第34話 家族の外
影森町のホテルは、古い木の匂いがした。
廊下を歩くと床板が小さく鳴る。夜になると外は真っ暗で、窓の向こうに山の影だけが浮かび、風の音が屋根を撫でる。平和なはずの町の、静けさだけがやけに耳につく。
安倍紅は、その静けさが苦手だった。静かなほど、頭の中の声が大きくなる。
弟が走っていく背中。黎明の笑い声。自分の中で膨らむ不安。息苦しさ。――そして、最後に残るのはいつも同じ言葉だ。
一人に、しないでよ。
紅は布団に座ったまま、膝を抱えていた。窓から差し込む朝の光は柔らかいのに、胸の奥が冷える。
コンコン、と控えめなノック。
「姉ちゃん。入るぞ」
蓮の声だった。紅は慌てて顔を拭うような仕草をして、平静を装う。
「……どうしたの」
蓮が戸を開けて入ってくる。いつもの白装束。いつもの冷めた顔。けれど、この数日でどこか変わった。目の奥に、芯ができたように見える。
紅の胸が、きゅっと縮む。蓮は部屋の真ん中で立ち止まり、少しだけ視線を逸らした。
「……姉ちゃん、最近、寝てないだろ」
「寝てるわよ」
「嘘だろ」
即答だった。弟に嘘が通じないことは、紅が一番知っている。それは双子だから当然のことだ。
そして、蓮は続けた。
「俺、姉ちゃんが何を考えているか、なんとなく分かる」
そう言われて、紅の指先がこわばる。
「……分かってるなら、言わなくていいわ。蓮は蓮の道があるんだから」
「……あぁ、そうだな」
蓮はそう言い、短く息を吐いた。ホテルを飛び出して、蓮は外に出て行った。残されたのは紅一人だけだ。
そして、しばらくすると、彼女の部屋の扉が開いた。
「あ、どうも。入るねー」
「……え? な、なんで?」
「いやー、蓮から話を聞いてね。疲れてるから、話とか聞いてあげてくれってさ」
そういうと、黎明は自らの手から淡い光を発し始めた。
「【ヒール】」
そういうと、寝ていた彼女の元に陰陽術【陽遁術】光ノ奏を当てる。
すると、心なしか彼女の気分は良くなり布団からの起き上がった。
「……体の疲労も消えている。相変わらず、すごいわね」
「それで、なんか悩みとかあるの? 蓮も最近心配してたし。なんかあれば聞くよ」
「いや、その」
悩みの中心は黎明でもあるわけなので、話しづらいなと率直に感じた。しかし、黎明はそんなことに気づいていないようだ。
「遠慮しないでいいよー。ほらほら」
「……」
彼女はしばらく悩んだ。だが、彼女は話すことに決めた。理由は色々とあるが、術によって心が高揚しており、黎明からの提案を受け入れやすくなっているのもあった。
「ワタシは、蓮が変わっていくのが嫌なの。黎明くんと一緒にいるのもすごく嫌。家族はもう、蓮しか残ってないの。だから、本当は危険なものはしてほしくない」
「なるほど」
「……いえ、本当は違うわ。ワタシはただ、一人になりたくないだけ。進む蓮を見て、孤独を感じて怖くなっているだけなの」
ふと、黎明には紅の姿が過去の自分と重なって見えた。過去の自分も両親からの言いなりで、狭い世界に閉じ込められていた。
(俺も、両親に従うことだけが世界の全部だった気がしてたけど。そうではない、って気づいたんだよねー。でも、気づくことが幸せでもないのかなー)
黎明はしばらく、悩んでいたが、やはり先に進むことを彼女は望んでいるように見えていた。
(蓮が先に進むことに、憧れとか持ってるのかなー。俺も自分だけが成長をしていない時に、周りが色々知らないことを知っていくのが嫌だったし)
──黎明は、紅に対して、声をかける。
「あー、一人が嫌なら、一緒に訓練とかしてみない?」
「……ワタシはいいわ。変わるのが怖いの。家族が死んだ記憶が頭に残っているの。もう、ワタシはいいわ。陰陽師もやめて……普通に暮らすことに決めたわ」
そう語る紅の瞳には、光がなかった。本当の意味で彼女が望んでいるものではないと黎明は分かった。
過去を抱えて、彼女は希望から避けることに決める。
「うーん、そう? でも、俺は来て欲しいかな。もし、どうしても死ぬほどに絶対に、何がなんでも嫌なら無理にとは言わないけど」
だがしかし、黎明はそんな彼女を連れ出そうと提案をする。しかも、その言い方が逆に断りにくい感じにもなっていた。
「……そんな言い方、されたら、強く拒めないんだけど。その、黎明くんには恩もあるし……」
「それなら来てみてよ。意外と、踏み出したら、面白いかも」
「……」
なぜ、ここまで強気に誘うのか。紅は悩んだ。しかし、黎明は冷やかしで誘っているわけではないと分かる。
「とりあえず、一回来てみてよー」
「いいけど、なんでそんなにワタシを強く誘うの?」
「うーん、蓮が紅のことで悩んでるんだ。そうなると集中力とかもね、割かれてる気がするし」
「そう、そうなのね」
「あと、昔の自分を見ているようで、ちょっと心がザワザワするし」
「……昔の自分」
黎明が昔の自分と似ている。そう語っていたことで、紅は少しだけ首を傾げた。
彼にも、ワタシのような時期があったのだろうか?
その疑問が彼女の中に湧いた。
「もし、どうしても死ぬほどに絶対に、何がなんでも嫌なら無理にとは言わないけど」
「そ、そう、さっきも言ったけど、そこまで言われると断りづらいんだけど。ま、まぁ、いいけど」
黎明はそう語り、紅は彼の気持ちに負けてホテルから出ることにした。ジャージのようなものに着替えて、彼女は外に出た。
道を歩きながら、黎明へと付いていく。
「ちょっと走ろうかな」
「え、あ、うん」
黎明は走り出して、その背中を彼女は追うように走り始めた。陰陽師として生活をする彼女の基礎体力はかなり高い。
しかし、そんな彼女でも黎明より速いわけではない。黎明に付いていくのでやっとだった。
「は、速くない?」
「うん、結構速いと思う。でも、ついてこれるなんてやるねー」
二人は走り続けて、火の鳥様の神社へと到着した。そこには、誰もおらず、ただ、静寂があるだけの場所だった。
しかし、そこには不快感がなく、気分が軽くなるような感覚が彼女を支配する。
「ここって、火の鳥様神社かしら?」
「そうそう」
「詩さんが言ってたのはここなのね。すごく、穏やかな場所」
黎明はその神社の階段、そこに腰を下ろした。彼女も黎明の隣に座った。
「さっき、ワタシと、過去の自分が似てるって言ってたでしょ? どういう意味なの」
「あー、えっと。前の親の話なんだけど。宗教にハマってて、俺はそれに従うのが正義だと思ってたんだ。でも、それは違った。ずっと狭い世界で、その中で選択をしてたから、それと似てた」
「そう、黎明くんもそういう時期があったのね」
朝日が彼女を照らしている。澄んだ空気と、心地よい気温をずっと感じていたいと彼女は思っていた。
「ワタシは怖いんだと思う。変わるのが、怪異と戦おうとするのが。家族が全部死んじゃったからさ。一人になりたくなくて、死にたくもなくて。ただ、情けないけどそれだけなの」
「あー、そうなんだ。それでいいんじゃない」
「そう? でも、こんなワタシが一緒じゃ、蓮にも迷惑だろうし」
「いや、そんなわけがないと思うよ。卑屈になりすぎると逆に面倒な感じになるから、それはやめた方がいいよー」
「あ、そ、そう? それなら、それは訂正させてもらうわ」
黎明と話をしながら、紅は不思議な感覚を持っていた。思えば、家族以外の異性とここまで話したことなど、無かったなと。
(蓮以外の男の人と話すことも無かったわね。今まで……まぁ、黎明くんを同年代の男子と同じような感じにするのも間違いなんだろうけど)
どう考えても、黎明は同年代の普通の男子とは違うだろうなと彼女は思う。そして、それは大正解だ。重い話でも黎明は呑気な感じで、軽い感じでずっと話をしている。
「単純に思ったんだけど」
「は、はい」
「仲間になったらいいんじゃない? 俺とかの周りの方が安全だろうし、死なないし、蓮もいるなら寂しくないし」
「え、な、仲間?」
「うん、一回仲間になってみて、死ぬほどどうしても嫌なら、やめて一人で暮らしたりしたら?」
軽い提案だった。だが、その提案が紅の中に思っていた以上に刺さった。
「いきなり全部決めないでいいんじゃないー? まだ若いしさ」
「まぁ、そうね。まだ、若いけど……」
「取り敢えず、すぐに決めないでいいけど。一時加入みたいな感じにしたら? 死ぬほど嫌なら別だけど」
「いや、だから、そういう言い方は断りづらいんだけど……。ま、まぁ、ワタシも絶対にこれがしたいとかはないから、その、いいけど」
「──紅が一時的に仲間になった」
黎明に勧められて、彼女は一時的に仲間になることになった。自分の悩みとかが解決をしたのか、分からないが彼女もそれに納得をした。
「それじゃ、また行こうか」
「え?」
「蓮、修行に集中できてないからさ。紅も一緒なら集中するかもって思って。だから、一緒に修行してくれるよね、仲間だし」
「……あ、えと」
「死ぬほど嫌なら別だけど」
「その言い方卑怯じゃない? 今気づいたけど、ワタシって押しに弱いし」
なんだか、紅は話しながら黎明に対しての印象が変わっていた。適当な感じだが、かなり策士な部分があるのでは? と疑ったのだ。
(な、なんか、会話が誘導されてるような……? この子、ワタシより一応、年下だけど、なんか、上手いようにされてるような……?)
「紅は悩みがあると思うけど、そう簡単には解決しない気がする。俺も前世丸々悩んでたし」
「……ぜ、前世? 冗談よね?」
「いや、ガチだよ。まぁ、悩みに悩んで、偶に悩むの忘れて、何かに打ち込んで、ゲームとかして、もしかしたら悩みが消えるかも」
「そう、かな?」
「いや、消えない可能性もある」
「え、そう?」
とりあえず、紅は仲間になることになった。
だがしかし……
──安倍紅は軽はずみで仲間になったことを後悔した。
なぜなら、黎明の修行は思った何十倍もキツかったからだ。というか、したことないことのオンパレードだった。身体もついていかないが、頭のほうもおかしくなりそうだった。
冒険者宣言もすることになったし。
蓮が「地獄を共有できる仲間が出来て嬉しい」といっていたが、あれは間違いなく本音だろう。
ただ、蓮もやっぱり寂しかったのかな、と思ったし、それを共有できたのも嬉しかった。それでももうちょっと手加減してほしいと思っていたが。
しかし、ここから彼女もまた、蓮と並び、飛躍的な成長を遂げることになる。




