第8話 篝火志乃
篝火志乃という少女が影森町には住んでいた。影森中学に通う、中学二年生である。
小学生の頃から、怪奇現象に悩まされる日々を送っていた志乃。その怪奇現象は彼女だけの問題ではなく、家族にも降り掛かる時があった。
それが原因で小学一年生の時に両親は離婚した。父親は彼女を庇うが、母親が彼女に対しての当たりが強く、体罰、DVなどをされていた経験がある。
しかし、それらも全て自分が不気味であることが原因であると考えていた。
そんな彼女の怪奇現象を惹きつけてしまう、体質について解決をしたいと父親は手を尽くしていた。
しかし、彼女の父親は一ヶ月前に行方不明となってしまった。そして、彼女の姉も父親を探すため、何よりも篝火志乃の呪いを解くために出かけて行方不明となってしまった。
──自身のせいで家族が消えてしまった。その罪悪感と、父と姉に会いたいと思い彼女は影森町の夜に飛び出した。
「……」
普段は怪奇現象が起こる外が苦手で、絶対に家から出ない。しかし、篝火志乃は勇気を出して外に出た。
──家から離れて、町を歩く。
「お父さんとお姉ちゃん、夜に外に出ていったきり……。山神様? にお姉ちゃんは会うとか言ってた……」
この町には不思議な特徴がある。この町に住む住人は誰もが夜にはほとんど外に出ないと言う点だ。
夜に外に出てはいけない。篝火志乃もそう言われて育ってきた。
夜には……化け物が出る……。
「そ、そんなわけ、ないよね……。で、でも、お父さんもお姉ちゃんも夜に出たっきり帰ってこなかった……」
──山神様はなんでも願いを叶えてくれる
「山の神様に頼めば、お父さんとお姉ちゃん戻ってくるかな……」
暗い夜を懐中電灯一個で歩き続ける。街灯があるが、どこか薄暗い。恐る恐る暗い夜道を歩き続ける。
家から離れ、志乃は細い路地を抜けて町の大通りに出ていた。懐中電灯の光を頼りに歩き続ける。人の気配のない夜の影森町は、昼間と同じ町並みのはずなのに、まるで別の世界のように思えた。
街灯があるはずの通りも、灯りはどこか弱々しく、空気に溶けて輪郭を失っている。
その時――耳にひっかかる音がした。
「ぶぅん……」
小さな羽音。志乃は思わず立ち止まり、辺りを見回した。虫が飛んでいるのかと思ったが、姿は見えない。気のせいだと首を振り、再び歩き出す。
しかし、数歩進んだところで再び音が響いた。
「ぶぅん……ぶうぅん……」
先ほどよりも少し大きい。耳の奥にまとわりつくような低い響きで、まるで重たい虫が空気を叩いているようだった。志乃は懐中電灯を振るが、光の中に動くものはない。
――気のせい。そうに決まってる。
自分に言い聞かせるように、志乃は歩調を速める。けれども羽音は確かに追ってきた。次第に近づき、膨らみ、鼓膜を震わせる。
「……やだ……」
不安が声になる。羽音はやがて異常なほど大きくなり、耳を圧迫する。もう虫の音ではなかった。重低音のような轟きが、町全体を震わせているような感覚がよぎる。
志乃は反射的に駆け出した。だが、後ろから【それ】が迫ってくる気配が消えない。
角を曲がった瞬間、光に照らされた影を見てしまった。
黒光りする外殻に覆われた巨大な胴体。裂けた甲殻の隙間からは膿のような液体が滴り、羽は異様に長く歪んでいた。赤黒く爛れた複眼がぎらつき、尾の針は人間の腕ほどの太さで、先端には血のようなものがこびりついている。
見た目はスズメバチのよう……しかし、大きさは160センチを超えている。明らかに普通の生物ではない。
「っ……!」
息が詰まり、喉が焼ける。怪異は羽を震わせ、路地全体を揺らすほどの轟音を放つと、志乃に向かって突進してきた。
「ままぁ、ままぁ? ままぁ」
「いやぁぁぁぁぁっ!」
志乃は必死に駆け出した。懐中電灯の光が揺れ、石畳を乱反射する。背後では怪異の羽音が爆発し、夜の町を切り裂いて迫ってくる。
影森町の闇は、確実に彼女を捕らえようとしていた。
志乃は必死に走っていた。
街灯がぽつぽつと続く道も、その先はすぐに途切れ、両脇には田んぼが広がっている。風にそよぐ稲の音が、羽音と重なって恐怖を煽る。足元の石畳が土道へと変わり、ぬかるみに足を取られながらも、懐中電灯を握る手に力を込めて走り続けた。
「ぶうううぅぅん……」
背後の羽音はますます大きくなり、胸を突き破るほどの重低音が町の闇を震わせる。振り返る余裕はない。ただ、この先に人のいる場所があると信じて走るしかなかった。
田んぼがある場所を抜けて、ひたすらに走る、走る、走るしかない……!! そんな状況に追い込まれていた。
しかし、曲がり角を勢いよく駆け抜けた瞬間、足を取られて転んでしまった。
「きゃっ!」
地面に手をつき、膝を打つ。懐中電灯が転がり、光が不規則に揺れて闇を切り裂いた。
その光に映ったのは――迫りくる蜂の怪異。
全身を黒い甲殻で覆われた異形。人間に匹敵する体躯。腹部は裂けたように膨れ上がり、中から蠢く何かが透けて見える。甲殻の隙間からは粘液のような膿が滴り、土に落ちて泡立っていた。尾の巨大な針は腕よりも太く、先端には血と肉片がこびりついている。
――この怪異は、影森町に昔から伝わる子供蜂。田畑で命を落とした子供の怨念が集まり、虫の姿を借りて夜に徘徊する、と言われる存在だった。人を針で貫き、その体液を巣へ持ち帰るのだと。
「いや……来ないで……!」
志乃の声は震え、体は恐怖で動かない。羽音が轟き、針が振り上げられる。
その瞬間――。
──フレアボム
後方から「ぼうっ」と音がした。次の瞬間、橙色の火の玉が飛来し、蜂の怪異の胸を直撃した。
「――え?」
怪異が震えた。甲殻が爆ぜるような音と共に、その巨大な身体は赤い炎に包まれ、火柱が上がり、一瞬のうちに空気へと溶けるように掻き消えた。
羽音も、臭気も、重圧も――すべて消え去った。残ったのは、夜風と稲の擦れる音だけ。
志乃は呆然とその場に座り込んだ。
「あ、あれ……? 何……今の……?」
胸は激しく波打ち、頭は混乱していた。自分を襲ってきた現実離れした蜂の姿と、それを一瞬で消し去った火の玉の光景。何が現実で、何が幻だったのか。理解が追いつかない。
ただ一つだけわかるのは――確かに、自分は死ぬはずだった。そして、何者かに救われた。
しかしそれが誰なのかも、どうして怪異が消えたのかも、影森町の夜は答えてはくれなかった。
蜂の怪異が消えた後も、志乃の体は震え続けていた。
膝に力が入らず、しばらくその場から立ち上がれなかったが、それでも「帰らなきゃ」という思いだけで身体を動かした。懐中電灯を拾い上げ、土道をふらつきながら歩き出す。
「……お、お父さん、お、お姉ちゃん……ご、ごめんなさい、私……もう、いやだよ、怖いよ……」
探さなくてはいけない、家族。しかし、恐怖で、心と体がちぐはぐになっていた。
帰りたい、家に帰りたい、今の彼女はそう思うことしかできなかった。
影森町の夜は静まり返っている。だが、その静けさが逆に耳を痛くした。稲の葉が風に揺れる音すら、背後に何かが忍び寄っているように感じる。
「……もう、嫌だ……」
か細い声を零しながら、志乃は歩みを進めた。
その時――。
「……ずる……ずる……」
どこかから、重たい足音のようなものが響いてきた。志乃は反射的に懐中電灯を消し、物陰に身を潜める。
闇の中から現れたのは、異形の怪異だった。人の形に近いが、皮膚は土のように乾きひび割れており、胸の奥からは異様な音が漏れている。顔には口しかなく、鼻は潰れ、目は虚ろに曇っていた。まるで【呼吸】というものを持たない存在のように。
怪異はずるりずるりと歩きながら、まるで何かを探すように首を傾けている。耳を澄ませると、その度に
【すう……すう……】と空気を吸い込む音が響いた。
――それは呼吸ではなく、人間の吐息を探るための動作だった。
志乃は息を呑む。恐怖で胸が上下し、どうしても呼吸が乱れる。だが彼女はまだ気づいていない。怪異が求めているものが【吐息】であることに。
「すぅ……はぁ……」
自分の震える呼吸が漏れた瞬間、怪異がピタリと立ち止まった。ゆっくりと顔を上げ、耳のない頭部を志乃の方へ向ける。
「……っ!」
心臓が凍りついた。動けない。息を止めようにも、恐怖で喉が勝手に鳴る。光を消しても、吐息は消えない――。
その時だった。
「――愚か者、息を止めなさい!」
鋭い声が背後から飛んできた。振り返ると、そこに一人の少女が立っていた。紅の髪を肩ほどまで伸ばし、左右で結んだツインテールが闇の中で揺れている。制服姿だが、どこか異質な雰囲気をまとっていた。背丈は志乃と同じくらいだが、少しだけ高い156センチほど。
「アタシの声が聞こえてるでしょ! とにかく息を止めなさい! アイツは【吐息】に反応するのよ!」
ツンと尖った声音。だがその瞳は真剣で、志乃を真っ直ぐ射抜いていた。
志乃は言われるまま、必死に息を止める。胸が苦しい。怪異はすぐ近くまで迫り、闇の中で耳のない顔を左右に傾け、空気を吸い込んでいる。だが吐息を感じ取れず、やがて別の方向へと歩き去っていった。
静寂が戻る。志乃は肺が破れそうな勢いで空気を吸い込み、肩を上下させながらその場に座り込んだ。
「な、なに……今の……」
息も絶え絶えの志乃に、紅の髪の少女は少しそっぽを向きながら答える。
「フン……夜の町に出てきたくせに、知らないなんてね。アタシがいなかったら、アンタもう死んでたわよ」
そう言って、少女は冷たい夜風に髪を揺らしながら、志乃を見下ろした。
「あ、え、えと、あ、貴方は?」
「スザクよ」
「あ、あり、ありが、あり」
「はぁ……落ち着くまでお礼言うのはしなくていいわ。それに名前も知ってるから自己紹介もいらないわよ……篝火志乃」
スザクと名乗る少女は恐怖でお礼も言う余裕もない、志乃にため息を吐いた。暫くして、ようやく落ち着きを取り戻した志乃を連れて、二人は歩き出した。
田んぼ道を抜け、住宅街へと続く細い道を歩く。志乃は震える足を必死に動かしながら、隣に並ぶ紅の髪の少女――スザクをちらちらと盗み見ていた。
彼女がいなければ、今ごろ自分はあの怪異に殺されていた。そう思うと胸が詰まり、言葉が出てこない。
「……アンタの家って、どっち?」
「……あ、あっちです」
スザクはツインテールを揺らし、志乃の進む方向を確認すると、何気ない顔で歩き出した。その横顔は年相応の女子高生のように見える。けれども、背中に漂う気配は普通ではなかった。
その時――。
「ぶうぅぅぅん……」
再び、耳をつんざく羽音が夜気を震わせた。
「ひっ……また……!」
振り返れば、闇の奥からあの蜂の怪異が姿を現していた。先ほど倒されたはずのものとは違う個体。巨大な甲殻が光を反射し、尾の針が地面を抉りながら迫ってくる。
志乃の足は止まり、涙が滲む。だが次の瞬間、スザクが前に出た。
「チッ……またアイツか。アンタ、下がってなさい」
紅の髪が夜風に舞い、スザクの掌に赤い炎が生まれた。彼女が一振りすると、炎は大きな弧を描き、怪異の体を包んだ。轟音と共に蜂の怪異は悲鳴のような羽音を立て、地面に叩きつけられる。甲殻は焼け焦げ、羽は一時的に動きを止めた。
「……すごい……やっぱり、あなたが……!」
志乃は震える声で問いかけた。
「さ、さっきも私を助けてくれ、ま、ましたよね?? あ、あの火の玉も……」
だがスザクは目を丸くして、鼻で笑った。
「は? なに言ってんのよ。アタシ、今ここで初めてアンタ助けたんだけど?」
「で、でも……確かに……火の玉が飛んできて、あの怪異が消えて……!」
「――愚かね」
スザクは短く言い放つ。その瞳は紅く光り、ただの少女のものではなかった。
「いいこと教えてあげる。あの蜂の怪異は、人間の力じゃ祓えないのよ。アタシですら、一時的に追い払うのがやっと。完全に消すなんて……そんなこと、できるはずがないの」
「……じゃあ……あの時の……」
志乃は口ごもる。あれは夢か幻だったのか。けれど、確かに自分は死を覚悟した瞬間、火の玉に救われた。その感触は現実だった。
ただ、そこまで強く言われると見間違い……なのだろうか? と志乃の心は揺れ始める。
「フン……まあ、どうでもいいでしょ。アンタは生きてる。それで充分じゃない。現実と虚像が今は区別できてないのよ」
スザクはわざと素っ気なく言い、怪異が再び動き出す前に志乃の手を掴んだ。
「ほら、急ぎなさい! アタシが時間を稼げるうちに家まで戻るのよ!」
──二人は暗い道を駆け抜けた。やがて志乃の家が見えてくる。灯りのついた玄関が、闇の中で唯一の安堵を与えた。
「……つ、着いた……」
肩で息をする志乃を見て、スザクはそっぽを向いたまま家の外装を眺めていた。その時、彼女の紅の瞳が怪しく光っていた。それに志乃は気づくことなどない。
「……ふーん、結界ねぇ? なるほどねぇ……なるほど、それにこの家はアタシのテリトリー内ってわけ。だから、志乃は襲われず生きてられてるってことね」
「て、テリトリー? ここは私の家、な、なんですけど」
「分かってるわよ。そんなこと。アンタはさっさと開けなさい!」
「あ、はい、え、えと鍵、鍵……え、えと、えっとぉ」
「……それと、この慌てん坊の、尋常じゃない霊力も相まって底上げされてるってわけね……ふーん、なるほどねぇ」
「鍵、えと、ど、どこだっけ? あ、あれ」
そんなスザクに全く気づかず、家の鍵が見つからずに慌てている志乃。次第に痺れを切らしたスザクの眉間に、イライラが滲んでいた。
しかし、ポーチをずっと志乃は探している。
「いつまで探してるのよ! 愚か、鈍臭いわね」
「ごごご、ごめんなさい。わ、私、その、昔からダメな人間で」
「反省してないでさっさと探しなさい。見つからないなら、別の場所を探すでもしなさい」
「あ、は、はい」
ポーチにはないので、自身のズボンの横ポケットに手を入れた。すると、コツン、と何かが手に当たった。
「あ!」
「あったのね。ほら、さっさと開けなさい」
「は、はい」
ようやく鍵を見つけたので、鍵を開けて扉を押し開いた。暖かい家の中に入った瞬間、ようやく全身の緊張が解ける。スザクも後ろからついて入り、足音を立てて玄関に上がった。
――その小さな背中に、志乃は思わず視線を向ける。
この少女はいったい何者なのか。なぜ、化け物に詳しいのか。そもそも本当にただの人間なのか。そして、どうして私を助けてくれたのか。
疑問が彼女には沢山あった。しかし、問いかける勇気はまだなかった。
家の中に入った瞬間、志乃は最初に安堵が湧いた。だったのだが……徐々に胸の奥が重くなる。
廊下や階段、襖や窓枠にまで、所狭しと貼られたお札。文字も紙質も統一されておらず、古びたものと新しいものが混ざり合っていた。床の隅には土鈴や小さな護符が転がり、棚の上には石や木片に墨が染みついたような呪具のような物まで置かれている。
昔からの光景だった。けれど、志乃にとっては誇れるものではなかった。
子供の頃、友達を家に呼んだ時【呪いの館だ】と笑われたことがある。以来、彼女は人を家に呼ぶことをやめた。学校でも陰で気味悪がられ、いじめられたこともあった。
――その原因がこの家だと思っていた。
だからこそ、思わず俯いてしまう。
「……ご、ごめんなさい。変な家で……その、これはでも、変じゃないって言うか。その、わ、私のお父さんが、私のために集めてくれたもので……」
スザクは目を細めて壁を見回し、やがて感心したように小さく笑った。
「変? 何が? アンタの親父さん……ただの人間なんでしょ? それなのに、ここまで道具を集めて必死に娘を守ろうとした。よくやってるわよ。立派なお父さんだと思う」
「……っ」
その言葉に、志乃は目を見開いた。
これまで気味悪がられてばかりだった家を、肯定してくれる人がいる――その事実に胸が熱くなる。思わず込み上げる涙を隠すように、唇を噛んだ。
「お父さん……」
小さく呟いた声は、かすかに震えていた。
その時だった。
――ピンポーン。
突然のインターホン。夜の静寂に、不自然なほど響き渡る。
スピーカーから流れた声に、志乃は息を呑んだ。
『志乃ちゃん……? アタシよ、志麻。やっと帰ってきたの。』
「お姉ちゃん……!」
志乃は思わず駆け寄ろうとする。しかし、その手をスザクが掴んだ。
「待ちなさい」
「でも……!」
声は続く。
『しばらく家を留守にしててごめんね……ほら、鍵を忘れちゃったの。だから、早く開けて……志乃ちゃん』
「う、うん。分かったよ、お姉ちゃん」
『ありがとうね、志乃ちゃん」
必死に呼びかける声。だが――。
志乃はふと胸に違和感を覚えた。
──志乃、このお菓子美味しいよぉー
──志乃、わたしねぇ、最近太ってない……よね?
──志乃、このチョコめっちゃ美味しいー、一緒に食べよぉ
その時、唐突に溢れ出した愛してる姉の記憶。いつもいつも、記憶の中の姉は暖かく、輝いていた。志乃にとって、最高の姉だった。
「……お姉ちゃん……」
震える声で玄関に問いかける。
「どうして……私のこと、『志乃ちゃん』って呼ぶの……?」
沈黙。
姉の志麻は、いつも呼び捨てで【志乃】としか呼ばない。
なのに、外の声は最初からずっと【志乃ちゃん】と呼んでいた。
「……あ、あの、お、お姉ちゃん? どうして、なの?」
『…………ッチ』
──舌打ちがなった。そして次の瞬間、ドアが激しく揺さぶられる。
ガンッ、ガンッ! 金属の蝶番が軋み、玄関がきしむ。
『開けろ……開けろォォ! 志乃ォォォ!!』
声は志乃の姉そのもの。しかし、その荒々しさと凶暴さは明らかに人間ではない、異質な存在を感じさせるものだった。
家中の札がぱらぱらと剥がれ落ち、圧迫感が押し寄せてくる。
志乃は青ざめ、背を壁に押しつける。震える息を止め、スザクを見上げた。
紅の髪の少女はドアを睨み据え、冷たい声で言った。
「……やっぱり、偽物ね」
「え、え、え?」
「まぁ、大丈夫よ。ここまでは入ってこれないわ……今の所はだけど……」
──次第にドアの揺れは止んだ。
『……またくるね、志乃ちゃん』
そう言って、志麻の声を持つ怪異は消えていった。その次の瞬間、体力の限界なのか、志乃はその場に座り込んでしまった。
「お姉ちゃん、じゃなかったんだ……」
「そうね。まぁ、よくある話よ。山の中での声に耳を傾けてはいけない。その声は、崖の先に連れていくかもしれぬ、はたまた、森で一生飼い殺すかもしれぬってね」
「…………お姉ちゃん」
「はぁ、泣くんじゃないわよ。もう……」
『ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!』
──唐突に、志乃達の元に、さっきの声の絶叫が響き渡った。
「え、な、なに? お姉ちゃん?」
「愚かね。こうやって誘い出そうとしてるのよ。学習しなさい。そろそろ疲れたでしょ。今日は寝なさい」
「……う、うん、あ、ありがとうございます、スザク、さ、さん」
「はぁ、スザク様でいいわよ」
「あ、はい、ス、スザク様」
「……冗談よ。スザクさんでいいわ」
スザクは高校の制服を着ていた。志乃はもしかして、姉の同級生か何かかと思ったが、そんなことを聞く気力はなかったのだった。
そして、彼女達は玄関から離れた。だからこそ、聞くことはなかった。
──外にいた、異質の勇者の存在の声を……
「やっぱり、モンスターの気配か。詩、モンスターいたぞ。隣の玄関前に居るなんてラッキーだな」
「……全く、急に起きると思ったら何かと思えば……しかし、この町は本当に怪異、ではなくモンスターが多い。謎だ」
「明日の夜、楽しみだ」
「……はぁ、黎明。お前が凄まじいのはわかるが常識から外れすぎて疲れる。まさか、怪異を──、またしても一瞬で倒すとはな」
「モンスターね」
「あ、うん」
隣に引っ越してきた朝霧黎明は、明日の夜を楽しみにしながら家に戻っていった。




