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救いない怪異の世界をRPGの世界と勘違いしてるやつ  作者: 流石ユユシタ


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13/21

第11話 親

 昼。


 影森町の空は、いつもより少し明るかった。灰色の雲の切れ間から差す光が、志乃の髪を照らす。


 外の空気は昼と夜でこんなにも違うのかと、志乃は少し驚愕していた。


「……夜と違う。でも、少しどこからか視線がある。怖いけど、今日は、ちゃんと調べるんだ」



 志乃は震える手を握りしめ、図書館の扉を開いた。中は静かで、紙と埃の匂いが混じっていた。


 古びた本棚の奥へと足を進める。



「……山神様、火の鳥様……」



 姉が願いを叶えてくれる神と言った、山神様。昨日、父親が消える直前に語った、火の鳥様。その二つの神様を調べるために、彼女は図書館で町の歴史を調べていた。


 しかし、その最中に小さく呟いたその声を、誰かが拾った。



「へぇ、あんた、まだ生きてたんだ」

「え、志乃じゃん。やば、マジで外出たの?」



 その声を聞いた瞬間、志乃の体が強張った。制服姿の三人組。中学一年生の時、彼女を呪われ女と呼んでいた子たちだった。



「ねぇ、あんたんちまだお札だらけ?」

「あれで寝てるとか無理〜」

「てか、家から出たら祟られるんじゃね?」

 


 志乃は唇を噛んだ。声が出ない。ただ、心臓の音がどんどん早くなる。時間が過ぎるのを忘れて、ただ、志乃は言いなりになった。



 ――その時。




「ねぇ」



 低く、静かな声が背後から響いた。着物姿をしている、白銀の髪を持っている少年。



 ──朝霧黎明が、ゆっくりと本棚の影から歩み出た。





「うるさいから、図書館では静かにしてね」

「は?」

「なに言ってんのこの人」

「コスプレ?」





 黎明の格好に対して、三人の中学生は疑問と嘲笑の視線を向ける。そして、自分たちに注意をしてきたことにも腹がたち、彼に対して、喧嘩腰に対話をする。




「てか、ダサくね。その格好なにそれ?」

「ダサいわ。服装のセンス無さすぎ」

「陰キャっぽいわ……キモい」




 黎明は眉をひとつ上げた。そして、右手をゆっくりと上げる。




「──最後に、もう一回、言っておくけど。ここは本を読む場所だからね。静かにしてね」

「何その手、絶対痴漢とかしてきそう。キモいわ」

「警察呼んだ方がいいんじゃない?」

「格好もキモいし、絶対痴漢してくるって」




──うるせぇ





 言葉にしないが、そう思っていたのが志乃には手に取るように分かった。あげた右手から、何かが放たれたのが、志乃だけには分かった。




 ただ、空気が――重くなった。床がきしみ、紙がひとりでにめくれる。鼓動のような震えが、図書館全体を包んだ。女子たちが青ざめた顔で後ずさる。



「な、なにこれ……息、できな……」

「耳が……キーンって……」

 



 黎明は冷静だった。まるで呼吸するように霊力を操る。



(MP消費……ゼロに近いな。まぁ、軽く飛ばしてるだけだし)

 


 黎明は霊力を使うと、黒い瞳が赤い瞳となり、光を帯びる。その微かな変化に気づく、存在はここには居ない。




「うるさいから、静かにしてよ」




 圧が一瞬強まった。女子たちは悲鳴を上げて逃げ出した。図書館の自動ドアが開き、閉まる。沈黙が戻る。




「経験値は……ゼロかな。RPGだと人間と戦っても入ってくる時はあるんだけども。あの程度じゃ、何も得られなくて当然だよねー」



 志乃は呆然と立ち尽くした。その後、黎明は再び、本棚を眺めて、気になった本があったのか、それを手に取り、椅子に座る。




──他人に興味なく、志乃のことも特になんとも思ってないのが、よく分かる少年だった。




 志乃を助けたわけではなく、ただ単にうるさいから黙らせただけ。それは助けられた彼女も分かった。しかし、助けられたのは事実であるので、お礼だけは言った方がいいだろうと志乃は感じる。




「……あ、あの……今、その、あ、ありがとうございました」

「ん? あ、うん。図書館では静かにね」




 なんだか、話が噛み合っている感じがしなかった。だからこそ、志乃は首を傾げてしまう。この少年は何か勘違いをしてるのかもしれないと。




(あれ? もしかして、私も騒いでた連中の一人って思われてる……?)





「あ、えと、はい。あ、あの、今、私を助けくれましたよね?」

「……ん? いや、別に。うるさいから注意しただけだけど」

「あ、えと、その、私は騒いでなくて。その、あの人たちは私を、からかってたというか、私もそれが辛くて、その」

「あ、そうなんだ。気にしないでいいから。大した労力でもないし」



 淡々と受け応えるだけ、どちらかと言うと冷たい反応だった。しかし、志乃は不思議と温かい感覚を覚えた。それと同時に、スザクを思い出していた。




(スザクさんと、似たような人なのかな? スザクさんも、手から急に炎とか出してたし……この、人、手から何か出てたし?)



「あ、あの、ちょ、ちょっとだけ、話いいですか?」

「うーん、少しなら」

「あ、ありがとうございます。え、えと、さっき手から、何か出してませんでしたか? ち、違ったらすいません」

「あぁ、MPだね」

「MP……?」



 聞きなれない単語に、志乃は首を傾げた。しかし、彼の手から出ていた何かが、スザクも持っていた力と質が似ていると彼女は思っていた。




「えと、MPとは?」

「ステータスの一個だね。魔法発動に必要な力」

「す、ステータス? 魔法? えと、ごめんなさい、その、魔法使えるんですか?」

「まぁね」




(やっぱり、スザクさんと同じってことなのかな? なんか、さっき手から出てたの、スザクさんと似てるし。でも、スザクさん、魔法なんて言ってたかな?)




「その、とにかく、ありがとうございました」

「うん、気にしないで」



(スザクさんもだけど、親切な人って、外にたくさんいるんだな。ずっと、怪奇現象とか周りで起きるから、遠ざけられる人生だったけど)





 虐められていた過去を持ち、ずっと引きこもりだった、志乃。



 まさか、親切な人だと思った黎明が、大分変わった人間であるとは、夢にも思っていないようだ。

 


 志乃は、そこで黎明が呼んでいる本が少し気になった。タイトルには『影森町怪異譚』。



「あ、そ、その、その本なんですが」

「あー、一冊しかないね、これ」

「あ、あの、どうしてもそれ読みたくて、い、いいい、一緒に見てもいいですか?」





 以前の彼女ならば、そんな事は絶対に言えなかった。しかし、今の彼女は前とは違い、前に進む覚悟があった。



「いいよ。座りなー」

「あ、どう、どうも」



 黎明の隣に座り、志乃は本を再度覗き込む。すると、いきなり彼女が求めていた神様の名前があった。



「……火の鳥様、って、書いてある。これ、ここの町にいる神様、ら、らしいです」

「ふーん、神様なのかな? それよりも、たぶん火属性のモンスターな感じするけどね」

「も、モンスター?」

「そうそう。ほら、ここに鳥として町を見守るって書いてある。時折、町を飛ぶ姿を見れて、見れたら幸運らしい。これはあれだ、偶にエンカウントできるレアモンスターかもしれない」

「……そ、そうなんですかね……?」

「うん、面白そうなモンスターがいるね。これは狩りたい」



 志乃はついていけない。一体、この人は何を言っているのか、何を考えているのか、意味がわからない。さっき助けてくれたことは覚えており、悪い人ではないと分かったが、それでも理解はできそうに無かった。



(この人、私と同じで火の鳥様を探してる……? でも、狩りたいとか、モンスターとか言ってるし。あれ、でも、スザクさんは怪異って……どうなんだろう。この人何がしたくて、何が目的なんだろう)




 色々と迷ってしまった志乃だが、そこで志乃は自分の目的を最初に果たす事が大事であると感じる。



 そこで、それ以上は何も言わずに本を眺めることに没頭した。彼女が黙って本を読めば、隣の黎明も何も言わずに本を眺め続けた。



 その本はかなりの厚さで、難しい漢字も多かった。古びており、読みづらい文字もあったが全く読めないほどではない。



 その中で、二人は特に気になる箇所を見つけた。









 ──そこには、以下のように書き記されていた。


 昔より、願望山(がんぼうやま)には 山神様(やまがみさま)が住まうと語られる。


 山神様は元は他の地の神であったが、争いにより居場所を失い、この影森へ辿り着き、根を下ろしたと伝わる。


 山の頂には山神様の祭壇あり。


 夜更けにそこへ赴き、願いを口にすれば、望みは何度でも叶えられるという。


 どんな願いも、どんな望みも思うがまま。代償は一切取られることもなし。


 また、影森の町には 火の鳥様 と呼ばれる守り神の社あり。火の鳥様は時に人の姿をとり、里の暮らしを見回るとされる。


 しかし、山神様と火の鳥様は昔より仲が悪く、争いの因縁深し。火の鳥様は、自らの願望を山へと投げようとする者を好まず。



 願いがあるなら、火の鳥様に告げることなく、山に持っていくべし。




◾️


「……夜に願ったことが何度でも叶う、って……代償も何もないなんて。そ、そんな都合良いことあるんでしょうか?」

「さぁ、どうだろ? でも、次のページに願いを叶えてもらった人間の日記とかも書いてる。ただ、こんなの捏造はいくらでも可能だしね」

「……お、お姉ちゃんは、もしかして、これを読んで……これは真実なんでしょうか?」

「真実は分からないけどね。ただ、この願望山って場所は気になるなぁ。ボスが居るならこの祭壇とかな気がするし。それと火の鳥様ね。神社には居なかったけど。レアモンスターっぽいな」






──そこから、二人はその本を読み続けた。他にも山に住まう怪異についてなども書いてあったが、志乃が本当に求める火の鳥様がどこに居るのか?



 助けてくれるのか? そう言った情報はなかった。



 本を読み終えると、二人は一息つく。




「ふむ、かなりの時間読んだ気がするね」

「そ、そうですね。た、ただ、あんまり火の鳥様とか、山神については、そこまで詳しく書いてなかったような……」

「うん。願望山(がんぼうやま)って場所で山神が願いを叶えてくれるとかは多少書いてあった。あとは、他のモンスターについて書いてある感じだね」




 志乃は迷っていた。スザクは怪異と呼ぶから、あの化け物はそういう名称なのだと考えていた。



 しかし、目の前の不思議な少年はモンスターと呼ぶ。一体どちらが正解なのか?




(モンスター、怪異。どっちが正解なの?)




 彼女が悩み始めたタイミングで、館内放送が響き渡る。




『閉館時間です』



 いつの間にそんなに時間が経って居たのか、不思議な様子で二人は帰りの支度を始めた。



「あ、もうそんな時間……」

「ふーむ、町の調査は一旦ここまでだね」

「……え?」




 二人は並んで図書館を出た。夕焼けが町を染め、影が長く伸びていく。歩きながら、志乃は小さく息を吐いた。




「……あ、あの、ありがとうございました」

「いえいえ、それじゃねー」




 あっさりと入り口で別れたが、歩く方角が同じであることに二人は気づいた。



「あれ、帰りこっち?」

「そ、そうです」

「ふーん」

「……あ」




 そこで、志乃は初めて気づいた。目の前の少年は、この間引っ越しの挨拶に来てくれた少年だと。




(あ、あぁ、こ、この人、この間、挨拶に来てくれた人だ。ずっと、目を合わせるのが恥ずかしくて、伏せてたから、全然気づかなかった。この人も、気づいてないけど)




(まぁ、言わなくてもいいかな。それよりも、私はお父さんが言ってた火の鳥様を探して、お姉ちゃんを助けるのが一番大事。これだけは絶対に成し遂げないといけない)




 強い思いで、彼女は帰路に急いだ。特に黎明と会話をすることもなく、淡々と早歩きで帰ろうとする。





 ――その時だった。



 通りの向こう。街灯の下に、派手な服の女と、チャラチャラした男。金髪、香水、そして不自然な笑顔。




 志乃の歩みが止まった。




「……あれ……お母、さん……?」



 



 空が、ゆっくりと赤く染まり始めた――。















 街灯の下で、志乃は足を止めた。あの声。忘れたくても忘れられない声だった。


「……あら〜? 志乃じゃない。まだこの町にいたのねぇ」


 篝火七姫(かがりびななひ)


 ――志乃の母親。派手なピンクのジャケットに、ギラつくネイル。


 濃すぎる化粧の奥の目は、どこまでも冷めていた。隣には、チャラチャラした男。金髪にピアス、片手に酒缶。


 その笑い方が下品で、志乃の胸をえぐった。お父さんが死んで直後、自分の母親が別の男と一緒にいる姿を見て、良い思いなどするはずもない。



「……お母、さん……?」

「あら、声まで暗いのねぇ。ほんと、父親にそっくり。あんたのせいであの家、呪われたって噂されたのよ?」


 隣の男がニヤリと笑う。


「マジかよ、七姫の娘? 意外と陰キャで草」

「でしょ〜? 本当にオドオドして低姿勢で、それが元旦那に似てて腹が立つわ。でも、あいつが最近消えたでしょ? 正直、せいせいしたのよ。あんな陰気な男、あたしの人生の足かせだったもん」




 志乃の目が見開かれた。




「……お父、さんのこと……?」

「そう。夜に勝手に出て行ってそのまんまらしいじゃない。どうせどっかで死んだんでしょ」



 篝火七姫(かがりびななひ)は、笑いながら煙草に火をつけた。紫煙が夜気に溶け、鼻を刺す匂いが漂う。





「志乃も死んでくれて、せいせいしたんじゃない? いっつも、不気味な物ばかり買ってきてたし」

「……わ、私、は、そんなことお、思って……」

「あーあ、あんたはいつもお父さんの味方ね。やっぱ両方きもいわ。ほんっと、あの男の血が流れてるわね」

 



 志乃の視界が揺れた。何も言い返せない。大好きな父親を馬鹿にされて、それに対して言い返すこともできずに、喉の奥が固まって、涙が滲む。



「なぁ、七姫」



 隣の男が退屈そうに言う。



「こんなガキ放っとけよ。腹減ったし、飯行こうぜ」

「うるさいわね。せっかくいい気分なのよ。だって見てよこの顔、写メ撮っちゃお」




 志乃の唇が震えた。昔から、母親は虐待気質なところがあり、そのせいで彼女は抵抗する気力がなかった。




「や、やめて」

「は? 散々迷惑かけたんだから、これくらいさせなさいよ」

「……ごめんなさい……」

「謝るくらいなら、最初から生まれてこなきゃよかったのよ」




 その言葉は、刃よりも鋭く志乃の胸を裂いた。彼女の足がふらつく。



 ――その時。



「……やめとけ、それ以上はさ」

「は? だれ、アンタ」




 黎明が七姫のスマホを奪い取っていた。志乃に同情をしているとかではなく、迷惑そうな顔をしている。





「なんか、前の親と接してる自分を見てるみたいで、ちょっときつい」

「あ?」

「どうでもいいけど、さっさと立ち去ってよ」

「あんた、こいつの彼氏?」

「違うけど。単純に思い出がフラッシュバックしたから、止めただけ」



 そんな黎明の様子を見た、七姫が鼻で笑う。




「てか、ダッサイ格好してるわね。ふーん、志乃、男のセンスもないのね」

「彼氏じゃないって、言ったと思うけどね」

「あら、キープしてるんだ。まぁ、キープする程でもなさそうな男だけど」

「あ、論点をずらすこの感じ。そっくりすぎてなんか心臓痛くなってきたー」

「は? そっちが勝手に痛くなってるだけでしょ。そうやってすぐ人のせいにするんだ。親の顔が見たい坊ちゃんね」



 


 親の顔が見たい、その言葉に黎明の瞳が少しだけ細まった。




「……俺の前の親はさ、宗教を信仰してて、それを破った俺を殴ったりしてたんだよね。ご飯抜きとかされたこともあったし。偶に、なんでこんなふうにされるのか疑問なときもあった」

「はあ?」

「感謝もあるけど、制限されてた時の記憶が偶に巡るんだよね。それが、あんまり気持ちよくなくてさ。ようやくゲームっぽい感じの世界で楽しくやってるからさ」

「……何言ってるの? 頭大丈夫?」

「あぁ、これ以上ないほどに平気。だったんだけどね、あんたのせいでちょっと、頭痛くなりそうだから、消えてくれないかな?」




 その瞬間、空気が変わった。風が止む。夜が沈黙する。空気そのものが、圧を持って押し寄せる。




「インナーフォール」




 インナーフォール──直訳すると内側の落下。



 黎明が昔プレイしていたゲームでは、相手の精神を揺さぶり、集中力を奪うことで行動を遅らせる魔法として登場していた。



 彼はそれを、霊力を軽く飛ばすことで再現をしていた。


 そう、霊力を飛ばすだけだ。霊力を感知や見ることができない一般人からすると。


 何も起きていない。



 それなのに――息ができない。喉が勝手に震え、足がすくむ。という現象とる。




 七姫の笑顔が引きつった。




「な、なにこれ……空気、重……っ」



 そして、一緒にいた男は顔を真っ青にして後ずさる。




「ちょ、やべえ……マジで動けねぇ!」

「こ、これ、志乃と同じ……怪奇現象!!?」




 黎明は微動だにしない。静かに、ただ見下ろしているだけ。その存在感が、すでに異質だった。




「ほら、さっさと消えてねー。そうじゃないと、どんどん圧が強くなるぞー」

「こ、この、志乃と同じ化け物……」

「さっさと帰りなー。こっちは最強職だから」





 さらに圧が強まった。七姫は叫び声を上げ、男も一緒に逃げ出した。ヒールの音が夕日に消える。

 

 静寂。志乃の体から力が抜け、膝が震えた。黎明が振り向く。




「大丈夫?」

「……うん……でも、今の……」

「さっきのやつ。魔法ってやつだよ」

「あ、あの、二度もありが、とう、ございます」

「助けたいとか、あんまり思ってないけどね。俺が不快だっただけだけど……まぁ、どういたしまして」




 適当に返事をして、黎明は再び歩き始める。彼は振り返ることがなかったが、志乃の顔は今までにないほどに、絶望に染まっていた。








 理由は、父親が馬鹿にされていたのに言い返すことすらできなかった、自分に対する失望。





 ──ずっと、俯き続けて、夕日の道を彼女は歩き続ける。











◾️













 夜。

 

 影森町の外れ、誰も近づかない古びたラブホテル。壊れかけた看板の「夢」の文字だけが、赤く点滅していた。その駐車場に、白いワゴンが一台止まっている。曇った窓の中、篝火七姫の笑い声が響いた。



「志乃の泣き顔の写真はやっぱりいいわね」



 七姫は煙草をくわえ、助手席の男に軽く足を投げ出す。スカートの裾から、安物の香水の匂いが漂った。




「お前、娘もう一人いたんだったか?」

「いたわよ。二人もね。どっちも使えないクズ。一人は家にこもって、もう一人は勝手に山行って消えたらしいけど。あたしの人生、あの子たちが全部壊したのよ」



 七姫は鼻で笑う。



「志麻も志乃も……あのガキどもがいなきゃ、今ごろもっといい人生だったのに」




 男が口をニタニタさせながら、微かに微笑む。



「……お前、マジで母親かよ。クソすぎてウケるわ」

「母親? そんなのとっくにやめたわよ」



 笑い声が虚しく夜に溶ける。窓の外では、蛙の鳴き声が止んでいた。風も、虫の音もない。まるで世界そのものが息を潜めたかのように。


 男がぼそりと呟いた。



「……なんか、静かすぎねぇか?」

「うるさい。ビビり?」

「いや、びびってねぇ。ただ、昔よく言われたんだよ。夜には外出るなって。それを思い出して」

「そういうの気にするタイプだっけ? まぁ、あたしもよく言われたけど……志乃が居るなら、話変わるけど。普通は気にしなくて……」



 七姫は窓を開け、煙を外に吐き出した。


 ――その瞬間、空気が変わった。



 湿った匂い。土と鉄と、甘い蜜を混ぜたような臭気が漂う。



「なにこれ……?」



 風が、逆流する。草がざわめき、ホテルの外壁に絡みつくように、何か黒いものが這い上がっていた。



 それは、根のような、触手のような、血管のようなもの。地面から何十本も生え、車の下を這い、タイヤを包む。



 七姫が気づいた時には、車体の下が動いていた。




「な……に、これ……」



 運転席の床から、ぬるりとしたものが滲み出す。生臭い。鉄のような臭いが鼻を刺す。男がドアを開けて外へ出た。



「うわっ……! おい、やべぇぞ、これ!」




 彼の足元。地面のひび割れから、何かが生えていた。それは人の腕に似ていた。だが皮膚は樹皮のように硬く、指先が根に変わっている。



 関節がぎしりと鳴り、土を掻き分けるように蠢く。地面の奥で、何か大きなものが呼吸をしていた。



 ぼこっ、ぼこっ――。



 男が悲鳴を上げるより早く、腕が彼の足を掴んだ。そして、引きずり込む。




「ぎゃあああああっ!!」



 咄嗟に手を伸ばした七姫の顔に、泥と血と何か甘い液体が飛び散った。




「うっ……! な、なにこれ……!」




 振り向く。ホテルの壁に、影があった。それは人の形をしていたが、輪郭が溶けている。



 獣のような四足。枝のような腕。首が不自然に長く伸び、顔の部分には――目も鼻も口もなかった。


 ただ、顔全体に穴が空いている。まるで巨大な蜂の巣のように。穴の中で、何かがうごめいていた。


 黒く、無数のものが蠢き、湿った羽音が夜気を震わせる。



 ぶううううううん……。



「ひ、ひぃぃぃっ……!」




 七姫はバックして車で逃げようとする。だが、後輪はすでに根に絡まれていた。



「やめてっ! やめてよ! なんであたしが……! 志乃は居ないのに……!」




  シートベルトを外して外に飛び出す。裸足でアスファルトを蹴りながら、走るたびに何かを踏みつける。

 

 粘つく音。それは――潰れた蛹だった。



「いやぁぁぁぁっ!」



 七姫は走る。けれども、影は音もなく追ってきた。動くたびに、根と羽が地を擦る。


 その度に、甘い腐臭が漂った。木々の間から、腕のような根が伸び、七姫の足を掴む。


 転んだ拍子に顔がアスファルトを擦り、血が滲む。痛みも恐怖も入り混じって、叫ぶしかなかった。



「誰かっ! 助けてぇぇぇっ!!」




 返事はない。風もない。ただ、根のざわめきだけが耳を満たす。


 ――そのとき、空が裂けたような音がした。


 木々の間から、巨大な影が這い出てきた。鹿の胴に、無数の人の腕。


 背中から、羽虫のようなものが溢れている。


 その胴の中心――


 まるで胎のように膨れた部位から、蜜のような黒液が滴り落ちていた。七姫の足元に、それが触れた。


 皮膚が焼ける。熱い。いや、冷たい。わからない。痛みが混じり、脳が痺れる。



「いやあああああっ! やめて! やめてぇぇぇっ!!」



 背中が弾けた。皮膚が膨れ、破れ、黒い膿が吹き出す。腕が硬化し、節を持ち、足が歪む。髪が触角のように蠢き、目が濁り、口から蜜が溢れ出た。



「……わたし、あれ、い、生きてる?……?」



 誰もいない夜に、七姫は笑った。背中には――巣があった。蜂の巣のような穴が並び、その中で黒い影が蠢いている。


 風が吹き抜ける。


 ラブホテルの「夢」の文字が、一瞬だけ光を放った。


 だが、もうその下には、人間はいなかった。


 そこにいたのはただ――


 血と蜜でできた巣を背負う女。




 怪異蟲后(こごう)




 それが、篝火七姫の成れの果てだった。ぶうううううん。羽音が、町へ流れていく。



 新しい巣を探すように。






「……志乃、アンタのセイで……こんなニモ、コンナニモォォォ!!!」









 

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