは思ってなかった」
「えへへっ。どう?私のこと、惚れ直しちゃったかにゃ?」
「……そうだな。初めから惚れてないけど、見直したかも」
認めなくちゃいけない、この子がどれほどすごいのかを……。
「そこは惚れて欲しかったのにーっ。でも、いいや。お兄ちゃんに褒められると嬉しいんだ。コンクール、頑張ろうっと」
「あぁ、夢月なら優勝だって狙えるさ」
「それじゃ、優勝したら私のお願いを聞いてくれる?」
「お願い?無茶じゃないなら、それくらい聞いてやるよ」
何か目標でもあれば夢月はそれを目指して真っ直ぐに向かう。
そう思って僕は彼女の提案を受け入れた。
「……それじゃ、私が優勝したら私とデートしてよ」
「それでいいのか?」
「それがいいの。お兄ちゃん、分かってないね。お兄ちゃんが私と“デート”ってしてくれたことないんだよ?いつも遊び扱いなんだから!」
うぐっ、そう言われてみればそうだったかもしれない。
デートなんて形でしたこともなかったからな。
「よしっ、お兄ちゃんとのデートのために頑張るよ」
夢月はヴァイオリンを再び構えて練習に励む。
僕は妹の頑張りを見つめながら、努力する彼女を誇りに思う。
「お兄ちゃん、デートコースは高級ホテルで1泊ということでよろしくね?」
「……学生らしい健全なデートコースを選択してくれ」
どんなにすごくても、夢月は夢月ということか、それが夢月らしいんだけど。
「邪魔しちゃ悪いから僕はもういくよ。頑張れよ、夢月」
「うん。お兄ちゃんもそのポケットに入ってる私のパンツは置いていって」
「……ホント、そういう冗談はシャレにならんから勘弁して欲しい」
夢月に最後までからかわれて僕は彼女の部屋から出て行く。
部屋の外に聞こえるメロディはとても楽しそうな音楽だ。
「ったく、夢月には敵わないな……」
僕は苦笑しながら掃除の続きをしようと廊下を歩き出した。