安倍紅の独白
ワタシは、あの日からずっと心が落ち着かない。
呪いの村を出て、影森町に戻ってきて、宿の布団に入っても、目を閉じれば赤い泉と爆炎が浮かぶ。あれを現実だと思えなくて、何度も頬をつねった。
痛い。夢じゃない。
そして一番現実味がないのが――蓮の顔だ。
弟は、あの場で黎明くんに弟子入りを志願した。冗談じゃない、ってワタシは思った。思ったのに、止められなかった。止める言葉が、喉の奥で全部溶けてしまった。
だってワタシも、希望を見たから。神の呪いで、家が壊れて、家族が死んで、世界が一回終わったみたいになって。
怪異は絶対人間が勝てる存在じゃない。そう思っていた、思っていたのに……
――黎明くんは全てを壊した。怪異を倒して、泉も全部炎で蒸発させた。呪いなんて全て吹き飛ばした。
あんなの、めちゃくちゃだ。
ワタシは本当は、陰陽師なんて辞めたかった。
蓮と二人で、陰陽師とか、名家とか。全部捨てて、普通の暮らしがしたかった。朝に味噌汁の匂いがして、夕方にスーパーの特売があって、夜にテレビを見て笑って――そういう、何も起きない日々。
それでよかった。でも、蓮はそう思わなかった。
なぜなら、安倍家には使命があり、ナギサマの封印の維持を任されていたからだ。
だけど十年前の京都の怪死。あの事件で、ワタシたちの家族はほとんど消えた。生き残ったのは、双子のワタシたちと一部だけ。
家族を失った後の夜の静けさを、ワタシは覚えている。
喋る相手がいない家。食器の音だけが響く台所。枕に顔を埋めても涙は止まらなくて、でも泣き声を出すと蓮が起きるから、声を殺して泣いた。
そのとき思ったんだ。
蓮だけは、絶対に死なせない。
蓮が死んだら、ワタシは本当に一人になる。家族を失うっていうのは、痛いとか悲しいとか、そんな言葉じゃ足りない。呼吸ができなくなる。
蓮がもし、死んだら、ワタシも死んでやる。そうずっと思っている。それくらい大事なのだ。
だから本当は、蓮に陰陽師なんて続けてほしくなかった。
だって、もう辞めてもいいはずだから。
一族の使命だった、ナギサマの封印の維持も、分家の土御門家が後任として行なっている。それなら、もう、ワタシ達は辞めてしまってもいいはずだったから。
だけど、蓮はそう思わない。
蓮は冷めたふりをするけど優しい子だ。現実主義者みたいな顔で、救えないものは救えないって言う。でも本当は、一番誰かを救いたがっていた。だから、辞めさせることができなかった。
──でも、その蓮が可能性を持ち始めた。
黎明くんに出会い、黎明くんの背中を追いかけ始めた。
影森に滞在している数日間、ずっと一緒に過ごしている。
朝、宿の窓を開けると冷たい空気が入ってくる。遠くの山が見える。その山に、蓮と黎明くんは出かけていく。ワタシは見送るふりをしながら、心の中で何度も叫ぶ。
やめて。行かないで。危ないことしないで。でも口に出せない。
止めても無駄だから。何より、今の蓮の瞳は輝いているからだ。家族が死んでからずっと、暗い瞳だった蓮に、久しぶりに光が戻っている。
ワタシは宿のロビーで待つ。時々、詩さんと顔を合わせる。
詩さんからは、黎明くんが今までどんな人生だったのかを聞いた。そして、封印された山の中で怪異を祓いまくっていたと聞いて、顔が青くなった。
蓮もそんなことをするようになってしまうのか。自分から死地に飛び込むような人間になってしまうのか。
それが、どうしようもなく怖かった。
陰陽師の世界は、努力が報われる世界じゃない。運と、偶然と、理不尽で人が死ぬ。ワタシはそれを知っている。だから、危険な挑戦が嫌だ。嫌なのに、蓮は挑戦したがる。
それを煽るように、黎明くんは軽く言う。
「やってみればいいじゃん」
まるでゲームみたいに。そんな単純なわけがない、そう簡単にできるはずもないんだ。
そう思っている彼がワタシには怖い。怖いけど――同時に、感謝している。
黎明くんがいなければ、ワタシたちはあの村で死んでいた。蓮も死んでいた。ワタシも、弟を守れなかった。
だから、感謝している。
なのに、嫌だと思う。
蓮が黎明くんみたいになりたいって言うたび、胸がざわつく。あんなふうに怪異に向かえば、死ぬ可能性は跳ね上がる。強さを求めれば求めるほど、危険も大きくなる。
ワタシは、蓮が強くなるのが怖いのだと思う。強くなれば、蓮は前に出る。前に出れば、誰かを救うために無茶をする。
無茶をすれば――死ぬかもしれない。
ワタシの世界は、蓮しかいない、家族はもう蓮だけなのに。
変わらないで、って言いたい。
でも、変わりたいと蓮は願っている。黎明くんと鍛え始めてから数日、蓮の顔つきや雰囲気が変わり始めている。
どうやら、霊力に関しても色々と掴んでいるようだった。
『MPの感知ができれば、操作技術が学びやすくなって、モンスターも倒せるようになるんだ』
もう、霊力をMPと呼んで、怪異をモンスターと呼び始めている。黎明くんのように本当になろうとしている。
昔とは違う。心なしか、すでに以前よりもはるかに強くなっている気さえする。蓮とずっと一緒にいたからこそ、些細な変化に気づくのだろうか。
そして、蓮は今日も、走っていく。蓮の背中はどんどん遠くにいってしまう。
一人に、しないでよ……




