第39話 嵐が過ぎ去るまで
そして、翌朝。
饗島の空は快晴だった。海からの風が心地よく、鳥の鳴き声が聞こえる。
そんな中、黎明は早朝からランニングをしていた。民宿を出て、島の市街地を抜け、少し山寄りの道を走る。
朝日が昇り始め、島全体が淡いオレンジ色に染まっている。黎明の足音だけが静かな道に響いていた。
黎明は自身の体力のために運動は欠かさない。しかし、今回はただ走っていたわけではない。
走りながら周囲の霊力を感知していたのだ。
(やっぱり、この島、MPが感知しづらい。この阻害をしている拠点が分かればねぇー)
(ただ、思ったけど、民家が近い場所を起点にしないと思うんだよね。結構大掛かりな魔法っぽいし。離島だから出れない、ではなく、感知できない効果が大きい魔法ね)
(もっと人が寄りつかない場所でこっそり発動してた方が、効果としては大きそうな気がする。まぁ、そもそも人が多い場所はもう朝に調べ終わったけど)
この時点で黎明は既に民家などを走り回り結界の起点を探していた。とは言え、現時点では、黎明が感知できる範囲は狭い。
しかし、ある程度の間合いに入れば、その中ぐらいは黎明は把握できる。だからこそ、黎明は地道に島を走り回り調べることにしたのだ。
まるで、冒険を楽しむ子供のように、にこにこと笑いながら走り続けた。呼吸は乱れず、汗一つかいていない。まるで、散歩をしているかのような軽やかさだった。
その時、前から一人の男が歩いてきた。
その姿は年齢は四十代くらいだろうか。身長は百七十九センチほど。髪は黒く、少しボサボサに伸びている。そして、目は鋭く、どこか疲れたような雰囲気がある。だが、その奥には、かつて何かを見てきた者特有の深みがあった。
また、手には、コンビニの袋を持っている。中には、酒が入っているようだ。
(お、あの人、霊力の流れが綺麗だね。初めて会った時の、蓮と紅よりは全然上だ)
お、と僅かに気に留めた黎明は歩いてくる男をわずかに一瞥する。少しだけ興味を持つが、それ以上何かを知りたい、という感情はなかった。
そのため、走り続ける。
黎明が見ていた男――
その名は九条透。彼は黎明とすれ違おうとした瞬間、足を止めた。
いや、正確には、足を止めざるを得なかった。
彼の能力が、とんでもない事実を彼に告げたからだ。
【霊眼】。対象を見た時に、相手の能力を見ることができる、彼固有の能力だ。
昨日の夜に、黎明が出会った九条瞳月と同じような能力だ。それもそのはず、彼は九条瞳月の父親だからである。
つまり瞳月と同じ能力。だが、彼の能力は娘よりも遥かに精密だ。彼女の場合は霊力しか測定ができない。
しかし、九条透の場合は四種類の項目となって相手の強さがわかる。具体的には霊力、剛、迅、堅と見えるのだ。
霊力は霊力の総量。剛は攻撃力、迅は速度、堅は防御力と言えばわかりやすいだろうか。
それらが、数値となって彼の瞳には映し出される。
そして、今、彼の瞳に浮かび上がった数字は――
霊力
0043。
剛
983
迅
891
堅
671
透はその数字を見た瞬間、全身が凍りついた。心臓が、まるで鉄槌で叩かれたかのように激しく鳴り響き、冷たい汗が背筋を這い上がり、首筋を濡らした。
喉が砂漠のように乾き、唾を飲み込むことすらできない。なんだこれは、目の前にいるのは本当に人間なのか、と彼はひどく困惑する。
──自らの体全てが、理解を拒むほどの化け物。
(……嘘だろ。なんで、人間の剛、迅、堅が三桁もあるんだよ。大体の人間は、二桁なんだよッ)
(以前に、ボクシングの世界有数の選手を生で見たことあるが、あれでも三桁にようやく乗る程度なんだよッ)
(な、なんで、こんな化け物が朝からこの島を出歩いてるんだッ)
寝起きでうとうとしていた彼の思考が、一瞬で高速回転し始めた。その少年、黎明を理解してから、彼が近くに居なくなるまで生きた心地などするはずがない。
自分など、指一つでいつでも殺せるほどの圧倒的な強者。つねに心臓を握られて、安堵などあるはずがないのだ。
(0043……これは、43という意味じゃないはずだ。これは勘になるが、オレの霊眼は最大で──)
(──《《四桁までしか表示できねぇ》》)
(0043、これはもう一個桁がある証だろう。おそらく五桁以上の霊力があるのに、オレの精度じゃ四桁が限界のため、その部分しか出ていない。10043だった場合、一万の桁が表示できてないから、こんな示し方になるはずだ)
(そうでなければ、剛とかが三桁で数字の頭に0がない理由の説明がつかない。霊力以外は三桁だが、霊力は五桁以上の化け物中の化け物、これは人間じゃねぇだろッ)
(島守様か? 島の人間を怪異から守ってくれると言われてる……馬鹿馬鹿しい。気まぐれな神が人の姿を借りて来たとか? どちらにしろ、最悪だ、こんな化け物に遭遇しちまった)
(そもそも、怪異でも四桁なんてあったことねぇんだよ。どんな化け物だ……)
内心でひどく焦り、汗もとめどなく溢れてきていた。未だ嘗て、自分が遭遇したことない異次元の化け物が来てしまったことで、彼は恐れに支配された。
この単純な桁違いの強さ。
だが、さらに驚愕すべきことがあった。
(それにあいつ……霊力が、漏れていない)
そもそも、これほどの霊力を持つ者は周囲に霊力を漏らしてしまう。それは、巨大な水槽から水が溢れ出るようなものだ。
だが、この少年からは、一切の霊力が漏れていない。
まるで、深淵のような静けさ。
表面は穏やかな湖のように見えるが、その底には想像を絶する力が眠っている。まるで海底のような底なしの強さ。
だが、それを持っているというのに……この少年からは、一切の霊力が漏れていない。
表面上は無害に見える。だがその深みが見えぬ、海の水量は想像を絶している。
そして、一度荒れ狂えば、最早、災害。天災、人がどうにか出来る境界をあっさりと超えてしまっている。
そう、彼は悟ったのだ。
(……尋常じゃない。この霊力制御は、どんなわけだ? オレが全く、ほぼゼロ距離になるまで、これほどの実力者に気づかなかった。いや気づけなかった!! なぜなら、こいつは虫のように自然と、普通の人間のように島に溶け込んでやがったからだ)
(こんな存在が、この世に存在するのか……?)
その内心に呼応するように彼の背中に、冷や汗が流れた。
だが、透は表面上は何も変えなかった。視線を逸らし、何事もなかったかのように歩き続けた。
(……関わるな。こんな化け物に関わったら、命がいくつあっても足りない。いや、出会った時点でアウトか……)
(災害と同じだな。起きたら、祈るしか出来ない。どうなるかは人間には決められない)
彼の思いが通じたのか、黎明は何もせずにランニングを続ける。徐々に遠くなって行く黎明の足音。
だが、彼の心臓は、小さくなる足音とは反対に激しく鳴り続けていた。
そして、ようやく足音が消えたタイミングで彼は冷静になる。
(去ったか……。たった数秒だったが人生の価値観が変わったぜ、いや、なんなら人生そのものが終わるかと思ったぜ……)
彼が去ったのは確認した。だが、命の危機まで覚えた恐怖は拭えず、足早に立ち去った。
◾️◾️
昼過ぎ。
黎明、志乃、白妙詩の三人は、島を調査していた。朝のうちにある程度は黎明が調べていたのだが、めぼしい戦果はないため、方向性を変えて図書館にやってきたのだ。
「うーん、朝にある程度調べたけど、珍しいモンスターとか、魔法の起点場所とかはなかったかな」
「そうか。黎明でも気づかないとなると、かなり巧妙に隠されてるのかもしれんな」
「まぁ、そうかも。だけど、どこ行っても島守様って言う神様の看板とか、祠があったよ。島の人と少し話したけど、皆、信仰してるみたいだし、ちょっと調べてみたいかな」
「そうか。だから図書館に……なら私は昨日連絡先を交換した九条瞳月と白守祈に連絡でもしてみるか」
「お、いいね」
そして、詩は、瞳月に電話をかけた。数コール後、瞳月が出た。
『もしもし?』
「もしもし、瞳月さん。白妙詩です」
『あ、昨日の! えっと、詩さんでしたっけ? 何か聞きたいこととか?』
「できれば、島の伝説とか、他にもいつから怪異が出ているとかも」
『あー、そうなんだ。おっけー。今、どこにいるの?』
「島の図書館前に」
『おっけー、今から準備する。でもちょっと待ってね。あーしのパパがちょっと体調崩したみたいでおかゆだけ、作ってくから』
そう言って、瞳月は電話を切った。数十分後、瞳月が走ってきた。
「やっほー!」
瞳月は手を振りながら言った。
「わざわざありがとうございます」
「いいえー、それと詩さん年上でしょ、タメ口でいいよー」
「……そうか、分かった」
やってきた瞳月は、ピンクのダボダボのパーカーに、ジーンズを着ており、陽キャ感があった。なので、志乃はちょっと苦手だった。
「それで、何が聞きたいの?」
「島の伝説、それと怪異はいつから狩っているのか。いや、そもそもどこで怪異を知った?」
「あーしのパパが、元陰陽師なんだ。もう引退してるけどね」
「陰陽師……そうか。だからか」
それを聞いた詩は、少し眉をひそめた。どうりで、ただの高校生達が怪異、陰陽師、そういう存在を知っているはずだと納得をしたのだ。
そして、目の前で説明を続ける瞳月、その父親が陰陽師であった情報も掴み、忘れないように心に留めた。
「うん、怪異を人間は倒せないっていうのも聞いてるよ。だから、祈がとんでもないって話なんだけど」
「祈は呼んでも電話に出なかったのだが、どこに?」
「あー、祈はね、連絡つかないんだよね」
「連絡つかない?」
「うん。祈、一人暮らししてるんだけど、一人で島を走ってたり、黄昏てたり、一人で考えるのが好きだから、連絡つかない時が多いんだよね」
「そうなのか」
「うん。祈は白守一族の人間なんだけど、もう両親がいなくてね。あんまり一族のことも好きじゃないみたいだから、一人でいつもいるみたいなんだ」
そういえば白守という名前も、朝ランニングしてたら聞いたなと黎明は思い出した。黎明は走りながら、島民に色々とこの島の事情を聞いてたりもしている。
「あ、白守っていうのはね。この島の言い伝えの島守様に仕える一族のことかな。まぁ、島守様なんてそもそも誰も見たことないんだけど」
「そうか、あくまで伝説的な扱いなのか」
「うん。だから、神社の神主、島全体の神社と祠、祭事を管理する家って感じ。島では超権力大きいんだよ。年配の人とか、島のお偉いさんとか、皆んな島守様の伝説を信じてるし」
詩は話を聞きながら、言われたことをメモしていた。また、黎明と志乃も話を聞き逃さないように、黙って聞いている。
ただ、話を聞く中に、詩は違和感を持った。この時代に、神を深く信仰する人間など珍しい。
「あくまで、信じてるのは上の年代ってことか?」
「あー、でも、あーしの同級生も結構信じてる人多いかな。島全体的に信じてる人が多めではあるよ。島守様は本当に存在して、島を守ってくれてるってね」
「そうか、今時珍しいな。あまり、神に対して信仰の深い人間は少ない」
「……なんか、信じないといけないって風潮がある感じがするから多いのかな」
──彼女は笑ってそう言ったが、笑いがすこし早く終わった。
「島の掲示板とか、ポストに入ってるチラシとか、なんか気づいたら島守様の話が書いてあることが多くて。誰が作ってるのかは、よく知らないけど。でも、町長とかもそういうのは好きらしいんだよね」
「それは、そういうのを作ってるのは島の役所とか、そういうことか? まぁ、政教分離的にそれをやった場合はアウトだろうが」
「どうだろ。絶対そうとは言えないかな。でも、この島には町長がいるんだけど。その町長さんとかは、えー……直接は、言わないけど、なんか、すごく伝統は大事にって言ってくるというか」
「……なるほど」
「まぁ、直接ではないし、祭とかにお偉いさんが出るのも本土であったりするって聞くし、グレーゾーンだとは思うんだけど」
彼女が言葉を探す間、窓の外で風が鳴った。
「でもね……大事にしていきたいもの、みたいな言い方を凄くする。柔らかくね。町長以外のお偉いさんとかもそうなんだけど。なんかそういうときの顔が、みんなちょっと違うっていうか——」
「……」
「パパは、陰陽師だったんだけど。神様が嫌いみたいで、術の補助が大したことないから、信仰が無駄? みたいな考えらしくて、まぁ、あーしはその考えがよくわからないんだけど、とにかく神様があんまり好きじゃないんだって」
「……陰陽師らしい考えだな」
「それで、パパは島の島守様について、宗教のようなのに強く勧誘されたんだけど。下らないって一瞥したら、なんか、島の人から孤立させられてたんだ。まぁ、元々仕事とかもしてない人だから」
いわゆる、村八分のような扱いもする島の住人。そこまでするのかと、微かな不気味さも感じさせた。
「お前は大丈夫だったのか?」
「あーしは、別に大丈夫。まぁ、祈ぐらいしか友達が元々居なかったし。あーしも強いし問題はないかな」
「そうか」
そこで詩は少し安堵の表情を見せる。そして、話し終えた瞳月は口を閉じた。
ここで、ある程度は島について理解を深めることができた。しかし、そこで詩には新たな疑問が生まれた。
「私から聞いてなんだが、どうしてこんなに親切なんだ?」
「あー、志乃さんが霊力多いでしょ? だから、祈と友達になってあげてほしいなって」
「わ、わたし?」
「うん、祈、すごい美人でしょ? だから、同世代からの嫉妬も凄くて、それに両親も死んじゃってるしさ。いっつも一人でいるみたいだし」
「確かに美形ではあったな」
「詩さんも可愛いけどね。まぁ、祈は美色に選ばれたくらいだし。嫉妬の対象にもなるかな」
「美色?」
「この島で一番美しい人に贈られる称号かな。誰が決めてるのかは、あーしも知らない。でも、十年前は祈の母親が美色って称号をもらって、嫉妬されてたらしいよー」
美色、饗島で最も美しい存在に贈られる称号だ。誰が決めているのかは誰も知らないが、それでもそんな称号があるとなれば嫉妬しないのは、無理という話である。
「美色は、誰が決めてるのか不明なのか?」
「うん」
「……この美色に関しては、なにか違和感とはないのか?」
「えー。なんともなぁ。あ、でも、本当に誰が決めたのかは分からないのが、変かな?」
「……そうか」
「ローカルな下らない伝統じゃない? ってパパは言ってたかな」
「そうか」
少し気になった詩であったが、これ以上は聞いてもしょうがないと口を閉ざした。しかし、何か明確に言語化できない気持ち悪さを胸に抱えていた。
(美色か。生贄となった存在になんらかの名称をつけたりする歴史は、何度も聞いたことがある)
(それは対象に名誉と、贄となり他の人間を守ることへの感謝をするために綺麗な名前をつける)
(ただ、別の面では、怪異が目をつけた人間に手を出させないために、生贄対象に名をつけるという意味もある)
(美色か。ただのローカルな下らない伝統ならいいが。いや、考えすぎか)
不穏な空気を感じ取った詩であったが、考えすぎかと頭を切り替える。そして、瞳月も、もう一度、話を戻した。
「あ、話を戻すね。祈と友達になってほしいのはさ。霊力が多いからなの。祈はずっと一人ぼっちでさ。それで、数ヶ月前かな? 急に怪異が見えるようになって、それから怪異を倒してるらしいの。元々は祈一人で戦ってたみたいなんだよね」
「あ、そ、そうなんですか。そ、そこから、昨日の夜みたいに四人一緒になったんですか?」
「あー、高貴っていたでしょ? あれが途中から祈が怪異と戦ってるのに気づいちゃった感じ。祈は人知れずやってたみたいなんだけど。気づかれたから正直に話して、そこに高貴を好きな美奈も入ってきて。あーしは霊力がどんどん増えてく祈が気になって声をかけた感じかな」
結局、怪異を倒しているのは祈だけということになる。それって、四人一緒に行動する意味ってあるのだろうか? と志乃は疑問に思った。
「まぁ、祈は大変なんだー。高貴が祈の容姿が大好きで、いっつもくっついてて、まぁ、高貴は学校一かっこいいで有名だからそのせいで余計に嫉妬の対象になってさ」
「あ、そ、それは大変、ですね」
「それに、祈は強いし、あーし達は弱いから、邪魔なだけかなって。だから、祈の気持ちに応えられるのって、祈ぐらい強くないと無理かなって思ってる。そこに志乃ちゃんがきたわけ」
「そ、そうでしたか」
そう、志乃は言われると、ちょっとだけ自分と似てるような感じがした。ずっと、怪異に怯えて、一人ぼっちで、誰かを頼ることも難しかった時が彼女にもあったからだ。
「……そ、それなら、わ、わたしちょっと話してみます!」
「え、いいの?」
「は、はい! コミュ力低いですけど、最近わたし……黎明さんのおかげで変われた気がするんです! さ、最近、コミュ力上がりつつあったりとか、そ、その、運動とかも前よりできたりとか。引きこもりも脱却できて……だから、頑張ります! や、やらせてください! こ、コミュ力の経験値を稼ぎます!」
「えー、いいの!」
「は、はい。黎明さん、みててください! わたしも経験値稼いできます!」
そう言われて、黎明はグッと親指を立てて志乃に向けた。経験値って言葉を使ったのが黎明的にはポイントが高いのだ。
「祈は結構、島をあっちこっち行って走ったりしてるから。一緒に見つけよー」
「あ、はい。お願いします!」
その成長した志乃の姿を見て、黎明はなんだか少しだけ感動した気分になっていた。
「じゃ、俺は詩と図書館調べてるから」
「私と黎明は二人で図書館にいる」
「……あ、はい」
(行くと言って、何だけど。黎明さんと詩さん二人きりって、あんまり良くないような。昨日もハグとかしてたし……あれ、これ、なんか急に行きたくないような)
なぜか、志乃は急に行きたくなくなった。その心の真意に彼女はまだ気づいていない。そして、色々迷ったが、結局、志乃は気持ちを切り替えて行くことになった。
怪異の親玉を探して日夜うろつく黎明
黎明のサポートのために駆け回る志乃と詩
怪異退治にいそしむ祈
その手助けに回る瞳月や友人たち
黎明に恐れおののく瞳月の父親
そして……
幾人もの思惑を抱え、千年を超える歴史をもつ島は、その日常を静かに、しかし刻々と変えていくのだった。




