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運命の番と魔王の戦記~薔薇の鎖の座標(しるべ)  作者: 愛龍


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4

 重い扉が、音もなく開いた。


 部屋の中は、思ったよりも静かだった。

 広い部屋の中央に大きな机がひとつ。その向こう側に、黒い衣をまとった男が座っている。


 黒の魔王―黒黎の大地。


 彼は山のように積まれた書類に目を通し、さらさらとサインを書き入れていた。

 最後の一枚に印を押すと、ペンを置き、ゆっくりと顔を上げる。


 まっすぐに、センリを見る。


 昨夜、嵐の中で見上げたのと同じ瞳。

 けれど朝の光の中で見るそれは、少しだけ印象が違って見えた。

 冷たそうなのに、奥の方で何かが熱を帯びているような、そんな色。


「……おはようございます」


 とっさに声が出なかったセンリは、慌てて頭を下げた。


「あの、えっと……」


 昨夜からずっと考えていた言葉を、なんとか掻き集める。


「き、きのうは泊めてくださってありがとうございましだ。

 わたし………雨がやんだし、そろそろ帰ろかどおもっで……挨拶さ……」


 自分でも分かるくらい、語尾が心許なく揺れる。


 ひつじ国に帰る。


 天制球を持って、また群れと一緒に空を見上げて、いつものように風と話す。


 そうすれば、きっと昨日までの日常に戻れるはずだ―そう思っていた。


 だが、大地は微動だにせず、センリを見つめていた。

 その視線に、胸の奥の鎖がぎり、と鳴る。


 短い沈黙。


 そして――


「帰るな」


 低く、よく通る声だった。


 センリは思わず顔を上げる。


「……へ?」


 意味を理解するより先に、大地は椅子から立ち上がっていた。


 長身の影が近づいてくる。

 気づいた時には、センリの目の前に立っていた。


 すっと伸ばされた手が、センリの手をとる。


 指が触れた瞬間、熱い――と思った。


 まるで、さっきまで炎を握っていたかのような体温。

 けれどそれは、火傷のような痛みではなく、冷え切った身体を内側から温める薪の火みたいな、優しい熱だった。


 センリの胸がどくん、と鳴る。


「か、帰るなって……なんで……?」


 かすれた声で問い返す。


 大地は、つないだ手から視線を離さないまま言った。


「お前は、この国を救った。嵐を止めた。

 それだけでも、十分に引き留める理由になる」


 ぐっと、少しだけ手に力がこもる。


「……でも、それだけではない」


 赤い瞳が、今度はセンリの目をまっすぐ射抜いた。


「俺の鎖が、昨夜からうるさくてかなわん」


「……鎖?」


 センリは思わず、自分の手首を見下ろした。

 大地の手に隠された手首の内側で、薔薇の鎖がじわりと熱を帯びる。


「魔王種の魂に刻まれた鎖だ。

 一生に一度だけ、番を選び、つなぐ。……運命の鎖」


 大地の声は静かだったが、そこには迷いも嘘も感じられなかった。


「嵐の中、お前を見た時から、ずっと鳴り続けている。

 ―帰らせたら、一生後悔する気がする」


 センリは言葉を失った。


 昨夜から胸の中で言い訳みたいに渦巻いていた思考が、一気に音を立てて崩れていく。


(魔王さまの……運命の鎖……)


 自分の手首の鎖が、大地の言葉に呼応するように、更に強く光った気がした。


「でも……わだし、ひつじ族で……ただの、天気ちょこっといじれるだけの……」


「“ただの”で済む力ではない」


 大地はぴしゃりと言い切る。


「お前は、天を止めた。

 そして―俺の鎖を動かした」


 それは、魔王にとって、何よりも重い言葉だった。


 センリの喉が、きゅっと詰まる。


 帰りたい気持ちがないわけじゃない。

 ひつじ国には家族も仲間もいる。

 自分の居場所はそこだと、ずっと思っていた。


 でも。


 手首の鎖が、行くなと鳴る。

 つないだ手の熱が、ここにいていいと言ってくる。


「……魔王さま」


 センリはゆっくりと、大地を見上げた。


「わだし……ここさ居だら、迷惑にならねぇべか」


 その一言に、大地の眉がかすかに揺れた。


「迷惑なら、そもそも引き留めない」


 短く、きっぱりとした返答。


『……俺も、お前がいた方がいい」


 最後の一言だけ、ほんのわずかに声が低くなる。


 センリの胸の奥で、何かがきゅっと締めつけられた。


(……ずるいし)


 そんな言葉が、喉まで出かかったが、飲み込んだ。


 代わりに、手首の鎖が小さく鳴る。


 まるで「はい」と返事をしたみたいに。


「……少しだけ、なら」


 センリは、ぎゅっと大地の手を握り返した。


「少しだけ、この国さ居ても……いいですか」


 大地の瞳が、ほんの少し和らぐ。


「少しで済めばいいがな」


「……へ?」


「いや、何でもない」


 大地はわずかに口元を緩めると、つないだ手を離さないまま言った。


「歓迎する、センリ。

 ―魔王の治める黒の王国へ』


 その言葉に、薔薇の鎖が、はっきりと鳴り響いた気がした。

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