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桜炎はセンリの慌てぶりを微笑ましく眺めてから、いつもの落ち着いた声で告げた。
「ところで、センリ様。朝食の用意ができております。
―陛下が、一緒にと」
「……へっ?」
頭の中で、何かが一瞬真っ白になった。
「い、いっしょに……って、まさか」
「ええ。黒の王と、ひつじ国のお客様との最初の会食でございます。
お断りになりますか?」
「む、無理無理無理!! だども断れねぇ!!」
口から出た本音に、サエはくすっと笑う。
「大丈夫です。変なことになりそうになったら、私が燃やしますので」
「だ、誰を!?」
「状況次第ですね。―では、参りましょうか」
有無を言わせぬ笑顔で言われ、センリは成すすべもなく立ち上がった。
手首の鎖が、どくん、と一つ脈打つ。
(やだ……どんどん変な方向さ……)
そう心の中で嘆きながら、サエに案内され、センリはダイニングへ向かった。
黒の王城のダイニングは、執務室よりも少し柔らかい雰囲気だった。
大きな窓から朝の光が差し込み、長いテーブルには白いクロスと銀の食器がずらりと並んでいる。
その一番奥―上座に、黒の魔王が座っていた。
センリが扉のところで立ち止まると、大地がゆっくりと顔を上げる。
赤い瞳が、一瞬だけ柔らかく揺れた。
「……おはようございます、魔王さま」
センリはぎこちなく頭を下げる。
「……おはよう、センリ」
短い挨拶。それなのに、鎖がかすかに鳴った気がした。
「座れ」
大地が顎で、自分のすぐ隣の席を示す。
「は、はいっ!」
センリは慌てて近づこうとして、足元の絨毯に少しつまずきかけた。
その瞬間、椅子がすっと引かれる。
顔を上げると、大地が当たり前のような顔で椅子を引いていた。
「……どうも、ありがとうごだいます」
「ああ」
大地は何事もなかったように返事をし、センリが腰を下ろすのを確認してから、自分の席に戻った。
―その向かい側。
妙に楽しそうな顔をした男が、肘をついてこちらを見ていた。
炎のような赤とオレンジの髪。
黒い軍服風の装いに、赤と金の装飾。
にやにや笑うその炎の様な赤い目は、どう見ても“面白いものを見つけた”顔だ。
(……誰だべ、この人……)
センリが小さく首をかしげると、その男は待ってましたとばかりに口を開いた。
「はじめまして」
にやり、と笑う。
「俺は黒の魔国の将軍、煉獄。一応、赤の魔王だ。よろしくな、お嬢ちゃん」
「お……」
思考が一瞬止まった。
(赤の……魔王!?)
昨夜聞いた“五星の魔王”の話が、頭の中で一気に組み上がる。
「え、えっと……ひつじ国のセンリと申します。よ、よろしくお願いいたします!」
慌ててぺこりと頭を下げると、煉獄はますます楽しそうに笑った。
「緊張しなくていいって。俺、そんなこえー魔王じゃねぇからよ」
「こえー魔王も、ここにひとりいるみたいな言い方やめろ」
すかさず大地が低く突っ込む。
「おっと、そうだった。ここには黒の魔王様がいたな」
煉獄はわざとらしく肩をすくめ、大地とセンリを見比べる。
「しかしまあ……黒の魔王が、朝から番候補と優雅に朝食とはなぁ。
長生きはするもんだ」
「煉獄」
大地の声が、わずかに低くなる。
その空気を、テーブルの横で控えていたサエが、すっと割って入った。
「煉獄様。からかうのはそのくらいにしておいてください。
センリ様が困っておられます」
「おっと、桜炎ちゃんに怒られちまった」
煉獄は両手を上げて降参のポーズを取る。
「そう怖い顔すんなよ、大地。
俺はただ、“いい番見つけたな”って言ってやりたかっただけだぜ?」
その言葉に、センリの顔が一気に赤くなる。
「つ、番って……」
思わず反応してしまい、テーブルクロスの端をぎゅっと握る。
桜炎はそんなセンリの様子を横目に見て、さらりと笑った。
「煉獄様。センリ様、まだ心の準備が整っておりませんので、
“番”だの“運命”だのとあまり連呼なさいませんよう」
「ははっ、悪い悪い。
ま、ゆっくりやってけや、お嬢ちゃん。ここには桜炎ちゃんって心強い味方もいるしな」
「はいっ……」
センリはおそるおそる顔を上げ、大地の横顔を盗み見る。
魔王は、表面上はいつも通り無表情に見える。
けれどよく見ると、ほんの少しだけ耳が赤い気がした。
(……魔王さまも、恥ずかしいことあんだべか……)
そう思った瞬間、手首の鎖が、ちゃりっ、と小さく鳴いた。
黒の魔王と赤の魔王。
毒舌な秘書官と、震えるひつじ族の少女。
奇妙で、ぎこちなくて、でもどこか温かい―
そんな最初の朝食が、静かに始まった。




