序章:天使と女神、光臨
【SIDE:宝仙蒼空】
星の女神と月の天使。
空を見上げれば仲良く夜空を煌く星と月。
ふたつを切り離す事なんて誰にもできない。
僕の名前は宝仙蒼空(ほうせん そら)。
蒼い空と書いて“そら”と読む、今時の名前を親につけられた。
私立湊島高校(みなとしまこうこう)、それが僕達の通う高校。
スポーツでは県内トップクラスの成績、全国区で活躍する部活も多く存在する。
僕はその普通科に通う高校3年生、特に何かに秀でてるわけでもない平凡な男だ。
その私立湊島高校には常に噂の的になっている美少女姉妹がいる。
彼女たちは“女神”と“天使”と呼ばれて、皆から愛されている存在だ。
季節は初夏、青く澄んだ空と風の心地よい季節。
そんな穏やかな気候に恵まれた中で、あるひとつの物語が始まる。
「おい、聞いたか?秋の生徒会長の選挙、“女神”が立候補するかもって」
「へぇ。そりゃ、すごいな……彼女なら十分、なれると思うよ」
高校3年生、と言えば受験か就職かと焦る時期にも関わらず、我が高校は至って平凡な日常、なぜならうちは中学から大学まであがれる私立だ。
外部の大学に入試するものを除けばクラスの8割は安心して生活を送っている。
「……生徒会選挙か。まだ夏前だっていうのに気が早いな」
クラスがそんな盛り上がりをしているのを僕はぼーっと眺めている。
女神、そう呼ばれている美少女がこの学園にはいる。
「噂をすれば、あそこにいるのって女神じゃないか?」
そう言って誰かが窓の外を指差した。
ちょうど3階にあるクラスの下、中庭の遊歩道をひとりの少女が歩いている。
長く細い髪に凛とした顔立ち、そっと風に遊ばれた髪を撫でる姿はまさに女神。
見惚れるような綺麗な容姿と穏やかな性格から“女神(ヴィーナス)”と呼ばれている。
彼女の名前は宝仙星歌(ほうせん せいか)、なんと僕の妹だったりする。
「相変わらずの美人だよなぁ。宝仙、あんな妹がいて羨ましいよ」
「そうだ。なぁ、今度、俺に紹介してくれよ」
「ははっ、お前じゃ無理だって……顔を洗って出直してこい」
そんな風にクラスで話題になるのも珍しくない。
僕はそれに対して曖昧に笑うだけ、実際に星歌は少し気難しい子でもあるから……。
放課後のHRが終わり、僕が家に帰ろうとすると教室に顔をだす少女がいた。
再びクラスがその少女の登場にざわめく。
それだけで僕は誰が来たのかを知った。
「おっ、続いて天使のお出ましだ。おーい、宝仙。妹ちゃんが来てるぞ」
「あぁ……すぐに行くよ」
僕は鞄を持ってクラスの外へ出た。
廊下で僕を待っていたのはふたつに可愛く髪を結んだ女の子。
「えへっ、お兄ちゃん♪」
僕の顔を見るやいなや無垢な笑顔を向けてくれる。
可憐な容姿、無邪気さを前面に押し出す魅惑、天使(エンジェル)と呼ばれる美少女。
この子も僕の妹であり、名前を宝仙夢月(ほうせん むづき)と言う。
星歌と夢月、ふたりは二卵性の双子である。
二卵性なので一卵性と違い、通常の姉妹程度に顔がそっくりというわけではない。
もちろん、才能も性格も全然違う。
彼女たちは僕のひとつ年下、高校2年生だ。
「……待たせたな。でも、いつも言ってるだろう。校門前で待っていろって」
「だって、早くお兄ちゃんに会いたかったんだもんっ」
嬉しい事を言ってくれて、僕の腕にしがみつく夢月。
ぴょこっと跳ねる姿はまるでウサギのようだ。
「それじゃ、帰るか。帰りにスーパーによってもいいか?」
「もちろんだよ。私もお兄ちゃんのお手伝いするね」
うちには今、両親がある事情でいない。
僕達の家族構成の話をしよう、僕の親はふたりとも優秀な音楽家だ。
指揮者の父とフルート奏者の母、ふたりとも日本だけでなく世界的に有名でもある。
どちらも年がら年中、世界を飛び回る事が多く滅多に日本へは帰ってこない。
僕の母は僕が幼い頃に父を事故で亡くした、彼女の友人だったのが今の父だ。
彼は妻と離婚したばかりで、幼いふたりの娘がいた。
数年後、ふたりは恋愛を経て結婚、僕には父親とふたりの妹ができたのだ。
……という感じで今に至る、詳しい説明はおいおいしていこう。
「あっ、お姉ちゃんだ……」
夢月が気づいた方向には周囲を生徒に囲まれた星歌がいた。
男女共に人気が高い彼女の周囲は常に人が多い。
ちなみに夢月も人気があるのだが……兄である僕にべったりとくっついてる事が多いので、姉のように囲まれている姿はあまりみない。
とはいえ、友達は多いらしいので兄としては心配していないが。
星歌をジッと神妙な面持ちで見つめる夢月。
「ん、どうした、夢月?星歌がどうかしたのか?」
「噂の事、聞いた?お姉ちゃんが次の生徒会を決める選挙に出るかもしれないって」
「あぁ。……聞いたよ、星歌なら生徒会長でもびしっと決めてくれるだろう」
「そんな心配はしてないけど。お姉ちゃんと私達、最近、何だか距離が開いてきていない?何だか、遠い向こうにいるみたい。近くて遠い別の世界に……」
夢月はきゅっと僕の手を握り締めてくる。
彼女の言う通りかもしれない。
高校に入ってからの彼女はどこか僕らと距離を置いてるように見える。
……兄妹として何かできればいいんだけど。
「ねぇ、今日はお姉ちゃんの好きなトマトリゾットにしない?ね?」
「ん、そうだな。そうするか」
「うんっ。私、お兄ちゃんの作る料理、大好きだよ」
基本的に料理するのは僕の担当だ。
何だか自然にそうなってしまっている、ふたりの妹は料理が下手というわけではない。
夢月と一緒に僕は玄関の方へと向かう。
楽しそうに微笑む星歌、どこかその横顔が寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
「……お姉ちゃん、遅いね?何してるんだろう」
「さぁ……まだ学校という事はないだろう」
スーパーで買い物を終えて、ふたりで夕食作りを終えた6時半になっても、まだ星歌は学校から帰ってきてない。
誰かと遊びなら連絡くらいするので、何だか心配だな。
そんな話をしている時に玄関の扉の開く音がした。
「ようやくお姉ちゃん、帰ってきたみたい」
すぐにリビングに来た星歌は少し疲れているようだ。
顔色もあまりよくない、それに気づいた夢月が心配そうに声をかける。
「お姉ちゃん、遅いよ。あれ?……大丈夫?顔色、何だか悪くない?」
「大丈夫よ。夢月、問題ないわ……。ごめんなさい、お兄様。少し、時間が遅くなってしまいました。夕食、待ってくれていたんでしょう」
「別にかまわないさ。ほら、早く座ってくれ。今日は星歌の好きなトマトリゾットだ」
「……あっ。ありがとうございます、お兄様」
落ち着いた印象で嬉しそうに微笑する星歌。
子供らしい天使と大人っぽい女神。
その辺もふたりをそう呼ばれる所以でもある。
「あの……お兄様。食事が終わったら、ほんの少しお時間をもらえませんか?」
「いいけど?」
「すみません。話しておきたい事があって……あとで私の部屋に来てください」
星歌が控えめにそう言うと夢月が興味津々とばかりに口を挟む。
「何々~?お部屋にお誘い?怪しい……もしかして、愛の告白とか?」
「……夢月、茶化さないで。そう言う冗談はお兄様が困るでしょう」
「むぅ、お姉ちゃんがそんな風にお兄ちゃんを誘うのって珍しいんだもん」
姉に対して拗ねる妹、昔からこの姉妹は仲がいい。
僕はその間に割って入るように言葉を告げる。
「星歌、僕に相談でもあるのかな?」
「えぇ。似たようなものです。……ダメでしょうか?」
「いや。それなら望んで引き受けるよ。妹に相談されて断るのは兄として最低だ」
「そんなっ!お兄様が最低なんて事は絶対にないです。断られても私はそう思ったりはしませんから。本当ですよ。……ふふっ、お話ばかりだとお料理が冷えてしまいますね。そろそろ、お料理を食べてもいいですか?」
話を切り替えて、そこでその話を終える星歌。
僕は「もしや、秘密の関係?」と頬を赤らめさせる夢月に夕食を食べるように促す。
赤いトマトリゾットをスプーンですくい星歌は口に含む。
「美味しい……。本当にお兄様はお料理が上手ですよね。尊敬します」
「ありがとう。今日は夢月も手伝ってくれたんだよ」
美味しそうに料理を食べてもらえるとこちらも作ったかいがある。
夕食を家族で食べる、その当たり前の出来事が幸せのひとつだ。
夕食後、夢月が後片付けをしてくれると言うので僕と星歌は彼女の部屋に行く。
星歌の部屋は整理整頓がきちんとできた綺麗でシンプルな部屋の内装だ。
隣の夢月の部屋はモノがごちゃっまぜになってるのだけど、性格の差だろうな。
「……どうぞ、お座りになってください」
そう言って星歌は僕に椅子を出してくる。
昔は星歌と夢月は同じ部屋で、今、星歌が使ってるのは僕の部屋だった。
今は成長したこともあり、それぞれ別の部屋になった。
この部屋を星歌に引き渡し、僕は現在、父の書斎を部屋として使っている。
「話というのは生徒会の選挙の事なんです……。その話はご存知でしょうか?」
「あぁ。噂程度になら……。どうするんだ?本当にするつもりなのか?」
僕がそう言うと彼女は難しい顔をして、
「その話を受けてみるか、どうか……考えているんです。お兄様に相談したいのはそのことなんです。今日、今の生徒会の人たちにどういう仕事をしているのかを見せてもらったんです。元々、向こうの方々がこの話に乗り気だったので」
うちの学校の生徒会は毎年、秋に生徒会の選挙が行われる。
だが、基本的に生徒会長だけは前生徒会のメンバーからの推薦がほとんどだ。
時折、その推薦者に異議するものが現れて、生徒会長に立候補することもあるが、それは稀なケースだと聞いている。
今回の場合も、星歌に生徒会長をして欲しいというアプローチがあったわけだ。
なるほど、放課後に見たあの光景はそう言うことか。
「なぁ、星歌はどうしたい?迷っているのはどんな理由からだ?」
「生徒会の活動には興味があるんです。皆さんの役に立てるお仕事ですから。でも、私には……その……自信がないんです。私が生徒会長という生徒の頂点に立てるだけの資格のある人間かどうか……」
そういう所が星歌らしい、この子は昔から控えめ過ぎて自分を過小評価している部分もあるから……いつも自信に満ちてる夢月とは正反対だ。
「心配しなくても星歌なら立派な生徒会長になれるよ。兄である僕が保障するさ」
「そう言ってもらえると安心します。私、いつも最後の最後に臆病になってしまって……お兄様に勇気をもらうんです。甘えてばかり……ダメな妹ですよね」
「そんなことない。妹に甘えて欲しいと思うのは兄としての本音だよ」
僕はそぅっと星歌の頭を撫でてやる。
くすぐったそうにそれを受け入れる彼女。
「……もうっ、お兄様。いつまでも私を子供扱いしないでください」
「僕にとっては可愛い妹だよ。でも、星歌、無理はするな。何かあったら、僕や夢月を頼って良い。僕らは家族なんだから……」
「……はい。ありがとうございます」
いくら大人びて見えても彼女だって不安になる事もあるんだな。
話を終えると、タイミングを見計らったように部屋に夢月がやってくる。
「ねぇ、お兄ちゃん。お姉ちゃんとの愛の語りは終わったの?」
「愛の語りって、ただの相談だし。どうした、夢月?」
「お風呂が沸いたからお誘いに。お兄ちゃん、私と一緒に入らない?」
「……え、僕がお風呂に誘われている?それは……えっと……」
義妹とはいえ、それは倫理的にマズくないか、しかし、あくまで義理なわけで……。
そんな僕の戸惑いに星歌が即座に反応を示した。
「夢月、おバカな冗談を言うのはどの口かしら?」
「うっ、怖いよぅ。ちょっとした冗談じゃない。表情変えずに言うのはやめてよね」
「お兄様もそう言うときはしっかりと断ってください。ダメですよ?」
「ふーん。自分だって前にお兄ちゃんと一緒にお風呂に入りたいって言ってたのに」
「む、夢月っ!貴方、何て事を……。う、嘘ですからね。お兄様、うぅ……」
慌てて否定する星歌が可愛らしく見えて僕は思わず笑ってしまう。
可愛いふたりの妹に囲まれて……僕はとても幸せな日常を過ごしているんだ。