偽聖女は静かにしてほしい
見知らぬ、やたらとフリフリな天蓋付きの豪華なベッドで目覚めた時、私は自分の身に何が起きたのか全く理解できなかった。
「セレスティアお嬢様、お目覚めですか?」
恭しく頭を下げるメイドに促され、寝巻きのまま鏡台の前に座らされた私は、鏡の中に映る自分を見て息を呑んだ。
プラチナブロンドの流れるような長い髪。少し吊り上がり気味の、気の強そうなサファイアブルーの瞳。誰もが振り返るような絶世の美少女だが、どこか傲慢さが滲み出ている。
……いや、知ってる。この顔、めちゃくちゃ見覚えがある。
(私、前世で死んで……乙女ゲーム『聖なる光のレゾナンス』の世界に転生してる!?)
途端に、前世の記憶と、この体――セレスティア・フォン・エルメス公爵令嬢としての記憶が頭の中でカチリと融合した。
セレスティア。それは、この国で「聖女」として持て囃されながらも、やがて平民出身の「本物の聖女」であるヒロインが現れることで転落していく悪役令嬢だ。
原作ゲームでの彼女の役割は悲惨だった。
自分の地位と、婚約者である王太子を奪われることに焦ったセレスティアは、ヒロインを虐め抜き、最後には暗殺まで企てる。その結果、王太子から婚約破棄を突きつけられ、数々の悪行を暴かれて『断罪』。待っているのは処刑台への片道切符である。通称、偽聖女。
(……冗談じゃない。なんでよりによって死刑確定の偽聖女なのよ!)
私は心の中で頭を抱えた。
転生したのは百歩譲って受け入れよう。でも、断罪されて死ぬのは絶対に嫌だ。
幸いなことに、今はまだゲーム本編が始まる少し前。本物の聖女はまだ王宮に現れていないし、私と王太子との婚約も表向きは順調(という名の政略結婚)だ。
(決めた。私は絶対にヒロインを虐めたりしない。本物の聖女が現れたら、さっさと聖女の座も王太子の隣も譲って、私は田舎の領地でのんびり隠居生活を送るんだから!)
固く決意し、ひとまず気持ちを落ち着けるために、私は屋敷の庭園を散歩することにした。
色とりどりの薔薇が咲き誇る庭園は、私の荒んだ心を少しだけ癒やしてくれた。前世はブラック企業で社畜をしていたのだ。こういう優雅な時間は悪くない。
「……あら?」
ふと、薔薇の植え込みの影で何かが動いた。
覗き込むと、羽を怪我したのか、小さな青い鳥が地面で蹲っていた。ピィピィと弱々しい声で鳴いている。
「可哀想に。どこから迷い込んだの?」
私はしゃがみ込み、そっと両手で小鳥を包み込んだ。
その時だった。
――ぽわぁっ。
私の両手から、突如として温かく、眩いほどの『白い光』が溢れ出したのだ。
まるで蛍の群れが一斉に発光したような、いや、それ以上に神々しい光。
「えっ……? 何、これ」
光は小鳥を優しく包み込み、ものの数秒でスーッと消えていった。
恐る恐る手の中を見ると、さっきまでぐったりしていた小鳥が、嘘のように元気を取り戻していた。怪我をしていたはずの羽は完全に治癒しており、小鳥は私の指をツンツンと突くと、「ピルルッ!」と元気よく鳴いて大空へと飛び立っていった。
残された私は、自分の両手を見つめたまま完全にフリーズしていた。
癒やしの力。光の魔力。
それは、この世界において『聖女』だけが使える特別な力だ。
そして、ゲームの設定上、公爵令嬢セレスティアは「聖女としての高い魔力適性」があるという触れ込みで聖女扱いされているだけで、実際には癒やしの力など欠片も持っていない『偽物』のはずなのだ。
「……治っちゃったよ」
ぽつりと、乾いた声が出た。
何度自分の手を裏返して見ても、そこにあるのは間違いなく私の手だ。
「え、ちょっと待って。私、偽聖女だよね? 断罪される予定の悪役だよね?」
なんで、偽聖女の私に『本物の聖女の力』が宿っているの!?
これじゃあ、原作の設定と全然違うじゃない!
いや、落ち着け。前世のブラック企業で培ったスルースキルと危機管理能力を発揮する時だ。
これは夢だ。そう、転生したショックで脳が見せた幻覚。
あるいは、あの小鳥の自然治癒力が異常に高かっただけだ。フェニックスの雛だったのかもしれない。
「……よし、検証しよう」
私は立ち上がり、庭園をキョロキョロと見回した。
少し離れたところに、元気のなくなった、萎れかけの薔薇を見つけた。
私はその薔薇に両手をかざし、先ほどの小鳥の時のように「治れ」と念じてみる。
――ぽわぁっ。
またしても両手から眩い白い光が溢れ、薔薇を包み込んだ。
光が収まると、そこには萎れていたのが嘘のように、みずみずしく大輪の花を咲かせる薔薇の姿があった。
「……気のせいじゃないね。うん」
次に、私は足元に落ちていた、ポキリと真っ二つに折れた木の枝を拾い上げた。
両手で包み込み、念じる。
――ぽわぁっ。
見事に折れた断面がくっつき、一本の綺麗な枝に戻った。なんなら少し青々とした新芽まで出ている。
「……完全に聖女の力だ、これ」
私はそっと枝を地面に戻し、頭を抱えた。
現実逃避は終了だ。私には、なぜか本物の聖女の力が宿っている。
だが、冷静に考えろ。これが周りにバレたらどうなる?
いずれ現れる本物のヒロインの立場はどうなる?「あれ、聖女二人いるじゃん」ってならない?
イレギュラーな事態は、破滅フラグを予測不能にする。下手に『本物』だとチヤホヤされて、後でヒロインが現れた時に「やっぱりあっちが真の聖女だ!」と掌を返されたら、その落差で私の精神が死ぬ。
「……隠そう」
私はギュッと拳を握りしめた。
この力は絶対に誰にも知られてはいけない。
私はあくまで『魔力適性はあるけど癒やしの力は使えない、お飾りの偽聖女』。
無能を演じきり、本物ヒロインが登場したらスムーズにフェードアウトする。
それが、この理不尽な世界で生き残るための、唯一にして最大の保身術だ!
静かな庭園で、私は一人、固く固く決意を新たにした。
平和な隠居生活の計画は、開始わずか数十分で大幅な軌道修正(主に隠蔽工作)を余儀なくされるのだった。
あの日、庭園で自身のチート能力(推定)に気づいてから数ヶ月。
私は「癒やしの力」を徹底的に隠匿し、ただの「ちょっと魔力が多いだけの公爵令嬢」というポンコツ偽聖女のポジションを死守し続けてきた。怪我をした小鳥を見つけても素手で触らず布で保護し、萎れた花は神に祈るのではなく庭師に水をやらせる。完璧な危機管理である。
そして今日。ついに、私の念願が叶う日がやってきた。
「セレスティア嬢。紹介しよう。彼女が、新たに神殿で見出された『光の乙女』……アリアだ」
王城の謁見の間。
私の婚約者である王太子ルシアン殿下が、一人の少女を伴って現れた。
ふわふわのピンクブロンドに、潤んだ若草色の瞳。小動物のように庇護欲をそそる可憐な容姿。
(キターーー!! 本物ヒロイン!!)
私は内心でガッツポーズを決めた。
間違いない。彼女こそがこの乙女ゲームの主人公、本物の聖女アリアだ。
原作のセレスティアなら、ここで「平民の分際で!」とブチギレて扇子をへし折るところだが、今の私にそんな気は毛頭ない。むしろ、激務のプロジェクトを代わってくれる超優秀な中途採用のエースを見るような目になっている。
「は、初めまして……アリアと申します。セレスティア様のお噂は、かねがね……」
アリアは怯えたようにルシアン殿下の背中に半分隠れながら、上目遣いで私を見た。
……なにこれ。めちゃくちゃ可愛いんですけど。
外見だけでなく、纏う空気までもが清らかで無垢。まさに歩くマイナスイオン。全てが聖女と呼ぶにふさわしい。
「初めまして、アリアさん。あなたが来てくれて本当に嬉しいわ。仲良くしましょうね」
「え……?」
私が満面の笑みで両手を取ると、アリアは目を丸くし、隣のルシアン殿下も「嫌味の一つも言わないのか?」とばかりに怪訝な顔をした。
失礼な。誰が可愛い後輩を虐めるもんですか。私は早くこの「お飾り聖女」という激務から解放されて、田舎でスローライフを送りたいのだ。
「さて、神官長。彼女の力のお披露目をお願いする」
殿下の言葉で、場は厳粛な空気に包まれた。
謁見の間の中心に置かれた、神聖な魔力を測るという巨大な水晶。これに手を触れ、光の魔力を放つことで『本物の聖女』であることが証明される。
原作通りなら、ここでアリアがまばゆい光を放ち、私は「そんな……私は光らせることができなかったのに!」と膝から崩れ落ちて偽物確定、となるはずだ。
さあアリアちゃん、思う存分光っちゃって! そして私を円満退社(婚約破棄)に導いて!
「はい……っ!」
アリアが祈るように水晶に両手をかざす。
次の瞬間。
――カァァァァァァァッ!!
水晶から、目を細めるほどの強烈な白い光が放たれた。謁見の間中が神々しい光に満たされ、神官長が「おおお……! なんという奇跡の光!」と歓喜の声を上げる。
(よしよし、完璧な演出! それじゃあ私はここで「ああっ、私の立場が!」って顔をしてフェードアウトの準備を……ん?)
ふと、自分の足元が明るいことに気がついた。
いや、足元だけじゃない。私の手から、体全体から、何か『ぽわぁっ』としたものが漏れ出している。
「……え?」
私の体から溢れ出した白い光は、アリアが放つ光と呼応するように、みるみるうちに強さを増していった。
隠していたはずの力が、本物の聖女の特大の魔力に当てられて、勝手に共鳴反応を起こしてしまったらしい。
ちょ、待って。ストップ。消えろ。光るな。目立つな!!
必死に念じるが、一度決壊した光の魔力は止まらない。
ついには、アリアの光(ピンクがかった優しい光)と、私の光(プラチナがかった力強い光)が謁見の間でマーブル状に混ざり合い、天上の楽園のような謎の空間を作り出してしまった。
「な、なんと……! セレスティア様からも、同じように強大な光の魔力が……!?」
神官長が泡を吹いて倒れそうになっている。
ルシアン殿下も、信じられないものを見る目で私を凝視していた。
「セ、セレスティア様、すごいです……! 私、一人で不安だったんですけど、セレスティア様も本当の聖女様だったんですね! これから一緒に頑張りましょうね!」
アリアが尊敬の眼差しを向けて、両手で私の手を握りしめてきた。
純度100%、欠片も悪意のないキラキラした笑顔だ。
「あ……えっと……は、はい……」
私は引きつった笑顔を返すことしかできなかった。
……消えなかった。
本物が現れたら、都合よく私の謎パワーは消えるんじゃないかと淡い期待を抱いていたのに、全く消えなかった。
それどころか、盛大にお披露目してしまった。
「歴史上初めての快挙だ! 同じ時代に、二人の聖女が降臨されたぞぉぉぉ!」
沸き立つ神官たちと、唖然とするルシアン殿下。
そして、「お姉様」と慕わんばかりの瞳を向けてくる本物ヒロインのアリア。
……私の静かな隠居生活、どうしてこうなった?
二人の聖女が誕生したあの日から、半年が過ぎた。
私の当初の計画「ポンコツを演じてフェードアウト」は完璧に頓挫したが、現状は思いのほか悪くなかった。
神殿での祈りや、各地への慰問。それまで私一人にのしかかっていた聖女としての激務は、アリアと分担することで半分になった。社畜時代を思えば、今の労働環境は超絶ホワイトである。
それに何より、アリアが可愛い。
「セレスティアお姉様! 見てください、信者の方からこんなに綺麗なお花をいただきました!」
「ふふ、アリアの瞳の色みたいに綺麗な若草色ね。後で一緒に飾りましょう」
「はいっ!」
天使かな?
最初は怯えていたアリアも、私が一切いびる素振りを見せず、むしろ仕事のノウハウを優しく教え込んだことで、すっかり懐いてくれた。
時には祭りの儀式で、二人並んで神楽を舞うこともあった。ピンクブロンドとプラチナブロンドの二人の聖女の舞は「眼福すぎる」と国民にも大ウケで、私たちの関係は傍から見れば完全に「ゆるふわで尊い姉妹」のそれだった。
そして、この平和な日々の中で、もう一つ順調に進んでいることがあった。
それは、私の婚約者である王太子ルシアン殿下の『心変わり』だ。
政略で結ばれた、気位の高い(と思われている)私と違い、アリアは純真無垢で素直だ。ルシアン殿下は、聖女としての公務でアリアと顔を合わせるうちに、彼女の裏表のない優しさと可憐さに急速に惹かれていった。
視察の合間にアリアにだけ甘いお菓子を差し入れたり、彼女が転びそうになれば誰よりも早く手を差し伸べたり。私という婚約者がいながら、彼の態度は完全に「恋に落ちた男」のそれだった。
(よしよし、いいぞ。順調にゲームのシナリオ通りになってる!)
私は心の中でガッツポーズを繰り返していた。
殿下がアリアを愛せば愛するほど、私との婚約破棄が近づく。二人の聖女というイレギュラーはあったものの、これで晴れて円満退社からのスローライフが待っているはずだ。
そんな私の期待が最高潮に達した、ある日の王宮のティータイムでのこと。
ルシアン殿下が、思い詰めたような顔でついに口を開いた。
「アリア。君のその清らかな心に、私は強く惹かれている。……どうか、私の妃になってくれないだろうか」
キターーー!!
私という婚約者が目の前でお茶を飲んでいるのに、堂々のプロポーズである。普通なら修羅場確定だが、私にとっては退職届が受理されたも同然の歓喜の瞬間だ。さあアリア、彼の手を取って私を捨てて!
しかし、アリアの反応は私の予想とは違った。
彼女は頬を膨らませ、ビシッと殿下を指差したのだ。
「ルシアン殿下! 浮気は、メッ! ですよ!」
「……え?」
「殿下には、セレスティアお姉様という素晴らしい婚約者がいらっしゃるじゃないですか! お姉様を悲しませるような殿方は、いくら王太子殿下でも最低ですっ!」
プンプンと怒るアリア。……可愛い。じゃなくて。
全てが聖女である彼女は、道徳心も完璧だった。誰かを傷つけて得た幸せなど、彼女は望まないのだ。
「そ、それは……だが、私の心はすでに……」
ルシアン殿下がバツの悪そうな顔で言い淀む。
このままでは、アリアの真っ直ぐな正義感によってプロポーズが白紙になってしまう。私の円満退社の危機だ。
私はティーカップを静かに置き、ふう、と一つため息をついた。
「あのさ、二人とも」
「「え?」」
「殿下は王族なんだから、普通に二人とも娶れば良くない?」
「「…………はい?」」
私の言葉に、ルシアン殿下とアリアの時が止まった。
「殿下はアリアのことが好きなんでしょう? アリアも、殿下のこと自体は嫌いじゃないはずよ。でも、私との婚約があるから倫理的に引っかかってる」
「ま、まあ、そうだが……」
「なら話は簡単じゃない。第一夫人と第二夫人、どっちがどっちでもいいけど、両方娶れば解決よ。王族なんだから、側室を持つのは普通のことだし、跡継ぎだってたくさん必要でしょ? 国の安泰のためにも合理的じゃない」
前世の社畜精神がそうさせるのか、私は極めて現実的で合理的な解決策を提示した。
というか、この国、一夫多妻制は普通に認められているのだ。ゲームではヒロインが一人を選ぶからそういうルートがなかっただけで、現実問題として二人の聖女を両方王家に囲い込めるなら、国にとっても万々歳のはずだ。
完璧なロジックだ。私ってば天才かもしれない。
そう思って二人を見ると、ルシアン殿下もアリアも、まるで未知の生物を見るような目で私を見て、ポカンと口を開けていた。
「……セレスティア。君は、それでいいのか? 嫉妬とか、そういう感情は……」
「お姉様、本気ですか……? 愛する人と別の女性を分け合うなんて……」
信じられない、という顔をする二人。
え、私、何か変なこと言った?
「別にいいわよ? 私はアリアのことも殿下のことも大切だし(有能な同僚と上司的な意味で)、国が平和ならそれでいいじゃない。ねえ?」
私が首を傾げて微笑むと、二人は顔を見合わせ、それから深く深くため息をついた。
「……君という人は、本当に底が知れないな」
「お姉様は、やっぱり本当の聖女様です……! そこまで深い慈愛をお持ちだなんて……!」
いや、慈愛とかじゃなくて、ただの合理主義なんだけど。
なんだか勘違いされている気がするが、こうしてルシアン殿下は無事に「両手に花」の王太子となり、幸せを掴んだのだった。
めでたし、めでたし。
……とは、いかなかったのである。
「ルシアン殿下! いくらなんでも、二人の聖女を両方娶るなど……強欲にも程があります!!」
「左様です! 一夫多妻が国法で認められているとはいえ、当代きっての至宝を独占するなど、倫理的にいかがなものかと!」
「全くだ! セレスティア様だけでも羨ま……いや、もったいないというのに、あんなに可憐なアリア様まで!」
王宮の執務室。
本来なら静かに政務が行われるはずのその場所で、騒々しい声が響き渡っていた。
声の主は、ルシアン殿下の側近である若きエリートたち。
近衛騎士団長の息子であり剣の天才・レオン。
宰相の息子であり頭脳明晰な・シオン。
魔術師団の若きエース・キース。
乙女ゲーム『聖なる光のレゾナンス』において、ルシアン殿下と並ぶメイン攻略対象の面々である。
彼らは今、執務机に突っ伏しているルシアン殿下を取り囲み、ギャーギャーと文句を垂れていた。
建前は「王太子としての倫理観と体面」。
しかし、その実態は「やっかみ半分、羨ましさ半分」であることは明白だった。
「……君たち、頼むから少し静かにしてくれ。頭が痛い……」
ルシアン殿下は、目の下に濃いクマを作りながら力なく反論した。
両手に花を手に入れたはずの王太子は、ここ数日、側近たちからの激しい嫉妬とやっかみの集中砲火を浴び続け、すっかり疲弊しきっていた。
一方、そんな彼らを少し離れたソファーから眺めていたのは、渦中の『両手に花』である私とアリアだ。
私たちは、執務室の隅で聖女としての事務作業(主に各地の教会からの報告書の確認)をこなしていた。
「……セレスティアお姉様。あの方たち、いつもあんな風に殿下を困らせているんですか?」
「そうね。最近は特にひどいわね」
「……なんだか、見損ないました。王太子の側近というから、もっと立派な方々だと思っていたのに……。あれじゃあ、ただのワガママな子供みたいです。ちょっと、かっこ悪いです……」
アリアは、美しい顔に引きつった笑顔を浮かべ、完全にドン引きしていた。
全てが聖女である彼女から見れば、職場で私情を挟んで上司を責め立てる彼らの姿は、単なる「みっともない男たち」でしかないようだ。
(あーあ、攻略対象たちの好感度が、アリアの中でゴリゴリ下がってる音がする……)
ゲームでは、彼らはアリアを巡って熱い火花を散らすはずだったのに。
ルシアン殿下が早々に両方を囲い込んでしまったせいで、彼らはただの「嫉妬に狂う残念な取り巻き」に成り下がってしまった。
「殿下! 聞いておられるのですか!」
「アリア様がどれほどお心を痛めておられるか……!」
いや、アリアは君たちのその姿に心を痛めてる(ドン引きしてる)んだけどね。
バンバンと机を叩きながら騒ぐ側近ズの声が、私の耳を劈く。
手元の報告書の文字が全く頭に入ってこない。
(……うるさいなぁ)
私はペンを置き、こめかみを揉んだ。
彼らの気持ちもわからなくはない。美しい聖女二人を上司が独占したのだ。文句の一つも言いたくなるだろう。
しかし、ここは職場だ。
前世で社畜だった私にとって、仕事の邪魔をされることは何よりもストレスだった。
(社内恋愛の痴話喧嘩(?)は、せめて給湯室か仕事の後でやってくれないかな……。こっちは今日中にこの報告書を処理して、早く定時で上がりたいのよ)
私は深い、深い溜息をついた。
「ねえ、アリア。とりあえずこの報告書、終わらせちゃいましょうか」
「はい、お姉様。……あんなかっこ悪い人たち、放っておきましょう」
アリアも完全に彼らを視界から締め出し、真面目な顔で書類に向き合い始めた。
可愛い妹分(有能な同僚)のためにも、そして何より私の心穏やかな定時退社のためにも。
(本当、偽聖女は……静かにしてほしいのよ)
騒がしい執務室の中で、私は誰にも聞こえないように、ひっそりと毒づいた。
それから数時間後。
「……殿下、さすがに顔色が限界突破してますよ。」
私は持っていた報告書の束を机に置き、深くため息をついた。
「すまない、セレスティア……少し休ませてくれ……。」
ルシアン殿下は、ついに執務机に突っ伏して動かなくなってしまった。
見かねたアリアが、パタパタと小走りで殿下のもとへ駆け寄る。
「殿下、お疲れのようですから、私とお姉様で少しだけ『癒やし』の魔力を送りますね。」
「そうね、ここで殿下に倒れられて仕事が滞ったら、私たちの定時退社が遠のくもの。」
私はアリアと並んで殿下の背中にそっと手を当て、二人で同調しながら淡い光の魔力を流し込んだ。
「おお……まるで春の陽だまりに包まれているようだ……体が軽くなっていく……。」
殿下はうっとりとした表情を浮かべ、みるみるうちに顔色を取り戻していった。
私たちの魔力は相性が良く、二人で合わせれば極上のマッサージチェア以上の疲労回復効果があるのだ。
「なっ……! 殿下、抜け駆けはずるいですぞ!」
「聖女様お二人に同時に癒やされるなど、いくら王太子とはいえ許されることではありません!」
「僕たちだって最近寝不足なのに……羨ましい……!」
ギャーギャーと騒ぎ立てたのは、先ほどまで文句を垂れていた側近の三人だった。
彼らは殿下を癒やす私たちの姿を見て、再び嫉妬の炎を燃やし始めたのだ。
ブチッ。
私の頭の中で、何かが切れる音がした。
「……あなたたち、ちょっとそこに正座しなさい。」
私のドス黒い声に、三人はビクッと肩を揺らした。
「な、何を言っているのですかセレスティア様、我々は殿下の側近として正当な意見を……。」
「いいから、黙ってそこに座れと言っているのよ。」
私は氷のような視線で見下ろし、アリアもまた怒りのオーラを全開にして彼らを睨みつけた。
気圧された三人は、渋々と床に正座した。
「あのね、あなたたちにはそれぞれ立派な家柄の婚約者がいるはずよね。」
私の言葉に、三人は気まずそうに目を逸らした。
「婚約者がいるにも関わらず、職場で他の女性であるアリアを巡って騒ぎ立てるなんて、不誠実にも程があるわ。」
「そうです! お付き合いしている方がいるのに、別の方にちょっかいを出すなんて、最低の浮気者です!」
アリアの容赦ない言葉の刃が、彼らの胸にグサグサと突き刺さっていく。
「第一、愛する婚約者を放置して他の女のことで上司に噛み付くなんて、男としても側近としても三流のすることよ。」
「女性はそういう不誠実な態度を一番嫌うんですからね!」
「大体、あなたたちが仕事をサボって騒ぐせいで、この執務室の生産性が著しく低下しているのよ。」
「お給料をもらっている以上、真面目にお仕事をしてください!」
私とアリアの、現実的な正論と道徳的な正論の波状攻撃に、三人はぐうの音も出ないまま項垂れるしかなかった。
「……さて、説教はこのくらいにして、お迎えが来ているわよ。」
私がパチンと指を鳴らすと、執務室の重厚な扉が開かれた。
「レオン様、お話は全て聞かせていただきましたわ。」
「シオン様、私というものがありながら……呆れ果てました。」
「キース様、もう顔も見たくありませんわ。」
そこに立っていたのは、怒りに震える三人の婚約者の令嬢たちだった。
彼女たちの後ろには、それぞれの実家から連れてきた屈強な騎士たちが控えている。
「な、なぜ君たちがここに……!?」
驚愕する三人に、私は冷たく言い放った。
「私が呼んだのよ、あなたたちが騒ぎ始めた時からずっと扉の外で待機してもらっていたわ。」
「さあ、お帰りくださいませ。あなた方の実家には、すでに事の顛末を報告済みです。」
令嬢たちが顎で合図をすると、騎士たちが無言で三人に近寄り、両脇を抱えてズルズルと引きずっていく。
「ま、待ってくれ! これは誤解だ!」
「殿下! 助けてください!」
情けない悲鳴を上げながら、彼らは執務室から退場していった。
嵐が去った後の静寂の中、ルシアン殿下が深く深くため息をついた。
「……セレスティア、アリア。手回しに感謝する。」
殿下は疲れ切った顔ながらも、どこかスッキリとした表情を浮かべていた。
「当然ですわ。これで彼らの婚約は解消となるでしょうし、もう二度と会うこともないでしょう。」
私が淡々と事実を述べると、殿下は頷いた。
「ああ。彼らの側近としての役職も、本日付で取り上げることにする。あれでは国政を任せることなど到底できないからな。」
「賢明なご判断だと思いますわ、殿下。」
「ええ、あんな不誠実な方々は側近にはふさわしくありません!」
私とアリアが口々に殿下をねぎらうと、彼は苦笑いを浮かべた。
「自分の側近候補をもう一度探し直さなければならないな……次の側近は、まともだと良いのだが。」
殿下のぼやきに、私とアリアは顔を見合わせて微笑み合った。
「きっと大丈夫です。」
二人の聖女の力強い言葉に、ルシアン殿下は少しだけ救われたような顔をしたのだった。
「それに殿下、新しい側近探しについてですが、私から一つ提案がありますわ。」
私は、前世の社畜時代に培った業務効率化のノウハウを思い出した。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「なんだろうか、セレスティア。」
殿下が興味深そうに身を乗り出す。
「同年代の若い貴族から優秀な人材を探すのではなく、殿下より年上になりますが、後進が育つまでは先人の力を借りるべきです。」
「先人の力を、か。」
「はい、なにも飛び抜けて優秀な天才である必要はありませんわ。」
私は指を一本立てて、具体的な役割分担を説明し始めた。
「まずは、マニュアル化された単純作業を、言われた通りの手順で正確にこなせる人材です。」
「なるほど、書類の整理や基礎的な集計などだな。」
「ええ、そして彼らには、想定外の事態が起きたら自己判断せず、必ずすぐに指示を仰ぐように徹底させます。」
アリアが横で深く頷いた。
「お姉様の言う通りです、勝手に動いて失敗されるのが一番困りますからね!」
「もう一つは、経験豊富で実務のノウハウを持っている、仕事ができる普通の人を中堅として入れるのです。」
「仕事ができる普通の人、ということか。」
「ええ、彼らは自分で考えて動くことができますから、先ほどの単純作業組の管理や、定型外の業務を任せます。」
私はさらに言葉を続けた。
「殿下は、彼らが処理した書類の全体を取りまとめて最終チェックを行い、採決を下すだけで良いような体制を作るのです。」
「私が全てを抱え込むのではなく、完全に分業制にするということだな。」
殿下の目に、希望の光が宿った。
「その通りですわ、適材適所に人材を配置し、殿下の負担を最小限に抑えるのです。」
「それなら、殿下もしっかり睡眠時間が確保できますね!」
アリアの明るい声に、殿下は安堵したように微笑んだ。
「素晴らしい提案だ、セレスティア。」
「今までは、あの残念な方々が仕事を掻き乱していましたからね。」
私が苦笑すると、殿下もつられて笑った。
「早速、引退した文官や、地方で堅実に実務をこなしている者たちを中心に声をかけてみよう。」
「それが良いと思いますわ、これで私たちの平穏な定時退社ライフも安泰ですわね。」
「お姉様、明日からはもっと早く帰れそうですね!」
私たちは、これからの快適な労働環境を想像した。
三人で顔を見合わせ、晴れやかな笑顔を交わした。




