第49話:隣国からの最後通牒 〜最適化への抵抗〜
魔王城「パンデモニウム」の平穏を切り裂いたのは、一羽の白銀の伝令鳥であった。
それは隣国、聖教国の枢機卿会から放たれた「最後通牒」。その内容は、あまりにも傲慢で、執事アルベルトの「管理」を真っ向から否定するものであった。
『我が国の至宝たる聖女セレレスを甘言をもって毒し、魔の軍門に降らせた大罪。これを拭うには、執事アルベルトの身柄を直ちに引き渡し、我が国の法の下で再教育を施す以外に道はない。応じぬならば、聖教国全軍をもって貴城を不浄ごと浄化する。』
玉座の間。その書面を読み上げた筆頭カサンドラの声が、怒りで震えていた。
「……笑わせるな。聖教国は、セレレス様がアルベルトによって『不全』を解消された事実を歪曲し、あまつさえアルベルトという稀代の管理能力を、自分たちの不効率な統治の道具として奪おうとしているのだぞ」
将軍バルバラが、背後の大剣を軋ませて一歩前に出る。
「魔王様、許可を。今すぐ国境へ出陣し、あのような寝言を吐く連中を一人残らず……」
「待て、バルバラ。暴力による解決は、アルベルトの整えた『和平の秩序』を損なう」
ルナリスは、玉座の肘掛けをきつく握りしめながら、傍らに控えるアルベルトを見上げた。
当のアルベルトは、モノクルの奥で平然と瞳を光らせ、一点の曇りもないトレイの上に香茶を乗せていた。
「皆様、血圧を上げられるのはお控えください。せっかく調律した魔力バランスが乱れます。……聖教国の通牒、それは脅迫ではなく、ただの『悲鳴』に過ぎません」
「悲鳴、だと?」
「はい、ルナリス様。聖教国は今、過剰な潔癖主義による行政の硬直と、経済の滞留に苦しんでいる。彼らは聖女の変貌を見て、私という『リソース』さえ手に入れれば、自国の管理不全を解決できると、浅浅しくも算段したのでしょう」
アルベルトは、カサンドラが持っていた最後通牒の羊皮紙を、指先一つで摘み上げた。
「主人の大切な時間を奪い、さらには私という執事を、他国の『部品』として要求する不遜。……これは、もはや単なる外交問題ではありません。……魔王城の領土を脅かす『広域の不潔』です」
アルベルトの言葉と共に、彼の背後に控えていた聖女セレレスが、深く、跪いた。
「……アルベルト様。私のいた国は、もはや自浄作用を失っています。彼らは貴方を救おうとしているのではなく、貴方のその『規律』を自分たちの延命に使いたいだけなのです。……どうか、彼らに……至高の再構築をお与えください」
ルナリスが、立ち上がった。その瞳には、最愛の執事を奪おうとする者への、絶対的な拒絶が宿っていた。
「……よかろう、アルベルト。貴殿に全権を委ねる。……余の城の、余の隣に立つ者に指一本触れさせるな。……隣国が『最適化』を拒むというのなら、貴殿の流儀で、あの国ごと『再編』してしまえ!」
「――御意のままに、ルナリス様」
アルベルトの不敵な微笑。
それは、魔王軍が単なる防衛から、隣国という巨大なシステムの「強制管理」へと舵を切った瞬間であった。
聖教国の国境沿い、魔王領を目前に控えた「祈りの平原」には、白銀の法衣と輝く鎧を纏った二万の軍勢が集結していた。彼らが掲げるのは、不浄を排斥し聖女を奪還するという「独善の旗」。だが、その陣容は、表面上の華やかさとは裏腹に、過剰な規律の押し付けと補給路の乱れによって、内側から激しく摩耗していた。
「……不潔ですね。あれほどまでに非効率な陣形を、彼らは『神の秩序』と呼んでいるのですか」
平原を見下ろす断崖の絶壁。アルベルトは、魔王ルナリスの傍らでモノクルを光らせ、冷徹に敵陣を鑑定していた。彼の周囲には、再調律を終えて全盛期以上の魔力を漲らせた最高幹部たちが、主人の命令を待って静かに控えている。
「アルベルトよ、準備は整ったか。余の執事を奪おうとした傲慢な者たちに、相応の報いを与えてやれ」
ルナリスの言葉に、アルベルトは優雅に一礼し、白手袋を嵌めた手をゆっくりと掲げた。
「戦略的再編、開始。……バルバラ様。左翼の補給部隊を『解体』なさい。殺す必要はありません、彼らの食糧と魔力触媒を、一滴残らず無力化するのです。……メルヴィ様。敵本陣の魔力伝達経路をジャックし、情報の『渋滞』を引き起こしてください」
「応! 俺の武が、奴らの不完全な規律を叩き直してやる!」
バルバラが白銀の閃光となって断崖を駆け降りる。
「あはは。……情報の濁流に呑まれて、自分たちが誰に命令されてるかも分からなくなっちゃえばいいよぉ……」
メルヴィの指先が、空間に無数の魔導数式を書き込み、聖教国の指揮系統を瞬時に機能不全へと追い込んでいく。
聖教国の指揮官たちは、戦う前に絶望した。
剣を交える以前に、自分たちの「存在」を支えるシステムそのものが、アルベルトという一人の執事の手によって、パズルのように分解され、書き換えられていく。補給は断たれ、命令は錯綜し、兵士たちは戦う理由さえもアルベルトの「論理」によって上書きされていく。
「……ま、待て! 我らは正義の軍勢だ! 聖女様を、アルベルトを救いに来たのだ!」
叫ぶ聖騎士たちの前に、一人の女性が降り立った。元聖女、セレレス。
「……愚かな兄弟たちよ。アルベルト様を『奪う』など、貴方たちの手に負えることではありません。……彼は救われるべき弱者ではない。貴方たちの歪んだ国を、まるごと再構築しに来た『管理者』なのです」
セレレスの放つ、かつてないほどに澄み渡った聖なる魔力が、聖騎士たちの戦意を根こそぎ奪い去った。
それはアルベルトによって、抑圧された偽りの信仰から「真の自己」へと調律された、慈愛と支配の光であった。
数時間と経たぬうちに、二万の軍勢は一兵も欠けることなく、その場に跪いた。それは敗北というよりも、圧倒的な「管理能力の差」の前に屈した、必然の帰結であった。
「……ルナリス様。不法投棄(侵略)されたゴミの一次処理、完了いたしました」
アルベルトは、ルナリスの前に跪き、彼女の靴に付いた僅かな土埃を優雅に払い落とした。
「これより、この無能な軍勢を道案内に、聖教国の都へと向かいましょう。……主人の隣に相応しくない、あの『不潔な隣国』そのものを、私の規律で美しく刷新するために」
ルナリスはアルベルトの肩に手を置き、勝ち誇ったように微笑んだ。
「……よかろう。アルベルト、貴殿の好きなようにせよ。……余の執事を欲しがった代償として、あの国すべてを貴殿の『管理区域』として併合してやる」
最高幹部たちを引き連れ、アルベルトは聖教国の首都へと歩みを進める。
それは武力による征服ではなく、一人の執事による「世界で最も美しく、過酷な再開発」の始まりであった。




