第3話 祖父
黎明と彼の祖父は、夜遅くに家を出た。
今までならば祖父が家を出ることなど、一度も無かった。だというのに、その夜に限って祖父は飛び出したのである。
理由は黎明にあった。黎明が夜になると家を抜け出し、山を徘徊していることが判明したのだ。
さらには怪異を倒しているかもしれない――その事実を確かめるため、祖父もまた外に出ることを決意した。
「じーちゃん。なんでそんなブカブカな着物みたいなの着てるの? 暑くない?」
「これは狩衣だ。神に祈り奉る時の正しい姿。少しでも神の機嫌を取るために必要なんだ」
「……う、うーん? あ、何か意味あるんだ。でも、動きにくそう」
「よく分からんか。まぁ、これは体よりも大きな布に身を包むからな。だが、これを着た方が良く動ける。儂がいつもよりも動けているのがその証拠だ」
「おおー、確かに。じいちゃんいつも座ってるだけなのに……あ、装備品ってことね! すげぇ、ちゃんとそういうのもあるんだ!」
祖父は狩衣と呼ばれる装束を身に纏っていた。黎明は平安時代の人が着ているような服だなと思ったが、最終的にはRPGの服の一種か? と考えをまとめて終わりにした。
「それじゃ、行こう」
「待て。あまり急ぐな。隠形符を渡す。怪異から逃げる場合はこれを使え」
「アイテムかぁ」
黎明は祖父から一枚のお札を受け取った。黒地で文字もなく、短冊のような形をしている。
「てれてれてれてれてれてれ、みそだれ〜」
「……なんだそれは」
「アイテム入手音がしないから、自分で言ってみた」
「……分からん。子供の感性は……まぁよい。山を降りよう」
「はーい」
「良いか。化け物が出たら、すぐに儂に知らせるんだ」
「……そこにもういるけど」
気の抜けた表情と声で黎明は、家の外の林を指差した。二人の家は林に囲まれた場所に建っている。
林の中が一部くり抜かれたようになっており、そこに家が立ち、足元には雑草がわずかにしか生えていない。上から見れば、まるでミステリーサークルのように見えるだろう。
その林の奥を、黎明は指し示していた。
「馬鹿な……ここは隠形符を大量に貼っている領域のはず。それに気づくだと……。微かな人間の生に反応したというのか……」
祖父は冷や汗を滲ませ、息を呑む。黎明の指の先――林の闇の中には、こちらを伺う影があった。
真っ白な人間。目もなければ鼻もない、耳もない。だが、人型のようなシルエット。
それが、じっと黎明たちの方向を向いていた。
(──この子だけは、逃さねばッ)
黎明の力を試す。そんなことは既に祖父の頭の中に無かった。
この危険な化け物から、大事な黎明を守りたいとただ、純粋に思っていたからこそ、行動を起こす。
祖父は両手を震わせながらも、素早く印を結ぶ。老いた体に鞭を打ち、喉を震わせ、低く呪を唱える。
それと同時に、符を一枚投げつける。
「天地に宿る火よ、神の裁きとなりて顕現せよ――炎宝」
符が燃え上がり、轟と夜を裂く火柱が林を照らした。炎は無貌鬼を飲み込み、辺り一帯を紅に染め上げる。
しかし。
白い人影は一歩も退かぬ。全身を炎に包まれながら、のっぺりとした顔をこちらに向けていた。眼も鼻も口もないその顔が、炎の中でにじり寄ってくる光景は、この世の理を嘲笑うようだった。
(……効かぬ……!? わしの火の術が……! これほどの火力でも焦げ跡すら残さぬとは……!!)
恐怖が全身を駆け巡る。全力の術が通じない、――その事実が、心を容赦なく砕いていく。
足音が迫る。炎を裂き、無貌鬼が歩むたびに、地面が湿るような冷気が漂った。
(やはり……人間には勝てぬ……。これは祓うべき怪異ではない……化け物そのものだ……!)
祖父は喉を引きつらせ、残された道を悟った。死を覚悟し、孫を逃す事を決心する。
「……怪異。やはり人間には敵う存在ではない」
祖父は黎明の手を握り、一歩下がった。顔には老人と思えぬほどの強い覚悟が宿っている。
「儂が囮になるから、家の中に入れ。そして押し入れの中で朝まで隠れろ。朝になったら、山降りて、恵美子の元へ行け!」
「……いや、そこまでしなくても」
「馬鹿やろう!! さっさとしろ、殺されたいのか!! あの霊力が分からないのか!!!」
「霊力? いや、じーちゃん、そんなビビらなくてもあれって、スライムくらいでしょ?」
「知らん! スライムだか、すり鉢だか……儂には知らん。だが、あんなものどうやって倒す!! 絶対に手を出してはならん!! 怪異は人間の敵う相手では──」
──その言葉を言い終える前に、勝負は決していた。
真白な人影――人の形を模しただけの化け物は、眼前に迫っていた。血も温もりも持たぬその存在は、不気味な虚ろさを漂わせている。
いや、漂わせていた――と表現すべきだ。なぜなら、その怪異は既に刀で一刀両断されていたからである。
白い怪異は、すでに地へと崩れ落ちていた。
それがどのように斬られたのか、祖父にはまるで分からない。ただ、一瞬の閃きの後には、すでに勝敗が決していたのだ。
――たしかに怪異はいた。
そして、それは確かに絶対に人が敵わぬ存在だった。
己の長い人生で積み上げてきた経験と知識のすべてが、あの異形を前に【逃げろ】と叫んでいた。
なのに――。
黎明は、まるで草を払うかのように。いや、それ以上の容易さで、一瞬にして斬り伏せてしまった。
祖父の喉がごくりと鳴る。乾き切った口内では唾を飲み込むことすら難しい。
(ば、馬鹿な……!!? 怪異をそんなあっさりと切れるはずがない……!)
祖父は乾いた唇を震わせ、ただ黎明の背を凝視した。黎明は、呼吸を乱すことすらなく、当然のように刀を下ろしている。
(あれほどの怪異を……まるで何でもないかのように……! 儂の全ての経験が敵わぬと叫んでいた相手を……!?)
祖父の経験では、あの怪異を人が切るというのは、まるで樹齢千年の巨大な大木を、ノコギリどころか糸ようじで切断しようというようなもの。
武器というのもおこがましく、無謀というすら生ぬるい行為である。
だが、黎明はその「通用するはずがない武器」であっさりと切断してしまったのだ。老人の、理解と経験を完全に超えた所業といわざるをえない。
胸の奥を、熱と冷気が同時に駆け抜ける。恐怖か、驚愕か――いや、それらをも超えた感情。畏敬。
老人は悟った。孫は、もはや自分の理解の及ぶ存在ではないのだと。
(黎明……お前は……全ての陰陽師が生涯求めても、いや、求めることすら叶わなかった領域に……既に立っている……!)
震える想いは声にならず、ただ深く刻まれていった。
──祖父は一度家に帰り、二人で腰を下ろした。
この家には電気が通っていないが、灯りはあった。使い切り電池で使えるライト。
それを点灯させた。
「これは……滅多に使うことなんてなかった」
「確かにいつもすぐ寝るもんね」
机の上にライトを置き、向かい合うように二人は座っている。
祖父はお茶を淹れて、黎明にも渡す。同じタイミングでそれを二人は飲み、一息ついた。
そして、祖父はしみじみと、語りだす。
「儂は……この時間に起きていたことがない」
「いつも寝てるもんね」
「……あぁ、儂は結界の内側の起点。それ故にいつも霊力を消費しているからな。疲れてしまう」
「霊力?」
「生と死、両方に干渉できる力だ。誰しもが微量ながら持っている。お前だって持っているだろう」
「……?」
黎明は霊力についていわれても、ピンと来ていない。本当は彼の身には大量にある力なのだが、それをMPだと勘違いしているからである。
「……分からんのか。ほら、今もお前の体からわずかに出てるだろ」
「……あ、MPのこと?」
「……そうだ。そのMPのことだ」
(黎明は独自の解釈、独自の世界を持っている。儂がそれを正す必要もあるまい)
(そもそも、怪異を倒せる人間など普通はおらん。この時代にあの怪異を倒せる者は黎明のみだろう)
(無論、儂など逃亡するしかない、逃げられず死ぬだろうがな。倒せる者の解釈を間違っているなど指摘などできん。剣術の素人が達人に意見するようなもの)
──祖父は霊力を今後はMPと呼ぶことにした。
「お前の倒した怪異……」
「モンスター、のことだよね?」
「……モンスターは無貌鬼といわれてる」
──祖父は怪異を今後はモンスターと呼ぶことにした
老人になると、考えが固くなると世間ではよく言われるが、この祖父には当てはまらないようである。そこらの若者もびっくりの、異常に高い柔軟性であった。
さて、それとして。祖父が語った怪異、その名は無貌鬼。それは名前の通り、顔がない人型の鬼のことだ。
真っ白な外見なのは、人間の皮を剥いで自分の体にペタペタと張るためだ。そのため、無貌鬼の皮膚は多少の粘着性があると言われている。
いつから、存在していたのかはわかっていないが、人の姿を奪い、人の命を大量に奪う化け物、鬼のようだと評されていた。
遊び心があり、四肢をちぎって、足だけを剣のように振り回し、他の人間を殺害することもあったと言われている。
「へぇ、あのモンスターは無貌鬼っていうんだ」
「あれは倒せるとか、そういう次元ではない。それを倒せたお前は特別だ。紛れもなく、この世界で最も才に溢れている、人間の中では間違いなく最強だ」
「おお! 最強なのか。RPGでやってた、最強職の勇者みたいな感じなのかな?」
「……あぁ、そうだ。RPGの、最強職の勇者みたいな感じだ」
「おお、そうなのか。でも、じーちゃんRPGやったことあるの? 最強職である勇者とかって、かなりやり込まないと転職できないけど」
「……」
祖父は黙った。黎明の話に合わせて、適当に最強職業の勇者だとか言ったが、そもそもRPGも職業も勇者も何も知らないからだ。
──何も知らない……しかし、祖父は黎明がそう解釈するなら、そうなんだろうと結論をづけた。
「しかし、いきなり最強職業の勇者か。やり込まないと最強職業ってなれないんだけどな。でも、確かに今までモンスターに手こずったことなんて……ほぼ経験ないな。最初の頃にダメージを貰ったことは多少あったけど。倒せないことはほぼなかったしな。俺はいきなりステータスが高いとか? そういえばゲームだと最強職は初期ステータスも桁違いに高いし……」
実際には黎明は死にかけた時もあったが、本人的には死ななければかすり傷くらいの認識である。なので、手こずったことはない、という記憶になっている。
「ふむ、天才の考えることはわからぬ。しかし、黎明。お前はお前を信じろ」
「分かった、信じる。あれだね、前の親の経典をちゃんと守ったから、いきなり最強職スタートだった、うん、これで信じる。あんま考えてもわからないことはわからんし」
「うむ、お前が言うならそうなのだろう」
祖父は黎明が何を言っているのか、一切わからないが……まぁ、黎明が言ってるなら、そうなんだろうと徐々に考えが適当になっていた。しかし、それも無理はないこと。
黎明が成し遂げてしまったことは、偉業。歴史の転換点とも言えるような、偉業なのである。
怪異を倒した黎明に対し、祖父である玄蔵はただ、褒めて伸ばす選択をとるくらいしか、浮かばなかった。
「何度も言うが、黎明。お前は特別だ。お前は天才だ。天才のお前の考えには誰もついてこれないのだろう。だが、有象無象に何を言われても信じてはならん。天才が凡人の考えを受けつけてはならんのだ。お前のせっかくの才能が落ちる」
「おお! なんかそこまで褒めてくれるとは……俺って天才なのか」
祖父は黎明の才能を高く買っていた。いや、適正に判断をしていた。
この才能が絶対に潰されないために、己の考えを曲げないようにするために祖父は自分を信じろと言ったのだ。
祖父から見ても黎明はこの世界の人間で最強。出る杭を打つなんて言葉あるように、潰される可能性があった。
そうなる可能性を少しでも潰すために、黎明に対して、一切、己の道に疑問を抱かせたくなかった。
──剣の達人に素人が文句を言って、それを真に受けた達人の剣の振り方が変になると大変である。
要するにこういうことなのだ。
「それとだ、お前はもう少ししたら、この山を出ろ」
「えぇ、なんで?」
「この山には……ある怪異、いやモンスターがいる。そいつは老人と子供だけは襲わない変わった特性がある。だから、今は何も問題はない。しかしだ、お前が十六になればそいつも襲ってくる」
「へー。それってレベル十六ってこと?」
「違う、年齢の話だ」
祖父は流石にその部分だけは否定をしておいた。否定されたが黎明も素直なので、そうかと頷いた。
そのまま話の続きを促す。黎明は大人の会話を遮るような子ではないのだ。
「強い。だが、天才であるお前でも今はまだ戦うべきじゃない。死ぬ可能性がある」
「ほぇー。まだレベル足りないってことか」
「あぁ、だが、この調子で修行を重ね、二十にでもなればお前なら絶対に勝てる」
「レベル二十ってこと?」
「いや、年齢の話だ」
そうか、年齢だったかと黎明はまたもや素直に納得した。
「そうか、それなら俺は十五歳になったら山を降りるよ」
「あぁ、そうしろ。お前は日本を歩き、その才能を惜しげもなく伸ばせ。それが必ず、いつかこの山の呪いを解く」
「じーちゃん、さっき言ってたモンスターを倒したいの?」
「……あぁ、もう一度、妻に会えるかもしれねぇからな」
「わかった、俺が倒すよ。そして、ばーちゃんともう一回会えるようにする。明日山降りて、ばーちゃんにもそれ伝えてくる」
「……ふ、ありがとな」
祖父は最後に笑った。黎明はレベルを上げて、この山のモンスターを倒すと誓ったのだ。
なお、次の日、ばーちゃんにも実力を見せてドン引きされることなど、黎明はまだ知らない。無論、祖父はそうなるだろうとは思っていたのだった。
面白ければ感想と高評価お願いします! 明日からは昼11時毎日更新とします!




