第9章:虹の思い出
【SIDE:宝仙蒼空】
“女神と天使のダブルキス疑惑”。
大いに学校を賑やかせていたあの事件から数日が経過した。
様々な人々に追われて、軽く地獄を見た僕の悪夢もなんとか終わり、平穏な日々が戻ってきた。
その日は学校は半日しか授業もなくて、放課後はのんびりとしていた。
僕は大体、朝は星歌と登校して、夕方は夢月と帰る事が多い。
夢月は今日はヴァイオリンの練習をするから先に帰ると連絡があった。
僕は会った事はないけれど、彼女には専属の先生がいるらしい。
それだけ夢月の音楽の才能は素晴らしいという事だけどさ。
中庭で紙コップのコーヒーを飲んでいたら、ちょうど星歌の姿を見かけた。
ひとりで廊下を歩いている所を声をかける。
「よう、星歌。今日はひとりなのか?」
「蒼空お兄様、こんにちは。私はこれから家に帰るところです。今日は何もないので。お兄様は確か、今日は料理部があったのでは?」
「……あぁ、あったね。だから、放課後に残ってるわけだけどさ」
僕は数分前の出来事を思い出していた。
部室に集まった部員はなぜか既に帰る準備を始めている。
『今日は半日しかないんだから部活は休みでいいよね、部長?』
『そうそう。どうせ夏休みにも活動するんだから今日ぐらいお休みにしましょう。はい、決定。賛成の人は手を挙げて』
女子ばかりの部員15名(男子は僕を合わせて3名)の部活だ、女子達の反対にあえばそれに従うしかないのが現実なのだ。
というわけで、本日は部活も解散で僕は暇になっていた。
「……まぁ、いろいろとあって今日は休みだ。それじゃ、一緒に帰るか?」
「そうですね。お兄様と一緒に家に帰るのは久しぶりです」
普段は星歌の方が用事を抱えていて中々、折が合わない。
今日は朝から雨だったので、ふたりとも行きと同じようにバスで帰るつもりだった。
「あの、お兄様。寄り道をしてもいいですか?」
「どこかよりたい所でもあるのか……?」
「出来れば時間もありますし、お兄様と遊んで帰りたいなって」
星歌が僕をそう言う風に誘うのも珍しい。
真面目な子だから寄り道なんて事もあまり言わないしね。
「いいけど、どこに行こうかな。……繁華街の方でも行くか?」
「私、公園に行きたいです。ダメでしょうか?」
「展望台公園なんて懐かしいな。いいね、久しぶりに行ってみよう」
子供時代によく遊んでいた公園がある。
そこは家から少しだけ距離のある場所にあり、今でも子供達が遊んでいた。
「……そういや、ブランコとかに乗って遊んだっけ」
「くすっ、お兄様はよくブランコから落ちてましたよね」
「苦手だったんだよ。それでも楽しいから何度も無謀な挑戦をしていたな」
小さな子供がブランコに乗っているのを見ると過去の自分達を思い出してしまう。
意外に思うだろうが、僕と遊びたいと言って外ではしゃぐのは星歌の方だった。
星歌は大人しそうに見えるが、運動神経も抜群なのだ。
逆にインドア派なのは夢月は室内で“ままごと”とかで遊ぶのが多かったな。
双子の違いって言うのは色々とあって面白い。
僕らは遊具のある場所から離れて散歩するように歩いていく。
「お兄様とここに来るのって何年ぶりでしょうね」
「中学に入る前くらいだから数年ぶりくらいかな」
「……いつのまにか、こういう場所に来る事もなくなりましたよね。大人になるのってさびしいことでもあります」
「成長するってそう言うもんだよ。いつまでも子供のままじゃいられない」
子供だった僕らはよくここで遊んでいた記憶がある。
夢月は今日みたいにヴァイオリンの練習があって、外で遊ぶ事も少なくなってきた時期に、星歌と僕は邪魔をしないようにとふたりで遊んでいたんだ。
あの頃は僕らが1番、互いを身近に感じていた頃だと思う。
「展望台公園はほとんど変わっていないようだな」
「ずいぶんと小さく感じますけどね。お互いに子供でしたから、そんな風に感じるんでしょう。あっ、この場所は……懐かしい場所ですね。私が小学校5年生の時にお兄様に泣いていたのを慰めてもらった場所です」
僕らがたどり着いたのは木で作られた展望台だった。
双眼鏡がひとつだけ設置されていて、町の景色を見下ろす事ができる。
「よく覚えているな。昔の事だろ」
「覚えていますよ。……夢月が1年間だけ留学するって聞かされて、ショックだったんですよね」
星歌は展望台から街の景色を見下ろして、過去を語り始めた。
「……姉妹がずっと一緒にいられるとは限らない。でも、双子って離れるのが他の姉妹よりもずっと寂しいものなんですよ。相手が自分の半身のようなものですから」
僕もあの日を思い出して、過去に想いを馳せていく。
それは僕らがまだ子供だった時の1つの出来事だった。
僕が小学校6年生の夏、夢月はヴァイオリンの腕を海外の先生に気に入られて、1年間という期限付きで留学する事になったんだ。
夢月ひとりではなく、指揮者の父も海外の仕事があったのでそれについていく形だった。
夢月は音楽に関しては自分から勉強もする、興味があることにのめりこむタイプだ。
『このチャンス、絶対に活かしたいの。お兄ちゃんも応援してよ!』
だから、彼女はその話に乗り気だった。
夢月が留学予定の1週間前、僕の部屋に星歌が来たんだ。
「お兄様。私の話を聞いて欲しいんです」
そう言って僕を雨上がりの展望台公園へと連れて行った。
僕は夢月の事を応援してる立場で、寂しいと言うよりも喜びに近かった気がする。
有名な先生に認めてもらえれば将来的に活躍できるだろう。
僕も残りの時間を夢月に費やしていたために星歌の事を気にしていなかったんだ。
「……お兄様、私は夢月の留学が嫌です」
「どうして?妹の活躍が楽しみじゃないのか?」
「皆は夢月の事を応援している。けれど、私にはそれができないんです。双子……ですから。離れるという事が怖いんです」
生まれた時から一緒にいた存在同士、それまで経験すらない恐怖にも似ていたんだ。
僕にすがりつくように身体を寄せて彼女は嗚咽を漏らしていた。
「私は姉なのに、応援してあげなくちゃいけないのに……ひくっ……」
仲のよい姉妹だからこそ、その絆の強さが逆に不安へと変わっていく。
身体を震わせて涙を見せる妹に僕は出来るだけ優しく頭を撫でてやる。
「……ぁっ……一緒にいた存在と離れていくのが怖い……です……」
「そうだよな。ずっと一緒にいた双子の姉妹だもんな」
星歌は弱いイメージのない女の子だったから、涙なんて見たこともなくて。
僕は別れがそれほど辛いなんて考えたこともなかった。
「……僕じゃ代わりになれないと思うけれど、兄としてキミを支えていくよ」
「お兄様……私っ……私は……」
彼女が僕に夢月と同じものを求めてくる事はなかった。
それでも……このときから僕たちの仲は深まったと思う。
ひとしきり泣くだけないて自分の気持ちを出した星歌はすっきりとした顔を見せた。
「ありがとうございます、お兄様。私、誰かに辛いって気持ちを知って欲しかったんです。お兄様なら、この気持ちを理解してくれるんじゃないかって……」
長い髪を風に揺らしながら、僕の身体に寄り添う妹。
「離れるのが寂しくても、すぐにまた戻って来るんだ。今は笑顔で送ってあげよう」
「はいっ。そうですね」
僕らは展望台から青空を見上げると、綺麗な虹が架かっていたんだ。
アーチを描くように綺麗に繋がる空の架け橋。
それはまるで僕らを見守るってくれるようだった――。
6年前の僕と星歌、成長して同じ場所で思い出を語り合う。
「今になって思うんです。私はお兄様のおかげで“星歌”になれたんだって。私は姉でありながら、音楽の面で妹に引け目を感じたりしていました。私には音楽の才能がなくて、辛くて、諦めて……。双子なのにどうして?何が違うの?なんて事ばかり考えていました。心のどこかで、あの子と私は違う人間なんだって意識するきっかけが欲しかった」
夢月がいなくなった1年間で星歌は星歌なりの成長を遂げた。
きっと夢月の事がコンプレックスでもあったんだと思うんだ。
双子だから姉妹は比べられる事もよくある、それは夢月も同じだ。
「お兄様が私の兄ではなかったら、今の私はここにはいません」
「そうかな?僕がいなくても、星歌は自分で気づいたと思うよ」
「……ホント、そういう所は鈍いんですから。そこもいいんですけどね」
星歌には星歌の、夢月には夢月の長所と短所がある事に気づいて初めて双子は変われた。
夢月は音楽の才能を遥かに伸ばせたし、あの1年はそれぞれ、自分を見つめなおすいい時間になったはずだ。
「あっ、ほら、みてください。虹ですよ、虹!とても綺麗です」
「ホントだな。いい感じの虹が出ているじゃないか」
星歌はあの時と同じように青空を指差して僕に言った。
僕らの目の前に広がるのは晴れ渡る青空に七色の虹が広がっている。
虹は太陽の光の屈折でしかないのに、どうしてあんなに幻想的なのか。
人工的ではない自然の神秘とでも言える美しさだろう。
「……私はお兄様と見上げたあの虹を覚えています。とても綺麗な虹でした自分にとって、大切な思い出のひとつです。お兄様と過ごした事は全て私の思い出なんですよ」
にこっと彼女は僕に微笑むと、自分の手を胸に当てた。
そのまま何かを祈るように瞳を閉じて、言葉を囁いた。
「私は前にも言いましたよね。自分に自信がないって。私はいつも臆病なんです。大切な言葉も大切な人に言えない。変わりたい、私は自分を変えていきたい」
ゆっくりと可愛い瞳を見開いて彼女は僕に伝えてくる。
「わ、私も……お兄様に甘えてもいいですか?夢月のように、素直になってもいいですか?ずっとあの子が羨ましかったんです。素直に自分の感情のままにいられる彼女が……」
「いいよ。星歌はもっと自分に素直になる事が大切だからね」
「私、嬉しいです。あ、それじゃ……手を握ってもいいですか?」
「もちろん。そんなことでいいなら」
星歌の小さな手が僕の手を包み込んでいく。
妹に甘えられるって、兄としては嬉しい事なんだ。
「お兄様の手って大きいですね……男の子の手ってすごいです」
「星歌の手は逆に小さくて、可愛いぞ」
「お兄様……私は貴方の妹でいられて本当に幸せですよ」
僕らはそっと互いの手を握り合いながら再び、虹へと視線を向けた。
煌くプリズムの輝きに見惚れてふたりは充実した時間を過ごしていく。
天にかかる虹が僕ら兄妹の絆を深めていってくれる気がしたんだ。